15/08/08 19:00:02.26 MntRIZiR0.net
・関晃『古代の帰化人』(吉川弘文館)
帰化人たちは、そのほとんど全部が奈良盆地、大阪平野、京都盆地と、その周辺地域である播磨平野、紀ノ川流域、近江盆地あたりに根をおろしたといってよい。
この点はこののちずっと古代を通じてたいしてかわらない。
大化改新(六四五)以降には、未墾原野の開拓のために、計画的に帰化人の集団を東国各地に移植した例も少なくないが、それでもめぼしいものはたいてい中央に置かれた。
したがって、近畿地方と古代の帰化人というものは、最初から最後まで、深い関係をもっていたのである。
・中橋孝博『日本人の起源』(講談社)
同じ日本人といっても、住む地域によって顔や体つきに多少の違いがあることは、日常生活の中で多くの人が実感していることだろう。
例えば関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は少し背が低いものの、眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い。
・池田次郎『日本人のきた道』(朝日選書)
古墳時代、奈良時代の人口密度が最も高く、大和王権の拠点であった畿内は、弥生時代すでに渡来人の影響を強く受けていたが、古墳時代になっても朝鮮半島からの移住者を大量に受け入れた地域だった。
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている。
関東・東北南部古墳人は 渡来系古墳人の中で縄文人グループに 最も近い。