☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう51☆★☆★☆at HISTORY2
☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう51☆★☆★☆ - 暇つぶし2ch215:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/17 03:57:54.49 TYAEqAHo0.net
>>59
>拘束した敗残兵が便衣兵の容疑があるなら、軍律審判の手続きが必要だ。
>拘束した敗残兵が便衣兵でなかったら、捕虜にして保護するだけだ。
それが明文化されたのは1949年のジュネーブ条約からですがw

足立純夫『現代戦争法規論』
1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていたが、
1949年条約はその考え方を根本的に修正し、敵要員を捕獲した瞬間から最終的にそれらの者が解放送還されるまでの間、捕虜の
待遇を与えるよう、その始終期を判然と定めた
(第5条第1項)。

>その拘束された便衣の敗残兵が敵対行為をしたという証拠はあるのか?
投降しなかったから拘束されたんでしょうにw
しかも拘束されて、武装解除しても武器を隠し持っていた連中が存在しましたよw

「証言による『南京戦史』9」より、島田勝巳氏(歩兵第三十三連隊第二機関銃中隊長)の遺稿
中国兵は、小銃を捨てても、懐中に手榴弾や拳銃を隠し持っている者が、かなりいた。
紛戦状態の戦場に身を置く戦闘者の心理を振り返ってみると「敵を殺さなければ次の瞬間、こちらが殺される」という切実な論理に従って行動したのが偽らざる実態である。
「証言による『南京戦史』8」より、六車政次郎氏の証言
『・・・・大隊は15日頃、城内の宿舎を割り当てられ、17日頃城内に移駐したよしであるが、私が原隊復帰後に、城外掃蕩に任じていた小隊長から、次のような話を聞いた。
「1ヶ小隊で中山門東方紫金山中の警備を担当したが、激戦により小隊は約三十名に減少していた。夜半、東方の山中から敗残兵数百名が、日本軍が居るのに気付かず、南京に向かって来たのを捕えた。
 しかし、我々の人数が少なく、もし少人数と判れば危ないので、銃を取りあげ凹地に集結させ、外側の兵のみを電線で縛って逃げないようにした。
 ところが、日本軍が少人数とあなどったのか、手榴弾を投げつけてきて暴れだし、収拾がつかなくなったので、軽機・小銃で弾丸のある限り射った。小隊長も、手向かってくる敵を斬りまくり刀が折れた」』


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch