17/12/21 00:02:41.33 Mymn6W/V0.net
コピペ貼っておく
【廊坊事件の中国側の見解】(あくまで中国側ねw)
7月25日、日本兵約100名が廊坊駅に派遣され、「電話修理」と称して同駅を占拠した。
廊坊を守備していた第38師第13旅の旅長である劉振三は撤退を要求したが、日本軍はそれを拒否。26日午前0時に、日本軍が中国軍に発砲を行い、両軍は戦端を開いた。
明け方になり、日本軍機が中国軍に爆撃を加え、更に午前7時には天津から日本軍の増援が到着し、中国軍兵舎は壊滅した。午前10時に中国軍は廊坊付近から撤退した
【応安門事件の影響】
この事件は、直前に起きた廊坊事件とともに中国側の規範意識の欠如と残酷な面を見せつけ、
中国側に対して全く反省を期待できない不誠意の表れであり和平解決の望みが絶たれたと判断した日本軍支那駐屯軍は
7月27日夜半[8]になって前日の通告[9]を取消し、改めて冀察政務委員会委員長であり、
二十九軍軍長でもあった宋哲元に対し「協定履行の不誠意と屡次(るじ)の挑戦的行為とは、
最早我軍の隠忍し能(あた)はざる所であり、就中(なかんずく)広安門に於ける欺瞞(ぎまん)行為は我軍を侮辱する甚(はなは)だしきものにして、
断じて赦すべからざるものであるから、軍は茲(ここ)に独自の行動を執(と)る」ことを通告し、
さらに北平城内の戦禍を避けるために中国側が全ての軍隊を城内から撤退させることを勧告した。