15/08/13 14:58:47.88 6qI2KHxo0.net
>>364
>中国は二の次には違いないけど、日本の好き勝手を見逃すほど、アメリカもお人よしではない。
統合参謀本部は、シェンノートの主張を否決しようとたくらみ、ほかの戦域の経験を引用して、つぎのようにのべている。
「わが軍が航空兵力で断然優勢をたもっている戦場において、ドイツ軍および日本軍と戦った経験から、航空兵力だけでは、
訓練も十分で断固とした決意の地上軍の進撃を阻止できないことが、すでに証明されている。
我々はイタリアにおいて、強大な航空兵力をもっても、地上軍の進撃を阻止することができなかったので、シェンノートが、
中国にある比較的小さな航空兵力をもって、日本軍に決定的な打撃をあたえられるとは考えられない。
日本軍船舶にたいする爆撃の効果があればあるほど、日本軍の中国での進撃は、強くなるだろう」
URLリンク(homepage1.nifty.com)
事故による、敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃によるB-29の
損失はもはや見過ごし得ず、1944年の終りには147機に達した。
<中略>
マッターホルン作戦では49回の作戦任務を実施し、航空機の出動数は3,058ソーテイであったが投下した爆弾は
ただの11,477トンであった。この作戦に膨大な努力を傾けたわりに、日本の目標に与えた損害は僅かであった。
URLリンク(www.ne.jp)
44年 4 月30日現在の配備機数は,偵察機10(P38),戦闘機294(P38,P47,P40,P51),
爆撃機168(B24,B25)の472機であり,重慶空軍233機と合わせて705機と判断されていた。
当時の日本の第5 航空軍の出動可能機数は約230機であり,彼我の戦力比は約 3 対 1 であったという。
URLリンク(www.ritsumei.ac.jp)
Month Fighters Medium Bombers Heavy Bombers
October 457 105 45
November 535 109 47
URLリンク(www.ibiblio.org)
十九年春~二十年初めに実行された一号作戦は、国軍に前例のない大規模
のものであり、陸上戦略指導としては大成功と感じられるものである。しかし
B-29の本土空襲は阻止できず、太平洋方面における我が主作戦の敗勢を救う
べくもなかった。この間における中國航空作戦は、数質ともに次等の戦力で
よく靭軟な奮闘を続けた。中國方面に有力な米陸空軍部隊を吸引牽制し、
しかも彼我主力の決戦方面に対し、その決定的な攻撃威力を及ぼさせなか
ったことは、わが中國方面空地作戦の隠れた戦略的成果と評価すべきである。
しかし問題は、中國方面にあった陸軍戦力を、国軍主力の決戦作戦方面に対し、
より有効に直接参加させる戦略方策の有無であり、それは更に深刻な別途の研究
にまたねばならない。
これを要するに、陸軍航空の基本的体質に大きな影響を与えた中國航空作戦は、
支那事変間と大東亞戦争間とにおいて、その様相が著しく変化した。前者は敵が
弱体な中國空軍であり、後者は敵が強力な米陸空軍であり、航空撃滅戦、
制空権の獲得に最大の努力を傾注しなければならなかった。
<中国方面陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室∥著 /朝雲新聞社 , 1974 ( 戦史叢書 ; [74] )>