☆会津プロパガンダの嘘と真実の会津★at HISTORY2
☆会津プロパガンダの嘘と真実の会津★ - 暇つぶし2ch394:゚せ。 米沢藩一手をもって賊を討ち平らげてやる」 甘糟はどうも「山田陽二郎殿」が6月11日(9日前)から海手口の激戦に参加し、 この前後には重傷を負ったか戦死した可能性もあることすら知らなかったらしい。 甘糟はこのあと、奥羽軍の義勇隊だった侠客・松宮雄二郎に会って策を聞いた。 すると松宮も「与板城の敵は胸壁を築いて要地を固めているので、攻め入るべき口はない」と、一ノ瀬の判断を肯定する。 ここからがヤクザ兵の発想の面白いところで、 「ただ、海手の出雲崎の敵は高田や加賀の堕兵が多く、地理不案内なので、 山を越えて不意に村田乙茂のほうへ打って出て、久田の背後を襲えば出雲崎を奪えるかも知れません。 私の隊には寺泊・出雲崎あたりの漁民が多くいるので、夜闇に紛れて寺泊から漕ぎ出し、出雲崎を襲えば、 敵は出雲崎から逃げるかも知れない。敵が出雲崎から逃げれば、与板も背後を断たれて撤退する。 与板が崩れれば、長岡に攻め入るのもまた容易である」、という奇襲案を提案する。 甘糟も「松宮は一勇士にしてべつに智謀もないようだが」「その説く所、はなはだ詳なり」と感心している。 どうやら海手口の史料でよく名前が出てくる有力隊長の松宮をあまり知らなかった模様。




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