19/02/22 21:09:46.06 ijaAB50w.net
聖旨により >>650 の刑の当日執行が伝えられると、関係司直はただちに >>650 を西市にひきたてるよう役人に命じた。
当時の西市は北京皇城の西側、甘石橋(かんせききょう)下の四牌楼(しはいろう:のちの西四牌楼、今の北京西辺)にあり、死刑執行の場所となっていた。
慣例によれば、斬首は西牌楼の下で、凌遅は東牌楼の下で行われるようになっていたので、その日も首きり役人らが、手に手に小さな籠をかかえて小屋からでてきた。
籠には鉄製の鉤(かぎ)と鋭利な匕首(あいくち)がはいっている。彼らは鉤と匕首をとりだすと、砥石(といし)にあてて砥ぎすました。
監獄役人たちが >>650 を刑場におしたててきて、東牌楼の下に放置した。>>650 は柳で編まれた大きな駕籠(かご)のなかに坐ったままである。
このときすでに、あたりの道路や空地は、水のもれる隙間もないほど黒山の人だかりで埋めつくされていた。役人の一人が「西城察院の長官殿がおみえに
なられていないので、いま少しお待ちを・・・・・・」と口にしたちょうどそのとき、くだんの長官が前後に従者をしたがえ、人垣をかきわけながらやってきた。
長官は居ずまいをを正し、声高に皇帝の聖旨を読みあげる。ざわめきがおこり、長官の言葉がかき消された。だが、最後の一句はききとれた。「法にてらして凌遅三千六百刀!」
―首切り役人らが、いっせいに雷鳴のような大声で唱和する。とりまいた群衆はひとりとして身ぶるいしない者はいなかった。爆竹が3度はじけ、刑が執行されはじめた。
かなりの時がすぎ、二またの柱に一本の縄がかけられた。柱のうしろに縄をくくる係りがいて、縄の先端にはひとかたまりの物体―鮮血したたる人間の肺と心臓がつるされ、
柱のてっぺんまでつりあげられた。それは >>650 の肉がすでにそぎつくされ五臓六腑の腑分けがはじまったことを意味していた。またしばらくの時がすぎると、柱から肺と心臓がおろされ、
ついで人間の頭部がつりあがってきた。 >>650 の首が切り落とされ、衆人にさらされたのである。このとき、>>650 の凌遅の刑の終了が宣告された。
ふたりの将校が皇帝に切りきざみの執刀回数を報告するため馬にとびのり、手にした紅旗をひるがえしながら東に駆けぬけていった。