20/06/17 22:36:39.34 ZPI9lLOm0.net
もともと旧宮家は天皇家の直系に皇位継承者がいなくなったとき、代わりに皇位継承者を出して
男系の皇統を維持するために、いわば万一のときの安全装置あるいは「血のスペア」として、
500年以上にわたり天皇家の直系と併存してきた傍系の皇族。徳川家における御三家みたいなもの。
かつては世襲親王家と呼ばれ、最大で4つ(伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮)あったが、
3つはすでに断絶してしまい、今残っているのは最も古い伏見宮の系統だけだ。
実際に過去に2回、当時の天皇の直系に皇位継承者がいなくなってしまい、世襲親王家から
天皇が即位した例がある(第102代後花園天皇:伏見宮家出身、第119代光格天皇:閑院宮家出身)。
今の天皇自身が江戸時代後期に世襲親王家(閑院宮家)から即位した光格天皇の子孫だ。
皇統の直系が断絶した場合に備えて、血のスペアを準備しておいた皇室の危機管理システムが
的確に機能した実例となっている。
明治維新までは、基本的に世襲親王家の当主は時の天皇の猶子(養子)となって親王宣下を受け、
「〇〇親王」という地位と名前を与えられ、直系の皇族に準ずる扱いを受けてきた。
さらに、もし世襲親王家に後継ぎの男子がいなかった場合には、天皇か上皇の皇子が養子となって
世襲親王家を継承することになっており、皇統の直系に万一のことがあったときのための
男系の予備系統を絶やさずに維持しておく努力が払われてきた。
もちろん悠仁親王が結婚して、男子が生まれ、そのまま皇位が継承されていくのが一番理想的だが、
悠仁親王に男子の後継ぎが生まれなかったことを想定した場合、いざというときのスペアとして、
南北朝時代から1947年まで500年以上も皇室内部で維持されてきた旧宮家(元世襲親王家)という
安全装置を利用しない手はない。