☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう51☆★☆★☆at HISTORY2
☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう51☆★☆★☆ - 暇つぶし2ch3:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/10 19:17:47.90 gyNygnys0.net
=== 赤星証言の問題点まとめ ===
赤星が、「14日に獅子山にいた」とする下記は、明らかに史料と食い違っている。
 ◇第六師団歩兵第十三連隊の二等兵であった赤星義雄もまた、そうした目撃者の一人である。赤星は十二月十
 四日、獅子山を下って揚子江岸に降りた時に、現場の惨状を目撃しているのである。
 揚子江岸は普通の波止場同様、船の発着場であったが、そこに立って揚子江の流れを見た時、何と、信じられな
 いような光景が広がっていた。

下記資料より、「14日」の南京城内における日本軍配置が確認できる。赤星がいた第十三連隊の区域は漢中路の手
前まで、獅子山方面は、第十六師団第三十三連隊の担当区域だった。
 URLリンク(www.howitzer.jp)
 ◇14日に、獅子山区域を担当していたのは、第16師団第33連隊(33i)。
 ◇14日に、赤星がいた第13連隊(13i)は、城内南部「漢中路」手前(P238-239)

そして、14日夕方からは、赤星がいた第13連隊(13i)は、中華門すぐそばで警戒態勢となっている。
 URLリンク(www.howitzer.jp)
 ◇14日夕方は、赤星がいた第13連隊(13i)は、中華門すぐそばで警戒態勢
 ◇この時、第六師団本部は、更に南方の「安徳門」で警戒態勢(P233)

また、赤星は、14日獅子山に行った際、「敵の姿はなかった」と証言しているが、実際には相当数の敗残兵が潜伏中で、
第十六師団第三十三連隊が掃討戦の最中だった。
 ◇揚子江を埋めた屍 赤星義雄
 明けて十二月十四日、私たちは城内を通り、揚子江岸に向かって進んだ。ちょうど、中華門の反対側になるが、重砲
 陣地のある獅子山へ行った。山の岩盤をくり抜き、車一台が通れるような道路をつくり、約五十メートルごとに巨大な
 砲が据えつけてあった。日本海軍を阻止するために作るために作られたと聞いていた。もちろん、敵の姿はなかった。
 ↓
 URLリンク(www.howitzer.jp)
 2、歩兵第三十三連隊の下関付近の戦闘と城内外掃蕩
 十三日夜、この廃墟にひとしい町中に露営した連隊は、翌十四日から、第二大隊をもって城内の西北角一帯を、第
 一、第三大隊をもって下関地区の掃蕩を開始した。中国兵の大半は逃走したが、まだ相当数の敗残兵が潜伏してお
 り、獅子山砲台に立て籠って最後まで抗戦した中国兵は、この日武器を捨てて投降しはじめ、その数は約二百人に
 達した。(P156-157)

赤星が、「14日に獅子山にいた」ことを示す資料は皆無!赤星証言の信ぴょう性は、完全に崩れた。


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