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李氏朝鮮末期、生活の状況について
・1894年当時ソウルは世界一汚い都市である。
(英国では「ソウルは世界一きれいな都市である」という記述のものと、二種類の「朝鮮紀行」が存在するらしい。)
・1897年に訪れた時はソウルの街は見違えるように清潔になっていた。
〔つまりソウルが清潔になったのは、日清戦争に日本が勝利し、清の属国状態が解消した後だ〕
・両班と言われる貴族階級は、役人か教師しか職業がなく、ふらふら町ですごす人々が多かった。
・女性は最下層の人が外で働くことがあっても、ほとんどの夫人は家の奥に蟄居させられていて、女性自身はそうされることは大事にされていると感じていた。
・ゆえ、外の世界、ソウルの街さえも見たことがない人が多い。
・当然男尊女卑である。結婚は親が決めた人とし、息子の嫁の手助けを得るまでは朝から夜遅くまで働き、身なりに気をまわすことなどできなかった。
・女性で教育を受けることが出来るのはキーセンのみであった。大事な賓客をもてなすキーセンは客と同じレベルの話題についていけるように、国の運営する養成学校で歌舞などとあわせて教育を受けた。