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16/09/06 22:41:19.46 uwERGNLG0.net
勝手に追加。
=== 太田供述の問題点まとめ ===
太田は、中国収容所内での供述で、「15日に南京に到着」し、「16日から18日まで3日間、安達少佐と
分担して死体処理を行」ったと証言していた。
 ◇私(太田少佐)は昭和12年12月15日に南京に到着。16日から18日まで3日間、安達少佐と分担して
 死体処理を行い、私は1.9万人、安達少佐は1.6万人の死体をそれぞれ揚子江に投じた。
 URLリンク(home.att.ne.jp)

だが、梶谷日記によれば、太田が南京に到着したのは「25日」となっていた。
 ◇梶谷日記 1937年12月25日
 朝来寒気殊に甚しきも快晴なり。正午頃常熟より太田少佐外来る。津倉、泉原来り久し振りにて歓談す・・・

梶谷日記により、「15日に南京に到着」したと供述してた太田供述との食い違いが認められ、更に、「16日
から18日まで3日間、安達少佐と分担して死体処理を行」ったとする証言にも疑問符がついた。
 URLリンク(www.howitzer.jp)
 ◇『太田供述』と『梶谷日記』との相違点
 ② 『供述書』によれば太田少佐は十五日に許甫鎮から貨物船で南京に到着したとあるが、『梶
 谷日記』によれば、太田少佐は常熱から二十五日に到着している。(P17)
 ◇太田供述に対する大虐殺派江口教授のコメント。
 いずれにせよ、梶谷日記は『太田供述書』の信ぴょう性を疑わせるに足る内容を持っています。
 それだけに、梶谷日記にまったく触れない今回の記事は、はなはだ説得力に欠けると申上げざ
 るをえません。

おまけに太田供述の内容は、意味不明なものばかり。
下記【第十一軍】など存在しないし、焼却埋没作業にあたった約五〇〇名の部隊が【明らかならず】も意味不明。
 URLリンク(www.howitzer.jp)
 ◇2. 南京到着後に於ける罪行
 ・・・配属陸上輸送隊 約八〇〇名(南京に碇泊場司令部が到着と共に【第十一軍】より配属せられしもの)
 ・・・焼却埋没作業は攻略部隊の人員約五〇〇名を以て実施す。右人員は南京攻略の何れの部隊かは
 【明らかならず】、作業実施の地点に至る此の人員の運搬は小舟を以て行ふ。(P422)

地図に「死体焼却埋設位置」が記されていて、ここには「焼却、埋没位置に運搬せる数(二日間にて概ね終る)
約三万」の死体があることになるが、その死体が全く見つかってない。
 ◇南京下関に於ける死体処理略図(第一)
 ※浦口より揚子江沿い下流約4km、縦約500~600m、横約700~800m(P424-425)

更に、太田供述にある「南京市民の大虐殺」は存在しない!大量の南京市民が虐殺されたとする解釈は、連合
軍側の資料とも整合性がとれない。
 ◇ハ 南京事件に於て死体処理総数 計十五万と推定す
 右の死体の種別は抗日軍捕虜(推定約三万)其の他は住民にして老若男女あり、要するに死体の内別は
 住民の方が多数なりしは明らかなり。(P426)
 ↓
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