太平洋戦争で日本が降伏するべきだったタイミング2at HISTORY2太平洋戦争で日本が降伏するべきだったタイミング2 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト350:名無しさん@お腹いっぱい。 15/08/11 13:16:14.89 YMPyphXF0.net 悪い意味で軍人も政治家も「官僚化」してたんだよね、当時は。 全てが縦割りで、陸軍はソ連や中国ばかりで、海軍は英米ばかり、外交は軍に振り回されてその場しのぎばかり。 蒋介石政権との和平を自ら断って、 泥沼化させた近衛はしまいにはアメリカ領フィリピンを包囲する形になる仏印進駐を認めちゃうわ。 ・・・まあ、こんな内部がグダグダで、対外関係を考慮もせずやってたら、そりゃいつか大失敗しますわ。 351:名無しさん@お腹いっぱい。 15/08/11 13:29:12.94 YMPyphXF0.net 今後はそうならないように、あの戦争をどうして始めてしまったのかの総括もろくにしないままで 「あの戦争は正義だの、悪だの」言ってるのを見ると、また繰り返す気がしないでもない。 352:名無しさん@お腹いっぱい。 15/08/11 18:27:01.60 L2PdpAvx0.net >>340 >あれ以降は戦略爆撃で工業力削られる一方で、アメリカ海軍に対抗する戦力がないワンサイドゲーム。 そうかな? 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四~五月・・・・・・戦車第三師団、 戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。 師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。 <中略> ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした 典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六~七月頃)のドイツ 機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、 日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、 四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る どころか優れた成果を上げているといえる。 <「陸軍機甲部隊」(学研)158頁 文・古是三春> 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch