19/03/07 07:48:31.69 WySTbkM9.net
朝鮮には主権などはない、1270年高麗がモンゴルに支配され、1392年高麗が滅亡して
李氏朝鮮が始まり、その後明の属国になり、明を宗主国とする柵封体制に組み込まれました。
李氏朝鮮の王となった李成桂は、王位につくやすぐさま、当時の明王朝に伺いを立て、国号を
「朝鮮」と決めて貰っています。
世界史の中で、他国に自国の国号を決めてもらった国など、朝鮮以外ありません。
その後、1637年に清の完全属国になります。
「清国」は「明」以上に朝鮮に対して過酷な扱いをします。朝鮮は清國に細かく定められた貢物を
出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければなり
ませんでした。
その上、清国皇帝に奉呈した貢文に、気に入らない言葉がたった一つあっただけで、朝鮮国王は銀
一万両を罰金として払っています。それだけでは無く、清国は多くの朝鮮人を労働力として連行して
おり、その数は説によって30万~50万人と言われています。
李氏朝鮮は後に連行された人々をお金でとり戻したのですが、その身代金の支払いによって、朝鮮
の経済は破綻に追い込まれ,以後は朝鮮という国自体を維持することがほとんど難しい状態にあった
と言われています。清国への屈辱的隷属の象徴として「迎恩門」という門があります。
その石碑に並んであるレリーフの絵図に「九叩三拝」太祖に土下座を強いられた仁粗王の姿が描か
れています。