14/09/13 23:44:28.14 jGElH08yi.net
そして、
「肚乃西郷」竹崎桜岳
>>15-20さんは、本書には城川説を信じさせようとする気概が無いと言うが、そんなことはない。
肚乃西郷から、長いですが引用します。
「この事実を書きし、西郷の伝記はおそらく世に無いと思うが、
これは別府晋介の従僕城川が著者の父に話せし実話である。
西郷が大義名分を重んじて、江藤新平を諭せし事を思う時、
寸秒の疑う余地は無いのである。
西郷が簡単に切腹するのであれば、最期の陣営たる洞窟の前庭において、
幹部と共に枕を並べて死すべきである。
何もわざわざ岩崎谷を下り敵陣近き、現在建設せられある『西郷終焉の地』まで
のそのそ出て行く必要はないのである。
一度鹿児島に遊び、彼の洞窟と終焉の地とを検討せば、著者の論が実証せらるるであろう。」
と、城川説が“実話”であると断じている。気概十分じゃないですか?
著者の父は、私学校の後身ともいえる三州社の社長です。
三州社は明治14年、河野圭一郎(初代社長)、伊東祐高、中原万次、河野半蔵、美代助座衛門、
樺山資美、伊地知壮之助、児玉軍治ら西郷軍の残党らが設立した結社で、
会員の互助と士族授産、子弟の教育を目的とした。
会員は城下士出身者が中心で、このため「第二の私学校」とも呼ばれました。
肚乃西郷著者の父竹崎一二はこの三州社の社長です。
いわば西郷軍の人的遺産と郷中精神の継承者だった。
そのような人物が、桐野が西郷を撃ったんだと、完全に事実と断定しています。
珍説どころか、西郷軍正史と言っても過言でない形で世に示されていたわけです。