日本近代史における食人を語るスレat HISTORY2
日本近代史における食人を語るスレ - 暇つぶし2ch196:名無しさん@お腹いっぱい。
21/10/14 06:44:29.04 TrJmFlxmI
中国
「中国食人史(中国語版)」も参照
中国におけるカニバリズムについては、日本の桑原隲蔵による先行研究がある[24]。
相田洋は桑原の論文を紹介する形で「南北宋後退期の武装集団ほど頻繁に食人肉を行なっている例は、以前には見当たらないように思う」と評し、「食人肉は武装集団の習慣として定着」したとしている[25]。

古くは『韓非子』[26]に「紂為肉圃、設炮烙、登糟丘、臨酒池、翼侯炙(あぶり肉)、鬼侯臘(干し肉)、梅伯醢(かい、塩漬け肉[注 1])」という人肉料理の記述が見られる。

小室直樹によれば、中国では古代から近世にかけて食人の習慣が非常に盛んであったとされる。
小室は「この食人と纏足、科挙の三つは、日本に全く伝わらず、また日本人はそれらを全く理解できなかった」としている。
また小室は、中国が他文化の食人と比べ特徴的なのは、食人が精神異常行為、宗教的行為、緊急避難行為ではなく、恒常的な食文化として根づいていたことであるとし、
「孔子は人肉を好んでいた」という例や名君といわれた斉の桓公が「自分はいろんなものを食べてきたが、まだ人間の赤ん坊を食べたことがない」と言ったのを聞きつけた料理人の易牙が、
自分の子供を殺害し調理して桓公を満足させた例があり、膨大な文献が中国における日常的な食人行為を伝えているが、
桓公と易牙の逸話も含め、中国の道徳規範である儒家も道家もまったく非難していないことを指摘し、中国社会では食人が道徳違反にあたらないことを示すと主張している[27]。

『史記』にも、飢饉や戦争により食料がなくなると、自分の子を食うに忍びなく、他人の子供と交換した後に絞め殺して食べたという記述が残っている。
『三国志』巻14の魏書「程昱伝」[28]に引用された『魏晋世語』逸文に「世語曰 初 太祖乏食 昱略其本縣 供三日糧 頗雜以人脯 由是失朝望 故位不至公」と、略奪した糧食の中に人肉が含まれていたために程昱が出世を逃した、という記述が見られる。
また『晋書』の載記[29]には、後趙の天王太子であった石邃の食人性愛嗜好に関する記述がある。


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