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それを貧乏舌というんだがな
ハイデガーに学ぶ 「科学的に正しい」フグの食べ方
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美食家でならした北大路魯山人は言っている。
「ふぐの美味(うま)さというものは実に断然たるものだ―と、私はいい切る。これを他に比せんとしても、これに優(まさ)る何物をも発見し得ないからだ」(北大路魯山人著『魯山人の食卓』)
ところが身の回りを見渡すと、フグに対する懐疑派は結構多い。「刺し身を食べてもポン酢の味しかしないじゃないか」「カワハギと似たようなもんだろ? 値段はやけに高いのに」。
果たしてどちらが正しいのか。2月9日の「フクの日」を前に、「好みの問題」を超えてフグのうまさについて考えてみたい。
■堪能するには「訓練」が必要
20世紀を代表する哲学者のハイデガーは「退屈」にまつわる論考の中で「パーティーに際しての退屈な体験」について書いている。
おいしい食事が供され、心地よい音楽を聴き、葉巻を吸い、会話もそれなりに楽しんだ。ところが帰宅後のふとした瞬間に気がつくのだ。「私は今晩、この招待に際し、本当は退屈していたのだ、と」。これは一体どういうことか。
哲学者の國分功一郎氏の分析はこうである。
「あの場でハイデッガーが退屈したのは、彼が食事や音楽や葉巻といった物を受け取ることができなかったから、物を楽しむことができなかったからに他ならない。
そしてなぜ楽しめなかったのかと言えば、答えは簡単であって、大変残念なことに、ハイデッガーがそれらを楽しむための訓練を受けていなかったからである」(國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』)
訓練を経て初めて楽しめるようになるのは古典文学を原典で読むとか能楽を演じるといった高尚な趣味やスポーツばかりではない。
「食のような身体に根ざした楽しみも同じく訓練を必要とするのである」(同)
実はこれは、フグにそっくり当てはまる。
近畿大学農学部水産学科の有路昌彦准教授は「フグは高いのにボリュームがない、良さが分からないという人は、フグの味わい方を知らないだけということが多いのです」と話す。