20/02/26 17:34:28 PHPLRkQo0.net
そもそも、清時代に支那呼びはほとんどなかった。
辛亥革命で中華民国になった時、日本は支那共和国と命名、呼称し、それが民間にも広まった。
1930年に中国側の要請で、公的には中華民国と呼ぶと閣議決定したが、
満州事変などで関係が悪化すると支那呼びを続けている。
日清戦争で勝ち、勝者、大国意識にとらわれた日本からすると、中華の語が我慢できなかったらしい。
改名要求までしたと言う。
本流、支流も中国側の被害妄想ではなく、日本側の意図であったと見てよかろう。
やはり、国名としての支那は悪意を持って定められ、使われた、蔑称なのだ。