【アフィ】ネトウヨサイト裸祭り 第六夜【ブログ】at KOREA
【アフィ】ネトウヨサイト裸祭り 第六夜【ブログ】 - 暇つぶし2ch1:マンセー名無しさん
18/08/20 17:27:15.56 ns/b82NW.net
規約違反のヘイトまとめブログを報告しよう😇
【アフィ問い合わせ先】
■googleアドセンス 利用規約違反報告フォーム
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■adingo 問い合わせフォーム
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■忍者Admax
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■i-mobile
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前スレ
【アフィ】ネトウヨサイト裸祭り 第五夜【ブログ】
スレリンク(korea板)

2:マンセー名無しさん
18/08/20 17:29:26.91 ns/b82NW.net
■報告フォーム
【アメブロ】URLリンク(cs.ameba.jp)
【livedoor】URLリンク(contact-cc.line.me)
【はてなブログ】URLリンク(www.hatena.ne.jp)
【excite】URLリンク(help.excite.co.jp)
【Yahoo!】URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
【goo】URLリンク(goo.e-srvc.com)
【FC2】URLリンク(form1ssl.fc2.com)
◎アメーバIDの確認方法
アメーバIDは以下のようにブログやプロフィールのURLの一部となり、公開されます。
一度登録したアメーバIDは変更できませんので、あらかじめご了承ください。
URLリンク(ameblo.jp)【アメーバID】/
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3:マンセー名無しさん
18/08/20 17:30:34.37 ns/b82NW.net
企業側から広告除外手続きを取られたまとめ
はちま
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)
俺的ゲーム速報
URLリンク(pbs.twimg.com)
やらおん
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)
buzzfeed
「保守速報」から広告が消えた?国内最大級のアフィリエイトも提携解除、その理由とは 各企業の動きが注目されている。
URLリンク(www.buzzfeed.com)
「嫌韓サイト」はなぜ黙認されていたのか?「保守速報」から広告会社が自主撤退
2018/06/23 06:00
URLリンク(www.buzzfeed.com)
まとめサイト、がん治療中の翁長知事を中傷し炎上 記事は削除
「がん患者への冒涜だ」
2018/06/24 15:16
URLリンク(www.buzzfeed.com)
信濃毎日新聞
差別的投稿で問題のサイト、広告が相次ぎ停止
URLリンク(www.shinmai.co.jp)
週刊朝日
津田大介「日本にも波及した広告引き揚げの動き」
URLリンク(dot.asahi.com)
毎日新聞
差別許さぬ社会に ヘイト解消へ、自治体動かす市民
URLリンク(mainichi.jp)

4:マンセー名無しさん
18/08/20 17:32:16.32 uRXc95wu.net
YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ256
スレリンク(korea板)

5:マンセー名無しさん
18/08/20 17:32:31.27 ns/b82NW.net
SSP>ASP>広告主の順番が妥当かと思う。
つまり、最優先すべきなのはSSP。SSP、ASPの動きが悪かった場合、最終手段として広告主が良いと思う。
SSP経由で広告が配信されていた場合、広告主が代理店やASPへ広告配信中止を手配しても、ヘイトサイトのSSPアカウントBANまで
至らないかもしれないし、時間がかかる。
逆に、一度SSPアカウントがBANされれば、そのヘイトサイトは一生アカウント作れないと思われる。
SSPの数も限りがあるので、最後は保守速報みたいに、白旗上げる。
※ASP・・・ASPを仲介して、いろんな会社の広告を掲載することができる。
※SSP・・・ASPの更に上の元締めみたいなもんで、SSPに登録すると、自分とこのサイトに、一番報酬条件が良いASPの広告を自動的に選択・掲載できる。

6:マンセー名無しさん
18/08/20 17:37:42.61 slYv7qh2.net
ader

7:マンセー名無しさん
18/08/20 17:37:45.12 ns/b82NW.net
ライブドアブログの仕組みはご存知ない?
ライブドアブログを利用する大手のまとめブログはLINEが提供するPBP (プロフェッショナル・ブロガー・プラン、URLリンク(blog.livedoor.com))という制度に参加してるのがほとんどで、
PBPに参加すると、LINEが法人として取得したアドセンスコード、いわゆるプレミアムアドセンスが提供されます。
プレミアムアドセンスは広告単価が高く設置の自由度も高いのですが、一旦LINE本体に収益がまとめられて貢献度ごとに個々のブログに収益が分配される仕組みになっています。
具体例を上げると、「オレ的」「痛いニュース」「ハム速」「はちま」は全て「pub-0613861124702373」という共通のコードを利用してるのですが、これこそがプレミアムアドセンスなんです。
プレミアムアドセンスはLINEとGoogleとの契約なので個々のブログ名を上げて違反報告をしてもほぼ広告は剥がせません

8:マンセー名無しさん
18/08/20 17:37:58.90 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読む


9:ことで、まるで熱病に感染したかのように突然、 「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。  繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や 歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という 愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。



10:マンセー名無しさん
18/08/20 17:38:19.21 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

11:マンセー名無しさん
18/08/20 17:38:36.52 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

12:マンセー名無しさん
18/08/20 17:41:01.88 ns/b82NW.net
テンプレや無いけどオマケや
別のアフィに変更すると平気に見えるが実は9割ダメージというお話
216マンセー名無しさん2018/06/25(月) 14:44:39.70ID:3wo05YUQ
(中略)
ブログ運営者の気持ちが全く分かってないなぁ…
例えばスマホ向け広告だったらAMoADやzucksと比べたら
i-mobileなんて収益は十分の1くらいだよ。
ブログ運営者は色んなASPを試して
最も収益が高い広告業者を選んでるんだよ。
その選び抜いた広告業者から斬られるというのは
もの凄くダメージが大きいんだよ…
「広告会社を変えたからダメージ無いだろう」なんてのは
アフィをやったこと無い人の考えであって、
アフィ運営者にとっては選び抜いたASPを変えさせられるというのは
もの凄いダメージなんだよ…

13:マンセー名無しさん
18/08/20 17:41:33.83 slYv7qh2.net
ader

14:マンセー名無しさん
18/08/20 17:41:54.35 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

15:マンセー名無しさん
18/08/20 17:42:22.51 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

16:マンセー名無しさん
18/08/20 17:42:45.88 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

17:マンセー名無しさん
18/08/20 17:44:40.37 slYv7qh2.net
ader

18:マンセー名無しさん
18/08/20 17:45:02.84 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

19:マンセー名無しさん
18/08/20 17:45:31.24 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

20:マンセー名無しさん
18/08/20 17:45:54.71 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

21:マンセー名無しさん
18/08/20 17:46:42.53 slYv7qh2.net
ader

22:マンセー名無しさん
18/08/20 17:47:03.73 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

23:マンセー名無しさん
18/08/20 17:47:31.89 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

24:マンセー名無しさん
18/08/20 17:47:55.46 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

25:マンセー名無しさん
18/08/20 17:48:44.99 slYv7qh2.net
ader

26:マンセー名無しさん
18/08/20 17:49:06.25 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
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27:マンセー名無しさん
18/08/20 17:51:33.07 slYv7qh2.net
ader

28:マンセー名無しさん
18/08/20 17:51:53.94 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

29:マンセー名無しさん
18/08/20 17:52:22.43 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

30:マンセー名無しさん
18/08/20 17:52:46.07 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

31:マンセー名無しさん
18/08/20 17:54:31.83 slYv7qh2.net
ader

32:マンセー名無しさん
18/08/20 17:54:52.89 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

33:マンセー名無しさん
18/08/20 17:55:21.62 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

34:マンセー名無しさん
18/08/20 17:55:44.77 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

35:マンセー名無しさん
18/08/20 17:57:31.42 slYv7qh2.net
ader

36:マンセー名無しさん
18/08/20 17:57:52.73 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

37:マンセー名無しさん
18/08/20 17:58:21.16 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

38:マンセー名無しさん
18/08/20 17:58:44.66 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

39:マンセー名無しさん
18/08/20 18:00:30.98 slYv7qh2.net
ader

40:マンセー名無しさん
18/08/20 18:00:51.97 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

41:マンセー名無しさん
18/08/20 18:01:20.81 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
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42:マンセー名無しさん
18/08/20 18:01:43.75 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
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「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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43:マンセー名無しさん
18/08/20 18:03:31.26 slYv7qh2.net
ader

44:マンセー名無しさん
18/08/20 18:03:52.24 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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45:マンセー名無しさん
18/08/20 18:04:20.96 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
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 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

46:マンセー名無しさん
18/08/20 18:04:44.26 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
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小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

47:マンセー名無しさん
18/08/20 18:06:34.36 slYv7qh2.net
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48:マンセー名無しさん
18/08/20 18:06:55.61 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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49:マンセー名無しさん
18/08/20 18:07:24.38 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

50:マンセー名無しさん
18/08/20 18:07:47.78 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

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18/08/20 18:08:36.80 OdmXdP0V.net
文鮮明はメシアを騙るサタン

52:マンセー名無しさん
18/08/20 18:09:33.40 slYv7qh2.net
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53:マンセー名無しさん
18/08/20 18:09:54.73 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
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小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

54:マンセー名無しさん
18/08/20 18:10:23.12 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

55:マンセー名無しさん
18/08/20 18:10:46.49 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
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 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

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18/08/20 18:12:31.83 slYv7qh2.net
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57:マンセー名無しさん
18/08/20 18:12:53.39 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

58:マンセー名無しさん
18/08/20 18:13:21.85 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

59:マンセー名無しさん
18/08/20 18:13:45.21 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

60:マンセー名無しさん
18/08/20 18:15:32.11 slYv7qh2.net
ader

61:マンセー名無しさん
18/08/20 18:15:53.10 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
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大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
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 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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62:マンセー名無しさん
18/08/20 18:16:22.14 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

63:マンセー名無しさん
18/08/20 18:16:45.27 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

64:マンセー名無しさん
18/08/20 18:18:32.03 slYv7qh2.net
ader

65:マンセー名無しさん
18/08/20 18:18:53.36 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

66:マンセー名無しさん
18/08/20 18:19:21.77 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

67:マンセー名無しさん
18/08/20 18:19:45.80 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。
 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、
バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。
 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

68:マンセー名無しさん
18/08/20 18:20:06.25 pYshMeqY.net
【朝日・日テレ・赤旗・沖縄タイムス】日本ジャーナリスト会議のJCJ賞、全てアンチネトウヨ作品!
スレリンク(news板)

69:マンセー名無しさん
18/08/20 18:21:31.60 slYv7qh2.net
ader

70:マンセー名無しさん
18/08/20 18:21:52.94 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
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 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
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「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

71:マンセー名無しさん
18/08/20 18:22:21.14 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)
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 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

72:マンセー名無しさん
18/08/20 18:22:44.64 slYv7qh2.net
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」
 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。
 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
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 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。
 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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