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16/09/25 12:35:54.74 9nEZEIi80.net
>>407
侵略戦争の認定(極東国際軍事裁判)
平和に対する罪
戦争遂行計画の包括
 訴因1 1928~1945に於ける戦争に対する共通の計画謀議
 訴因2 1928~1945に於ける満州事変に対する共通の計画謀議
 訴因3 1928~1945に於ける支那事変に対する共通の計画謀議
 訴因4 1928~1945に於ける大東亜戦争に対する共通の計画謀議
 訴因5 1928~1945に於ける日独伊三国同盟に対する共通の計画謀議
まず第一に、われわれは、上に述べた目的をもった共同謀議の存在したことが立証されたかどうかを考慮することにする。
すでに1928年より前に、最初の被告の一人であり、現在の精神状態を理由として本裁判から除外された大川は、
日本は威嚇によって、必要とあれば、武力の行使によって、その領土をアジア大陸に拡大せよと公然と唱道していた。
また、日本は東部シベリアと南洋諸島を支配しようとつとめなければならないと唱道した。
自分が唱道する道は、必ず東洋と西洋との戦争をもたらすものであって、その戦争において、日本は東洋の戦士となるものであるとかれは予言した。
この計画を唱道するについて、かれは日本の参謀本部の奨励と援助を受けた。この計画の目的として述べられたものこそ、
実質的には、われわれの定義した共同謀議の目的であった。
われわれは、事実の検討にあたって、この共同謀議の目的に関して、共同謀議者が後に行なった多くの言明に留意した。
それらは、重要な点では、大川がさきに行なったこの言明と少しも違っていない。
 「1927年から1929年まで、田中が総理大臣であったときすでに、軍人の一派は、大川やその他の官民の支持者とともに、
日本は武力の行使によって進出しなければならないという、大川のこの政策を唱道していた。
ここにおいて、共同謀議が存在した。1945年の日本の敗北まで、それは続いて存在した。
田中が総理大臣であったときの当面の問題は、田中とその閣僚が希望したように、
日本は―満州を手初めに―大陸における勢力拡大を平和的進出によって試みるべきか、
それとも、共同謀議者が唱道したように、必要とあれば、武力の行使によって、
その拡大を達成すべきかということであった。
共同謀議者は、国民の支持と国民に対する支配をもつことがぜひとも必要であった。
これが、武力によって自己の目的を達成することを主張した共同謀議者と、
平和的手段によって、少なくとも武力を行使する時機をもっと慎重に選んで
、日本の拡大をはかることを主張した政治家及び後になって官僚との、長い闘争の始まりであった。
この闘争が最高潮に達するに至って、共同謀議者は日本の政府の諸機関の支配を獲得し、
共同謀議の目的を達成するために計画された侵略戦争に向かって、国民の精神と物的資源を準備し、
組織統制することになった。」



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