15/08/17 23:45:44.80 7q1NnIIC0.net
正論 2015年9月号
歴史はいずこ、国士はいずこ
上智大学名誉教授 渡部昇一
URLリンク(www.fujisan.co.jp)
正論編集部から、私の愛読書のなかから良書五冊を紐解きながら戦後七十年を振り返ってほしいと
お願いされました。
(中略)
次は『共同研究パル判決書』です。
(中略)
要は東京裁判というのはそれほどメチャクチャな裁判であり、裁判にすら値しません。そのことを
明快に明らかにしたのが『パル判決書』なのです。
(中略)
例えば「日本は不戦条約に違反した」。これが断罪の口実にされました。ところがパルは「不戦条約が
結ばれたとき、アメリカの議会も不戦条約自体に反対したではないか」。不戦条約のいう「戦争」とは
全ての戦争を指すのではなく「侵略戦争」に限って禁じたのだ、とする米国のケロッグ国務長官の説明
なども紐解いていく。
では侵略戦争とは何か。ケロッグの説明は「それは国境を越えて、攻め込まれた場合だけではなく、
国家の安全を犯す経済的な脅威を受けた場合も、侵略戦争を受けたことになる」というものでした。
自衛戦が禁止されず、何を自衛権の行使に含めるかが当事国の判断にゆだねられている。パルは「ならば
日本を条約違反にすることなどできない」と論破します。不戦条約で日本を裁くことなどできない、と
いうのです。
「支那のマグナカルタ」と呼ばれた「九カ国条約」を「日本が破った」という論理についてもパルは徹底的
に検証しています。これは支那人が今も振り回す論理なのですが、パルは「九カ国条約」が締結されたとき、
ソ連が入っていない点に着目します。また、そもそも「九カ国条約」には期限がありません。期限がない
条約は状況が大いに変わった場合、これから抜け出す権利がある。それが国際的な常識です。それに「九カ
国条約」はもともと、支那を守る条約だったにもかかわらず、肝心の支那が条約を全然守っていない。
こうしたことから日本への罪状は成り立たないと結論づけているのです。
私は『パル判決書』を読まずに、昭和史を書いてはいけない、とすら考えています。実は今回の五冊には
含めませんでしたが、東京裁判で裁かれた東條英機氏の最終弁論もまた、立派な昭和史と思っています。
日本を案じる全ての日本人に是非、紐解いてほしいです。
最終弁論で東條が述べているのは、日本は常に受け身だったということです。東條の最終弁論とパル判決書
を並べて読めば、ちょうど東京裁判史観とは正反対の歴史観が見えてきます。東京裁判については日本だけで
なく世界中の識者がその誤謬を指摘しています。マッカーサー自身も裁判は無意味だったと認めました。
(中略)
もしも仮にヒトラーが最終弁論書を書いていたら、それを読まずにドイツ史を書くバカはいないと思います。
それと同じです。なぜ日本では東條の最終弁論やパル判決などを読まずに平気で日本史、あるいは昭和史を
書く人間がこれほど多いのか。不思議でなりません。
(中略)
是非とも、こうした歴史観を日本人の政治家や官僚、そしてこれからの日本のリーダーになる方々には身に
付けてほしい、そう願っています。日本の立場を日本人が主張できないようでは、日本は危ないのです。
支那や韓国があれこれ言ってきても動じることなく「何、言っているのだ」という態度で臨めばいいのです。
日本を裁くための東京裁判ですら、支那で戦争を始めたのは、日本ではないと述べていますし、開戦責任を
日本に問うことができなかったのです。そのことぐらいは日本のリーダーならば直ちに反論してほしい。
そう思っています。