16/10/10 18:52:12.19 CMl1bCR50.net
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された長崎市の端島(通称・軍艦島)で、終戦直後までの約6年間を過ごした
韓国人の具然〓(グヨンチョル)さん(83)=韓国・釜山在住=が今月1日、71年ぶりに端島を訪れ、当時の暮らしぶりを証言した。
端島炭坑は1890年に三菱財閥の所有となって石炭の採掘が本格化した。出炭量の増加と共に島に住む従業員が増え、鉄筋コンク
リート造りの高層アパートなどが次々と造られた。一方で、戦時中には労働力不足を補うため、強制連行された中国人や徴用された朝鮮
半島出身者らも過酷な労働環境で働かされた。事故や病気などで命を落とした人もいた。
具さんの父は1936年ごろ、募集に応じて釜山近郊の農村から端島に渡って炭鉱で働き始めた。村では貧しい農家だった。
具さんは「(当時、植民地支配していた)日本から作物の供出を求められて暮らせない状態になり、父は募集に応じた」と語る。
具さんも39年、父に呼ばれ、母やきょうだいらと端島に渡った。「思い描いた生活とは全く違った」と振り返る。配給される
大豆の搾りかすは腐っていて、煮て食べたが、よく下痢をした。島には朝鮮半島出身の若者たちもいた。具さんは「彼らは下痢を
していても、木の棒のような物で殴られたり、蹴られたりして、仕事に行かされていた」と証言する。
日本に渡った当初、「ニンニク臭い、朝鮮人はあっちへ行け」と言われたこともあった。原爆投下直後には、知人宅に向かう
途中で真っ黒焦げの死体が転がる光景も目にした。日本による植民地支配と長崎で見た惨状。具さんは「戦争は駄目だ。
平和主義者にならなければ」と感じたという。
昨年7月、端島などが世界遺産として登録された際、日本側の大使は「第二次大戦中に徴用政策を実施していたことを
理解できる措置を講じる」とした。しかし、いまだ具体策は示されていない。具さんは訴える。「世界遺産である
ならば、平和や人間の尊厳の大切さを世界に伝えるためのものにならなければいけない」【加藤小夜】
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2 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@無断転載は禁止2016/10/09(日) 21:23:21.98 ID:EXzOSP8e
>具さんも39年、父に呼ばれ、母やきょうだいらと端島に渡った
生き地獄に嫁や子供を呼び寄せる父親って何なん?
9 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@無断転載は禁止2016/10/09(日) 21:26:40.97 ID:jrCPx9Ks
嘘つきババアが枯渇するから次は嘘つきジジイの出番か