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>>664
虹橋空港事件
上海県誌 (上海市閔行区人民政府)
1937年 (民国26年) 8月9日の午後5時頃、日本の豊田紡績上海工場の海軍陸戦隊の大山勇夫中尉は
斉藤與蔵一等水兵を従えて、軍用車両を運転して虹橋路の東側方向から疾走し、空港ゲート (現在は虹橋空港内) に
真っすぐ突き進み挑発を行った。
空港守兵 (上海保安総団第1団所属) が停車を命じたが止まらず遂に車への銃撃を開始した。
日本軍車両は急速に右折して碑坊路 (当時は空港の東側、現在は空港内の道路) に入り、
空港ゲートから北に100メートル余り離れた場所で撃破し、大山勇夫は車内で被弾して死亡、
斉藤與蔵は車を捨てて逃げたが、その場で射殺された。
8月13日、日本の帝国主義は「八一三」淞滬戦闘 [第二次上海事変] を発動、大挙して上海に進撃して、全国は全面的な抗日戦争に入った。
[
訳=岩谷] (原文:中国語、写真は記事附属)
*本翻訳の転載には許可を必要としないが必ず出典元を明記の事。
上海県志. 『虹橋机場事件』. 上海市閔行区人民政府