16/11/02 10:02:56.33 lNMnutGO.net
長岡半太郎の場合はどうだったでしょうか。私も、長岡の理論は、高校の物理でも習いましたが、
当時の科学者達の関心は原子の構造がどうなっているか、ということに向けられていました。
19世紀の末期に電子を発見したJ.J.トムソンは原子模型としてプリン型のものを考案します。
これは、水素原子を例にとると、プリン全体が水素原子で、その中に電子が入っていて、
原子全体は中性になっていると考え、電子を取った残りのプリンが水素イオンというものです。
これに対して、長岡は地球の周りを月が回っているように、原子の中心に原子核があり、
その周りを電子が回っていると考えました。トムソンの模型と長岡の模型の違いは、
正電荷を持つ原子核があるかどうかでしたが、
8年後の1911年のラザフォードの実験によって、長岡の模型が正しいことが証明されます。
オリジナリティーは長岡模型にあるわけですが、海外では「長岡模型」とは呼ばず、
「ラザフォード模型」と呼んでいます。高校時代に感じた疑問は、
オリジナリティーを大切にする欧米で「長岡模型」が何故評価されなかったのかということでした。
ビタミンB1(オリザニン)の発見者の鈴木梅太郎の場合も、後に様々なビタミンの発見者がノーベル賞を受賞しているにも関わらず
、史上初めてビタミン類を発見した鈴木がノーベル賞を受賞していないというのはどう考えても不思議です。
もっとも、鈴木の受賞には東京大学医学部が「脚気伝染病説」という間違った説に固執するあまり、
鈴木の「脚気の原因が食べ物で�