【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】 2at HISTORY2
【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】 2 - 暇つぶし2ch139:名無しさん@お腹いっぱい。
22/05/06 00:35:23.99 vA9GriLH0.net
薩長の有司専制を批判する人は多いけど戦前の実績を見るとこの頃が一番抜きん出ている
議会制度はなく薩長の有司の合議で国政を動かしていたが
それぞれ薩摩閥、長州閥で主導権争いが行われており、結果が出せず失敗すると相手陣営に主導権が移っていた
既得権益は廃されよーいどんで新しいことに参入できたためやる気のある地域では様々な新しい産業が興った
薩摩閥は特権意識があり地元優遇することもあったが開拓使官有物払下げ事件のような癒着を生み、明治十四年の政変で伊藤博文に対抗できなくなった
長州閥は地元を出世のための踏み台に利用しており、汚職は山縣有朋の山城屋事件、井上馨の尾去沢銅山汚職事件のように個人単位だったため
薩摩閥が失脚するとしばらく長州閥の時代となるが
長州閥は伊藤博文を中心とする派閥と山縣有朋を中心とする派閥に分かれ優秀な官僚を派閥に取り込んでいたが決して多数派ではなかった
民選議員の衆議院が始まると多数派を維持するために派閥外の人間を取り入れた結果、伊藤博文や西園寺公望の立憲政友会は外部の原敬が継承し変質
票のために利益誘導する汚職政治が始まった。選挙制度によって公平な社会がもたらされるかに見えたが、国益を考えて選挙権を行使しない有権者たちの
顔色を伺う政治は困窮する弱者を顧みるものではなかった
伊藤博文と袂を分かつ事になった反政党路線の山縣有朋や桂太郎も存在感を発揮したが護憲運動で潰され長州閥の政治主導は終演を迎えた
陸軍で桂の後を継いだ田中義一も政治家に転身し政友会に所属して首相となったが張作霖爆殺事件の処分をめぐり昭和天皇から叱責され失脚
陸軍の主導権を握っていた長州閥が宇垣一成に継承されるとこちらも変質し、主導権を握った陸軍皇道派の暴走が始まった
この頃の軍は農村から出てきた学のない人の受け皿となっており「政治家主導の軍縮は農村切り捨て」と目されていたため
軍が満州国を設立して開拓者を送り出すと吹聴すれば困窮する弱者たちがこぞって政治家よりも革新派軍人による世直しを支持したのも当然であった
昭和天皇はこれを危惧し穏健な軍人を首相に据えて抑え込もうとしたが失敗し近衛内閣でry
弱者に迎合しようとするスタイルでカモフラージュされていたが十五年戦争の実態は、軍拡により国民の不満をそらしつつ
革新官僚による満州国の建設利権を守ろうとしていただけだった
そして戦後GHQにより根本的な社会的不公正が是正されたことで様々な新しい産業が興り日本は蘇ったが
池田派と佐藤派の疑似政権交代時代が終わり田中角栄の多数派政治が始まるとまた社会的不公正が蔓延した


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