21/07/08 04:26:28.89 Oc/bBQOK0.net
馬韓はvacances
3:名無しさん@お腹いっぱい。
21/07/08 04:29:03.53 Oc/bBQOK0.net
堀川はHoly Cow
4:名無しさん@お腹いっぱい。
21/07/08 04:31:13.12 Oc/bBQOK0.net
ムラはムランボ、ムラート、ムラービト朝
Millerはミウラ
5:名無しさん@お腹いっぱい。
21/07/08 04:31:57.95 Oc/bBQOK0.net
清水寺はsimian
6:名無しさん@お腹いっぱい。
21/07/08 04:45:32.73 Oc/bBQOK0.net
朝は漁るassault
7:名無しさん@お腹いっぱい。
21/07/09 23:51:11.83 nHX0Mvrc0.net
北山通りをGo-straight
8:名無しさん@お腹いっぱい。
21/07/18 19:48:54.66 1TgmcYK9O.net
五輪コロナでトンキン土人ヒーハー
9:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/10 18:57:21.54 q+JEOHs30.net
京都16師団の見習士官の軍医「どや、この戦争はとても勝てん。死んでも無駄死や。ここらに隠れてたら米(べえ)さんはきっと来る。みないっしょに降伏しよやないか」
生きて虜囚の辱めを受けず、を金科玉条として服膺すべき帝国軍人としては、あり得べからざる言葉である。
フィリピン他の戦場で軍医が患者、衛生兵と共に投降した例が多い。しかしこの見習士官のように、敵上陸二日目にそれを言い出した例は他に聞かない。
レイテ戦記(中)109頁
こんな発言しても許されちゃうのが、さすが最弱京都お公家師団
「菊」ならその場で撃ち殺されてる
10:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/11 22:32:59.42 2iaws2Dk0.net
「僕は少年通信兵だった」という光人社さんの戦記があるが、著者がサイゴンの病院に入院した時に、ビルマから下がってきた、菊兵団[福岡県久留米市]らしき兵隊さんがいて、初めは親切だったが、著者が京都の人だと知った途端、一切口を聞いてくれなくなったそうだ(笑)
11:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/14 16:27:37.83 KELn0PyX0.net
【レイテ・戦争証言】
・レイテ守備隊(京都第16師団)とフィリピン人ゲリラ
▽中嶋建之介さん(京都16師団、兵長)
『捕まえた者(フィリピン人)の80%くらいは殺したんじゃないですか。突いて殺せと、銃剣でね…残酷ですわね、あれ…』
▽福山勉三さん(京都16師団、歩兵)
『母親は銃剣でやってしまえ、子供は弾が勿体無いといって、両足を持ってヤシの木にぶつけて谷に放る、そんなことをした者もいた…酷いことをするもんやなと…』
・レイテ守備隊(京都第16師団) vs 米上陸部隊
▽山下留義さん(京都16師団、歩兵)
『もう手も足もでえへんもん。艦砲射撃が始まったら壕から一歩も出られへんで』
▼チャック・スローターさん(米96師団、歩兵)
『海岸ではまったく抵抗を受けなかったので私たちは簡単に上陸することができました。拍子抜けするほどでした』
・リモン峠の戦い(東京第1師団 vs 米第24師団)
▽松戸義勇さん(東京1師団、歩兵)
『とにかく勇敢なのは、日本の兵隊は勇敢に戦ったと』
▼ジョン・フライさん(米24師団、歩兵)
『日本兵は頭がよく、よく鍛えられていました』
12:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/23 11:07:51.20 Sc+Gn1b30.net
レイテ島戦没者比率
東京1師団94%、京都16師団96%
↑
戦って死ぬか、山中に逃げてピリピンゲリラに怯えながら餓死するかの違い
【レイテ戦の頭号師団】
▽ジョージ・マーシャル元帥(アメリカ陸軍参謀総長)
「レイテの東京第一師団(東京第1連隊、甲府49連隊、佐倉57連隊)は日本の師団の中でも最強のものと思う」
【レイテ戦の国宝師団】
▽渡辺利亥元陸軍少佐・第35軍参謀
「とにかく高階支隊(青森5連隊)の戦いぶりは見事だった。さすがは第8師団だ。東北健児、青森出身の兵で構成されていただけのことはあった」
【レイテ戦のお公家師団】
▽ダグラス・マッカーサー大将(南西太平洋軍総司令官)
「レイテ島の上陸(vs 京都16師団)は他の戦線と比べるとよほど楽だった」
▽大本営の戦況記録(1944年10月27日)
「京都16師団の損耗比率は津33連隊85%、福知山20連隊20%、京都9連隊10%」
↑
損耗率10%で逃げたくせに京都新聞のインチキ戦記で広島福山41連隊の悪口を後世に伝えた弱兵京都の9連隊はどうなのよ?
お公家連隊の生き残り「我々16師団も健闘したんドスエ」←いやいや16師団でよく戦っていたのは三重の津連隊だけでしょうが!
山の中で人肉求めて共食い始めたのが京都連隊でしょうが!
13:名無しさん@お腹いっぱい。
22/07/23 10:26:18.09 UHrpHHo30.net
高木俊朗の名著『インパール』で有名な人肉売りの日本兵は京都53師団=弱兵で有名な安兵団
同じ陸軍兵(精鋭の宇都宮33師団=白虎部隊)に牛肉と偽ってまで人肉を売ろうとした京都人の魂は根まで腐っていた
こいつら日本人じゃないな、贅六と呼ぼう
14:名無しさん@お腹いっぱい。
22/11/02 22:12:00.67 yH+UGVpR0.net
迷子の迷子の京都兵♪(笑)
福山141連隊長、今井武夫大佐の話
「(昭和17年)1月24日夕方、連隊の兵力全部で夜襲し、午後8時アブカイハシェンダを占領しました。
うちの連隊の右方を前進した武智大佐の指揮する京都歩兵第9連隊は、部隊全部がジャングルの中をさまよって、行方がわからず、約10日間、全く消息を断っていました…」
今井大佐の言わんとしているのは、(京都)9連隊はジャングルをさまよっていただけで何もせず、141連隊が敵を全部引き受ける羽目になった、ということである。
はっきりとは言わないが、そういうことである。
65旅団(広島福山)の将兵の京都9連隊に対する批判はかなり激しいものがあり、
「敵のいない所ばかりを歩いていた」と極言する将兵は多い。
65旅団は装備不良であったが、9連隊は昔から"京都の公家さん部隊"と言われ、戦いには不向きと見られていた。事実、大切な時に道に迷ってばかりいる始末であった…
(御田重宝『バターン戦』徳間文庫、197~199頁より)
15:名無しさん@お腹いっぱい。
23/10/06 12:56:24.58 vYyDLLm50.net
まじでかいな、これ
16:過去ログ ★
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