強制連行されたという証言は無視ですか?at HISTORY2
強制連行されたという証言は無視ですか? - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/12 16:36:56.15 pHydNpqz0.net
>吉田の発言が出るまでは、申告したら日本に殺されるから、黙ってたんだろ
>それがたまたま、自身の儲けの為に、知らず知らずの内に真実を伝えてた吉田証言によって

は?

3:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/12 22:44:52.60 FEdW2zdM0.net
>>1
あなたのような純真まっすぐ君(皮肉)には解らないかもしれませんが、
まず、
証言は証拠ではない。
複数の証言が、まさに異口同音でなければ証拠になり得ないのに、ひとりの人間が口を開くたびに違うことを言うのでは証拠になるわけがありません。

また、嘘の証言した者、嘘の証拠を提出した者はその意図を明確にせねば次から何を言っても信用されません。

4:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/13 03:14:42.52 7urS9cYsO.net
無視はよくないので検証しましょう

5:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/13 05:01:10.35 K5jn2GMy0.net
当時は子供の人権とか無かったからな
朝鮮人の親と人身売買をしていた商人とで娘を取引
涙を流す親の前で、商人が娘を無理やり連れ去る
娘にとっては強制連行

もちろん女性や子供の人権を無視した行動であることは間違いないが、当時は当たり前の出来事

6:高学歴貴族
14/09/27 02:12:54.88 3WtEokAj0.net
当たり前じゃないだろ

「公娼廃止決議」の英断と東京日日社説での論評。【1928昭和03年12月08日/東京朝日(夕刊)】

今日まで公娼制度の存続は、人間必然の要求から出発する不可抗な制度だと考えられていたに拘わらず、この数年来公娼制度廃止の声がほとんど全国的に行きわたりつつあるのは欣ばしい。
……その標榜する理由は、第一に、白奴隷の存在がいかなる事情にあっても許し得ない人道の蹂躙であり、堪え得られざる文明国の体面の汚辱だとすること、第二には、たといいかなる方便であるにせよ、風教道徳の本元であるはずの政府が、公に売淫を認むるのみか
その居住移転の自由を制限して大っぴらに営業せしむるごときは
人道を無視し家庭の平和を脅かし、ひいては社会の善風美俗を破壊する大きな矛盾であるというのにある。今回埼玉県会が「時代と相容れない」ものとして公娼制度の廃止を満場一致をもって通過したのは、思うにこれとその主義、精神を同じくするものであろう。
ただ残る問題は、公娼の廃止が私娼の跋扈となり、病毒の蔓延を来すという点であるが、これは花柳病予防にカンする法律の励行と、国民自身の自制と注意に待つ外はない。

7:高学歴貴族
14/09/27 02:16:53.22 3WtEokAj0.net
南京事件否定論についても言えることですが、旧軍および当時の日本政府を免罪しようとする人々が当時の日本人の道義的水準を不当に評価している、というわけです。

8:高学歴貴族
14/09/27 02:19:24.28 3WtEokAj0.net
1893年に群馬県が公娼制を廃止したのをきっかけに、1930年から42年の間に27県が廃娼決議をしています。
「公娼制それ自体が問題である」という認識が戦前の日本でもかなり広く共有されつつあった(少なくとも建前レベルでは)ことがわかります。

9:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/28 03:13:35.89 p5D1P5N4O.net
そもそも慰安婦の強制連行=拉致・監禁・強姦の立証責任は、あったと主張する側にある。

なかった事を証明するのは悪魔の証明ってやつだ。

元慰安婦の証言に信憑性を付与するものは、第三者による裏付けしかない。

何の裏付けもない証言で訴えられるならば、無実の罪で他者を簡単に陥めることができる。

そもそも、強制連行の確かな証拠があるなら認める事にやぶさかでないと20年くらい前からつくる会の連中は言っていた。

最近はあまり指摘されないが、戦前の雑誌に載ってた軍人が女性を引率してる写真を、強制連行の証拠写真として載せてた本がでまわっていた。

こんなだから、強制連行があったとか聞くと眉に唾つけて聞かなきゃならん。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
14/10/14 21:57:22.13 LHGWklmT0.net
済州島での現地調査の結果、強制連行など全く無かった。
そんなのは大昔から分かっていた。

30年以上たってようやく朝日が誤報を認め歴史は正しい方向に動き出した
それだけのこと。

11:正理会
14/10/22 12:40:09.79 uYKkkbW30.net
宗教から歴史、天皇、政治経済、朝鮮問題、教育問題まで

あらゆる情報の宝庫! このブログで学び本物の日本人になろう!

「中杉弘のブログ」

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「中杉弘の徒然日記」

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12:名無しさん@お腹いっぱい。
14/12/18 23:01:39.19 6fQDBQjL0.net
強制連行が無かったなら国が公的にそう発言して
韓国からの謝罪賠償要求を突っぱねればいい
それをせず韓国に「日本が酷いことしました」といい続けてる以上
世界的には強制連行はあったとみなすことになるんだよ

13:名無しさん@お腹いっぱい。
14/12/19 21:48:12.31 2OZkqsb7O.net
'





朝日新聞全社員が、義父によってキーセンに売り飛ばされた売春婦だったのに【 従軍慰安婦 】と捏造報道した元【 朝日新聞記者:植村 隆 】の自殺を心待にしてるそうです。
URLリンク(www.asahiculture.com)






'

14:正理会
15/11/18 13:43:04.62 7PQy4UaF0.net
宗教、歴史、思想、政治経済、自衛国防、マスコミ、在日朝鮮人問題まで
あらゆる情報の宝箱!!「中杉弘のブログ」は毎日更新中です!!
URLリンク(blog.livedoor.jp)
URLリンク(ameblo.jp)

15:名無しさん@お腹いっぱい。
15/11/21 21:45:06.12 Shdqag800.net
・・・ 今も、原子力緊急事態宣言中… 対策本部長は安倍首相。
川崎病の年間患者数、史上最高に 1万5千人を突破、ピーク時を超える 最初の報告は水爆実験後。
厚生労働省によると平成23年から平成25年の累計死亡者数は360万人以上に急増。今の日本は太平洋戦争時の時と同じくらいの勢いで人が亡くなっている
沖縄食糧、マレーシアに初出荷 沖縄で精米の福島産こしひかり(沖縄タイムス)精米後のヌカは沖縄で肥料や漬物材料として利用され県民を被曝させるのだろう
北の湖が死んだ  食べて応援 相撲協会の死者は事故後16名を超える
川島なお美の食べて応援   1年後・肋骨骨折   2年後・眼球から出血  3年後・胆管に腫瘍   4年後・逝去 夫は片目失明、愛犬もがん
URLリンク(twitter.com)
俳優の阿藤快さん、(大動脈破裂)が一押ししていたすし店『海味』の大将も、今年の9月に死去
URLリンク(twitter.com)
2015年に亡くなった著名人  今井雅之54  盛田幸妃45  松来未祐38  泉政行35  宮田紘次34  黒木奈々32  丸山夏鈴21  椎名もた20
私のツイートで、安倍政権に都合の悪い情報は速攻削除されている これは驚いた ここまでやるのか
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
安倍晋三の兄が関与している三菱重工 核開発疑惑についていくつかツイートしたが、反応がないから変だと思って、自分のタイムラインを調べてみたら、完全に削除されていた。
URLリンク(twitter.com) iamada/status/664017453324726272
急に発表になった(着々と準備をしていた)「防衛装備庁」、1800人体制で発足。文部省についで2位の規模。日本は「死の商人」に突き進んでます。

16:名無しさん@お腹いっぱい。
15/12/10 17:46:17.14 zItdX3z+0.net
会津が南京大虐殺の捏造に荷担してる事が判明しました。
幕末の捏造だけではなく、大戦も捏造する会津。
ちなみに会津は、ドイツに対して国土売却を企てた事があります。
会津プロパガンダは反日プロパガンダ。会津はとんでもない売国地域です。
URLリンク(jump.2ch.net)
会津は反日協力者だ!!

17:正理会
16/01/04 15:29:00.53 /hv6BD0I0.net
URLリンク(blog.livedoor.jp)
URLリンク(ameblo.jp)
今年も正理会は日本国を復活させ、人類を救うために前進します!

18:名無しさん@お腹いっぱい。
16/01/20 23:59:25.46 OfnnBrwS0.net
示談金狙いの銭ゲバくそビッチがによる「痴漢された」という証言みたいなもんだろ。

19:名無しさん@お腹いっぱい。
16/01/26 12:33:52.52 rDyf7lD00.net
反日プロパガンダ
会津プロパガンダ

20:名無しさん@お腹いっぱい。
16/01/26 19:57:26.64 m1FxLoK80.net
◆台湾人の顔面

淡褐色、広鼻、突顎、タラコ唇

ラオスっぽいような、ポリネシアっぽいような、
つか、ハノイですね~
実にハノイ!
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.gmjh.tc.edu.tw)
URLリンク(www.immigration.gov.tw)
URLリンク(a.udn.com)
URLリンク(www.ksnews.com.tw)
URLリンク(static.ettoday.net)
URLリンク(img.chinatimes.com)
URLリンク(anntw-prod.s3.amazonaws.com)
URLリンク(i.ytimg.com)
URLリンク(www.on9g.com)
URLリンク(bibibi.info)
URLリンク(news.xinhuanet.com)
URLリンク(image.space.rakuten.co.jp)
URLリンク(www.cgsh.tc.edu.tw)

21:名無しさん@お腹いっぱい。
16/05/21 02:19:12.96 BrAREqTV0.net
>>1
裁判では、嘘の証言をした場合なぜ嘘をついたのかを明確にしなければその後の証言も証拠も信じてもらえません。
正確には、一度嘘をつくと基本的には信じてもらえません。

22:名無しさん@お腹いっぱい。
16/05/21 02:22:55.04 BrAREqTV0.net
>>5
そもそも、民間がやったことで行政が非難されてもねぇ、ということでもあるよね。
犯罪がなくならないのを政府の(失態だと言うならまだしも)罪だと言われてもねぇ。

23:名無しさん@お腹いっぱい。
16/05/28 01:13:55.66 cjD6hXYL0.net
そもそも、女性の親が韓国人女衒に売って、それを軍が勝ったのであって
韓国人は売った親と女衒を批判するべきであって、日本軍はただの客

24:名無しさん@お腹いっぱい。
16/05/29 12:33:33.88 Ex8AZZGV0.net
IDコロコロ自演荒らしの正体
z26.124-44-148.ppp.wakwak.ne.jp
z170.61-193-208.ppp.wakwak.ne.jp
z125.61-193-208.ppp.wakwak.ne.jp
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z117.61-193-210.ppp.wakwak.ne.jp
z9.124-44-151.ppp.wakwak.ne.jp
z6.61-193-215.ppp.wakwak.ne.jp
z5.124-44-147.ppp.wakwak.ne.jp
z107.124-44-145.ppp.wakwak.ne.jp
z186.58-98-145.ppp.wakwak.ne.jp
z13.58-98-150.ppp.wakwak.ne.jp
z242.58-98-144.ppp.wakwak.ne.jp
z122.58-98-98.ppp.wakwak.ne.jp
z68.61-193-212.ppp.wakwak.ne.jp
z68.124-45-72.ppp.wakwak.ne.jp
z119.58-98-100.ppp.wakwak.ne.jp
z246.61-193-211.ppp.wakwak.ne.jp[IPアドレス61.193.211.246]
z60.61-193-211.ppp.wakwak.ne.jp[61.193.211.60]
z186.58-98-145.ppp.wakwak.ne.jp[58.98.145.186]
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s645151.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp(スプー Sd64-u4cK [49.98.145.151])
a1

25:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/10 18:59:57.17 CMl1bCR50.net
 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された長崎市の端島(通称・軍艦島)で、終戦直後までの約6年間を過ごした
韓国人の具然〓(グヨンチョル)さん(83)=韓国・釜山在住=が今月1日、71年ぶりに端島を訪れ、当時の暮らしぶりを証言した。
 端島炭坑は1890年に三菱財閥の所有となって石炭の採掘が本格化した。出炭量の増加と共に島に住む従業員が増え、鉄筋コンク
リート造りの高層アパートなどが次々と造られた。一方で、戦時中には労働力不足を補うため、強制連行された中国人や徴用された朝鮮
半島出身者らも過酷な労働環境で働かされた。事故や病気などで命を落とした人もいた。
 具さんの父は1936年ごろ、募集に応じて釜山近郊の農村から端島に渡って炭鉱で働き始めた。村では貧しい農家だった。
具さんは「(当時、植民地支配していた)日本から作物の供出を求められて暮らせない状態になり、父は募集に応じた」と語る。
 具さんも39年、父に呼ばれ、母やきょうだいらと端島に渡った。「思い描いた生活とは全く違った」と振り返る。配給される
大豆の搾りかすは腐っていて、煮て食べたが、よく下痢をした。島には朝鮮半島出身の若者たちもいた。具さんは「彼らは下痢を
していても、木の棒のような物で殴られたり、蹴られたりして、仕事に行かされていた」と証言する。
 日本に渡った当初、「ニンニク臭い、朝鮮人はあっちへ行け」と言われたこともあった。原爆投下直後には、知人宅に向かう
途中で真っ黒焦げの死体が転がる光景も目にした。日本による植民地支配と長崎で見た惨状。具さんは「戦争は駄目だ。
平和主義者にならなければ」と感じたという。
 昨年7月、端島などが世界遺産として登録された際、日本側の大使は「第二次大戦中に徴用政策を実施していたことを
理解できる措置を講じる」とした。しかし、いまだ具体策は示されていない。具さんは訴える。「世界遺産である
ならば、平和や人間の尊厳の大切さを世界に伝えるためのものにならなければいけない」【加藤小夜】
URLリンク(mainichi.jp)

2 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止2016/10/09(日) 21:23:21.98 ID:EXzOSP8e
>具さんも39年、父に呼ばれ、母やきょうだいらと端島に渡った
生き地獄に嫁や子供を呼び寄せる父親って何なん?

9 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止2016/10/09(日) 21:26:40.97 ID:jrCPx9Ks
嘘つきババアが枯渇するから次は嘘つきジジイの出番か

26:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/10 22:15:18.73 iC0L7MgR0.net
シナ朝鮮は徹底的に叩きのめさねば埒が開かぬ!

27:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/20 13:49:50.12 N7oQQVa/0.net
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた

朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
URLリンク(goo.gl)

28:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 11:15:15.08 4UVhqoI60.net
URLリンク(pbs.twimg.com)

29:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/09 18:01:30.19 xwffaVwV0.net
URLリンク(www44.atpages.jp)

30:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/12 17:42:37.33 tzWHYKGK0.net
【結論】韓国で染みついた「奴隷」イメージ「『意図的な民族差別』事実と異なる」韓国人研究者 [無断転載禁止]&#169;2ch.net
スレリンク(news4plus板)

31:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/22 20:38:24.65 yS4vbsPn0.net
「終戦により解雇したる者に対する処遇状況」 兵庫県相生市 播磨造船所
①旅費 (出身地までの実費)
②帰鮮手当 一人に付き 200円
③徴用慰労金 一人に付き 30円
④食料品(現品) 一人に付き 15日分
URLリンク(pbs.twimg.com)

32:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 11:06:59.99 /GdaqaPt0.net
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた

朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
URLリンク(goo.gl)
URLリンク(youtu.be)

33:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/09 08:15:30.75 CMI0HlXH0.net
証言ではなく嘘

34:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/09 10:33:17.28 Mc2J/0QE0.net
>>1
強制連行というレトリックは徴用、官斡旋、徴兵をさし
その強制連行というのは徴用のこと
朝日新聞が否定したのは徴用された挺身隊が慰安婦になったという説。
それは韓国政府のホームページにも初期の研究の誤謬とされている。
それを唱えているのは挺対協、VANKという団体。

35:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/09 11:32:53.52 Mc2J/0QE0.net
1965 年に朴慶植が『朝鮮人強制連行の記録』を出版し、
徴用、官斡旋、徴兵が強制連行というレトリックで呼ばれる。
1960年代から70年代初頭の韓国におけるサハリン在留韓国人に対する報道で
当時の韓国マスメディアは、サハリン在留女性達に対して「慰安婦」という用語ではなく「挺身隊」という用語で報道した。
慰安婦と女子徴用者が混同された。
韓国における慰安婦言説は、サハリン在留韓国人問題が持ち上がる事により、
当初が男性徴用者を中心に作られていたサハリン在留韓国人に関わる言説が、
具体的な名簿の出現を通じて、「挺身隊」をも包含するものになり、
韓国の慰安婦に関わる言説の一つの祖型を作ることになって行ったのである。
慰安婦と強制連行(挺身隊)はそもそもは別のものだったが、
混同される。

韓国では慰安婦言説で強制連行は問題にされていない。
慰安婦と挺身隊の混同は過去の研究の誤謬とされている。
挺身隊は慰安婦にされとと唱える挺対協の博物館でも問題としているのは強制連行ではなく、
慰安婦の人権問題。

36:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/09 11:33:46.64 Mc2J/0QE0.net
間違えた。
挺身隊は徴用ではなく官斡旋だった。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/09 12:23:31.96 szBetZuM0.net
>>1
 URLリンク(www.asahi.com)
 (2014年12月23日付第三者委報告書「記事を訂正、おわびしご説明します」)
 しかし、同記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされた」と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された
 事実はありません。前文の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。・・・今後、改めて、
 「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」といったおことわりをつけます。

38:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/09 12:24:15.25 szBetZuM0.net
>>1
 ◆李玉善(イ・オクソン)さんの証言 - 『・・・朝鮮男2人が力ずくでトラックに押し込んだ』
 ------
 午後におつかいに出たが、40歳を過ぎたように見える太っている朝鮮男 2人が手首をぱっと引っ張って、有無を
 言わさず、力ずくで私をトラックに押し込んだ。朝鮮チマチョゴリを着たままトラックに積まれて蔚山駅に行ったら、
 他にも女達が連れてこられていた。
 URLリンク(yamushokey.com)

 ◆文玉珠(ムン・オクジュ)さんの証言 - 『・・・宋という朝鮮人から「食堂で働かないか」と誘われた』
 ------
 文玉珠は訴状では「一九二四年貧家に生まれ、女中をしている時、宋という朝鮮人から『食堂で働かないか』と誘われ、
 四二年釜山から船でビルマに渡った。慰安婦として働いて、ためた一万五千円のうち五千円を実家に送った。
 (平林久枝編『強制連行と従軍慰安婦』日本図書センター1992年刊収録)

 ◆朴徐云(パク・ソウン)さんの証言 - 『・・・わたしたちを連れてきた人たちは、50歳ぐらいの朝鮮人夫婦だった』
 ------
 わたしたちを連れてきた人たちは、50歳ぐらいの朝鮮人夫婦だった。彼らが主人となって、わたしたちと一緒に過ごした。
 (中略)
 何も知らずに来て、慰安所に到着してはじめて自分が慰安婦として売られてきたということを知った。「もう仕方ないな」と
 考えて、何もかも諦めるしかなかった。
 URLリンク(www.hermuseum.go.kr)

39:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/09 12:24:57.07 szBetZuM0.net
>>1
 ◆朴頭理(パク・トゥリ)さんの証言 - 『・・・韓国語が上手だったのでたぶん朝鮮人だと思います。』
 ------
 2 だまされて台湾へ
 私の家族は父と母、そして兄弟が7人で、兄弟は私も含めて女は4人、男は3人でした。
 父親の仕事は若い頃は何をしていたのか知りませんが、私の知っている限りでは大工をやっていました。家は貧しく
 て、一家そろって藁葺き屋根の家に住んでいました。貧しかったので学校に行くこともできず、今でも字を読むことも書
 くこともできません。
 私が17歳のときに、私の村に「日本の工場で働けば金儲けができる」という話が村の娘たちにもちかけられ、男たちが
 村の娘たちを集めにやって来ました。日本語と韓国語を話す見知らぬ男でしたが、韓国語が上手だったのでたぶん朝
 鮮人だと思います。

 ◆李順徳(イ・スントク)さんの証言 - 『そこに3、40歳位の見知らぬ朝鮮人の男が来て、・・・』
 ------
 2 甘言にのせられて
 私が上海に連れて行かれたのば、1937年の春、数えで19歳(満18歳)のときのことです。叔母の話では私が生まれた
 年は1919年だとのことですので、それが本当なら満17歳の時に連れて行かれたことになります。
 その日私は夕食の準備のため、村の畑の畦道で蓬を描んでいました。当時の朝鮮の田舎では食べるものがない貧し
 い農民はよく蓬を描んで麦飯を少し混ぜて食べたのです。
 そこに3、40歳位の見知らぬ朝鮮人の男が来て、「そんな事をしているよりも、自分についてくれば、履物もやるし着物
 もやる。腹一杯食べれるところに連れて行ってやる」と誘いました。
 私はそのとき履物もなく草鞋をはいていましたし、空腹を癒すことに精一杯だったので、ついその男の言葉に乗せられ、
 何も考えずについて行くことにしました。
 私は父と母に挨拶してから行きたいと言いましたが、男は時間がないと言って私の手をとって引っ張りました。当時男か
 ら手を取られるというのは大変なことなので、私は驚き、恐ろしくて、恥ずかしくて、そのまま泣きながら連れて行かれて
 しまいました。

40:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/09 12:25:41.85 szBetZuM0.net
>>1
 ◆パク・ウィナムさんの証言 - 『・・・近所の人の話にだまされ・・・』
 ------
 【韓国】「工場に行けば金を稼げると【【【近所の人】】】にだまされた」…旧日本軍の元慰安婦パク・ウィナムさん93歳死去
 旧日本軍の元慰安婦だったファン・ソンスンさんが死去してからわずか5日後、また1人の元慰安婦がこの世を去った。今年
 に入ってから2人が亡くなったことになる。これにより、韓国政府に登録されている旧日本軍の元慰安婦238人のうち、生存者
 は53人にまで減った。
 韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)は2日、韓国政府に登録されている元慰安婦のパク・ウィナムさん(93)が先
 月31日に持病のため亡くなったと発表した。
 女性家族部(省に相当)と挺対協によると、パクさんは16歳だった1938年「満州(中国東北部)の軍需工場に行けば金を稼げ
 る」という【【【近所の人】】】の話にだまされ、慰安婦として連れていかれ、7年にわたって辛酸をなめた。・・・
       ^^^^^^^^^^^^^^
 オム・ボウン記者
 ソース:朝鮮日報 2015/02/03 08:06
 URLリンク(www.chosunonline.com)
 URLリンク(yomog)     i.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1422924205/l50

加害者は、どう見ても【同胞の半島土人】です。ありがとうございました。

41:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/31 13:57:44.13 I/Y5AjPQ0.net
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
00PPC

42:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/13 06:18:06.21 pegqJS3X0.net
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
MBR

43:名無しさん@お腹いっぱい。
22/05/21 23:46:20.31 Dn0v4mU2o
・韓国地元紙の済州新聞が1989年に、「強制連行証言の裏付けが取れない」とその信憑性に強い疑問を呈した。
・現代史家の秦郁彦氏も、1992年の現地調査で強制連行の事実が存在しなかったと明らかにした。
・朝日新聞の吉田清治も、1995年に強制連行証言は「虚偽」と自白した。
・しかし、朝日新聞は訂正も謝罪もせず、ウヤムヤのまま20年も放置。
・強制連行の文字が躍り出したのは1990年代以降であり、それまで韓国が沈黙していたのはおかしい。
・強制連行の記録が韓国のどの市町村にも存在しないし、米国公文書にもないのはおかしい。
・そもそも20万人も強制連行されていたら、当時の韓国人男性が黙っているわけがない。
・1965年の日韓基本条約締結の時にも慰安婦強制連行の話はない。国民からも出ていない。
・クマラスワミ報告も吉田の捏造に基づくウソだった。自称被害者も時代が合わない。強制連行自体がウソ。
・米国が30億円もかけて14万2千ページもの米軍資料を調べつくしたが、強制連行の話は出てこない。
・済州島でも強制連行の被害者がいない。目撃証言も、噂もない。(済州島は李承晩軍による韓国人大虐殺で有名)
・条件が良いあまり、親に身売りされたり、韓国人ブローカーに騙された人はいたらしい。(これが発端と見られる)
・希望者が殺到して競争率は30~40倍。総理大臣以上の高給取りもいた。いつもカネに群がる韓国人。
・親の借金を完済し、実家に送金もして、家も建て、子供も育てた。1年働いたら一生食えた。2年なら子供の代まで食えた。
・朝鮮戦争の時、韓国人ブローカーがドラム缶に売春婦を詰めて戦地に送った。これこそ人身売買。
・日本軍は売春に関わったと言うより、悪徳売春業者の取締を行なった。そのほとんどは朝鮮人ブローカーだった。
・後にも先にも、人身売買や奴隷制度をやってたのは韓国。最近でも問題を起こしている。
・慰安婦強制連行説こそヘイトの最たるもの。慰安婦像もあちこちに建てられ、新聞の信用が失墜した。
・昨今、韓国人売春婦は米国内でのシェア23.5%。ロサンゼルスで逮捕される売春婦の90%は韓国人。
・韓国GDPの5%は売春。10%は性風俗関係。今も昔も売春は韓国人の生業であり公共事業。

44:国会議員は日本のために働きません。巨大欧米資本のために働きます。
22/05/23 00:15:06.02 mOxzm0de0
長崎市での細川先生のコロナワクチンに関する演説です。
よろしければ視聴してください。
URLリンク(www.nicovideo.jp)

45:名無しさん@お腹いっぱい。
22/06/14 21:57:47.06 +ZczG6lI0
「不逞鮮人の潜入/元京大学生安、林二名、内地の鮮人労働者を扇動す/大阪府に潜伏せる形跡あり」大阪毎日1919/4/25
「鮮人露人の群が続々関釜連絡船で入国/露人の上に光る当局の眼」中国1922/2/8
「不逞鮮人潜入説と兵庫県警察部の警戒」大阪朝日1922/5/10
「関門両水上署の船客調べ極めて厳し/虱殺しに片つ端から物色/不逞鮮人の刺客潜入を警戒する為めか(門司)」九州日報1922/5/31
「鮮人の無免許入国団/下関に上陸して発見さる」九州日報1922/7/2
「不逞鮮人内地に潜入」神戸又新日報1923/7/6
「内地に潜入を企てる不逞鮮人警戒/県特高水上署の活動」神戸新聞1924/1/8
「身元不明の鮮支入国は此際厳重に取締る(虎の門事件・二重橋事件で朝鮮人監視強化)」京都日出1924/1/14
「鮮人労働者の入国は厳重取調べを始む」神戸新聞1924/1/14
「不逞鮮人潜入の噂に警戒俄かに厳重/入港の二名の鮮人学生、義烈団の一味かと一応の調べ」神戸新聞1924/6/18
「爆弾を持って不逞鮮人潜入」大阪毎日1925/2/3
「帆船を漕ぎ寄せて不逞鮮人団潜入す/釜山から門司港内へ乗りつけ大部分上陸して逃走」神戸新聞1926/3/12
「同志の日本潜入に先立ち内地の情勢を探る/水上署に捕はれた怪鮮人/彼は上海不逞鮮人団の決死隊の一員」神戸新聞1927/11/12
「御大典を期し/不逞鮮人潜入/上海で巧な変装で/満州経由の計画が露見」中国1928/8/30
「御大典をあてこんで/不逞鮮人の陰謀/上海の本拠を秘かに脱出して/露領樺太から内地へ潜入」北國1928/8/30
「私服警官を船に乗せて内地潜入を見張る/不逞鮮人や怪しい外人を取締る方針/大典ひかえた水上署」神戸新聞1928/9/8
「議会や観兵式を狙って不逞鮮人潜入/二名内地に入るとの報門司水陸両署著しく緊張(門司市)」福岡日日1932/12/23
「不逞鮮人潜入か/糸島郡芥屋沖の逃走機船/時節柄重大視さる(糸島郡芥屋村)」九州日報1932/12/24
「不逞鮮人暗躍/内地潜入企つ情報しきり/県特高課厳重警戒」神戸新聞1933/4/30
「不逞鮮人が神戸に潜入/特高頻りに活動」神戸新聞1933/6/10
「不逞鮮人の潜入防止(門司)」門司新報1935/2/21
「大阪に潜入した三名の怪しい鮮人/露人と通じて過激主義宣伝/大阪警察部の大警戒」福岡日日1921/6/12

46:名無しさん@お腹いっぱい。
22/06/14 22:00:22.22 +ZczG6lI0
「還啓日の駅内に鮮人が潜入暴行」門司新報1921/9/4
「鮮人人夫の大詐欺か/内地に数十名を密行させ炭坑から逃走(鞍手郡)」福岡日日1921/11/12
「支那人に化けて潜入して来た怪鮮人/警視庁で大活躍の末検挙し目下余罪及連累物色中お尋ね者の独立運動者」九州日報1922/1/15
「不逞鮮人潜入説と兵庫県警察部の警戒」大阪朝日1922/5/10
「潜入鮮人女学生は曽つて禁錮に処せられ莫斯科の共産党大会に出席した女/鮮人青年は仮政府幹部」神戸又新日報1922/7/2
「片ッ端から鮮人を/水上署で虱殺しの取調/朝鮮独立運動の潜入か」神戸又新日報1923/3/15
「水上署に取押へた潜入怪鮮人、義烈団の一味か/連累の一名は東京某校の学生」神戸又新日報1923/4/22
「秘密文書を糸巻きにして懐中した怪鮮人/周到を極めた潜入と赤化の陰謀」大阪朝日1923/4/24
「不逞鮮人内地に潜入」神戸又新日報1923/7/6
「鮮人主義者が帝都に潜入した/噂に驚いて警視庁が各方面に調査を進む」神戸新聞1923/11/30
「内地に潜入を企てる不逞鮮人警戒/県特高水上署の活動」神戸新聞1924/1/8
「怪朝鮮人/呉市に潜入」呉新聞1924/1/17
「関門の鮮人警戒厳重/鮮人の入国減退/各入港の汽船に封して最も厳重に取締る(門司)」九州日報1924/1/18
「鮮人支那人等が偽名して入国上京/列車を厳重に監視す」呉新聞1924/1/20
「爆弾携帯の物騒極る鮮人潜入/大阪に-上海からそして奇怪な流言伝はる」九州日報1924/2/14
「不逞鮮人潜入の噂に警戒俄かに厳重/入港の二名の鮮人学生、義烈団の一味かと一応の調べ」神戸新聞1924/6/18
「鮮人二名/営内に潜入/佐倉聯隊の椿事」福岡日日1924/7/15
「義烈団員逮捕さる/邦人に扮して上海より当地へ潜入/神若通某鮮人方で上京準備中葺合署に逮捕」神戸又新日報1924/8/21
「爆弾を持って不逞鮮人潜入」大阪毎日1925/2/3
「帆船を漕ぎ寄せて不逞鮮人団潜入す/釜山から門司港内へ乗りつけ大部分上陸して逃走」神戸新聞1926/3/12
「二重橋から宮城へ潜入を企てた鮮人/青山署に検挙(青山御所付近徘徊の男は宮城潜入も図っていた。大阪で自由労働者として何事か画策していた人物)」京都日出1926/4/7

47:名無しさん@お腹いっぱい。
22/06/14 22:03:44.53 +ZczG6lI0
「宮城を窺ふ怪しの鮮人/二重橋から潜入せんとして青山署に逮捕さる」九州日報1926/4/7
「宮城潜入を企た鮮人、更に青山御所付近を彷徨/重大犯として青山署が厳重取調べ」神戸又新日報1926/4/7
「帆船漕付け怪鮮人潜入/七十余の鮮人が団体で福岡県下に上陸」神戸新聞1926/4/16
「時節柄重大視/審しの三紳士/鮮人か主義者か/可部町に潜入中を発見」中国1926/5/8
「鮮人風の拳銃強盗/下関に潜入か」九州日報1927/4/12
「潜入鮮人の防止に手こずる福岡県/朝鮮総督府へ膝詰談判の上/徹底的の方策を講ずる」大阪毎日1927/4/30
「同志の日本潜入に先立ち内地の情勢を探る/水上署に捕はれた怪鮮人/彼は上海不逞鮮人団の決死隊の一員」神戸新聞1927/11/12
「鮮人の潜入に厳重な取締りを/けふは三十五名を発見」神戸又新日報1928/3/6
「わが国へ潜入企てた怪しい鮮人等/三宮署で取調べを終り大連地方法院へ護送」神戸新聞1928/5/23
「御大典を期し/不逞鮮人潜入/上海で巧な変装で/満州経由の計画が露見」中国1928/8/30
「御大典をあてこんで/不逞鮮人の陰謀/上海の本拠を秘かに脱出して/露領樺太から内地へ潜入」北國1928/8/30
「怪鮮人が爆薬を携帯/本庄村青木方面に潜入か」神戸新聞1928/9/4
「大事件に関係の朝鮮人潜入」大阪朝日1928/9/4
「私服警官を船に乗せて内地潜入を見張る/不逞鮮人や怪しい外人を取締る方針/大典ひかえた水上署」神戸新聞1928/9/8
「コレラ病以上に厳密な取締/御大典を間近に控へて鮮人潜入や思想方面に」神戸又新日報1928/9/11
「樺太国境から/内地へ鮮人潜入/厳重な警戒網を張り/片っ端から逮捕」中国1928/11/2
「爆発性の薬品を携へ鮮人京都へ潜入/捕はれて調べに答へぬ」神戸又新日報1928/11/3
「爆弾や拳銃を携へて怪鮮人潜入す/支那女学生の口から神戸潜伏の事実判明」神戸新聞1928/11/18
「失業者解決方針/内地渡来鮮人を制限/雇主の採用証明書を持たぬものは入国禁止」大阪毎日1929/8/4朝鮮
「鮮人や支那人の流れ込みが多い、大道軽業者などの入国を今後厳重に取締まる」神戸新聞1929/12/28
「鮮人の馘首で兵神ゴムの争議持久戦に/鮮人潜入で」神戸新聞1930/10/28
「全協系潜入─テロ化を企つ/朝鮮人二名検束さる/宇治火薬庫の争議」大阪朝日1931/5/15

48:名無しさん@お腹いっぱい。
22/06/14 22:07:20.73 +ZczG6lI0
「全協系のオルグ鮮人尹兄弟挙らる/メンバ?が炭坑に潜入/高雄一坑争議取調べ進む(嘉穂郡幸袋町)」九州日報1931/5/17
「赤い朝鮮人が/北九州に潜入?/不穏文書を携えた鮮人/また一人逮捕さる」大阪毎日1932/5/6
「奇怪!内地渡航の証明書を売買/釜山に大掛かりな偽造団/潜入鮮人の調べで判明」大阪朝日1932/9/19
「朝鮮人赤色団大阪に潜入」大阪朝日1932/10/13
「大警戒網を潜り怪鮮人潜入を企つ/先鋭な左翼分子と緊密な連絡/水上署で厳重取調べ」神戸又新日報1932/11/2
「満州潜入を企つ共産青年同盟員/不穏ビラ所持の怪鮮人も/誰何二万昨日の一斉検索」神戸又新日報1932/11/9
「不穏文書を携へ怪鮮人潜入を企つ/水上署で厳重取調」神戸又新日報1932/11/27
「外国船の検索に海上班更に血眼/不逞鮮人らの潜入阻止に万全を期する当局」神戸又新日報1932/12/10
「議会や観兵式を狙って不逞鮮人潜入/二名内地に入るとの報門司水陸両署著しく緊張(門司市)」福岡日日1932/12/23
「不逞鮮人潜入か/糸島郡芥屋沖の逃走機船/時節柄重大視さる(糸島郡芥屋村)」九州日報1932/12/24
「意外、広島高師に/共産党分子が潜入/鮮人学生等廿数名を検挙す」芸備日日1933/2/3
「石川県支部の/再建に狂奔した/左翼鮮人東京で捕る/昨年夏以来オルグとして潜入」北國1933/3/21
「不逞鮮人暗躍/内地潜入企つ情報しきり/県特高課厳重警戒」神戸新聞1933/4/30
「不逞鮮人が神戸に潜入/特高頻りに活動」神戸新聞1933/6/10
「火の脅威また大阪に/朝鮮人一味の放火団が潜入す/帝都で屡々家を焼き多額の保険金詐欺」大阪朝日1933/10/27
「鮮人銀行ギャング主犯福岡潜入か/有力な索線を得て刑事連大活動開始(小倉市)」福岡日日1934/5/24
「めっきり増えた鮮人の非合法内地渡航/不良分子の潜入に備へて/県特高課厳重警戒網」神戸新聞1934/6/20
「不逞鮮人の潜入防止(門司)」門司新報1935/2/21
「鮮人の内地潜入防止に水上署員を増す」大阪毎日1935/2/22
「青島から潜入した重要容疑の怪鮮人/門司水上署に取押えらる」大阪毎日1935/10/25

49:名無しさん@お腹いっぱい。
22/06/30 23:46:04.68 SuF/EgfhK
強制連行ってそれ、悪徳朝鮮人ブローカーに拉致されたか、
親にじかに売り飛ばされたんじゃない?
それ以外聞いたことないんですけど
日本軍の仕事は、朝鮮人ブローカーの取り締まりだった。

50:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/03 10:38:48.11 OrKc430Dx
「不逞鮮人密に入京/物々しき警戒網/神田本郷を特別警戒」 神戸新聞 1920/9/2
「鮮人内地密航/発見されて説諭」 大阪朝日 1921/7/15
「不逞鮮人密に入京?/太平洋会議に活躍の準備か」 大阪朝日 1921/8/17
「鮮人人夫の大詐欺か/内地に数十名を密行させ炭坑から逃走(鞍手郡)」 福岡日日 1921/11/12
「大阪に入り込んだ鮮人が一万に上る/茲一年間にメキメキ殖えた/大阪府の綿密な基本調査」 大阪毎日 1922/5/12
「又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる」 大阪朝日 1922/5/20
「北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審」 福岡日日 1922/5/21
「得体の知れぬ秘密結社の宣伝者四名捕まる/下関に入込んだ朝鮮人」 大阪毎日 1922/6/25
「得体の知れぬ宣伝書を持った怪鮮人が下関にも現る/朝鮮人を手先に使ふ秘密結社」 京城日報 1922/6/27
「鮮人十名密航」 大阪朝日 1922/7/2
「鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏」 京城日報 1922/7/4
「独立請願書の調印を基金募集が目的で密使として渡来した/水上署に捉へられた怪鮮人」 神戸新聞 1922/7/6
「友禅職工に化けた不逞鮮人の一旗頭/上海仮政府の隠密/同志の統合に失敗し何れへか姿を晦す」 九州日報 1923/2/2
「密かに入込んだ鮮人学生/葺合警察署遽かに活動を起す」 神戸又新日報 1923/3/27
「ブロ-カ-の手で密航する鮮人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯では特に警戒を厳にして居る」 九州日報 1923/4/17
「上海仮政府の密使と称する鮮人/県特高課の手に捕はる」 大阪朝日 1923/6/12
「密航鮮人発見(遠賀郡芦屋町)」 門司新報 1923/11/7
「内地密航と取締」 大阪朝日 1923/12/6
「鮮人の内地密航に警戒の眼が光る/釜山水上署の取締」 京城日報 1923/12/20
「鮮人暗殺団/密かに内地に入るとて/呉署管内の捜査厳重」 芸備日日 1924/2/13
「発動船で密航/鮮人九名発見」 福岡日日 1924/2/21
「潜入を企つ/立神丸に忍んで(舞鶴~元山定期航路・立神丸で自称島根県人が密航企図。「不逞鮮人」と連絡ある者と見込み取調中)」 大阪朝日 1924/4/20
「丗名の鮮人欺されて密航/山口特牛港に」 福岡日日 1924/5/2
「五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ」 京城日報 1924/5/9

51:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/03 10:46:34.65 OrKc430Dx
「鮮人渡来制限撤廃/密航は取締る」 福岡日日 1924/6/7
「密航の鮮人」 門司新報 1924/7/11
「極左傾の不逞鮮人が日本へ密行した/手配が廻つて警視庁活動(青山爆弾事件。在ウラジオストクの活動家が日本に密航した形跡があるという朝鮮総督府の打電により活動開始)」 京都日出 1924/8/15
「密かに来る怪鮮人/義烈団らしい一人」 神戸新聞 1924/8/21
「巧妙な鮮人の密航/当局も取締りに悩まさる」 京城日報 1925/5/15
「鮮人労働者を内地へ密航させる/大仕掛な企て暴露」 京城日報 1925/5/21
「四十二名の密航者検挙/第一回の小手調べ/募集人は厳重処分」 京城日報 1925/10/11
「労働者釣りの悪玉縮み上る/密航者は次第に減少の傾向がある」 京城日報 1925/10/16
「鮮人丗五六名を乗せた奇怪な密航船来る/白木署に上陸して行衛不明/其筋では頗る重大視(門司市)」 福岡日日 1926/3/12
「小発動機船で鮮人の密航団/三十名釜山から門司に上陸し行方を晦す」 大阪毎日 1926/3/14
「長さ四間の発動機船で/鮮人三十余名密航す/氏名も目的も行先も判らぬ/時節柄厳戒を加ふ」 中国 1926/3/14
「密航鮮人一部発見さる/小倉駅頭にて(小倉市)」 福岡日日 1926/3/14
「鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還」 中国 1926/3/23
「朝鮮から内地へ/内地から朝鮮へ/虻蜂とらずに終った/密航鮮人団三十余名」 大阪朝日 1926/4/7
「大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)」 福岡日日 1926/4/11
「怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕」 大阪朝日 1926/4/13
「密航団鮮人取押へらる」 大阪毎日 1926/4/16
「七十余名の密航船/下関で発見」 京城日報 1926/4/17
「密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸」 大阪朝日 1926/4/17
「密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす」 大阪朝日 1926/4/20
「鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)」 九州日報 1926/4/21
「鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情」 大阪朝日 1926/4/24
「鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した」 大阪朝日 1926/4/29
「又も鮮人の密航団/山口へ六十名」 福岡日日 1926/4/29

52:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/03 10:51:21.40 OrKc430Dx
「六十名の密航団/山口県の北海岸で発見」 京城日報 1926/4/30
「鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名(東宮行啓を控え県警察部は漫然渡航者を乗船地で阻止しているが、密航を企てる者も増加。近頃も大津郡深川村に60名上陸)」 京都日出 1926/4/30
「大密航バレる」 大阪朝日 1926/5/1
「鮮人が帆船で渡っても密航でない、つまらぬ取締りをされては思想上面白くないと朝鮮総督府から横槍」 神戸新聞 1926/5/3
「又も糸島に密航団/朝鮮から渡航六十余名(糸島郡芥屋村)」 福岡日日 1926/5/4
「密航朝鮮人は/既に二百に上る/行啓後に対策を/赤木特高課長の沿岸視察」 大阪朝日 1926/5/5
「生き残った/密航者送還/厳原警察から/釜山に向けて」 大阪朝日 1926/5/20
「二十余名の密航者団逮捕/下関水陸両署活動/時節柄とて重大視す」 中国 1926/5/26
「依然と困る密航者/釜山署の大弱」 大阪朝日 1926/5/28
「怪しい鮮人密航者/夜陰に乗じ門司海岸に上陸/大部分を取押へ取調中」 神戸新聞 1926/5/29
「大里に又密航団/十九名の鮮人(門司市)」 福岡日日 1926/5/29
「密航鮮人団逮捕/募集した鮮人男女を/売り飛ばすつもり」 中国 1926/6/6
「密航者体裸で泳ぐ/鮮人が陸岸目蒐けて/泳ぎ上つた処を引捕ふ(遠賀郡岡垣村)」 福岡日日 1926/6/12
「鮮人青年が密航企つ/上海から乗船」 神戸新聞 1926/6/20
「戦慄を感じる/あぶない密航/産業の過渡期に立ち/生活に悩む下層鮮人」 大阪朝日 1926/8/14
「鮮人密航の/首魁を逮捕/釜山警察署で」 大阪朝日 1926/8/25
「さても現金な/密航者が絶える/渡航阻止者に対しては/釜山で就職口を周旋(水電工事にも)」 大阪朝日 1926/10/6
「渡航鮮人の/素質が向上/密航者の群もだんだんと減少」 大阪朝日 1926/11/17
「朝鮮から五六十名/御大喪に参列さしたい/不逞団の取締は厳重にする/湯浅総監下関で語る(浦塩或は上海方面から密航、十分警戒)」 大阪毎日 1927/1/15
「爆弾と拳銃を携へ怪鮮人二名内地へ潜行/汽船に密乗し神戸へ来るかも知れぬ」 神戸新聞 1927/1/22
「警備船で密航者取締」 京城日報 1927/2/24
「三名の鮮人怪漢繋留中の発動船を盗み出す/機関長を脅迫して運転を初め舵を操り沖合に逃げ去る(内地密航鮮人の所為と睨み厳重捜査中)」 大阪毎日 1927/3/2
「密航鮮人/八十名/北浦海岸に上陸(豊浦郡川棚村)」 大阪朝日 1927/3/3
「十三名を内地に密航さす/二人の鮮人が/五円を取り」 大阪毎日 1927/3/5 朝鮮釜山

53:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/03 10:57:24.54 OrKc430Dx
「六十名の密航鮮人/下関吉見海岸に上陸(山口県吉見村)」 九州日報 1927/3/7
「鮮人丗四名内地へ密航途中暴風にあひ対馬に漂着す」 大阪毎日 1927/3/8 朝鮮
「怪帆船の中から百名の密航者現はる/下関市外吉見海岸で発見され釜山へ送還さる」 京城日報 1927/3/9
「密航発覚頻々(吉見村)」 大阪毎日 1927/3/11
「密航団また捕はる」 京城日報 1927/4/8
「夜陰に乗じ/密航を企つ/鮮人を発見(五十余名)」 大阪朝日 1927/4/9
「密航ブロ-カ-鮮人/取押へらる(糸島郡前原町)」 九州日報 1927/4/15
「船底に潜む怪鮮人/密航者と判る」 神戸新聞 1927/4/16
「密航鮮人/十余名捕る(田の浦海岸)」 大阪朝日 1927/4/20
「七十名を内地へ密航させんとした四人捕はる」 大阪毎日 1927/4/27
「<慶尚南道>密航幇助で取調べ」 京城日報 1927/5/10
「密航鮮人/蘆屋に上陸/目下取調中」 大阪朝日 1927/5/15
「怪機船/密航鮮人の輸送を企つ」 大阪朝日 1927/5/18
「検挙された富士丸/三回に亘つて密航/犯行を自白す」 京城日報 1927/5/19
「密航団を利用し一儲け志願オヂヤン」 京城日報 1927/5/19
「密航鮮人が/積み帰さる」 大阪朝日 1927/5/20
「密航鮮人少年を/船中で殺害か/伏木入港の鮮海丸の怪事」 北國 1927/7/8
「三人組の密航詐欺/横浜水上署で検挙す」 京城日報 1927/7/20
「米国の母を尋ねて密航した十四歳の鮮童/新聞売子をして苦学した果/アリゾナ号にて送還さる」 福岡日日 1927/7/30
「密航者送還(支那労働者)」 京城日報 1927/8/2
「慶尚南道/女房に化けて内地へ密航/際どい処で発見さる」 京城日報 1928/1/19
「三鮮人密航/石炭庫にひそんで」 福岡日日 1928/1/25
「密航鮮人難破し西戸崎で救はる(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1928/2/19
「十一名の密航者送還せらる」 大阪毎日 1928/2/21

54:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/03 11:09:42.00 OrKc430Dx
「北日本汽船の「以智丸」が多数の密航鮮人を乗せて神戸に帰る/水上署、厳重取調べの歩を進む」 神戸新聞 1928/3/6
「船長が首謀で鮮人を密航させる/一人から十一円とった/南鮮航路の以智丸」 大阪毎日 1928/3/6
「背任罪その他の罪名で三名を司法係りに/以智丸鮮人密航事件」 神戸新聞 1928/3/7
「密航の鮮人(門司市)」 福岡日日 1928/6/29
「帆船で内地密航/三十余名の一団で」 京城日報 1928/9/12
「鮮人七名が密渡航を企て大阪港で捕る」 神戸又新日報 1928/9/25
「三鮮人を秘密に取調べ/神戸水上署で」 大阪朝日 1928/9/26
「怪しまれた密航の鮮人/手続不備と判る」 神戸又新日報 1928/9/29
「水上署に取押へられた怪鮮人は密輸者/相棒を横領で訴へ対質されかえって罪がばれる」 神戸又新日報 1928/10/7
「鮮人の密航/対州からが多い」 福岡日日 1928/10/12
「賄夫に化けて/一鮮人が密航」 大阪毎日 1928/10/12
「怪しい密輸二鮮人波浦海岸に上陸/逃走せんとして捕はる/何か目的があるか(遠賀郡岡垣村)」 九州日報 1928/10/19
「支那人の密航を企つ/発動汽船で準備中を/釜山水上署で検挙」 京城日報 1928/10/25
「密航を種に/詐欺を働く」 大阪朝日 1928/11/28
「密航料三百円/支那人から捲上げる」 京城日報 1928/11/29
「長崎県(対馬)対州にて密航鮮人/五名発見さる」 福岡日日 1929/1/25
「石炭庫内に密航鮮人/横浜から大阪へ」 大阪毎日 1929/1/29
「密航支那人失敗して送還/草梁からぬけ出し福岡で上陸禁止」 京城日報 1929/1/30
「怪朝鮮少年/密航成功を申立つ(門司)」 門司新報 1929/3/20
「密航して内地見物」 京城日報 1929/3/27
「二十余名の密航鮮人/西唐津で発見」 福岡日日 1929/4/10
「内地に密航し/送り還さる」 大阪朝日 1929/4/11
「内地密航を企つ」 大阪朝日 1929/4/11
「旱害農民の/生血を吸ふ/内地密航の悪周旋業者」 大阪朝日 1929/5/2

55:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/04 00:19:07.14 anvzV1Jcw
「朝鮮人四十名山口県へ密航/上陸し捕はる」 大阪朝日 1929/5/2
「内地へ密航/張本人捕る」 京城日報 1929/5/3
「<全羅南道>命懸けの内地密航/無人島に集り帆船で」 京城日報 1929/5/10
「五十余名内地へ密航/仮泊中捕る」 京城日報 1929/5/13
「鮮人二十六名内地密航/西戸崎を徘徊(粕屋郡志賀島村)」 門司新報 1929/5/14
「内地密航者/卅名送還さる」 大阪朝日 1929/5/17
「釜山から密航した挙動不審の二鮮人、きのふ長城丸で水上署員に発見/同署で引続き取調中」 神戸新聞 1929/5/28
「密航者と/誤られて/福岡県から釜山へ送還さる」 大阪朝日 1929/5/28
「内地官憲と/協力し/朝鮮人の密航を極力ふせぐ」 大阪朝日 1929/6/4
「鮮人密航者/十五名上陸/糸島海岸に(糸島郡北崎村)」 九州日報 1929/6/25
「姪浜海岸に密航鮮人/十八名上る」 福岡日日 1929/6/29
「密航専門の怪発動汽船/船長等遂に捕はる」 京城日報 1929/7/8
「石炭庫の中の密航者二名/新舞鶴で検挙(島谷汽船大成丸で木浦から敦賀へ密航企図)」 大阪朝日 1929/7/11
「朝鮮人四十二名が/夜陰密かに上陸/奈古村に潜航して/萩署員に捕はる」 大阪毎日 1929/7/20
「密航鮮人廿五名山林に潜伏中を取押へらる(遠賀郡島郷村)」 福岡日日 1929/8/4
「鮮人廿五名の密航団押へらる/妙齢の婦人や社会主義青年/遠賀郡下の海岸で(遠賀郡島郷村)」 九州日報 1929/8/5
「密航鮮人十四五名捕はる/姪浜海岸で」 九州日報 1929/8/12
「鮮人十三名密航して捕はる」 福岡日日 1929/8/12
「馳走させて/鮮人を密航さす」 大阪毎日 1929/8/23
「密航者一杯喰ふ」 京城日報 1929/8/31
「密航を/企てた一味/十余名検挙」 大阪朝日 1929/8/31
「内地に密航鮮人検挙」 大阪毎日 1929/8/31
「内地密航の/帆船が/時化に遭ひ/全部救はる」 大阪朝日 1929/9/12
「鮮人多数溺死か/内地への密航中遭難す(対馬比田勝沖)」 大阪毎日 1929/9/13

56:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/04 00:26:14.57 anvzV1Jcw
「遭難の/密航者/送り還さる」 大阪朝日 1929/9/14
「密航鮮人(神戸へ送還)」 大阪毎日 1929/9/28
「密航常習者/出発間際に逮捕」 京城日報 1929/10/5
「内地密航に/飛行機/利用せんとして取押へらる」 大阪朝日 1929/10/24
「強ひて罪人にして鮮人少年を保護さす/複雑な家庭の事情から死出の旅の密航哀話」 大阪朝日 1929/11/21
「密航鮮人少年/船で使ってくれと哀願す」 大阪毎日 1929/11/21
「鮮人労働者が失業の際、密かに潜り込む鮮人が多い/殊に葺合方面に多いため、発見次第続々本籍地へ送り返す」 神戸新聞 1929/12/7
「密航鮮人十数名取押へらる(門司市)」 福岡日日 1929/12/25
「密航上陸の十三鮮人/それゞゝに斡旋(門司)」 門司新報 1929/12/26
「密航鮮人十九名西戸崎に上陸し寒さにふるふ(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1929/12/27
「関釜連絡船で怪しい鮮人/密航を企て逮捕さる」 大阪毎日 1929/12/29
「寒風にふるえて鮮人の密航団/叉もブローカーに騙される/発動船で玄海横断(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1930/1/7
「内地渡航を望む鮮人を食物にする不正船員/叉も密航団十二名下関に現る/怪発動船の行方を厳重捜索」 福岡日日 1930/1/8
「密航卅八名逆戻り」 京城日報 1930/1/9
「密航船の行方捜査」 京城日報 1930/1/10
「卅二名の密航団送還」 京城日報 1930/1/11
「二鮮人の密航」 門司新報 1930/1/12
「西戸崎に密航鮮人/子供を混つて十数名」 九州日報 1930/2/13
「密航鮮人団十三名を発見(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1930/2/13
「密航鮮人八十八名を逮捕/遠賀郡岡垣村に上陸/炭坑方面に潜入(遠賀郡水巻村)」 福岡日日 1930/3/5
「鮮人十九名密航を企て/高松炭坑に潜伏中捕はる/生活苦脱出の企て」 大阪毎日 1930/3/5
「又も鮮人密航/けさ、西公園へ三名」 九州日報 1930/3/19
「多数の密航鮮人/西公園付近から上陸し三十名は検挙さる」 福岡日日 1930/3/19
「又も西戸崎鮮人密航(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1930/3/24

57:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/04 00:33:05.83 anvzV1Jcw
「姪浜にも密航鮮人(早良郡姪浜町)」 福岡日日 1930/3/24
「密航超特作/マストの先端に隠る」 京城日報 1930/5/2
「命がけの密航/関釜連絡船の数十尺の/マストによぢ登り」 大阪朝日 1930/5/2
「<慶尚南道>生血を吸ふ悪ブローカー/内地密航を種にして近く大々的検挙する」 京城日報 1930/5/3
「二十八名を密航させて/手数料を取った/三名遂に捕る」 大阪朝日 1930/5/3
「雑魚寝の密航鮮人/六名門司老松公園に」 九州日報 1930/5/4
「鮮人九名密航/発動機船に便乗」 門司新報 1930/5/14
「密航支那人送還(朝鮮の草梁海岸から門司に上陸)」 京城日報 1930/5/20
「密航朝鮮人を/船中で脅迫/所持金を全部巻上ぐ/海賊動揺の密航ブローカー」 大阪朝日 1930/5/21
「潜航、密航斡旋の首犯原田捕はる/一味の蛭子丸船員も悉く検挙さる」 大阪毎日 1930/5/22
「密航鮮人発見」 門司新報 1930/6/5
「密航を企て/大時化に逢ふ」 大阪朝日 1930/6/17
「密航鮮人泣く/飲まず食はずに」 福岡日日 1930/8/25
「密航労働者を/脅迫の船長らに/それぞれ懲役を求刑」 大阪朝日 1930/10/16
「密航の鮮人/七尾で保護さる」 北國 1930/11/19
「朝鮮人四十三名/内地密航を企つ/漁業会社の船員と詐称/下関入港発見さる」 大阪朝日 1931/2/27
「四十二名の鮮人密航団/鮮魚運搬船へ潜伏/下関署に発見さる(川尻町で漁業従業のため雇入れて来たものと訂正あり、三月一日付け記事)」 中国 1931/2/27
「四十三名の鮮人密航/下関入港の機帆船にて」 門司新報 1931/2/27
「男女三十九名が/密航詐欺にかかる/犯人は姿を晦ます」 大阪朝日 1931/3/12
「欺かれた鮮人密航団/四日間玄界灘を漂流し厳原で置き去らる」 大阪朝日 1931/3/19
「石炭庫にかくれていた/密航者発見さる/怪しいトランクを所持」 中国 1931/3/25
「丗名の密航者又朝鮮から/花見酒宴中の騒ぎ(糸島郡北崎村)」 福岡日日 1931/3/31
「四十二名の鮮人密航/中には甘い道行きもある」 門司新報 1931/4/1
「密航の朝鮮女に鮮人土工連が暴行/説得する親方等を負傷さす/女房にすると頑張て」 福岡日日 1931/4/10

58:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/04 00:38:01.63 anvzV1Jcw
「朝鮮人の密航団/一人あたり十五円の料金で/三十二人山口県へ」 中国 1931/4/30
「密航朝鮮人」 大阪毎日 1931/4/30
「密航鮮人四十名の上陸」 門司新報 1931/5/10
「丗六名の密航鮮人糸島の北崎海岸に上陸/前原署で取調の上送還(糸島郡北崎村)」 福岡日日 1931/5/17
「密航の二鮮人」 大阪朝日 1931/5/27
「密航発見さる」 大阪毎日 1931/5/27
「下関署で/密航鮮人/厳重取締る」 大阪朝日 1931/6/13
「朝鮮を本拠に密航の周旋/不正の戸籍謄本を所持した男の口から暴露す」 神戸新聞 1931/6/22
「全鮮に網を張る密航の大周旋団/内地居住朝鮮人の謄本を盗用/本拠を仁川に置く」 大阪朝日 1931/6/22
「西戸崎に密航鮮人(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1931/6/24
「密航朝鮮人領事館へ自首(在神戸)」 大阪朝日 1931/7/4
「密航鮮人二十三名発見さる(早良郡藤島村)」 福岡日日 1931/7/7
「廿八名の鮮人若松に密航(若松市)」 福岡日日 1931/8/17
「夫恋ひしさに鮮人密航(糸島郡北崎村)」 九州日報 1931/8/18
「鮮人の密航」 福岡日日 1931/8/20
「朝鮮人の密航/十余名が呼子に上陸」 大阪毎日 1931/8/23
「密航朝鮮人来る?/相ノ浦署活動」 大阪毎日 1931/10/28
「三日不飲不食の密航二人鮮人(門司)」 門司新報 1931/11/22
「朝鮮人二十三名密航/糸島へ上陸(糸島郡芥屋村)」 九州日報 1931/12/4
「鮮人内地密航団/釜山に送還さる」 大阪朝日 1932/3/3
「内地密航団/釜山で検挙」 大阪朝日 1932/3/13
「萩に上った密航鮮人団/一部だけは捕はる」 大阪毎日 1932/3/18
「五十余名の密航鮮人/北崎と志賀島に」 福岡日日 1932/3/29
「朝鮮から十四名発動船で密航/小倉海岸に上陸す(門司)」 門司新報 1932/3/30
「小型発動機船で/朝鮮人の密航/半死半生で玄関を乗越ゆ/十四名の内四名逮捕」 大阪毎日 1932/3/30

59:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/04 00:43:43.06 anvzV1Jcw
「神天丸に密航者(大阪摂津汽船)」 大阪朝日 1932/4/2
「密航鮮人二十五名小戸海岸に上陸/九名は行方不明」 福岡日日 1932/4/3
「朝鮮人八名/機船で密航/戸畑で捕はる」 大阪毎日 1932/4/3
「又も廿二名の鮮人密航団(門司市)」 福岡日日 1932/4/8
「最近激増した/朝鮮人の密航」 大阪毎日 1932/4/8
「鮮人密航者十五名/門司駅で捕はる(門司)」 門司新報 1932/4/9
「廿四名の密航鮮人/又も門司で発見」 大阪毎日 1932/4/9
「発動船による/内地への密航/最近またも増加す」 大阪朝日 1932/4/12
「朝鮮人密航者/左傾分子/若松水上署で/派出所を新設」 大阪毎日 1932/4/13
「頓に劇増した鮮人の内地密航/一月以降千名に上らん」 門司新報 1932/4/14
「不穏文書を携えた鮮人三名逮捕/密航団の一味」 大阪毎日 1932/4/21
「朝鮮人の/内地密航/絶滅計画」 大阪朝日 1932/4/26
「又も戸畑に鮮人の密航/内三名を門司水上署で逮捕(門司)」 門司新報 1932/4/26
「「内地は景気」の口車に乗り/激増する団体密航鮮人/八幡に連絡ある下宿屋?」 大阪毎日 1932/4/26
「三郡十四ヶ所で/密航朝鮮人見張/県の海上思想取締」 大阪毎日 1932/4/26
「最近非常に多い鮮人の内地密航/発見護送された者の外潜入した者もかなり多数(門司市)」 福岡日日 1932/5/13
「発動船で密航の鮮人十九名/門司市大久保に上陸(門司)」 門司新報 1932/5/13
「取締上厄介千万な朝鮮人の内地密航/内鮮協力して研究/池田総督府警務局長語る」 福岡日日 1932/5/14
「増加の傾向ある密航鮮人の警戒/悪ブローカーを撲滅し/沿岸の見張を厳重に」 大阪毎日 1932/5/14
「密航鮮人四十名/豊浦郡へ上陸」 門司新報 1932/5/15
「四十名の密航鮮人」 福岡日日 1932/5/16
「またも密航鮮人/不逞の徒の潜入を警戒し福岡県警察部大緊張(糸島郡福吉村)」 福岡日日 1932/5/25
「八十五名の密航鮮人/門司水陸両署大活動開始(門司)」 門司新報 1932/5/25
「大仕掛の/密航ブローカー/釜山で検挙される」 大阪朝日 1932/5/28

60:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/05 20:33:46.11 zB2t+XZy4
「密航鮮人に/神経を尖らす/今年になって既に二百名/各署ともに大弱り」 大阪毎日 1932/5/28
「密航鮮人大検挙/昨朝下関両署が」 門司新報 1932/6/3
「又も密航鮮人十一名神ノ湊海岸に上陸 東郷署に連行取調べ 首謀者二名も逮捕(宗像郡神湊町)」 福岡日日 1932/6/4
「五人連の鮮人/丗余名の密航一味と判る(門司市)」 福岡日日 1932/6/5
「また下関へ鮮人密航/一部は逃走す」 門司新報 1932/6/11
「不穏文書を持った密航鮮人/新韓会幹部からの重要指令/下関署色めく(山口県川中村)」 九州日報 1932/6/12
「密航の検挙から鮮人の陰謀暴露/朝鮮独立運動の不穏文書現れ/下関署異常な緊張」 門司新報 1932/6/12
「又々九名の密航鮮人(糸島郡野北村)」 福岡日日 1932/6/14
「密航鮮人の総元締を検挙/全鮮の細胞組織暴露」 大阪毎日 1932/8/2
「密航団三十余名/釜山で検挙/ブローカー二名も取押へ」 大阪朝日 1932/8/7
「鮮人密航団又も姿を現はす/昨日門司日野海岸に(門司)」 九州日報 1932/8/30
「鮮人の密航者/時節柄門水署大活動(門司)」 門司新報 1932/8/30
「「赤手」防御の陣/但馬海岸を警戒/朝鮮方面の密航者に備ふ/警官十名を増派し」 大阪朝日 1932/10/16
「下関方面に続々鮮人密航す/陸軍大演習を前に/愈よ警戒を固む」 福岡日日 1932/11/1
「大演習を機に鮮人不穏計画/発動機船で密航下関署に挙らる」 九州日報 1932/11/5
「密航鮮人取押表彰(宗像郡津屋崎町)」 福岡日日 1932/11/13
「労働者の/内地密航/を企て一味検挙さる」 大阪朝日 1933/1/20
「証明書を偽造/鮮人の密航」 門司新報 1933/2/3
「大規模な内地密航/釜山で捕はる」 大阪毎日 1933/2/5
「密航鮮人三名発見送還さる/他の一味を捜査中」 福岡日日 1933/2/10
「密航鮮人の方割れ捕はる/門司水上署員に(門司)」 門司新報 1933/2/10
「十六名の密航鮮人/五名発見送還される(糸島郡加布里村)」 福岡日日 1933/2/21
「密航朝鮮人」 大阪毎日 1933/3/4
「神ノ湊に密航鮮人/十九名上陸(宗像郡神湊町)」 福岡日日 1933/3/16

61:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/05 20:38:02.63 zB2t+XZy4
「夜雨を衝いて密航鮮人/大捕物の幕」 福岡日日 1933/3/28
「密航鮮人三十名/又も糸島へ上陸(糸島郡加布里村)」 福岡日日 1933/3/29
「密航鮮人送還(糸島郡前原町)」 九州日報 1933/3/30
「密航鮮人丗名/上陸させて逃げる/怪発動船の所在を捜査」 大阪毎日 1933/3/31
「密航者満載の/怪船捕はる/僅か十五トンの小舟に/密航者六十六名潜伏(福岡へ)」 大阪朝日 1933/4/5
「密航を企て難破す」 大阪毎日 1933/4/9
「警戒網を潜る密航鮮人/門司水上署手配(門司市)」 福岡日日 1933/4/10
「密航鮮人逮捕」 福岡日日 1933/4/12
「子供も交つて十三名が密航/下関署に一網打尽」 門司新報 1933/4/13
「密航朝鮮人九名を発見/宇部署の調査」 大阪毎日 1933/4/14
「朝鮮人の密航周旋/二人共謀して手数料をとる」 大阪毎日 1933/4/17
「鮮人三名が袋叩き/宇部署に挙げらる」 九州日報 1933/4/17
「二鮮人密航」 大阪毎日 1933/4/17
「下関にも密航鮮人現はる(山口県川中村)」 九州日報 1933/4/22
「またも鮮人の密航/糸島海岸に上陸(糸島郡芥屋村)」 九州日報 1933/4/22
「密航鮮人(糸島郡芥屋村)」 福岡日日 1933/4/22
「鮮人賊逮捕(嘉穂郡穂波村)」 福岡日日 1933/4/22
「八名の密航/釜山で逮捕」 大阪毎日 1933/4/30
「密航鮮人十二名」 福岡日日 1933/4/30
「密航鮮人/十一名中一名逮捕」 福岡日日 1933/5/10
「廿三名の密航鮮人逮捕」 福岡日日 1933/5/13
「またも密航鮮人/けさ西戸崎にて十五名取押へらる(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1933/5/24
「珍しい求人/密航鮮人引張り凧」 大阪毎日 1933/5/27
「又復密航鮮人」 福岡日日 1933/5/31

62:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/05 20:41:24.34 zB2t+XZy4
「鮮人三名密航」 大阪毎日 1933/5/31
「またも密航鮮人(若松市)」 福岡日日 1933/6/7
「密航鮮人捜査」 大阪毎日 1933/6/8
「四十余名の大密航/釜山で検挙」 大阪毎日 1933/6/10
「密航鮮人四名/吉隈坑で逮捕」 大阪毎日 1933/6/11
「密航鮮人卅余名/十日間玄海を漂流/三名門司駅で取押へ」 大阪毎日 1933/6/25
「鮮人卅七名密航/鐘崎海岸へ上陸/うち卅二名を逮捕」 大阪毎日 1933/6/25
「鮮人十七名またも密航」 福岡日日 1933/7/11
「鮮人の密航」 門司新報 1933/7/12
「六百円を盗んで靴の下にかくして密航」 福岡日日 1933/7/16
「三十名の朝鮮人密航/呼子署で検挙/博丸で又朝鮮へ送還」 大阪毎日 1933/8/23
「密航ブローカー二名検挙さる」 大阪毎日 1933/8/27
「赤の密航、新潟港で監視」 社会運動通信 1933/9/16
「十数名の鮮人密航」 福岡日日 1933/10/4
「下関に密航鮮人」 門司新報 1933/11/2
「釜山から釜山へ/喜劇“内地密航”/一人十五円宛絞られ/馬鹿を見た十一名」 大阪毎日 1933/11/24
「密航団三十一名/ブローカー四名も検挙」 大阪朝日 1933/11/28
「密航鮮人をつんだ怪発動機船(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1933/12/7
「炭坑景気を慕ひ/鮮人密航最近相つぐ(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1933/12/22
「又も密航鮮人」 福岡日日 1933/12/30
「集団密航の朝鮮人/伊万里で二組廿数名取押えらる/背後に密航周旋屋」 大阪毎日 1934/1/8
「 「景気」に釣られた鮮人五十名/密航して捕はれすぐさま送還(宗像郡岬村)」 福岡日日 1934/1/16
「密航鮮人二組取押ゆ」 大阪毎日 1934/1/16
「密航鮮人の上陸を厳重監視/前原署の取締(糸島郡芥屋村)」 福岡日日 1934/1/19

63:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/05 20:47:55.63 zB2t+XZy4
「三十名中の密航鮮人六名/門司で検挙」 福岡日日 1934/1/26
「朝鮮人密航/十七名が仙崎に上陸」 大阪毎日 1934/2/25
「鮮人の密航/二十二名補る」 九州日報 1934/3/3
「朝鮮人の密航者/各方面へ潜入/済州島で手数料をとり斡旋/中の四名は検挙さる(岩白石粉工場)」 芸備日日 1934/3/4
「密航珍風景/門司に辿りついた七勇士?」 大阪毎日 1934/3/4
「密航鮮人三名/木ノ江町で発見された(岩白石粉工場)」 中国 1934/3/4
「欺かれた密航鮮人/七名門司で取押」 大阪毎日 1934/3/4
「朝鮮人が密航/西戸崎上陸」 大阪毎日 1934/3/13
「十円廿円で鮮人に密航周旋/主魁下関署に捕はる」 門司新報 1934/3/20
「糸島今津海岸に密航鮮人八名(糸島郡今津村)」 福岡日日 1934/3/21
「警官も舌を巻いた/新手の密航法/ナンセンス偽狂人」 大阪毎日 1934/3/22
「密航の青年、朝鮮から二名」 大阪朝日 1934/3/31
「唐津に上陸の朝鮮人密航者/一団廿九名捕はる/妙齢の婦人も交る」 大阪毎日 1934/3/31
「六十名の密航団/渡航料一人四円づゝ徴収して出帆の間際検挙さる」 大阪毎日 1934/4/1
「丗余名の鮮人が密航/下関で検挙」 門司新報 1934/4/10
「宇部に密航鮮人」 九州日報 1934/4/18
「間一髪/取押へた密航者百名/赤崎半島から内地へ」 大阪朝日 1934/4/18
「またも下関へ鮮人が密航す」 門司新報 1934/4/18
「密航首謀者/海中に姿を晦す/寸前警官隊に追はれ/密航料を握ったまま」 大阪朝日 1934/4/20
「密航ブローカー/検挙が端緒に/釜山署警官不正事件」 大阪朝日 1934/5/10
「一人十円で朝鮮人の密航/下関に上陸して発見」 門司新報 1934/5/13
「密航鮮人か/阿品海岸へ発動船/十数名夜陰に上陸」 中国 1934/5/16
「朝鮮の大密航団/広島県特高課と加計署が/検挙に大活動を開始(下山発電所の間組飯場)」 中国 1934/5/18
「五十名の密航者/発見され逃走」 大阪毎日 1934/5/24

64:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/05 20:51:35.46 zB2t+XZy4
「またも鮮人が下関に密航」 門司新報 1934/5/24
「下関市外に鮮人の密航頻々/六十余名を検挙」 福岡日日 1934/6/2
「五十余名の密航鮮人/大胆白昼上陸/夜間も十三名検挙」 大阪毎日 1934/6/2
「一人十円で密航の斡旋/門司で主魁御用(門司)」 門司新報 1934/6/7
「門司大久保海岸へ/朝鮮人の密航船/半死半生の六名を/上陸させて姿を晦ます」 大阪毎日 1934/6/7
「着流しの朝鮮人/何と堂々と密航/気狂ひを装ふ手もある/“釜山ケ関”の富樫も顔負け」 大阪毎日 1934/6/21
「密航の朝鮮人」 大阪毎日 1934/6/22
「五十名の密航団/部落民の応援で遂に逮捕」 大阪朝日 1934/6/26
「密航者を世話し航海中に巻上ぐ/恐ろしいブローカー逮捕さる」 大阪毎日 1934/6/27
「六十余名の/密航団捕る/漕ぎ寄せた密航船長/ブローカーら四名も」 大阪朝日 1934/6/30
「密航ブローカー/またも検挙」 大阪朝日 1934/7/5
「内地人に化け鮮人が密航」 門司新報 1934/7/10
「密航鮮人六名検挙さる(門司市)」 福岡日日 1934/7/30
「密航の鮮人四十名上陸/広島方面に潜入の形跡/門司では二人を逮捕(門司)」 門司新報 1934/7/30
「二十五名の密航鮮人団/内七名捕はる」 大阪毎日 1934/7/30
「密航鮮人上陸」 門司新報 1934/8/2
「密航者泣かせのブローカの一団/一味十名逮捕さる」 大阪毎日 1934/8/3
「密航鮮人三十名上陸」 門司新報 1934/8/21
「密航鮮人検挙」 大阪毎日 1934/8/21
「密航鮮人発見」 門司新報 1934/8/26
「臭ひ密航(門司)」 門司新報 1934/8/26
「八幡へ密航鮮人(八幡)」 門司新報 1934/8/30
「門司和布刈へ鮮人が密航/門司署憲兵隊で十九名逮捕/逃亡者目下捜査中(門司)」 門司新報 1934/9/2
「密航朝鮮人十九名/門司署に捕はる/このほか廿名は逃走」 大阪毎日 1934/9/2

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22/09/06 01:41:45.67 osyEsnF5x
「密航者送還(下関の彦島より)」 大阪朝日 1934/9/28
「慰問金を割き密航料を払ふ/下関で発見された三十二名連絡船で送還さる」 大阪毎日 1934/9/28
「密航の阻止にブローカー掃蕩/水害罹災者を口車に乗せて絞り取る奸策」 大阪毎日 1934/10/7
「密航ブローカー/大征伐に着手/跋扈いよいよ甚だし」 大阪朝日 1934/10/20
「卅余名密航談/またも捕る」 大阪朝日 1934/10/24
「月明の海上で密航船捕り物陣/三十余名を逮捕」 大阪毎日 1934/10/25
「鮮人の密航/志賀島に二十九名上陸(粕屋郡志賀島村)」 九州日報 1934/11/2
「残りの三名も逮捕/密航の朝鮮人」 大阪毎日 1934/11/18
「密航船転覆し三十余名溺死/三トンの帆船に六十余名/玄界灘闇夜の風浪で」 大阪朝日 1934/11/21
「密航の朝鮮人三十余名溺死/遭難曳船中に沈没」 大阪毎日 1934/11/21
「憧れの内地へ、が生む密航の悲劇/玄海を越える月百名の潜航者/頭を悩ます取締当局」 大阪毎日 1934/11/22
「広島市を中心に鮮人大量の密航/県特高課、俄然動き/昨夜首魁ら一斉検挙」 芸備日日 1934/11/29
「無知を利用し/種々な奸策/阻止する当局の眼を逃れて/鮮人密航事件余聞」 芸備日日 1934/11/29
「朝鮮からの密航者/首魁等百八十名検挙/県特高東西両署特高課/昨夜から今暁への大捕物」 呉日日 1934/11/29
「首魁遂に捕る/多数を内地に密航させた大掛り鮮人密航団」 神戸又新日報 1934/11/29
「県下に上陸した/多数の密航朝鮮人/下関で借りた発動機船に/百五十名乗せて玖波港へ(大竹海岸埋立工事や可部鉄道工事場)」 大阪朝日 1934/11/29
「鮮人密航団へ/一斉に大手入れ/広島県警察部が/県下各警察署を督励(大竹海岸埋立工事や可部鉄道工事場)」 中国 1934/11/29
「汽船を傭ひ切って/鮮人の大密航/金を巻きあげ素裸かにし/トラックで工事場へ売る」 中国日報 1934/11/29
「重池町一帯の鮮人に立退を命ず(林田)」 神戸又新日報 1934/11/29
「鮮人を密航させ濡手に粟の儲け/六名が共謀して広島に多数潜入さす」 福岡日日 1934/11/29
「二百名の大量密航/広島県へ鮮人が潜入」 門司新報 1934/11/29
「広島県下密航鮮人/引続き検挙/今後徹底的取締り」 芸備日日 1934/11/30
「密航者の取調/各飯場を捜査(可部線)」 大阪朝日 1934/11/30
「本県にも張る/密航警戒網/先づ漁業組合と連絡」 大阪朝日 1934/11/30

66:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/06 01:44:44.50 osyEsnF5x
「海上にも怖い目/内地密航者を徹底的に取締る/警察網も大に拡充」 大阪毎日 1934/11/30
「全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に」 中国 1934/11/30
「見張が厳重で/密航者広島へ転向/福岡山口両県へ見切りをつけて/県当局密航防止に大童は」 呉日日 1934/12/1
「密航鮮人の第二次検挙/更に十三名を発見/可部署は満員すし詰(可部線)」 芸備日日 1934/12/2
「またまた密航鮮人/十四名を検挙/安佐郡飯室付近で/なほ数十名もゐる(可部線)」 中国 1934/12/2
「密航鮮人五十数名を/第一次に送還/警官十数名を乗り込ませ/七日に広島港出帆」 中国 1934/12/4
「密航鮮人の/第二次検挙/更に十三名を発見(可部線工事場)」 中国日報 1934/12/4
「モダーン留置場/いよいよ店開き/最初のお客さんは密航鮮人(可部線)」 芸備日日 1934/12/5
「慌てちゃいけない/便器で洗面/モダン留置場に入れられ/大喜びの密航朝鮮人(可部線)」 大阪朝日 1934/12/5
「県庁留置場へ/いと賑々しく初のお客様/例の鮮人密航団」 中国 1934/12/5
「密航鮮人五十名/先づ故国へ送還/更に全面的に検挙」 中国日報 1934/12/5
「門司雨ヶ窪へ密航鮮人上陸/何れも悪船頭に欺されて(門司)」 門司新報 1934/12/5
「密航上陸の朝鮮人/廿三名捕まる/関釜連絡船で逆戻り」 大阪毎日 1934/12/5
「密航朝鮮人道路工事に従事/九名を捕う」 大阪毎日 1934/12/5
「密航者送還」 大阪朝日 1934/12/7
「とてもものものしい/密航鮮人の送還/警護の警察官へは/拳銃も携帯さして」 中国 1934/12/7
「帰りは大っぴらに/ピストル警官隊に護られて/密航鮮人団の送還」 中国 1934/12/8
「物々しく警戒/密航鮮人送還/拳銃も携帯さして/船内の暴動化をも」 中国日報 1934/12/8
「内地密航送還さる/高興の五十七名」 大阪毎日 1934/12/11
「鮮人四十名密航/若松に上陸」 九州日報 1934/12/12
「若松築港へ密航鮮人(若松)」 門司新報 1934/12/12
「下関市外へ密航鮮人」 門司新報 1934/12/13
「密航鮮人」 大阪毎日 1934/12/14
「二度目の密航/香川県の発動船」 大阪朝日 1934/12/16

67:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/06 01:48:18.97 osyEsnF5x
「密航鮮人下関市外へ上陸」 門司新報 1934/12/19
「四十四名の鮮人密航(小倉市)」 福岡日日 1934/12/27
「密航朝鮮人三名/きのふ小倉署で発見」 大阪毎日 1935/1/10
「貨物船に隠れて/朝鮮青年の密航/吉浦に入港検閲中に発見/身柄を大阪税関に」 中国日報 1935/1/19
「今津海岸に密航鮮人(糸島郡今津村)」 福岡日日 1935/2/14
「密航鮮人捕る/頻りに暗躍」 神戸新聞 1935/2/16
「密航鮮人逮捕」 大阪毎日 1935/2/23
「又も密航/ブローカー捕る」 大阪毎日 1935/2/28
「鮮人又も密航」 福岡日日 1935/3/1
「密航鮮人西公園下に上陸」 福岡日日 1935/3/6
「密航鮮人/三田尻署へ」 中国 1935/3/10
「密航鮮人に/光る鋭い眼/思想的黒幕あるか」 中国日報 1935/3/11
「六年間に密航周旋で卅万円捲あぐ/一味は内鮮人卅余名/宇部署が検挙各地に手配す」 大阪毎日 1935/3/19
「発動機船満載の/密航団捕はる/釜山水陸両署の活動」 大阪朝日 1935/3/20
「またまた大懸りな/密航鮮人募集計画/検挙に大活動開始」 中国 1935/3/24
「又も密航鮮人」 福岡日日 1935/3/24
「密航鮮人五名/門司署に捕る」 大阪毎日 1935/3/24
「密航の土方(帝国人絹三原工場建設)」 中国 1935/3/25
「大規模な鮮民の/団体密航計画暴露/危機一髪宇品署に検挙さる」 芸備日日 1935/3/27
「大規模な鮮民の/団体密航計画暴露/危機一髪宇品署に検挙さる/驚くべきその全貌」 中国日報 1935/3/28
「性懲りなき密航鮮人」 福岡日日 1935/3/28
「密航鮮人乗せ/吉栄丸座礁す/若松署が山狩りまで行い/逃亡鮮人十八名捕ふ」 大阪毎日 1935/3/28
「三日間一食もせず/密航鮮人丗名芦屋で捕はる(遠賀郡芦屋町)」 福岡日日 1935/3/29
「悪ブローカーを厳重に監視/当局の密航者取締」 大阪毎日 1935/4/14

68:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/06 01:58:29.01 osyEsnF5x
「密航朝鮮人を常習的に運搬/第六感のお手柄」 大阪毎日 1935/4/17
「姪浜小戸海岸に密航鮮人上陸」 福岡日日 1935/4/21
「密航鮮人」 中国 1935/4/22
「海のギャング/十四名を密航させる途中短刀を揮ひ裸にす」 大阪朝日 1935/5/1
「密航朝鮮人検挙」 大阪毎日 1935/5/10
「出帆後気づく密航者の取締り/警備船新造を申請」 大阪毎日 1935/6/7
「警察の名で偽電/鮮人が密航企つ(林田)」 大阪毎日 1935/6/13
「鮮人の密航/門司を徘徊(門司)」 九州日報 1935/6/17
「密航鮮人捕る」 大阪毎日 1935/7/9
「映画もどきで密航者を逮捕/豪勢な主謀者」 大阪毎日 1935/7/11
「六銭で密航」 大阪毎日 1935/7/21
「糸島海岸に密航鮮人(糸島郡北崎村)」 福岡日日 1935/8/6
「またゝゝ密航鮮人/ 釜山署から門水署へ手配(門司市)」 福岡日日 1935/8/15
「密航鮮人送還さる」 大阪毎日 1935/8/15
「他人の戸籍謄本を用ゐて密航/鮮人渡来の裏面に怪しい事情の者が多い」 福岡日日 1935/8/24
「廿名の密航鮮人/釜山の密航団本部から九州へ 時節柄重大視さる(門司)」 九州日報 1935/9/7
「密航鮮人四十数名/下水署に捕はる」 門司新報 1935/10/20
「密航鮮人四十三名/一斉に逮捕(山口県川中村)」 九州日報 1935/10/21
「密航鮮人四十余名捕はる」 大阪毎日 1935/10/21
「密航鮮人五十名」 福岡日日 1935/10/22
「鮮人の密航」 九州日報 1935/11/5
「「妻が見たい」/哀号・哀号/密航男還さる」 大阪朝日 1935/12/7
「女房恋しさに密航/貨物船に潜伏中発見」 中国 1935/12/7
「密航朝鮮人/宇品署の取調べで/大胆な組織判明」 大阪朝日 1936/1/23

69:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/06 02:04:52.09 osyEsnF5x
「鮮人密航団発覚/ブローカーが全鮮に散在/宇品署が手配活動」 中国 1936/1/23
「鮮人の内地密航/又増加の傾向/ブローカーの手で至極巧妙/一名宇品署員に捕る」 呉日日 1936/1/24
「両県下に潜在する/鮮人の大密航団/陰に踊るブローカーの魔手/宇品署活動を開始」 中国日報 1936/1/24
「大掛りの密航鮮人/広島県下で発覚」 福岡日日 1936/1/24
「小倉に密航鮮人」 九州日報 1936/3/4
「密航鮮人/門司で五名逮捕(門司)」 九州日報 1936/3/9
「密航鮮人捕る/大里松原海岸で/七名逮捕十三名逃亡(門司)」 門司新報 1936/3/9
「大掛りの鮮人密航/約八十名が上陸四十八名を門司署で補ふ(門司)」 九州日報 1936/3/15
「四十七名の密航鮮人門司で捕はる」 福岡日日 1936/3/15
「厳戒を潜り大挙密航鮮人/和布刈に七十名上陸(門司)」 門司新報 1936/3/15
「密航鮮人と判る」 福岡日日 1936/3/20
「密航鮮人十七名検挙/十八日日田署が(夜明村で鉄道工事に従事)」 大阪毎日 1936/3/20
「密航朝鮮少年/水上署に保護」 神戸新聞 1936/3/26
「女学生に化け/鮮人酌婦が密航/七日宇部署から送還」 大阪毎日 1936/4/8
「密航朝鮮人/若松で取押え」 大阪毎日 1936/4/11
「大久保海岸に密航鮮人/一名だけ捕る(門司)」 門司新報 1936/4/19
「又も密航鮮人」 福岡日日 1936/4/20
「密航者の水先案内/鮮人二名を京で取押ふ(東九条上殿田町、玄海灘の密航船に関与)」 京都日出 1936/4/22
「百余名の密航を企つ/発動船を借つて」 大阪毎日 1936/4/25
「密航鮮人二十七名」 福岡日日 1936/4/25
「密航鮮人丗名の内四名だけ捕はる/下関署で厳探開始」 門司新報 1936/4/28
「密航朝鮮人七名取押え」 大阪毎日 1936/4/29
「密航鮮人(門司市)」 福岡日日 1936/5/5
「密航鮮人丗名香椎に上陸/二名は門司で取押へらる(粕屋郡香椎村)」 福岡日日 1936/5/31

70:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/07 02:14:23.69 6CGKdYTyO
「釜山へ巧みに連絡/密航鮮人の媒介/発動機船の両船長が結託/一人十円乃至十五円で」 中国 1936/6/6
「鮮人密航船/海上で拿捕(門司)」 九州日報 1936/6/7
「無燈火発動船/果して密航鮮人積載/門司港内で拿捕さる(門司)」 門司新報 1936/6/7
「密航鮮人取締/関門両水署対策協議」 門司新報 1936/6/9
「密航朝鮮人の親玉」 大阪毎日 1936/6/9
「救命ボートに/潜んで密航/はるびん丸の怪青年」 大阪朝日 1936/6/14
「密航ブローカーは船員の留守宅荒し」 大阪毎日 1936/7/21
「密航者検挙」 大阪毎日 1936/7/30
「密航鮮人/軍用犬に取押えらる」 大阪毎日 1936/8/2
「密航の朝鮮人十七名を検挙」 大阪毎日 1936/8/2
「半島の密航少年/広島駅前で検挙/他にも数名県下へ潜入」 中国 1936/8/14
「数年間捜し廻つた密航ブローカー/隠れ家で逮捕さる」 大阪毎日 1936/9/13
「密航鮮人の一味数名/宇品署へ検挙/思想的背景も追及(錦華人絹工事場)」 中国 1936/9/18
「数年間に二千人世話し一万数千円を捲あぐ/十人の妾をもち住所を転々/密航ブローカーの巨頭、犯行自白」 大阪毎日 1936/9/26
「密航鮮人又も志賀島へ(糟屋郡志賀島村)」 福岡日日 1936/9/30
「密航朝鮮人/水上署に留置」 大阪毎日 1936/10/14
「密航ブローカーで二万数千円捲あぐ/釜山水上署が検挙」 大阪毎日 1936/10/23
「鮮人密航ブローカーの一味を捕ふ/思想犯人として手配中の者/宇品署警官に即賞」 芸備日日 1936/10/31
「朝鮮人密航の/首魁逮捕/宇品署の手柄」 中国 1936/10/31
「朝鮮から密航」 中国日報 1936/11/1
「徘徊中の密航鮮人」 門司新報 1936/12/5
「鮮人の密航周旋発覚」 九州日報 1936/12/18
「密航鮮人の親分/釜山で両名を逮捕」 大阪毎日 1936/12/20
「冷雨を衝いて鮮人六十名密航/彦島田ノ首海岸へ上陸」 門司新報 1936/12/23

71:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/07 02:17:19.86 6CGKdYTyO
「六十余命の密航朝鮮人/うち廿名検挙」 大阪毎日 1936/12/23
「半島人密航団/宇部に上陸か/下関港では二十名位いが上陸/目下厳重行方捜査中」 芸備日日 1936/12/24
「密航鮮人逮捕(若松)」 九州日報 1936/12/26
「密航鮮人十三名を検挙(若松市)」 福岡日日 1936/12/26
「密航鮮人(遠賀郡遠賀村)」 九州日報 1936/12/27
「下関市外海岸へ/多数の密航鮮人!/正月の手薄に乗じて混れ込み/十二名を逮捕、残る一味厳探」 中国 1937/1/5
「密航朝鮮人十三名取押へ」 大阪毎日 1937/1/5
「内地密航団八十名検挙/長崎県下で」 大阪毎日 1937/1/7
「七十余名の鮮人が密航」 福岡日日 1937/1/9
「密航鮮人の一名/広島で逮捕/盛り場徘徊中宇品署員に」 中国 1937/1/14
「密航ブローカー一味を検挙/前科数犯の強者のみ」 大阪毎日 1937/1/17
「門司に密航鮮人(門司)」 九州日報 1937/1/23
「大量の密航鮮人/和布刈天ヶ窪に上陸(門司)」 門司新報 1937/1/23
「密航を企つ/資産家の息子」 大阪毎日 1937/2/6
「四十五名の密航鮮人(宗像郡津屋崎村)」 福岡日日 1937/2/24
「数十名の鮮人を堂々と密航さす/宇部署に十数名引致して極秘裡に取調ぶ」 福岡日日 1937/2/24
「佐渡航許可証を偽造/密航鮮人に売る/森永巡査懲戒処分に付さる/佐賀県警察界の不祥事」 福岡日日 1937/2/28
「警官に応援の二人帰途袋叩きに逢ふ/彦島本村鮮人飯場の密航鮮人/下水署で厳重取調べ」 門司新報 1937/3/9
「鮮人密航船/門司に上陸(門司)」 九州日報 1937/3/11
「密航鮮人逮捕/田地を売つてきた農夫たち/田野浦海岸へ上陸(門司)」 門司新報 1937/3/11
「密航鮮人十五名」 大阪毎日 1937/3/11
「密航の半島人/広島で発見/炭鉱生活に耐えず九州から潜入」 中国 1937/3/12
「密航鮮人捕はる」 福岡日日 1937/3/18
「密航鮮人(若松市)」 福岡日日 1937/3/24

72:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/07 02:26:03.74 6CGKdYTyO
「密航者二名発見」 大阪毎日 1937/3/25
「密航鮮人(京都郡行橋町)」 九州日報 1937/3/26
「密航船検挙」 大阪毎日 1937/3/30
「深夜の若松へ密航鮮人群上陸/水陸より包囲されその儘逃走(若松)」 門司新報 1937/3/31
「密航鮮人相手の不良団(門司市)」 福岡日日 1937/4/6
「密航の癩病鮮人? 三十八名中二十名を検挙/十八名は上陸逃走(門司)」 門司新報 1937/4/6
「対馬に密航鮮人ブローカー(門司市)」 福岡日日 1937/4/7
「密航団検挙」 大阪毎日 1937/4/8
「山に逃込んだ密航鮮人/山狩りして引捕ふ(門司市)」 福岡日日 1937/4/21
「喜多久海岸に密航鮮人三十名/天然痘続発の折柄重大視/逃走者を厳重に捜索(門司)」 門司新報 1937/4/21
「鮮人密航(門司市)」 福岡日日 1937/4/22
「密航鮮人(小倉)」 九州日報 1937/5/1
「入学証を購入/新手密航鮮人」 門司新報 1937/5/12
「密航鮮人一網打尽」 福岡日日 1937/5/20
「二組の密航団/一味六十名検挙」 大阪毎日 1937/6/8
「密航(江波町埋立工事人夫)」 中国 1937/7/1
「六十名の密航鮮人/廿名は行方不明(宗像郡岬村)」 福岡日日 1937/8/31
「十八名の密航鮮人/東郷署と折尾署で取押へ(宗像郡岬村)」 福岡日日 1937/9/17
「密航鮮人博多湾へ/十一名捕はる(粕屋郡志賀島村)」 福岡日日 1937/11/2
「密航鮮人盗む」 福岡日日 1937/11/20

73:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/07 02:30:41.47 6CGKdYTyO
「大密航団検挙/ブローカー五名と外に六十六名」 大阪毎日 1937/12/18
「密航鮮人大量送還」 大阪毎日 1937/12/21
「四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入」 福岡日日 1938/1/30
「鮮人密航団/西戸崎に大挙上陸(粕屋郡志賀島村)」 九州日報 1938/2/17
「レプラ患者の密航鮮人団/奈多海岸より上陸(粕屋郡和白村)」 福岡日日 1938/2/17
「鮮人七十二名西戸崎に密航(粕屋郡志賀島村)」 九州日報 1938/3/3
「福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名」 福岡日日 1938/3/3
「また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕」 福岡日日 1938/3/3
「密航鮮人百七十/姪濱小戸海岸に上陸」 九州日報 1938/3/15
「密航者送還」 大阪毎日 1938/3/17
「密航ブローカー/一味五名を逮捕/風を食つて首魁逃走」 大阪毎日 1938/3/20
「密航団検挙/殺人の前科者ら/ブローカー七名を逮捕」 大阪毎日 1938/3/27
「密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)」 福岡日日 1938/3/29
「密航者に化け密航船を検挙/船上の大活劇」 大阪毎日 1938/4/3
「四十数名の密航鮮人(粕屋郡和田村)」 九州日報 1938/4/30
「密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)」 福岡日日 1938/5/2
「密航者送還」 大阪毎日 1938/5/14
「変装して乗込み/密航一味七十一名を逮捕/海中に飛入るものさへあつて/映画さながらの活劇」 大阪毎日 1938/5/18
「鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法」 神戸新聞 1938/5/21
「半島少年が密航」 大阪毎日 1938/5/21
「意外、密航船は行方不明中の第二照丸と判明/船長らの悪事暴露」 大阪毎日 1938/5/25
「半島少年仏国への密航を自白」 神戸新聞 1938/5/29
「密航一味逮捕」 大阪毎日 1938/6/1
「警官隊が乗込み密航船内で大格闘/船は沈没、百余名の密航者警備船に救はる」 大阪毎日 1938/6/8

74:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/07 02:35:51.61 6CGKdYTyO
「密航ブローカー/大物が殆ど捕はる/大掛りな密航根を断つ?」 大阪毎日 1938/6/10
「鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)」 福岡日日 1938/7/24
「密航団捕る」 大阪毎日 1938/7/30
「密航鮮人六十名/八幡署に捕る」 九州日報 1938/8/18
「密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)」 福岡日日 1938/8/26
「・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ」 中国 1938/9/1
「鮮人百名密航(小倉)」 九州日報 1938/9/9
「密航団検挙」 大阪毎日 1938/9/22
「密航鮮人仲介首魁捕はる/苦心の折尾署に凱歌(門司)」 九州日報 1938/10/14
「密航鮮人の一味捕はる(門司市)」 福岡日日 1938/10/27
「密航船座礁 半島人六十名を乗せた儘/船長は逸早く逃走(若松)」 九州日報 1938/12/5
「密航鮮人唐津大島に」 福岡日日 1938/12/6
「又も密航鮮人(小倉)」 九州日報 1938/12/13
「密航の半島人」 大阪朝日 1938/12/15
「神湊に密航半島人(宗像郡神湊町)」 九州日報 1938/12/17
「密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)」 福岡日日 1938/12/17
「密航鮮人上陸を企つ(宗像郡津屋崎町)」 九州日報 1938/12/20
「津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)」 福岡日日 1938/12/20
「又も密航鮮人/怪船行方を晦ます」 福岡日日 1938/12/21
「密航船検挙」 大阪毎日 1938/12/3
「五百人を密航させ五千円を捲あぐ/密航船坐礁、船長逃走」 大阪毎日 1939/1/21
「持てあます密航鮮人(南田平海岸に208名上陸)」 大阪毎日 1939/1/22
「密航料詐取/袋叩きに廿余名を欺く」 大阪毎日 1939/1/25
「九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)」 福岡日日 1939/2/3

75:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/08 19:10:43.37 vmD2oYS3N
「密航団検挙」 大阪毎日 1939/2/7
「海上時余の猛追撃/鈴なりの密航船捕る(103名)」 大阪毎日 1939/2/11
「五千人を密航さす常習ブローカー(昭和9年ころより5000名)」 大阪毎日 1939/2/11
「密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手」 呉日日 1939/2/12
「半島から密航船/倉橋島方面へ出現」 芸備日日 1939/2/13
「半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中」 中国日報 1939/2/13
「密航鮮人使役/関係者を調ぶ(戸畑市)」 福岡日日 1939/2/13
「密航半島人/戸畑署で取調べ(60名検束)」 大阪毎日 1939/2/13
「密航者逮捕」 大阪毎日 1939/3/9
「密航鮮人逮捕(28名)」 大阪毎日 1939/3/15
「密航半島人を検挙/船長以下廿五名を一網打尽/唐津署で連累者取調べ」 大阪毎日 1939/3/18
「海上活劇演じ密航発動船拿捕/平戸署殊勲の大捕物(今まで一千余名上陸)」 大阪毎日 1939/4/12
「密航半島人の激増/きのふ五十余名姿を晦す/今春すでに二百五十名(唐津署)」 大阪毎日 1939/4/28
「密航者根絶に/五十余名検挙(唐津署)」 大阪毎日 1939/4/30
「密航の半島人高鍋署に引致(児湯郡木城村小丸川県営電気工事場人夫)」 大阪毎日 1939/5/6
「密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)」 福岡日日 1939/5/18
「密航半島人(糸島郡野北村)」 福岡日日 1939/5/20
「密航六十名を一人で逮捕/腕きゝの金刑事」 大阪毎日 1939/5/27
「密航を仲介/不届きな船長逮捕さる」 大阪毎日 1939/5/31
「密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)」 福岡日日 1939/6/5
「六十名を乗せ密航船漂流/救助、送還さる(比田勝)」 大阪毎日 1939/6/7
「密航者百廿名送還」 大阪毎日 1939/6/7
「密航鮮人補る(八幡)」 九州日報 1939/6/10
「お尋ね者をはじめ/密航ブローカー続々検挙/捜査陣に凱歌あがる」 大阪毎日 1939/6/17

76:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/08 19:14:18.25 vmD2oYS3N
「密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)」 神戸又新日報 1939/6/20
「密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)」 大阪毎日 1939/6/20
「密航者送還」 大阪毎日 1939/7/8
「(小型世間)密航が判明し(林田)」 大阪毎日 1939/7/11
「卅五人が密航(宇部市の中原炭坑の労務係から「鮮人稼動者の斡旋を依頼」)」 大阪毎日 1939/7/11
「前科六犯を持つ密航ブローカー捕はる/若松市で豪遊中を」 大阪毎日 1939/7/18
「大格闘の末密航団逮捕/ブローカー九名とともに」 大阪毎日 1939/7/23
「又も密航(若松)」 九州日報 1939/8/1
「半島人密航/豊西海岸(山口)に」 福岡日日 1939/8/2
「又も密航」 九州日報 1939/8/4
「密航ブローカー/麗水で逮捕」 大阪毎日 1939/8/13
「また密航群」 大阪毎日 1939/9/8
「又も密航」 九州日報 1939/9/13
「密航(25名)」 大阪毎日 1939/9/15
「団体密航の失敗/半島人職工を内地人に仕立て/出帆間際に捕はる」 大阪毎日 1939/9/16
「八十名が密航/四十余名を捕ふ」 大阪毎日 1939/9/23
「密航半島人大検挙」 九州日報 1939/10/6
「釜山署を舞台にした密航ブローカー/見破られて御用」 大阪毎日 1939/10/14
「密航ブローカー廿三名検挙/北釜山署の手入れ」 大阪毎日 1939/10/15
「密航団検挙」 大阪毎日 1939/10/25
「大格闘の末/密航親分逮捕」 大阪毎日 1939/10/26
「密航者を乗せ出港直前御用」 大阪毎日 1939/10/12
「密航団検挙」 大阪毎日 1939/11/1
「密航(宗像郡津屋崎町)」 福岡日日 1939/11/5

77:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/08 19:20:12.18 vmD2oYS3N
「半島人密航五十名」 大阪毎日 1939/11/10
「密航半島人」 九州日報 1939/11/14
「密航団逮捕」 大阪毎日 1939/11/17
「全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に」 中国 1939/11/30
「密航団検挙/釜山港口で」 大阪毎日 1939/12/2
「密航団検挙」 大阪毎日 1939/12/8
「密航者検挙」 大阪毎日 1939/12/15
「釜山の強盗が内地へ密航/福岡県下で逮捕」 大阪毎日 1939/12/20
「博多に密航」 福岡日日 1939/12/27
「百十余名溺死(?)の密航船の正体判明/常習ブローカー阿比留も悪運つく」 大阪毎日 1940/1/8
「運命をさとり密航の親分激浪中に大金を投出す/兄弟三人とも溺死」 大阪毎日 1940/1/8
「遭難密航船のその後/まだ死体一個も発見されぬ」 大阪毎日 1940/1/9
「密航船検挙/神仙台海岸で」 大阪毎日 1940/1/11
「内地の夫と連絡し/密航の手引き/大胆な女捕はる」 大阪毎日 1940/1/12
「手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる」 大阪毎日 1940/1/14
「猟奇!箱詰め密航/釜山の山中で荷造り小倉駅止で発送/頼まれた朴の細工」 大阪毎日 1940/1/14
「猟奇!箱詰め密航/釜山の山中で荷造り/小倉駅止で発送/頼まれた朴の細工」 大阪毎日 1940/1/15
「半島人百廿余名乗る/密航船伊万里へ/上陸してが発覚・検挙」 大阪毎日 1940/1/20
「鮮人密航の悪ブローカー退治」 大阪毎日 1940/1/21
「箱詰密航結末編/李鶴祚けふ郷里へ」 大阪毎日 1940/1/26
「密航の半島人一網打尽捕る/船長のみ逃走」 大阪毎日 1940/1/31
「朝鮮で雇入れた船員密航者として送還/内地に連れ帰って」 大阪毎日 1940/2/2
「密航者百余名/一人残らず逮捕/巧みに連絡とつて」 大阪毎日 1940/2/9
「密航青年検挙」 中国 1940/2/19

78:名無しさん@お腹いっぱい。
22/09/08 19:24:10.44 vmD2oYS3N
「密航団検挙」 大阪毎日 1940/2/27
「行方捜査中の密航ブローカー自宅で御用」 大阪毎日 1940/3/1
「約五十回にわたり千名を密航さす/常習の船長ら出帆間際に捕る」 大阪毎日 1940/3/5
「密航土工逮捕」 大阪毎日 1940/3/29
「密航新戦術二つ/一は帰還勇士に化け/一は内地人の息子に」 大阪毎日 1940/3/12
「密航者に化けブローカーを逮捕/船頭姿を晦す」 大阪毎日 1940/4/14
「密航船検挙/お尋ねものも捕はる」 大阪毎日 1940/4/24
「密航船逮捕」 大阪毎日 1940/5/3
「密航防止の新取締/廿トン未満の船舶による旅客輸送を禁止」 大阪毎日 1940/5/19
「密航新取締/最初の違反/人命救助した天神丸」 大阪毎日 1940/5/26
「公文書を偽造/密航詐欺/四名検挙さる」 大阪毎日 1940/5/30
「一警官の篤行に妾狂ひの父が更生/密航少年に絡る佳話」 大阪毎日 1940/6/1
「密航手数料を詐取して豪遊/一味釜山署に御用」 大阪毎日 1940/6/21
「密航鮮人脱走/汽車で護送途中(13名中の1名)」 大阪毎日 1940/6/28
「密航船機関長唐津で捕はる」 大阪毎日 1940/7/2
「密航の悪計発覚」 大阪毎日 1940/10/4
「内地密航に失敗」 大阪毎日 1940/11/
「内地密航増加/釜山水上署で厳罰」 大阪毎日 1943/6/15

79:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/11 21:11:08.44 fLHsuoJGH
「怪鮮人、独探の嫌疑あり/敵国近状を語る」 神戸又新日報 1916/7/23
「怪鮮人横浜に去る/トアー・ホテルで訪客を避け/培材学堂長申興雨が渡米する」 神戸新聞 1919/4/29
「怪鮮人の出没/巧みに偽名して突然市内の一旅館に現る」 大阪毎日 1919/4/29
「怪鮮人阪神に出没/巧に偽名して鮮人を煽動す/時節柄の注意人物培材学堂長/突然神戸を去りて横浜へ向かふ」 福岡日日 1919/5/1
「何しに来阪したか/引続き厳探中の怪鮮人」 大阪毎日 1919/9/4
「怪鮮人の行方/大阪へ入込みて何事か画策/総督一行と共に遽しく帰鮮の形跡」 神戸又新日報 1919/9/5
「怪鮮人鄭の妻子帰る 夫の居らぬに落胆して/鄭は好人物と云ふ」 福岡日日 1919/9/6
「怪鮮人田鄭両人の行方/今に知れず」 門司新報 1919/9/6
「怪鮮人二人の行方/小田原署の活動」 大阪毎日 1919/9/10
「怪鮮人釜山にて捕はる/大阪下関に出没せし田栄爵/爆弾事件に関係ありとの説」 福岡日日 1919/9/10 釜山・朝鮮
「疑問のトランクと怪鮮人/四人組で偽名で投宿す/重大事件の関係者か」 神戸新聞 1919/11/8
「怪鮮人と怪トランク/東京から入込んだ四名/相生橋署側曰く「重大事件ではない」」 神戸又新日報 1919/11/8
「怪鮮人愈よ怪し/東京より来れるらしくブリキ罐数十個を発見」 萬朝報 1919/11/8
「阿片密輸か/怪鮮人口を緘して語らず(怪トランク事件)」 神戸又新日報 1919/11/9
「怪鮮人検挙さる」 福岡日日 1919/11/12
「怪鮮人/十四個の鞄に怪しき鑵」 京城日報 1919/11/11(10)
「演習地に怪鮮人/兵庫県警察の大活動/遂に二名の怪漢を検挙」 京城日報 1919/11/14(13)
「怪鮮人自殺を図る/進行中の列車から滑り落つ」 大阪毎日 1919/12/31
「怪鮮人続々入込む/注目されるその行動」 神戸新聞 1920/1/21
「怪鮮人東上したか否か/当局厳重探査」 神戸又新日報 1920/1/21
「怪鮮人密かに来る/東上したか否か/当局は厳重に其の動静を探る」 大阪朝日 1920/1/21
「八幡製鉄所騒擾事件/長官邸焼払ひ陰謀/怪鮮人職工三名逮捕/職を失い苦し紛れの暴挙」 神戸又新日報 1920/2/28
「下関に怪鮮人/米国議員団来着に際し」 京城日報 1920/8/28
「怪鮮人拉致/伏見宮御別邸へ不穏文書郵送の連累か」 神戸新聞 1920/9/23

80:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/11 21:13:32.03 fLHsuoJGH
「爆薬を窃取せる怪鮮人二名逮捕/日向某炭坑にて窃取し京都へ逃来りし処を(宮崎県北諸郡都城町)」 大阪毎日 1920/10/9
「怪鮮人突如逃晦す/釜山警察爆破事件の連累者」 神戸新聞 1920/10/12
「怪鮮人/釜山署爆破嫌疑者、姿を晦ます」 神戸又新日報 1920/10/12
「怪鮮人姿を晦ます/広島県警察部で警戒中の釜山署爆破事件嫌疑者」 大阪毎日 1920/10/12
「大阪砲兵工廠の爆弾二百個を遺棄して逃走した怪鮮人(加茂郡広村)」 大阪朝日 1920/10/26
「怪鮮人?火薬庫を狙ふ/鑿を以て扉をコヂ開んとす/折尾警察署の大活動(福岡県遠賀郡水基村高松炭坑)」 大阪毎日 1920/10/29
「危険物を持つ怪鮮人六名逮捕さる/堺署の大活動開始」 大阪毎日 1920/11/8
「怪鮮人朴を拘留一週間に/他は一時放還す」 大阪毎日 1920/11/9
「人参売に化けた怪鮮人捕はる/陸軍省参謀本部海軍省外務省を窺ふ/某事件に関係か」 京城日報 1920/11/21
「雷管携帯の怪鮮人/呉海軍工廠地均工事に粉込み/其後行方不明で大騒ぎ」 福岡日日 1920/11/27
「紳士風の怪鮮人/東京駅に捕る」 福岡日日 1921/2/20
「怪鮮人捕る/李昌煥氏出迎へ人中挙動不審で」 神戸新聞 1921/2/21
「怪鮮人!/果して何者か/正体近く判明」 芸備日日 1921/2/26
「長崎で捕へた怪鮮人護送/逮捕した中島巡査は斯く語る(閔元植暗殺犯人)」 芸備日日 1921/2/27
「怪鮮人梁の逮捕後/斯うなって見ると妻子が可愛い/二人の子を鮮人の子と云はせるが悲しい(閔元植暗殺犯人)」 芸備日日 1921/2/28
「疑問の婦人に付添れ怪鮮人東京へ護送」 神戸新聞 1921/2/28
「内地人を妻とした怪鮮人!/凶行の其日・・彼は姿を晦ました」 京城日報 1921/3/2
「怪鮮人は希代の大賊/御影署刑事が逮捕」 神戸新聞 1921/5/25
「怪鮮人門司で捕る/過激思想宣伝の為め渡来した元仮政府の軍務次長(門司市)」 福岡日日 1921/6/22
「上海戻りの怪鮮人/郵船熊野丸の一乗客/別に不審の点はない(門司市)」 福岡日日 1921/7/19
「怪鮮人東上/自称上海仮政府の外務大臣/内鮮融和の偉大を米国に見せつくる為めか?」 京城日報 1921/8/17
「東京駅に怪鮮人/奉迎雑沓中の負傷者/宮内樂長日射病」 福岡日日 1921/9/4
「神戸へ遁れた怪鮮人/高津一派の背後に潜む韓昌東/県警察部網を張って待受ける」 神戸又新日報 1921/9/17
「怪鮮人遁る/出帆間際に猿の如く乗船/横浜埠頭の追跡/高津一派の背後に潜む韓某」 大阪朝日 1921/9/17

81:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/11 21:15:35.28 fLHsuoJGH
「怪鮮人疑点は見えぬ」 神戸又新日報 1921/9/18
「筑後丸から怪鮮人/二名引致さる」 神戸新聞 1921/9/20
「下関で捕った怪鮮人/不逞団の使者か」 福岡日日 1921/9/23
「行方を晦した二怪鮮人/警視庁の厳戒」 大阪朝日 1921/9/24
「洋行怪鮮人三名/昨日門司陸水両署活動/留学するとは疑はしい(門司)」 門司新報 1921/10/6
「赤化運動の怪鮮人/門司水上で取調(門司)」 門司新報 1921/11/7
「上海と東京とを繋ぐ鮮人団の陰謀露見/去年下旬神戸水上署に拘留された怪鮮人崔濱武は終に一切を自白した」 大阪毎日 1921/11/11
「大演習地へ紛れ込んだ怪鮮人三名捕はる/日本名を称し馬丁に化込んでいた処を発見さる」 神戸新聞 1921/11/15
「東宮行啓中の富士山麓に三怪鮮人/陸軍特殊演習の馬丁に内地人の名を騙って住み込み、答弁頗る曖昧を極む」 神戸又新日報 1921/11/15
「怪鮮人天王寺で逮捕」 大阪毎日 1921/11/17
「怪鮮人の護送(崔東*)」 大阪毎日 1921/11/18
「神戸で捉へた怪鮮人/陰謀団の一人(崔濱武)」 大阪毎日 1921/11/18
「新しき村に怪鮮人/一ヶ月滞在の後上京の予定/不逞鮮人の疑で大警戒」 福岡日日 1921/11/18
「新しき村に怪鮮人/一ヶ月滞在の後上京の予定/不逞鮮人の疑で大警戒」 芸備日日 1921/11/20
「怪英人の船に怪鮮人/長崎にて発見」 福岡日日 1921/12/10
「怪人グレーの影に怪鮮人あり/崔昌極(二九)と称する/某私立大学に籍あり」 京城日報 1921/12/14
「グレー護送の春日丸に支那人を装ふ怪鮮人/長崎水上署にて発見」 神戸新聞 1921/12/14
「怪鮮人東京へ/警視庁に護送」 福岡日日 1921/12/15
「グレーに関係ある怪鮮人さる/グレーと同船した崔昌極は長崎で逮捕東京警視庁へ」 京城日報 1921/12/17
「怪鮮人 名古屋駅前で格闘の上逮捕」 名古屋新聞 1921/12/17
「怪鮮人警察署から逃出す/或は重大犯人か(12/24の関連記事)」 大阪毎日 1921/12/27
「支那人に化けて潜入して来た怪鮮人/警視庁で大活躍の末検挙し目下余罪及連累物色中 お尋ね者の独立運動者」 九州日報 1922/1/15
「東上した怪鮮人/大に自己を弁す」 福岡日日 1922/3/17
「下関の怪鮮人/其筋では警戒」 福岡日日 1922/4/21

82:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/11 21:18:05.43 fLHsuoJGH
「怪鮮人、御巡遊地へ入込んで画策」 神戸又新日報 1922/4/25
「門司にも怪鮮人/風采が呉に似て居る/拘束して取調中(門司市)」 福岡日日 1922/5/9
「北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審」 福岡日日 1922/5/21
「怪鮮人引致/上海から帰ったところを」 神戸又新日報 1922/5/28
「不逞団の暗号手帳を携へた学生風の怪鮮人捕はる/取調が済み次第警視庁へ護送」 神戸新聞 1922/6/23
「新高丸に潜む怪鮮人/過激な文を記した手帳を持ち学生と称し排日を鼓吹」 神戸又新日報 1922/6/23
「得体の知れぬ宣伝書を持った怪鮮人が下関にも現る/朝鮮人を手先に使ふ秘密結社」 京城日報 1922/6/27
「新高丸の怪鮮人/遂に東京へ護送さる」 神戸新聞 1922/6/27
「巧に神戸まで逃れた共産党の怪鮮人/水上署の手に捕はる」 神戸新聞 1922/7/4
「怪鮮人船中で捕はる」 大阪朝日 1922/7/5
「独立請願書の調印を基金募集が目的で密使として渡来した/水上署に捉へられた怪鮮人」 神戸新聞 1922/7/6
「怪鮮人葺合署に引致/最近神戸大阪間を六回往復/何事も黙して語らず」 神戸又新日報 1922/7/7
「怪鮮人は拘留十日/露国首飾店の商品販売と称す/朝鮮独立運動に関連か」 神戸又新日報 1922/7/8
「独立宣伝の怪鮮人/彦島で捕はる(山口県彦島町)」 福岡日日 1922/7/10
「妙齢の女は共産党巨頭の娘/怪鮮人三名」 大阪朝日 1922/7/19
「男女の怪鮮人(労友会を探す)」 大阪毎日 1922/7/20
「重大犯人か/怪鮮人監獄部屋事件で検挙さる」 大阪毎日 1922/8/18
「内地人を装ふ怪鮮人浜松で検挙/露国行の人夫虐待」 福岡日日 1922/8/19
「笹島町署の 怪鮮人事件に関し 其筋では極密に附す」 新愛知 1922/8/26
「笹島町署逮捕の 怪鮮人は不逞漢 I 團に属する「漢鐘旭」 上海仮政府と氣脈を通ず」 新愛知 1922/8/27
「誘拐替玉/日本少年が鮮人少年に早替り/怪鮮人捕はる」 神戸又新日報 1922/9/13
「バスケットに関係ある怪鮮人捕はる/旧門司の殺人事件に有力な嫌疑者」 九州日報 1922/11/3
「旧門司惨殺事件の嫌疑者怪鮮人の正体 …有力な嫌疑者逃走す…犯人の残した索線(門司)」 門司新報 1922/11/6
「怪鮮人女生徒を襲ふ/危く村民の助けに毒牙を免る/急を聞いて総掛りで逮捕(養父郡奥谷村)」 神戸又新日報 1922/11/17

83:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/11 21:21:07.59 fLHsuoJGH
「徳寿丸で来た怪鮮人/朝鮮から警官六名が追跡/鐘路爆弾関係者か」 福岡日日 1923/1/17
「怪鮮人下関で捕はる」 大阪毎日 1923/1/18
「下関で逮捕した怪鮮人は爆薬賊の片割れで共犯は各方面に多数ある/爆薬用途は何か」 九州日報 1923/1/21
「強盗殺人の怪鮮人/八幡で逮捕さる/其事件に関係か(八幡市)」 福岡日日 1923/4/21
「水上署に取押へた潜入怪鮮人、義烈団の一味か/連累の一名は東京某校の学生」 神戸又新日報 1923/4/22
「神戸の怪鮮人/暗殺団員か」 大阪朝日 1923/4/22
「怪鮮人、水上署に厳重取調べ中」 神戸又新日報 1923/4/24
「秘密文書を糸巻きにして懐中した怪鮮人/周到を極めた潜入と赤化の陰謀」 大阪朝日 1923/4/24
「怪鮮人密書事件の黒幕に妖美人/上海仮政府重要委員を父として鄭を愛人とする金玉華/李、鄭は近く警視庁護送」 神戸又新日報 1923/4/25
「神戸で検挙された怪鮮人は朝鮮赤化の宣伝組/所謂仮政府連とは別派の陰謀/秘密文書を糸巻に巻込む」 福岡日日 1923/4/25
「怪鮮人取り調べ終る/内容は秘密」 京城日報 1923/4/27
「取調べ終る/神戸の二怪鮮人」 大阪毎日 1923/4/27
「怪鮮人門司から上海へ/警視庁の注意人物/門司水上署に引致して取調べ監視付きで上海へ」 九州日報 1923/5/1
「怪鮮人引致/義烈団の片割れか」 神戸又新日報 1923/6/6
「怪鮮人引致/義烈団の片割か」 大阪毎日 1923/6/6
「支那人と称す怪鮮人/林田署で逮捕」 神戸又新日報 1923/7/4
「怪鮮人来る/義烈団員と称せらる者/上海から郵船日光丸で神戸へ/文書入鞄と共に一名捉まる」 神戸又新日報 1923/8/1
「唖に化込んだ怪鮮人/大風呂敷を引擔いで通行中誰何され警官と格闘」 神戸新聞 1923/8/2
「大金塊所持の怪鮮人(朝鮮人3名引致。震災避難民と称しているが厳重取調)」 大阪朝日 1923/10/29
「列車中に爆弾と導火線/姫路駅着後三等車室から発見さる/引致された怪鮮人五名」 神戸新聞 1923/11/17
「火薬を嚥むと病気が癒る/火薬窃取怪鮮人、呉で捕はる」 神戸新聞 1924/1/11
「怪鮮人学生五名/広島市に向った形跡」 呉新聞 1924/1/15
「爆弾携帯の怪鮮人/義烈団の一人らしい見込み」 九州日報 1924/1/18
「京都御所の壁に不穏文書を貼る/怪鮮人一名を逮捕」 神戸又新日報 1924/2/13

84:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/12 22:29:57.21 +G0BaX6T9
「小説的事実を申立て/警官を煙に捲く怪鮮人/三百数十人の女に関係する為各所で詐欺を働いたと云ふ」 福岡日日 1924/2/17
「山狩りして捜査/彦根の怪鮮人(東宮行啓を前に厳重警戒)」 大阪朝日 1924/2/24
「怪鮮人と船員共謀/拳銃の密輸嫌疑から本県刑事横浜へ急行」 神戸又新日報 1924/3/24
「怪鮮人、人夫を誘き出す」 神戸又新日報 1924/4/18
「怪鮮人二名下車/尾行巡査の急報を接し/松原駅を厳重に警戒した」 呉新聞 1924/5/1
「無賃乗船の怪鮮人/四名調べらる」 京城日報 1924/6/29
「怪鮮人の取調を受く/義烈団と気脈を通じて活躍していたものらしい」 神戸新聞 1924/7/26
「怪鮮人検挙/葺合署で取調中」 大阪朝日 1924/7/26
「怪鮮人は春画を売って上海仮政府へ走らうとした不逞の徒」 神戸新聞 1924/7/27
「怪鮮人の行動/大阪の同志等と結んで上海仮政府の密偵及主義宣伝/旅費調達に裸体写真を」 神戸又新日報 1924/7/27
「不穏ビラを所持/例の怪鮮人」 大阪朝日 1924/7/27
「密かに来る怪鮮人/義烈団らしい一人」 神戸新聞 1924/8/21
「怪鮮人の包む恐ろしい罪状/九州で強盗を働き坑夫を斬る/当市で金庫破りを企つ」 神戸又新日報 1924/12/25
「質屋の軒先で凄じい大爆発/万年筆売の怪鮮人ダイナマイトか」 大阪朝日 1924/12/31
「怪鮮人を発見送り返す/議会開会を的に(山口県彦島町)」 門司新報 1925/1/15
「怪鮮人/東京で検挙さる」 京城日報 1925/3/25
「怪鮮人加藤首相の身辺を窺ふ?/スリを働き捕はる」 大阪毎日 1925/4/28
「大阪駅で首相を狙ふ/乗客の時計を掏つた処を捕へて見れば怪鮮人」 京城日報 1925/4/29 28
「怪鮮人捕はる/爆弾を所持した六人づれ」 九州日報 1925/6/9
「モヒとコカイン怪鮮人の逮捕」 門司新報 1925/11/22
「刑事の隙を窺って怪鮮人山中に逃走/全山を包囲して遂に逮捕さる(上郡)」 神戸新聞 1926/1/11
「ますます濃厚となる怪鮮人の嫌疑/芦屋の強盗事件」 大阪朝日 1926/2/7
「怪鮮人逮捕/門司桟橋にて(門司)」 門司新報 1926/2/25
「怪鮮人」 大阪朝日 1926/2/27

85:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/12 22:33:00.24 +G0BaX6T9
「血まみれ帆船の怪鮮人護送さる/けさ下関から岡山へ/六尺豊のひげ男」 大阪朝日 1926/3/12
「血染の労働服を着た怪鮮人逮捕/人を殺した覚えはないとしきりに口ばしる強大漢/二瀬強殺犯人か(門司)」 九州日報 1926/3/25
「帆船漕付け怪鮮人潜入/七十余の鮮人が団体で福岡県下に上陸」 神戸新聞 1926/4/16
「二人の怪鮮人/某重大使命帯びて神戸に入り込んだが早くも風を喰って逃走(葺合)」 大阪毎日 1926/4/21
「尼崎の怪鮮人は自由を束縛するならむしろ死を選ぶべしと絶食/家宅捜索の結果不穏文書多数発見」 神戸又新日報 1926/6/24
「捕まった怪鮮人/電線泥棒と判ったが其賍品をまた盗む奴もある/二人とも引続き取調中(八条東洞院)」 京都日出 1926/12/8
「怪鮮人三名を引致/相生橋署高等係俄に大活動開始/アナ系の演説会に関連か」 神戸又新日報 1927/1/16
「爆弾と拳銃を携へ怪鮮人二名内地へ潜行/汽船に密乗し神戸へ来るかも知れぬ」 神戸新聞 1927/1/22
「暗号と拳銃所持の怪鮮人/不逞の一味か」 神戸又新日報 1927/2/1
「不逞団員と称する怪鮮人/驚くべき事実を申立つ/門司水上署の活動」 大阪朝日 1927/2/3 朝鮮朝日
「怪鮮人、林田署に捕る」 神戸新聞 1927/2/5
「爆薬携帯の怪鮮人一味/甲州韮崎署で逮捕/相当黒幕ある様子」 中国 1927/2/7
「爆弾丗個携帯の怪鮮人三名逮捕/御陵隣接地にて発見/連累者五名も捕縛厳重取調中」 門司新報 1927/2/7
「船底に潜む怪鮮人/密航者と判る」 神戸新聞 1927/4/16
「寄付強要の怪鮮人、京都で浜岡会頭に強請」 大阪朝日 1927/5/26
「駅の待合室の洋傘を強奪した怪鮮人/三十六尺の警察の露台から飛び降りて大暴れ」 大阪朝日 1927/6/21
「大学生姿の怪鮮人/巡査を見て逃ぐ」 神戸又新日報 1927/7/26
「多数不穏文書を所持する怪鮮人三名を発見、横浜から香取丸に乗船して門司へ赴く途中を神戸水上署の手で捕る」 神戸新聞 1927/9/15
「不穏文書の怪鮮人三名、仁川に送還さる/トランクの底に秘めたおそるべき不穏文書」 神戸新聞 1927/9/16
「同志の日本潜入に先立ち内地の情勢を探る/水上署に捕はれた怪鮮人/彼は上海不逞鮮人団の決死隊の一員」 神戸新聞 1927/11/12
「怪鮮人、出帆間際の某船で逮捕」 大阪朝日 1927/11/12
「怪鮮人の焚火/厳戒の上放免」 神戸新聞 1927/11/23
「参謀本部の重大任務で渡支すると騙る怪鮮人/軍要路の紹介状を多数偽造して懐中せる不敵の鮮人、憲兵隊で逮捕」 神戸新聞 1928/3/7
「匕首を持つ怪鮮人/口を緘して何も語らぬ」 九州日報 1928/3/8

86:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/12 22:35:55.50 +G0BaX6T9
「泥を吐かぬ二人の怪鮮人」 神戸又新日報 1928/3/27
「そろそろ判る犯人の正体/真相か否か盛んに吹く/偽造為替事件の怪鮮人」 大阪朝日 1928/5/9
「怪鮮人捕る/銅線切りの犯人か」 神戸新聞 1928/7/20
「怪鮮人の徘徊」 門司新報 1928/8/18
「怪鮮人が爆薬を携帯/本庄村青木方面に潜入か」 神戸新聞 1928/9/4
「爆弾を数個所持した怪鮮人逮捕さる 市内東区千種町地内を徘徊中新栄署員の手に」 新愛知 1928/9/19
「浴衣で首吊り縄/捕へられた御影の怪鮮人」 大阪朝日 1928/9/30
「水上署に取押へられた怪鮮人は密輸者/相棒を横領で訴へ対質されかえって罪がばれる」 神戸又新日報 1928/10/7
「怪文書事件のため関西学院の生徒引致さる/その内容は某重大事件に関連か/怪鮮人ふたりも拉致」 神戸又新日報 1928/10/14
「堂々たる居を構へた怪鮮人の群れ/西宮署で俄かに活動」 神戸新聞 1928/10/20
「怪鮮人と疑はれた恋の鮮人男女/一旦捕らへ送還さる(若松)」 九州日報 1928/10/24
「長髪の怪鮮人捕る/鮮人主義者連の根拠地間島へ出入りしている疑がある」 神戸新聞 1928/11/2
「大風呂敷を負ふ怪鮮人(林田)」 大阪毎日 1928/11/5
「爆弾や拳銃を携へて怪鮮人潜入す/支那女学生の口から神戸潜伏の事実判明」 神戸新聞 1928/11/18
「書道の大家と名乗る前科四犯の怪鮮人/知事の僞紹介状を持参/警察部長から化の皮を剥がる」 大阪毎日 1928/11/25
「怪鮮人マルクス主義の書を携て」 福岡日日 1928/11/30
「怪鮮人検束せらる」 門司新報 1928/11/30
「怪鮮人」 神戸新聞 1929/2/8
「怪鮮人/名池の強盗か」 門司新報 1929/2/28
「夢野山中に怪鮮人ふたり/集金の新聞配達を襲ふ」 神戸新聞 1929/3/2
「重大犯人か引致の途中逃亡/飴行商の怪鮮人」 神戸又新日報 1929/5/22
「風呂敷包み一ぱい不穏な文書/怪鮮人国道で捕はる」 神戸又新日報 1929/5/30
「直訴の準備中捕はれた怪鮮人/きのふ検事局で取調べ/独立運動には無関係」 大阪毎日 1929/6/20
「怪鮮人をけふ収容か」 大阪毎日 1929/6/21

87:名無しさん@お腹いっぱい。
22/10/12 22:38:32.84 +G0BaX6T9
「怪鮮人は不敬罪で北区支所へ収容」 大阪朝日 1929/7/9
「ピストルを持って魔の家に忍び込む/騒がれて捕まった怪鮮人、湊川署で取調らる」 神戸新聞 1930/1/15
「豪雨中を自動車で乗付け、大阪で大稼ぎ/臓品から足がついて怪鮮人三宮署に逮捕」 神戸又新日報 1930/5/7
「釜山の強盗犯人ゆうべ神戸で逮捕/犯人は朝鮮から手配中の怪鮮人/湊川署員の大手柄」 神戸新聞 1930/6/22
「神戸の鮮人団体に赤化の手伸びる/多数の不穏ビラを配布/怪鮮人ふたり捕る(ウリ協親会)」 神戸又新日報 1930/8/21
「恐しく巡査にたたる小倉の怪鮮人」 神戸新聞 1930/8/23
「装飾窓破りを怪鮮人が自白/近頃の大捕物と須磨署大よろこび」 神戸新聞 1930/9/20
「霊媒作用を名とする怪鮮人老婆の詐欺行為/警視庁の取調で発覚 岸博士等組織の明道会は解散処分する」 福岡日日 1930/11/21
「列車魔の一味怪鮮人ら逮捕/贓品売捌方も御用/全国的窃盗団か」 神戸新聞 1931/11/11
「トランクを掻払ひ逃走/怪鮮人大阪駅で捕はる」 神戸新聞 1931/12/4
「怪鮮人スリを自白」 神戸新聞 1931/12/6
「怪鮮人二名関門連絡船で逮捕/懐中に血痕の付着した短刀 門司水上署緊張」 九州日報 1932/5/26
「又も短刀所持の怪鮮人現る/不逞の徒荐りに出入りし/関門の警備益々厳重(門司、下関)」 門司新報 1932/5/27
「潜航怪鮮人/大牟田署の捜査」 大阪毎日 1932/5/29 福岡
「二名の怪鮮人/金庫泥棒と判明/情婦を囲い豪奢な生活/被害高数千円に達す」 大阪毎日 1932/7/28
「広島の赤化企図怪鮮人の指導で/運動中に二名東署に検挙」 中国 1932/10/9
「送還されたを幸ひ赤色陰謀を企つ/米国帰りの怪鮮人/水上署の留置場で厳重取調べ」 神戸又新日報 1932/10/17
「怪鮮人に疑惑益々深まる/某外人逮捕の手配」 神戸又新日報 1932/10/18
「朝鮮独立団の全貌を暴露か/水上署に留置の怪鮮人取調次第に核心をつく」 神戸又新日報 1932/10/20
「「スハ怪鮮人」/弾薬を所持(兵庫)」 神戸又新日報 1932/10/30
「大警戒網を潜り怪鮮人潜入を企つ/先鋭な左翼分子と緊密な連絡/水上署で厳重取調べ」 神戸又新日報 1932/11/2
「満州潜入を企つ共産青年同盟員/不穏ビラ所持の怪鮮人も/誰何二万昨日の一斉検索」 神戸又新日報 1932/11/9
「不穏文書を持つ二怪鮮人捕る/大演習を目指し暗躍の一味?/県特高課緊張す」 神戸又新日報 1932/11/11
「深夜の街を追跡、怪鮮人を逮捕す/懐中に大金所持/明石署で厳重取調」 神戸又新日報 1932/11/13


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