16/09/25 19:03:22.28 9nEZEIi80.net
大山事件とは、八月九日、上海郊外の中国軍飛行場に大山海軍中尉が水兵をつれて偵察に行ったところ、相手側から乱射され撃ち殺されたのです。
大山事件で、上海の情勢は急に険悪になりました。
大山事件が起こった翌々日の一一日午後、同盟通信支社にいますと、黄浦江に日本の軍艦が忽然と一〇隻ほどあらわれた。陸戦隊の増援部隊をのせた第八戦隊と第一水雷戦隊とだったのですが、バンドに面する黄浦江にそれだけ日本の軍艦がズラリと並べば、壮観以上ですよ。
―それまでは古い型の海防艦で旗艦の「出雲」が一隻浮かんでいただけですね。
松本 そうなんだよ。日本艦隊は増援部隊をおろして引き揚げました。
けれども、中国側は、これでもう戦争だ、と思いこんでしまいました。万事休す、と私は思わざるをえなかった。
日本では、第二次上海事変は大山中尉惨殺事件から始まるということになっていますが、中国側では第三艦隊の増援で事変が起こった、と考えているようです。
学生や知識階級は激しい抗日意識を持っており、蒋介石に抗日を強く追っていたところに、目の前で日本の第三艦隊にこんな武力示威をやられると、蒋介石は世論の手前、上海地区に中央軍を投入せざるをえなくなった。
上海では、中国側の保安隊や中央軍が増強され、日本人居留民の住む虹口ー帯を包囲する情勢になります。
これに対して日本の陸戦隊も増派され、ついに八月一三日夜、本格的衝突をすることになります。
松本重治