本音言えば「半殺しに遭う」―特攻は強制だったat HISTORY2
本音言えば「半殺しに遭う」―特攻は強制だった - 暇つぶし2ch1:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/14 20:46:49.32 kMpqQeSw0.net
 
 
その日は、楽しい一日になるはずだった。1945(昭和20)年2月8日。
艦上攻撃機のパイロットを養成する姫路海軍航空隊として鶉野飛行場(兵庫県
加西市鶉野町)で訓練を受けていた桑原敬一さん(92)=横浜市=らは、
休日で外出できるとあって朝からはしゃいでいた。
しかし突然、集合が掛かり、上官から告げられる。「特攻隊を編成することになった」
爆弾を抱えた航空機で敵艦に体当たりをする「特攻」は、44年10月のフィリ
ピン・レイテ沖海戦から始まった。日本軍の航空機と搭乗員が減る中、練習航空隊
も特攻隊に組み入れられることになった。
紙切れと封筒を渡され、希望するかしないか、誰にも相談せずに書いて出せという。
その場は重苦しい雰囲気に包まれた。
当時、18歳だった。岩手県にいる母と姉、4人の妹や弟のことが気になった。
一番下の弟とは12歳離れていた。2カ月ほど前に父が亡くなったばかり。体が弱い
母と姉が働き、桑原さんは仕送りを続けていた。白紙で出そうかとも迷ったが
「命令のままに」と書き、封筒に入れて出した。
午後から、海軍飛行予科練習生(予科練)からの同期生で酒でも飲んで気分を変え
ようと、北条の町(加西市中心部)に繰り出した。「何て書いた?」。自然とそんな
話になる。白紙や「希望しない」という者はいない。「半殺しに遭うもんな」と
語り合った。
「建前社会の軍隊では本音が言えず、事実上の強制だった」

URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)


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