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1979年 22勝、防御率2.89という成績を挙げ、2年ぶりに沢村賞、ベストナインを獲得したが、小林自身は後に、
この年のシーズンを以下のように否定的に振り返っている。
あの年に俺がやったことは野球選手として褒められたことじゃないんだよ。
自分のためだけの野球をやっていたから。あんな事件があって、トレードで阪神に移って、悔しくてね。
だから、『俺は生きるぞ、負けてなんかいないぞ』って主張したかった…それだけの野球。
そんな野球は全然、駄目でしょ。チームより自分が先に立っていた…そんなのは、あざといだけの野球だよ。
なのにファンもマスコミも俺が巨人に勝つたびに大騒ぎをする。世の中が、そんな風に動くのが嫌だった。
『あんたら馬鹿か』と思いながら、それでも、俺は巨人に負けたくないと思って必死に投げていたんだ。
結局、世間に踊らされていたんだよ、あの年の俺は。