19/09/08 21:02:00.06 kq69HJSH0.net
まとめると、
1937年7月7日の盧溝橋事件に端を発した
支那との軍事衝突を「支那事変」と呼んだ。
1941年の太平洋戦争開戦を機に支那が宣戦布告し、
それを受けて、支那事変は大東亜戦争に含めると閣議決定されたが、
「支那事変」という呼称はそのままだった。
1946年、日本が負け、戦勝国などといばった中華民国の蒋介石が
「支那は蔑称だから中国と呼べ!」と命令した。
しかし、その後でも昭和29年の映画「二十四の瞳」のように「支那事変」という呼び名は
続けて使用されていた。
その後、共産党やマスゴミが「日中戦争」を使用するように強要し
1967年の歴史書でも使用されるようになった。
「支那」という呼称は、1965年の「兵隊やくざ」でも普通に使われていたが
1972年中華人民共和国との日中国交正常化によって
すべて「中国」と呼ぶようになり、
やがては「支那事変」でなく「日中戦争」と呼ぶことが固定化した。
大体こんな流れだな。
うちのおふくろに「メンマの味どう思う?」って訊いたら
「何なんそれ?」て訊き返される。それで
「支那チクは?」て訊いたら「あ、支那チクね」て答えるよ。
昔の人はあんまり中国って言わないよ。
「兵隊やくざ」でも「支那語支那服」て言ってるしね。