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1915 北京政府が対華21カ条の要求(実際は袁世凱の要望)を受け入れ、革命運動が起きていく。
1916 袁世凱死去。段祺瑞の安徽派が北京政府の主導権を握る。
1917 ロシア革命。
1918 シベリア出兵。
1919 パリ講和会議で山東権益が日本に譲渡され、五四運動。
張作霖の奉天派が満洲の支配権を確立。
1920 安直戦争。安徽派の段祺瑞が敗北し、直隷派の曹?・呉佩孚が北京政府の主導権を握る。
1922 第一次奉直戦争。直隷派に不満を抱いた張作霖、段祺瑞、孫文が同盟するが失敗。
安徽派はそのまま武力統一へ。
ワシントン会議。
1923 孫文が中国統一運動の名目でソ連と共同宣言。国共合作。第三次広東政府を組織。
蒋介石、孫文の命でモスクワへ。ソ連の軍制を視察(年内に帰国)。ソ連に不信を抱く。
1924 第二次奉直戦争。
孫文が北伐を宣言。
奉直戦争の最中、張作霖、段祺瑞と密約を結んでいた馮玉祥が北京政変を起こす。
曹?を監禁、清室優待条件を破棄し、孫文に北上を要請。しかし孫文は北京で病没し頓挫。
段祺瑞を執政とし、張作霖と馮玉祥が実権を握る。
1925 汪兆銘を主席として広東国民政府が組織される。連ソ容共の汪兆銘は蒋介石と対立。
馮玉祥と張作霖が対立。北京を追われた呉佩孚により、奉天の張作霖、山東の張宗昌が
反共の名の下に連合。馮包囲網を形成。馮は下野しモスクワへ。
1926 中山艦事件を契機として蒋介石が台頭。
馮玉祥や広東政府を支援する共産党勢力の制止に抗して、北伐を宣言。
1927 蒋介石が南京、上海を占領。
反帝国主義を叫ぶ軍人や民衆の一部が外国の領事館や居留地などを襲撃。
英米艦艇は艦砲射撃し、居留民保護のために陸戦隊を上陸させた。日本は虐殺を恐れ静観。
蒋介石は、暴行兵の処罰、治安維持、排外主義を否定を声明(南京事件)。
暴動の北京への波及を恐れた列強は南京事件の背後に共産党の策謀があるとして
北京政府の張作霖にしかるべき措置を勧告。張作霖はソ連大使館を捜索。
極秘文書が発見されソ連人逮捕。ソ連は北京に国交断絶を伝える。
国民党内部の共産党勢力を粛清(上海クーデター)。英、ソ連と断交。
汪兆銘の武漢政府が容共政策放棄を声明し、南京に国民統一政府が組織される。
第一次国共合作の崩壊。
1928 蒋介石、北伐を再開。
日本は山東省に居留民保護を名目に軍派遣。武力衝突(済南事件)。
蒋介石は日本との衝突を避け、閻錫山、馮玉祥を傘下に加え、張作霖を北京から放逐。
張作霖、奉天への帰途に爆殺される。
息子の張学良が国民政府に降伏し(易職)、北伐完了(統一)。
蒋介石、閻錫山、馮玉祥、新広西派の四大軍閥にまとめられる。
1929 蒋介石、国軍を整理。傘下の軍閥と軋轢。
蒋桂戦争。新広西派の敗北。閻錫山・・・
張学良、中ソ紛争。
1930 中原大戦。閻錫山・馮玉祥・李宗仁(新広西派)が反蒋介石で協力。汪兆銘も加わる。
1931 満州事変。
1932 張学良が蒋介石を支持することで、反蒋派が敗北。
満洲国建国。
1933 塘沽停戦協定
時系列まとめ。誤りあれば修正よろ