☆★★ 在日朝鮮人の歴史 Part4 ★★★at HISTORY2☆★★ 在日朝鮮人の歴史 Part4 ★★★ - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト300:名無しさん@お腹いっぱい。 18/09/20 22:57:51.60 eQb/JEET0.net >>282 [寄稿]両手を広げて迎え入れよ ttp://japan.hani.co.kr/arti/opinion/31629.html 済州島からは4・3事件直後に2万人が日本に脱出したとされる。正確な数を把握することは出来ないが1946年~1949年に かけて、日本から強制送還された密入国者数は5万人近くに達し、未検挙者をその3倍~4倍と計算すると、密入国者総数は 20万人~25万人ほどと推定される。そのまま日本に住み続けた者も多く、これらは在日朝鮮人の大きな部分を占めている。 私のおじ(父の弟)も、済州島からではないが、密入国者であった。植民地時代に日本で生まれたおじは、解放後祖父とともに 帰国したが、朝鮮戦争の戦災のため孤児同然になり、まだ少年の身で、生きるために命がけで海を渡って兄(私の父)の住む 日本に密航してきた。日本では身分を隠し、偽の日本名を使って生きた。もう一人のおじ(母の妹の夫)も日本で育ったが 解放後帰国し、朝鮮戦争の戦火を逃れて日本に密航してきた。彼の長女(私のいとこ)は親と離れ離れになってひとり釜山で 育った。 こんな話は在日朝鮮人にとって珍しいものではない。どの家にも家族史をひもといてみると、必ずと言っていいほど、 このような密航者や離散家族の存在が隠されている。「密航者」を言い換えれば「難民」である。難民の歴史は私たちに とって他人事ではない。私たちは難民の家族なのだ。 夜の海に赤々と燃え上がって浮かぶ島、済州島。そこにいま、地球の果てから難民たちがたどり着いている。「世界最悪の 人道危機」と呼ばれる内戦が続くイエメンから500人を超える難民申請者がやってきた。日本の新聞(朝日新聞8月6日)が 伝えるところでは、済州島民の間に戸惑いは広がったが、救いの手を差し伸べる人々も少なくない。格安料金でイエメン難民を 受け入れたホテル経営者はこう語ったという。「私たちの父母世代は(4・3事件当時)日本に渡って命をとりとめた。 イエメン人も国を出ざるを得なかったと聞き、放っておけなくなった。」 このホテル経営者の素朴な感情は貴重なものであり、多くの朝鮮民族が共有すべきものである。だが、世論調査などを見ると 韓国社会全体としては難民受け入れに対して、比較的若い知識層に拒否感が強いという。それが事実なら、失望を通り越して 羞恥を覚える。 徐京植(ソ・ギョンシク) 東京経済大学教授 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch