19/04/15 09:06:59.77 kczWV3jI.net
>>124
同じ日に訪れたのが、蚕室(チャムシル)のロッテワールドから程近くに位置する
大清皇帝功徳碑だ。そこまでするかという反日の現場を見たあとだっただけに、
2つのギャップが一段と際立って感じられた。
こちらは清皇帝への服従を示すことから「恥辱碑」ともいわれるが、
四阿(あずまや)風に覆ってあり、夜にはライトアップもされている。
朝鮮王朝の始祖である李成桂は、明から冊封(さくほう)を受けた。
それが正統性を獲得するための唯一の手立てだったからだ。
明への服属の証が、朝鮮という国号そのものを賜ったことであり、
朝鮮半島北部の独裁国家は今でも自らそれを用いている。
豊臣秀吉の朝鮮征伐に対して、朝鮮に援軍を送って財政難となったこともあり、
明は衰退。北方で勃興したのが、女真族の後金(のちの清)だった。
二代目の太宗ホンタイジは、中国本土だけでなく朝鮮半島にも狙いを定め、兵を進めた。
内陸アジアの大地で鍛え抜かれた強者たちの前にほとんどなすすべもなく、
朝鮮国王・仁祖は清に服属した。
清と朝鮮との君臣関係を“見える化”するために三田渡(さんでんと)で行われたのが、
三跪九叩頭の礼だった。清皇帝に対して国王自らが地面に額を打ち付けるという場面は、
この上もなく恥辱にまみれているといえよう。
文化的価値を顧みずに旧総督府を平気で潰してしまう人達なら、
はるかに簡単に壊せる屈辱的な碑など直ちに撤去しそうなものだが、未だに残されている。
情緒が剥き出しになる日本への反応と比較すると、とても奇妙だ。
結局のところ、中国大陸の勢力に媚び諂うことに抵抗はないが、日本に対しては
半狂乱で居丈高に振る舞ってしまうというのが、彼の国の人達の性なのだろう。
中国を中心とした秩序に、いま急速に吸い寄せられつつ、日韓関係が最悪の状況にあると
いうのは、別々の現象ではないし、深く深く歴史に根差した方向性だということが、
韓国の2つの歴史スポットから導かれる結論ではなかろうか。
週刊新潮WEB取材班
2019年4月15日 掲載
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