16/06/20 22:47:29.10 2uoY1aPl0.net
甘糟は翌日21日の早朝、この松宮の策を語って一ノ瀬要人に進撃を勧めるが、
一ノ瀬は「攻め口が多くて警備の兵すら足りない、
それに海手は庄内藩の石原多門が総括していて、佐藤折之進、山田陽次郎、茅場卯之助らの兵が連合しており、
担当方面の違う我々には管轄ができないのだ」
と説明する(これは事実。隊長だけ見ると会津藩士に見えるが、佐藤「織之進」は旧幕歩兵を急きょ引き継いでおり、
海手は会津・庄内・水戸の連合軍なので一ノ瀬が指図して動くことはできない。
どうも甘糟は隊長の名前もよく知らなかったりで、会津藩の兵だと思い込んでた模様)
>>377で書いた通り、甘糟は「海手口の石原多門は、初めよりはかばかしい戦を聞かず」と思い込んでおり、
今度は海手口の石原多門を叱責に向かう。