25/09/27 01:46:52.92 0.net
どんな生活とか、入った理由とか色々答えられることなら答えるよー
2:名無しさん@HOME
25/09/27 02:01:41.04 0.net
取り敢えず軽いスペック
20代半ばの女の高卒フリーター
物心ついた時には児童養護施設に居て、高校卒業まで施設で育った。
施設に2回入ったけど、2回目の入所理由は虐待。
3:名無しさん@HOME
25/09/27 02:12:23.10 0.net
最初の記憶は既に乳児院に居るところ。
乳児院ってのは、赤ん坊から2歳くらいまでの子供がいる場所で、児童養護施設に入る前の小さい子たちが生活する感じの場所。
そこで2歳くらいまで育てられて、その後に2歳〜18歳までの子が生活する児童養護施設に移動した。
4:名無しさん@HOME
25/09/27 02:14:58.00 0.net
体が弱くてずっと入院してたから、幼稚園に通い始めたのは幼稚園の年中頃だった。
卒園までの1年半は平和に過ごしてたと思う。
自分が他の子供達と違う生活をしてるって言うのはあまり意識してなくて、父親も居なかったからクラスの子達にも父親が居るって認識はしてなかったと思う。
5:名無しさん@HOME
25/09/27 02:18:16.95 0.net
ここで補足をいれる。
母親はいたけど、父親はいなかった。
実の父親は私の妊娠発覚と共に失踪して、未婚のまま母親は子供産んだ。
母親は美人で父親はイケメンだったらしいけど、その子供の私は残念ながら美形ではない。
平均の平均くらい。
絶望的にメイクが下手だから、メイクで顔を誤魔化すとか出来なくて、どちらかと言えばブスよりかもしれない。
美形になるって期待してた母親からしてみれば、子ガチャ失敗だったんだろうな。
6:名無しさん@HOME
25/09/27 16:41:44.33 0.net
質問はないけど続けて
7:名無しさん@HOME
25/09/27 22:41:54.53 0.net
>>6
ありがとう
ゆっくり続き書いてく
8:名無しさん@HOME
25/09/27 23:03:18.84 0.net
小学二年生の時に母親に「一緒に暮らそう」って言われた。
当時の母親の彼氏が父親になるから、新しい家族3人で一緒に生きようって。
当時は【家族】が分からなかったけど、親と暮らせるのが嬉しくて、二つ返事で一緒に暮らしたいって言った気がする。
お父さんと、お母さんと、私の3人家族で普通の家庭として生きる。
それが何よりも嬉しくて楽しみで。
良い子になるって心に決めてた。
9:名無しさん@HOME
25/09/27 23:22:57.00 0.net
初めての【家族】って生活に戸惑いはあったけど、自分1人の部屋があって、自分専用の部屋があって。
新しい学校へも最初は母親と手を繋いで行って。
これが普通の子達が感じてる幸せなのかなって幼いながらに考えてた。
仕事終わりの親が学童に迎えに来て、一緒に夕飯を買って、家族3人でご飯を食べて。
平凡な家庭が嬉しくて嬉しくて。
学校によって勉強の進みとか使うドリルが違うから、勉強も頑張って。
転校先の学校の子たちともすぐに仲良くなれて。
やっと私も普通の子になれるのかなって。そう思ってたんだよね。
10:名無しさん@HOME
25/09/27 23:33:05.13 0.net
いつから虐待が始まったのかは正直覚えてない。
そのくらい緩やかに始まったんだと思う。
勉強が遅れては殴られ
体調不良でご飯残しては殴られ
九九を間違えては殴られ
寝かして貰えず、風呂とご飯も貰えず
何度もお前は落ちぶれてるって言われた。
いつでも殺せるって言われたのも覚えてる。
親の仕事のストレスもぶつけられた。
理不尽に殴られ、蹴られた。
痛くて悲しくてずっと泣いてたけど、泣いたらまた暴力の嵐だった。
11:名無しさん@HOME
25/09/27 23:36:03.21 0.net
私が学校や地域の問題児になるにはそう時間は掛からなかった。
家で襲い来る暴力のはけ口として、学校であらゆる問題行動をした。
窓ガラスに突っ込んで、体を傷だらけにしてみたり。
授業中抜け出して使われてない教室をひっちゃかめっちゃかにしてみたり。
体中傷だらけにしては、先生が心配してくれるのが嬉しくて。
私を見てくれてるってその時だけ思えて、何度も何度も。
家に帰ると問題行動を咎められてはまた殴られて、そのストレス発散として学校で暴れては親に連絡をされて殴られる。
悪循環だった。
でもどうすればその悪循環を止められるか全く分からなくて。
12:名無しさん@HOME
25/09/27 23:39:21.84 0.net
生傷の耐えない子供だった。
人の事を思いやる気持ちも無くなった。
いつの間にか殴られる事に対して痛みや恐怖すら感じなくて、感情すら消えちゃって。
唯一残ってたのは「死にたい」って言葉だけだった。
普通の親子になりたくて、親に愛されたくて、でもそんな事叶わなくて。
ずっと殴られ蹴られ、いつ殺されるかも分からない生活ならいっそ親を殺して自分も死のうって思った時もあった。
包丁を持ち出した事がある。
寝てる母親を刺してしまおうって考えた。
でもその時に聞こえたんだよね。
産まれたばかりの小さい弟の寝息が。
私は結局刺せなかったし、死ねなかった。
こんな小さい弟が歩む今後の人生を考えると、親を奪う事も殺人者の弟にさせてしまう事も無理だった。
13:名無しさん@HOME
25/09/27 23:46:52.45 0.net
家族3人で暮らし初めて、途中弟生まれたから4人家族になったけど、私の家族生活は長くは続かなかった。
暴力も暴言も当たり前になってた時に、学童の先生に痣を見られた。
私は自分の体に痣があるのが当然だったから、学童の先生がなんで根掘り葉掘り家庭生活を聞くのか分からなかったし、私の服を脱がせて痣の写真を撮るのかも分からなかった。
結局痣の写真を証拠に、児童相談所(以下、児相)に通報されて私は早急に保護される事になった。
荷物とか置きに一旦家に帰る?って聞かれたけど、大勢の大人に囲まれて、戸惑いが大きくて。
何より家庭の事を話してしまったから親が凄い怒るんじゃないかってのが凄い怖くて、泣きながら帰りたくないって訴えた。
私はそのまま保護されて、引き取られる前に居た1箇所目の施設に送り届けられた。