16/10/02 22:56:05.29 cvYULrOI0.net
>>733
最大7700名程度だが。
約7000名が第9師団。
南京戦史 p329 安全区の掃蕩
安全区の掃蕩を担当した歩七は、十二月十四日より二四日に至る間、
便衣兵六、六七〇名を処分した。
また戦車第一大隊第一中隊(歩七に配属)は戦闘により撃滅した
七、八十名のほか二五〇人を捕虜として収容。
以上を含む第九師団の処分累計は約七、〇〇〇名である。
(第九師団作戦経過の概要、歩七戦闘詳報、
戦車第一大隊第一中隊戦闘詳報、『伊佐(歩七聯隊長)日記』)
約300名が16師団20連隊 増田六助上等兵の記録。
16師団20連隊 増田六助上等兵の記録
明れば14日、今日は国際委員会の設置している難民区へ掃蕩に行くのである。
各小隊分かれて、それぞれ複雑な支那家屋を一々捜して男は全部取り調べた。
その中にある大きな建物の中に数百名の敗残兵が軍服を脱いで便服と着替えつつあるところを、第2小隊の連絡係前原伍長等が見つけた。
それというので飛び込んで見ると、何のそうそうたる敗残兵だ。傍らには小銃、拳銃、青竜刀など兵器が山ほど積んであるではないか。
片っ端から引っ張りだして裸にして持ち物の検査をし、道路へ垂れ下がっている電線で引くくり珠々(数珠)つなぎにした。
少なくとも300人くらいはいる。ちょっと多すぎて始末に困った。
400名が佐々木私記の+2000名と良民証発行の–1600名。
佐々木倒一少将私記
1月5日 査問会打切り。この日までに城内より摘出せし敗兵約2000、旧外交部に収容
読売新聞 1938(昭和13)年1月10日
敗残兵一掃のため行われた難民調査は、暮から始められて7日漸く一段落を告げて、敗残兵1600名と
その他のものは安民居住の証を与えられ、今では大手を振って城内を歩けるようになった。