東北のバカが対米戦争を仕掛けたat HISTORY2
東北のバカが対米戦争を仕掛けた - 暇つぶし2ch600:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 05:30:53.02 YBO4TpP00.net
諸規定綴 歩兵219連隊警備隊第7中隊 昭和18年(防衛省防衛研究所)」

極秘 営外施設規定

 一、総則

第一条 本規定ハ昭和拾七年七月仁集参密第二九四号営外施設補充要綱ニ基キ営外施設ノ建設経営利用監督等師団ニ於

テ実施スベキ事項ニ関シ其要領ヲ定ムルモノトス 営外施設ニ関スル建築、物件ノ備付飲食品ノ補給又ハ払下従業員ノ雇傭ノ

施設内ノ取締等ニ関シ本規定ニ定メサル事項ハ陸軍営繕事務所規程、野戦酒保規定其他各関係法規ノ定ムル所ニ拠ルモノト



第二条 本規定ニ於テ営外施設ト称スルハ営外酒保、特殊慰安所、偕行社及其他ノ地方団体等ノ篤志ニ依リ開設シタル軍人

慰安施設ヲ謂フモノトス

第三条 営外施設ハ本規程ニ於テ特ニ定メタル場合ヲ除クノ外当該駐屯地ニ於ケル高級先任ノ部隊長(以下管理部隊長ト称ス

)管理シ経営又ハ指導監督ニ任スルモノトス 二部隊以下同一地ニ駐屯スル場合ニ於テハ前項ノ管理部隊長ハ各関係部隊ヨリ

委員ヲ差出サシメ委員制度ノ下ニ之ヲ管理セシムルコトヲ得ルモノトス

第四条 各地区警備隊長ハ当該警備地域ニ於ケル営外施設ヲ統轄シ各駐屯地ノ実状ニ即応スル所要ノ施設ヲ拡充整備シテ

之カ均霑*1ヲ図リ且経営利用監督等ニ関シ良金ヲ保持セシムルモノトス

第五条 営外施設ハ下級将校下士官兵ニ対スルモノニハ特ニ重点ヲ置キ施設スルモノトス

第六条 営外施設ハ下士官兵用ト将校准士官用トハ区別シテ之ヲ施設強要セシメサルモノトス 但シ本規定ニ於テ特ニ定メタ

ル場合ハ此ノ限ニアラズ

第七条 営外施設ハ総テ各部隊共用トシ自隊専用ノ施設等ハ一切之ヲ設クルヲ得ザルモノトス

第八条 各部隊等当該駐屯地ニ営外施設ヲ開設セントスルトキハ施設ノ要領経営ノ方法其他必要ノ事項ヲ具シ順序ヲ経テ之ヲ

師団長ニ具申スルモノトス

第九条 営外施設ノ建設ニ関スル業務ハ経理部長之ヲ担任スルモノトシ営外施設ニ対スル物件ノ備付飲食品ノ補給又ハ払下

要員の雇傭(官費支弁ノ者ニ限ル)等ハ各管理部隊長ニ於テ経理部長ト協議ノ上実施スルモノトス

第十条 各地区警備隊長ハ毎年十二月末日ニ於ケル警備地域内各地に於ケル営外施設ノ設置経営利用等ノ状況ヲ師団長ニ

報告スルモノトス

601:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 05:32:10.99 YBO4TpP00.net
 二、営外酒保

第一一条 大隊本部以上ノ本部又ハ司令部所在地並特ニ交通頻繁ナル要地ニハ野戦酒保ヲ営外ニ設置シ休憩所(庭園、読書

設設*2放送聴取演芸観覧施設等)売店(軍装品、生活必需品等ヲ販売スル施設)食堂等ヲ経営スルコトヲ得ルモノトス

第一二条 営外酒保ノ施設ハ専ラ下士官兵ニ利用セシムルヲ本旨トス 但シ師団司令部所在地以外ニシテ偕行社ノ施設ナキ

地ニアリテハ特ニ必要アル場合ニ於テハ営外酒保ノ一部ニ区画ヲ設ケテ料理部ヲ併設シ下級将校等ノ為簡易ナル会食又ハ宴

会等ニ利用セシムルコトヲ得ルモノトス

第一三条 師団司令部所在地ニ於ケル営外酒保ハ経理部長之ヲ管理スルモノトス

第一四条 営外酒保業務ノ中営内酒保ニ準スル業務ハ其ノ管理スル部隊ノ野戦酒保ノ一部トシテ経営スルモノトス 但シ二部

隊以上駐屯スル地ニ於ケル営外酒保ノ会計ハ別途ニ一会計ヲ設ケ損益収支ヲ明確ナラシムルモノトス

第一五条 食堂売店休憩所等ノ経営ハ夫々現地ノ実状ニ応シ管理舞台ノ直営トナシ或ハ部外者ヲ委託又ハ請負経営セシムル

モノトス

第一六条 営外酒保ニ対スル営繕備付物品飲食品払下等ニ関スル事項ハ左記ニ依ルモノトシ品種数量価格等細部ハ経理部

長之ヲ定ムルモノトス 但シ皎徳新郷営外酒保中料理部ニ対スル事項ハ偕行社ノ例ニ依ルモノトス

 左記

区分 自営ノ場所 請負経営ノ場合  
         一般営外酒保 料理部ヲ併設セル場合
営繕 官費 官費 自弁
備付物品 官費恤兵金酒保金 椅子机類ハ官費 食器類ハ自弁 同上
飲食物 有償補給 払下 払下
電灯灯火 官費 官費 自弁
暖室燃料 官費 官費 自弁
雇傭人 官費酒保資金


602: 自弁 自弁 第一七条 各地区警備隊長ハ警備地域内各地営外酒保ノ売品価格ヲ努メテ均衡ナラシムル如ク指導スルモノトス 第一八条 小駐屯地又ハ交通避遠ノ駐屯地ニアル営外酒保ニシテ委託又ハ請負経営セシムル場合経営困難ナルモノニアリテ ハ師団長ノ認可ヲ受けケ恤兵金又ハ酒保資金ヲ以テ補助金ヲ交付スルコトヲ得ルモノトス 前項ノ補助金ハ各地区警備隊長ニ 於テ当該地区内各部隊ヨリ供出セシメ尚不足スル場合ハ師団長ニ具申スルモノトス



603:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 05:34:56.30 YBO4TpP00.net
三、特殊慰安所

第一九条 中隊以上ノ駐屯地ニシテ該地ノ情況ニ依リ之ヲ必要トスル場合ニ於ケル衛生的且廉価ナル慰安ノ為軍人軍属専用ノ

特殊慰安所ヲ開設スルコトヲ得ルモノトス

第二〇条 特殊慰安所ハ部隊ニ於テ直営セズ委託経営セシムルモノトス

第二一条 特殊慰安所ノ建物ハ軽微ナル程度ニ於テ経理部長別途経費ヲ以テ之ヲ実施シ管理部長ヨリ受託経営者ニ無償貸与

スルモノトシ爾後ノ保続ハ受託経営者ノ負担トス

第二二条 特殊慰安所ノ経営ニ必要ナル飲食品等ハ野戦酒保品ヲ払下グルコトヲ得ルモノトシ其細部ハ軍医部長之ヲ定ムル

モノトス

第二三条 特殊慰安所ノ経営ニ必要ナル薬品防護用品等ハ官物ヲ交付スルコトヲ得ルモノトシ其細部ハ軍医部長之ヲ定ムル

モノトス

第二四条 師団司令部所在地ニ於ケル特殊慰安所ノ管理経営等ニ就テハ前条ニ依ルノ外別ニ定ムル所ニ依ルモノトシス

604:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 05:35:48.13 YBO4TpP00.net
四、偕行社

第二五条 偕行社ハ将校ノ団結ヲ鞏固ニシ相互新睦*3ヲ醇フシ学術ノ研究ヲ為トスル共ニ其便宜ヲ図ルヲ目的トシ当分ノ間師

団司令部所在地ニノミ開設スルモノトス

第二六条 偕行社ニ附設スベキ事項ハ宿泊部隊*4慰安部食堂部酒保部ノ四部トシ各部隊毎ニ所要ノ娯楽設備ヲ附帯スルモノ

トス

第二七条 宿泊部慰安部食堂部ニ於テ所要ノ飲食物類ハ酒保部ヨリ之ヲ配給スルトシ妄リニ野戦酒保品ヲ流用セザルモノトス

第二八条 偕行社ノ営繕ハ初度施設ニアリテハ別途資金又ハ官費ヲ以テ経理部長之ヲ実施スルモノトシ爾後ノ維持保続ハ各

部隊毎ニ自費ヲ以テ処弁スルモノトス但シ国有財産ニ属スル建造物ニシテ重要ナル維持営繕ハ官費支弁トスルモノトス 前項

ニ依リ実費ヲ以テ施設シタル事項ハ将校集会所名義ヲ以テ国有財産トシテ整理スルモノトス

第二九条 偕行社ニ於ケル備付物品燃料電灯料飲用水等ハ特ニ将校ノ集会等ニ必要ナル部分ニ限リ官物ヲ貸与シ又官費支

弁トシ以テ現物ヲ支給スルコトヲ得ルモノトス

第三〇条 偕行社ノ施設ハ理由ノ如何ヲ問ハズ軍部以外ノ者ニハ利用セシメザルモノトス

第三一条 偕行社ノ従業員ハ昭和十五年十二月一日方軍別人第一〇一八号北支方面軍作戦地域内ニ設立セル会行社従業

員ノ軍ニ於ケル身分取扱ニ関スル内規ニ依ルモノトス

第三二条 前各条ノ外偕行社宿泊部慰安部食堂部酒保部ノ管理並経営等ニ関シテハ別ニ規定スル所ニ依ルモノトス



五、其ノ他

第三三条 部外団体又ハ個人等ニテ営利ヲ目的トスルコトナク慰安娯楽施設ヲ設置シ軍人軍属ノ利用ニ提供スル場合ニアリテ

前各条ニ準シ備付物品ノ一部ヲ貸与シ又ハ必需品ヲ配給シ若クハ補助金ヲ交付スルコトヲ得ルモノトス

第三四条 営外施設ニシテ部外ノモノヲ利用スル場合ニアリテハ前各号ニ準シ所要ノ援助ヲ与フルコトヲ得ルモノトス

605:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 05:37:48.85 YBO4TpP00.net
〔フィリピンで戦った「藤兵団」第86飛行場大隊の友清高志上等兵(5年兵)の手記から〕

元日本兵が戦場での加害行為を証言すると、その兵士が中国に派兵されていた場合、保守論客は「中国で洗脳されて帰って

来たのだろう」「日本軍ではなく八路軍の仕業だ」「規律正しい皇軍がそんなことをするはずがない」などと、頭から否定してかか

ることが少なくない。戦場が人間の精神を破壊することを認めようとしない。ここで紹介するフィリピン駐留軍上等兵の手記には、

「大東亜共栄圏」を掲げて派遣された皇軍の実態が刻まれている。作戦の日付も所属部隊も分かっており、これを虚偽と疑うな

らば自身で検証してもらいたい。“反日工作”などと、この上等兵に陰謀論のレッテルを貼る行為は、それこそ軍上層部の短慮

で絶命した英霊や、不条理に殺害された現地住民への冒涜だと僕は考える。

手記の著者、友清上等兵は戦後28年目(1973年)にフィリピン戦場体験記を刊行したが、胸にポッカリと暗い空洞ができたとい

う。理由は「罪の深さを畏(おそ)れた余り、書かねばならない事実を隠してしまった」からだった。そして10年後の1983年に『ル

ソン住民虐殺の真相・狂気』を脱稿した。氏は序章でこう語る--
「虐殺は兵団命令によるものだった。天皇統帥の帝国陸軍にあって、上官の命令は絶対であり、抗命、反逆は即処刑である。

けれどもこの様な理由で下級将校、下士官、兵の行為が正当化されるものではない。いやむしろ、逆に命令を口実に必要以上

に自己の苛虐(かぎゃく)本能を満たした将兵が多かった」
「(フィリピンからの帰還兵が)過去を振り返る時、敬虔にフィリピンを畏れる者と、戦場という異常環境に責任の転嫁を計る者と

に分かれる。後者は、ややもすると戦場を美化し、日本軍の勇猛を強調、虐殺行為すら正当化しようとする。上級将校ほどこの

傾向は顕著で、自家版による数多い戦場回顧録がこれを語っている」

友清上等兵があえて手記を記したのは、有名なリパ大虐殺の他に、世間には知られていない別の大虐殺があったことを、犠牲

者への供養の意味で書き残す為だった。
事件が起きたのはリパ大虐殺の一週間前、1945年2月26日。その前日、「リパ市郊外のアンチポロ村、アニラオ村に米軍兵器

が搬入され、日本軍襲撃の訓練が行われている」と密告が入った。兵団長・藤重大佐は各将校を集めて次のように訓示した。
「ゲリラを徹底的に粛清すべき時がきた!住民でゲリラに協力する者あらば、そいつもゲリラと見なせ。責任は一切この藤重が

負う。対米決戦はそれからだ!思い切りやってしまえ。後世の人間が世界戦史をひも解いた時、全員が鳥肌立つような大虐殺

をやって見せろ」。

606:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 05:38:58.39 YBO4TpP00.net
当初の計画では村民男性16歳から60歳までを広場に集めて重機関銃4挺で皆殺しにする予定だったが、千人を一気に射殺す

ることは不可能ということになり作戦が練られた。“通行証明書を発行するので16歳以上60歳までの男子は全員リパ小学校に

集合せよ”と告知し、村人を校舎に入れた上で10人単位で校舎裏の小屋に呼び込み、総数130人の粛清要員が順に銃剣で刺




607:していく、というものだった。通行証明書がなければ行動範囲は極めて規制される。この計略を疑う村民は1人もいなかった。 陽性で人を信じやすいフィリピン民族の裏を日本軍はかいた。 26日朝7時過ぎ、両村の住民800人が、美しい四列縦隊で小学校にやってきた。この整った隊列に、密告通り軍事訓練の影を 感じる一方、果たして全員をゲリラや協力者と見なしてよいものかと友清上等兵は迷う。日本軍の謀略など露知らず、陽気には しゃぐ少年達の表情は底なしに明るく、あどけない笑顔だった。日本軍の指示で最初の10人が小屋に向かうと、そこに待ってい たのは銃剣を構えた20人の日本兵だった。脅える住民はロープで手首を数珠つなぎに縛られ、そのまま林の奥へ連行された。 全身の震えでまともに歩ける者はいない。よろめきながら裂けんばかりに両眼を開いた少年。虚ろに視点の定まらぬ中年男。呪 文を唱えるごとく呟く初老の男の口辺には泡が噴き出ていた。やがて谷が見え、崖の3m手前に立たされる。2人の将校が愛刀 の試し斬りのため村民2人を連れて行き8人が残った。「突け!」「えい!やあ!」と、村人1人につき日本兵2人がX字に左右か ら銃剣を突いた。軍靴で腰を蹴り銃剣を抜き戻すと、はずみで8人の体は芋づるのように連なり崖下へ転落した。将校の前に引 かれて行ったうちの1人は観念の眼を閉じると座り込み、うなじを前に突き出した。軍刀が振り下ろされた一瞬、ゴーッと凄まじ い音を立て、首根からほとばしる血の圧力で首は前に飛び、体も谷にもんどり打っていった。いま1人は、震える足を踏ん張り怨 恨の形相凄まじく正面切って将校を睨み据えた。将校が日本刀を横に薙(な)ぐと、白刃一閃、垂直にほとばしる血の先端7、8 メートルに首は舞い、地面に転がった胴体に血は降りかかった。すると、早くも次の10人がやって来た---。 渓谷の底を流れる白濁の水は、死体が転落していくにしたがい、どろりと赤味を増し、ぶつぶつと泡立っていった。流れは死体 の累積によって堰止められたがそれも一時で、水かさが増すと再び血に染まりながら流れ出し、そこへ人間が止めどもなく落下 しては水しぶきを立てた。日本兵の中には高ぶる感情のままにのめり込み、交替を拒否し続ける者もいた。だが、昼食に運ば れてきた握り飯にはさすがに誰も手を出さなかった。いつしか陽は西に傾き、顔面に血を浴びた兵隊の形相は幽鬼と呼ぶにふ さわしいまでになっていた。殺戮は18時までかかった。翌日も小学校の裏の雑木林では、前日に続く200人の殺戮が行われた 。



608:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 05:45:19.57 YBO4TpP00.net
/上陸米軍の銃砲声が近づくにつれ、虐殺もエスカレートした。「“住民”を殺すにはより多くを一定の場所に集め、一挙に処理す

るが良好なり」、上層からの訓示は、“ゲリラを殺す”が“住民を殺す”に替わっていた。明け方に町村を襲い、住民をトラックで連

行しては機関銃を乱射した。討伐隊によっては現場で住民を数珠つなぎにしては井戸に放り込み、上から頭大の石を重し代わ

りに投げ込んだ(パンガオ集落では約70人の男性が殺害され井戸に投げ込まれた)。

/カトリック国であるフィリピンには至る所に教会が建っており、日本軍はこれを絶好の殺害の場とした。トリビオという集落では

住民30人を教会に集めると扉に錠をかけ、導火線に点火した。日本兵が走って壕に飛び込むと、教会が一瞬ふくらみ、木っ葉

微塵に舞い上がった。いつしかリパの街とその周辺は腐臭漂う死の街と化し、風が吹く度に風下の将兵は反吐(へど)を催して

いた。

/「敵が上陸するまで女は我慢しろ。上陸したら強姦してもかまわん。ただし済んだ女は必ず殺して土に埋めることだ」。憲兵リ

パ地区分遣隊長が兵隊に与えた訓示の一端である。憲兵とは一般軍人の風紀取締官でもある。その隊長自ら強姦を認めた発

言に兵隊達ははしゃいだ。「富田警備中隊の一部と加賀速射砲小隊の下士官、兵は、(リパ市長、同警察署長を軟禁状態にし

た上で)リパ市民の家屋に強引に押し入り、有無を言わさず老若男女の区別なく住民を血祭りにあげた」

/この異常な空気のなか、友清上等兵は虐殺現場に関わりながら運良く1人も殺さずにきた。ある日、行軍中に部隊が何者かに

発砲され、現場近くの集落に踏み込んだ際に20人余りの女子供を見つけた。隊長は彼女たちをスパイと決めつけ、「全員処置(

処刑)しろ」と命じた。友清上等兵が“もう少し調べてみては”と意見したところ、「生意気だ。まず貴様が処置の手本を示せ」と命

じられてしまう。「早くせんか!」と隊長が腰の拳銃に手をかけ、これ以上逆らえば抗命罪で葬られると観念し、目の前の母子に

向かった。友清上等兵は記す--
「彼女はその場に座り込み抱いていた幼児をさらに強く抱きしめた。反動的に私は2人に向けて銃剣を突き出していた。銃剣は

女性の抱いた幼児の脇腹に突き刺さった。その時幼児は身を起こそうとして私を振り仰いだ。その眼が私を見るやニコッと笑っ

た。それは信じられない、まるで天使のような顔だった。火のつくような泣き声をあげ、痙攣を始めたのはその直後である。しか

し私の殺害動作はそれで終わったのではない。一刻も早く息の根を止めねばと可哀相だと、しゃにむに銃剣を肉体に突き立て

ていた。現場を離れても体の震えはしばらく止まなかった。感情も乱れていた。抵抗もなし得ない女と幼児を殺した私には開き

直る以外に救いはなかった。現在、虐殺現場に小学校の建物はなく、校舎の跡地は開拓されて教会が建っている。その教会の

側に佇んでいると、必ず現地人が寄ってきて「アンチポロ」「アニラオ」「ジャパン」と3つ単語を唱えるように言って首を斬る真似を

する。しかし、的確に現場を指摘できる者は誰もいない。そこにあらためて私は罪の深さを知る。現市長とて知らないのである」
第86飛行場大隊はこの事件の翌月(3/21)、米軍に追われ山中へ落ち延びた。撤退行軍中、戦火を避けて夜の平地に潜んで

いた女性達を見つけた軍曹が兵に呼びかけた。「女の欲しい兵隊は集合しろ。いいか、よ


609:く聴けよ。好きな女を適当に選べ。嫌 がる奴は強姦しろ。しなくともいい。ただ、女は必ず殺せ」。軍曹の説明に、わあっとばかり兵隊達は女性群に殺到した。胸で十 字を切る女、助けを求めて人の名を呼ぶ女。悲鳴と怒号が飛び交い、月光の下で目を覆うばかりの地獄絵が展開されていった 。女性は30人余りだった。友清上等兵“敵に追い込まれた極限でも、強姦と虐殺は行われたということだ”。



610:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 21:35:00.16 YBO4TpP00.net
「彼女はその場に座り込み抱いていた幼児をさらに強く抱きしめた。反動的に私は2人に向けて銃剣を突き出していた。銃剣は
女性の抱いた幼児の脇腹に突き刺さった。その時幼児は身を起こそうとして私を振り仰いだ。その眼が私を見るやニコッと笑っ
た。それは信じられない、まるで天使のような顔だった。火のつくような泣き声をあげ、痙攣を始めたのはその直後である。しか
し私の殺害動作はそれで終わったのではない。一刻も早く息の根を止めねばと可哀相だと、しゃにむに銃剣を肉体に突き立て
ていた。現場を離れても体の震えはしばらく止まなかった。感情も乱れていた。抵抗もなし得ない女と幼児を殺した私には開き
直る以外に救いはなかった。現在、虐殺現場に小学校の建物はなく、校舎の跡地は開拓されて教会が建っている。その教会の
側に佇んでいると、必ず現地人が寄ってきて「アンチポロ」「アニラオ」「ジャパン」と3つ単語を唱えるように言って首を斬る真似を
する。しかし、的確に現場を指摘できる者は誰もいない。そこにあらためて私は罪の深さを知る。現市長とて知らないのである」
第86飛行場大隊はこの事件の翌月(3/21)、米軍に追われ山中へ落ち延びた。撤退行軍中、戦火を避けて夜の平地に潜んで
いた女性達を見つけた軍曹が兵に呼びかけた。「女の欲しい兵隊は集合しろ。いいか、よく聴けよ。好きな女を適当に選べ。嫌
がる奴は強姦しろ。しなくともいい。ただ、女は必ず殺せ」。軍曹の説明に、わあっとばかり兵隊達は女性群に殺到した。胸で十
字を切る女、助けを求めて人の名を呼ぶ女。悲鳴と怒号が飛び交い、月光の下で目を覆うばかりの地獄絵が展開されていった
。女性は30人余りだった。友清上等兵“敵に追い込まれた極限でも、強姦と虐殺は行われたということだ”。
敗戦から1ヶ月以上が過ぎて部隊は投降した。すぐに投降しなかったのは、「捕虜になると去勢され、地の果ての孤島で終生酷
使される」という投降防止の方便として流された虚言をひたすら信じていたからで、これは当時の日本軍人に限らず、日本国民
の観念でもあった。戦犯裁判で藤重大佐は「リパ事件その他の虐殺は関知するところでない」と言い張った。「責任は一切負う」
と言明したのに。生き残りの将校達はこれを聴いて唖然となった。横山中将(藤重大佐の上官)にとっても住民虐殺は寝耳に水
だった。殺害はすべて戦果として報告されていたのである。アニラオ、アンチポロ村民虐殺の当日の無電は「米比軍800を殲滅
せり」とあった。“集団虐殺”は“米比軍の撃破”とされていた。無電を受けた中将は感激の余り藤重大佐に賞詞を送り、マニラ東
方の全軍にこれを伝え、志気を鼓舞したのである。結局、藤重大佐は死刑宣告を受け刑場の露と消えた。

/手記のあとがきで友清高志さんはこう締めた。「私はこの一冊によって、旧藤兵団関係者の怨恨を買うことだろう。執筆中の5
、6年、得体の知れない電話も幾度か掛かってきた。しかし、38年も経った旧戦場を現在振り返ってみても、いまだに戦慄が身
を貫くのだ。“世界に冠たる”軍国日本の一部隊においてなされた行為こそ、歴史の一頁に書き留めねばならない内容であった
のだ。それ以外に他意はない」。

611:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 21:39:34.63 YBO4TpP00.net
紛乱の端を開いた新興国・米の登場
「最恵国待遇」の自由競争時代であり、特に支那に対してはヨーロッパ列強とアメリカが共同戦線を張った十九世紀が、正に二

十世紀に移らんとする頃には地球上において各列強により占有洩れの箇処はなくなって了った、ヨーロッパからの距離が遠か

った為め最も遅れて分割の舞台に上って来た太平洋も終にこの頃には最終的その列強への帰属を決定して了ったのである、こ

の事実に依って十九世紀において形態変化と範囲の拡大を行った諸列強に依る太平洋掠奪は再転して更に新なる様相を呈す

ることとなった、その根本的特徴はといえば既に一度事実上の分割を完了した太平洋を工業資本に代わる新支配勢力たる金

融資本が資本輸出を主要手段として再分割を行わんとする点にある、この事実は諸列強の太平洋侵略が更に強化したことを

意味すると同時に、諸列強の間に「自由競争」の代りに獅子の分前を争う深刻な争闘が開始されたことをも意味する、そしてそ

の対象となるものはいうまでもなく「不完全に」分割されている支那であり、二十世紀に入ってからの太平洋問題の焦点が支那

に集中される様になったのは正に上に述べた様な歴史的背景と理由とを基礎にした上で始めて理解出来るのである

支那を中心として太平洋再分割の闘争場裏に現れて来た諸列強、並に二十世紀以降の勢力の消長は次ぎの様である

ポルトガル
西太平洋への侵入の先駆者ポルトガルは現在においては衰徴して殆んど列強角逐の闘場に登場し得ない程になっている、馬

来のチモール、印度のゴア、支那の澳門を領有しているに過ぎない

スペイン
ポルトガルと同じく先駆者の一人であるスペインも十九世紀の末葉(一八九八年)米西戦争の結果として比律賓諸島を米国に奪

取せられてからは太平洋上にその領域を絶つに至った

オランダ
太平洋上における和蘭領は欧洲の半分の面積を持ちその人口も五千万人を超えているが本国の衰微はこれらの領有地を根

据地として列強角逐の第一線に和蘭を押しやることを許さない、しかもこれらの領地はその形式上の和蘭への帰図にも拘らず

漸次英米資本の□食に依って実質的にはそれらの列強の属領へと転化しつつある

612:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 21:41:08.72 YBO4TpP00.net
フランス
フランスも太平洋では最前線に立っている訳ではない、同国の太平洋貿易及び同国船舶の太平洋における航海比率はいうに

足りない、しかし領土関係からいえば相当豊富である、即ち仏領印度支那を有し、シャムの一部及び南支那の一部を半属領化

し又南太平洋上に点々たる島嶼を有している

イギリス
香港、英領北ボルネオ、セイロン、印度、海峡植民地、馬来連邦、馬来連邦外諸邦、オーストラリヤ、パプア、ニューギユア、ニュ

ージーランド、フィジー、ソロモン島等を有するイギリスが太平洋に於いて今日依然最大の勢力の一たる事実を否定することは

出来ぬ、ただ大戦以来アメリカの隆運に反し、衰微の色濃きこの老大国は太平洋においても必死にその頽勢をもり返えさんと

努力している

アメリカ
ハワイ、フィリッピン諸島、パナマ運河地帯、サモア、グアム等を領有するアメリカはその太平洋における領地からいえばイギリ

スの足下にも及ばない、これはアメリカが新興国として太平洋分割に遅れて乗出して来たからに外ならぬ、しかしながら今やア

メリカはその豊富なる資源と潤沢なる資本力を背景とし世界第一を誇負する大海軍を以って太平洋上唯一の残されたる獲物‐

支那‐を目標として虎視耽々たることは余りにも周知の事柄である

上に述べた様にアメリカが新興の意気と巨人的実力を以て闘争場裏に現れて来たことは二十世紀の太平洋紛乱の最大の原

因となったものである、独立戦争後の同国の急激な経済的な発展は十九世紀の末葉に至り、既に大量的な工業生産が単に国

内消費を充たす許りでなく、輸出のための剰余をも生する様になっていたのである、この変化した経済状態はアメリカの対外政

策の上に必然的な変化を及ぼさざるを得ない、十九世紀末葉の米西戦争、その結果としてのヒリッピン及びグアムの占領、並

に同時期におけるハワイ併合はこの変化したアメリカの対外政策を事実の上に顕現した第一声であった(つづく)

英米両国の争覇主要舞台は支那
新鋭アメリカの登場を動因とし、不完的分割の支那を主要な獲得闘争の対象として捲起された二十世紀の太平洋動乱は闘争

する列強が今や最高度に発達した金融資本を支配勢力とするということ、並に対象が大体支那に限定されているという二重性

を内包することに依って分前を争う列強間の争闘を前世紀の従位的地位から第一線に引きずり上げた、これら相争う列強間の

争闘のうちその最大なるものは太平洋においても尚依然として英米のそれである、全世界に亘るポンドとドルの争いはその規

模の大と、関係範囲の多岐とその性質の深刻さにおいて如何なる他の国の間の闘争もこれに比較するを得ない、アメリカは斬

然頭角を抜く新興の巨人であり、イギリスは衰えたりと雖も向その覇権はアメリカを除く他の如何なる諸国をも圧しているからで

ある、その様な訳でここで太平洋における最近の英米対立抗争に一頁を割くことは無意義ではない

太平洋問題の本質的要素の一である英米の争闘は太平洋のすべての国に行われている、両強国とも太平洋を獲得しようとし

ているがそのいずれもがへゲモニーを保持し得ないというのが事の真相である、今地域別に闘争の状態を示せば次ぎの如し

613:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 21:42:32.37 YBO4TpP00.net
一、イギリス自治領及び中南米
イギリスの自治領においては闘争の形態は大体経済闘争である、イギリスの太平洋自治領、特に加奈陀と濠洲においてはイギ

リスが最大の勝利を占めている、南アメリカ及び中央アメリアでも同じく経済的闘争が行われているが、これは発展して政治的

闘争になっている、中南米の国々で絶間なく起る内乱及びボリピヤとパラグワイの戦争の如きは背後に糸を引く英米の争いな

のである、だから内乱や戦争やと様々な形を取って紛乱が起るがそれは大体において英米の政治的闘争の変形物と看做すこ

とが出来る、太平洋沿岸に位する四つの南アメリカ諸国‐即ち智利、ペルー、エクアドル及びコロムビアにおいては特に従来の

貿易上の竸争が激烈である、又これらの国に対するアメリカの投資は素晴しく増大している、最近の資料に依ると智利へは七

億百万ドル、コロムビアへは三億二百万ドル、ペルーへは二億ドル、エクアドルへは五千ドルに達している、又メキシコにおいて

も中央アメリカ諸国においてもアメリカが断然優勢である、しかし、それにも拘らす激烈な斗争は依然として持続し、パナマ運河

の近接地帯においてすらこの運河の安全保障の問題について英米間に戦略的駆引きが行われている程である、この運河はア

メリカの太平洋支配の上において決定的意義を持っていることはいうまでもない

二、アジア沿岸における対立
アジアの沿岸にはイギリスは厖大な植民地帝国印度を初めとしてセイロン、ビルマ、馬来半島、ボルネオ、香港を有っており、ま

た□千万の人口を有するインドネシアを著しい程度に於て事実上支配している、英帝国に於る印度の役割はいうまでもない、馬

来半島及びインドネシアは世界のゴムの生産を殆んど一手に引受けている、ゴムの生産は今のところイギリスが独占していると

ころであるが、その主要消費国はアメリカであるからこの独占を繞ってアメリカとの間に猛烈な争いが展開しているインドネシア

及び馬来はまた石油、鉄、錫の巨大な生産地である、イギリスは多数の根据地とその長い植民政策の伝統に頼って現状維持

に努力しているに反し、アメリカは領土的野心こそ持たね経済的には全線的攻勢を持している

三、支那
英米の太平洋闘争の主要舞台はいう迄もなく支那である、アメリカは綿花、石油製品、鉄道用材、機械類、電気装置等の重要

貿易部門においてイギリスと激□□□□を行っている許りでなくまた投資の方面で竸争している許りではなく更にまた絹、皮革、

植物性脂肪等の原料資源獲得において対立している許りではない、アメリカの支那において希望しているところは支那の政治

及び経済の全機構において支配的な地位を獲得することにある、かくして獲得された政治的勢力を広汎に利用してイギリスを倒

し、日本を斥け、また有力政治家及び軍閥(現在の宋子文一派の如きはその好適例である)の間に自己の提携者を見つけ出し

これに軍事上及び財政上の援助を与え(軍事教官、軍事及び財政顧問、軍事材料、飛行機その他の各種武器の提供)彼等を援

助し以て支那市場全体を支配しようというのである、支那における英米抗争に於てもイギリスの防禦的形勢が顕著である、しか

しなお両者の間に抗争が終□したというのでは決してない(つづく)【写真はパナマ運河】

614:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 21:44:23.75 YBO4TpP00.net
制覇の夢を追う新興の巨人米国
太平洋を繞る英米争覇戦はアメリカの断然たる優勢裏に展開している、その状況のいわば平面的な描写はさきに述べた通りで

あるが、この太平洋の覇王を希望している新興の巨人の意図が奈辺にあるかを知悉せんがためには、彼が過去に歩み来った

足取りを、いわば発展史的に顧みることが必要である、このことは後に述べる様に太平洋、特に極東において断乎としてアメリ

カの無遠慮な進出に対抗し、且つ又それをなし得る実力を以ている唯一の国、日本とアメリカとの関係を観察する場合にも必要

である

前述の様にアメリカが太平洋分割の闘争場裏に登場して来たのは、その巨大な工業の発展が生産物の増加をもたらし、それ

が単に国内需要を充たす許りでなく輸出のための剰余を生ずるに至った時に照応する、これは十九世紀が二十世紀に移らんと

する頃ほいであった、何人も知るごとくアメリカには基本的な国策が三つある、モンロー主義、汎米主義及び極東の門戸開放機

会均等主義であるこれは何れもアメリカの経済的発展に照応して樹てられたものである、この三つのうち太平洋時代の旗印は

勿論門戸開放及び機会均等のそれでなければならぬ、一八九九年当時の国務郷ジョン・ヘイに依って支那の門戸開放に関し

て為された提議はアメリカの極東進出を告げ知らせる第一声で□□□、アメリカが対外進出の□□□□立したこの時期には、

その対象として残っていたものは太平洋においてすら不完全に分割された支那のみであったということ、しかもこの支那が他の

何物も優って優秀な市場を提供しているということ、一言にして掩えばアメリカが遅れて太平洋争霸戦に乗出さざるを得なかった

ということはアメリカをしてこの支那における門戸開放の叫びを挙げしむる直接の原固であった

十九世紀の後半、二十世紀の初頭における支那の「不完全な」分割状態はといえばロシアの満洲南下、フランスとの大借款の

締結、同時に鉱山及び鉄道の開発権並び敷設権を獲得せんとする列強の競争の結果は、一八九六年ロシアは南満鉄道、ドイ

ツは一八九八年山東鉄道、フランスは雲南鉄道のそれぞれ敷設権を得た各列強の資本はイギリスを先頭として支那に財政上

の援助を与へ、その代償として鉄道数設及びその利用に関する条約を手に入れた、また一八九八年には各国は支那沿岸の戦

略地点を租借した、ドイツは膠州湾、ロシアは旅順及び大連、イギリスは威海衛及び九竜半島、フランスは広東湾がそれである

、この様に租手粡地及び利権譲渡が設定された結果支那には各列強の「勢力範囲」が出来上った之が不完全な支那分割の状

態であり、しかもかくの如く各国の勢力圈が不分明ながら決定しているとすれば遅れてこの分割闘争に参加したアメリカが、こ

れに対抗するためのスローガンは正しく門戸開放、機会均等でなければならぬ、一言にしていえば支那へのアメリカの割込運

動である

アメリカの極東進出のスタート開始の旗印となった門戸開放主義は、アメリカの態度が漸次積極的となるにつれ次第に強化さ

れることとなった、一九〇五のハリマンの満鉄共同経営計画、一九〇九年の満鉄国際管理論及び錦州、愛暉を結ぶ蜿蜒一千

マイルに及ぶ錦愛鉄道敷設計画等はその現れである、これらの進出計画は日露両国の反対に依って一先ずいずれも挫折した

けれども、一九一一年に至るとき又に形を変えて表面化することとなった、それは同年支那政府とアメリカとの間に締結された

弊制改革及び企業を目的とする一千万ドルの借款である、アメリカは更らにすすんで之を基礎として米、英、独、仏四ヶ国の国

際借款シンヂケートを樹立せんと企てたが、支那第一革命の飛沫を喰って之亦挫折した、翌年に至り日露両国を加え六国シン

ヂケートをつくったが、米国は一九一三年ウイルソンが大統領に就任すると同時に突如として之から脱退した

615:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 21:46:51.70 YBO4TpP00.net
その後米国の投資家は米国国際企業会社の名において多少の活躍を試みていたが、支那の政情不安のため何ら捗々しき成

果をうるに至らなかった、かくて世界大戦が勃発するに至り、米国も亦これに引きずられて一切の対支活動を一先ず中止しなけ

ればならなくなった世界大戦は列国のそれ迄の支那における勢力分野に大変化をもたらした、アメリカの門所開放主義も新な

る情勢に応ずるためその内容を更新してこれに当らなければならぬ、それらのことは次ぎに説こう(つづく)


門戸開放主義は支那支配の武器 原則の変質と華府会議 対日制圧の魔曲
世界大戦は地球上の凡ゆる既存の勢力関係を一変したと同様、太平洋問題において新たなる因子をぶち込むこととなった、そ

り最大なるものは日本の躍進的発展である既に日清、日露の二大戦役を経てますます極東における唯一の安定勢力たる地位

を鞏固にした日本は、その存立と国家の発展のためには東亜の平和が絶対に必要である、それ故に大戦の開始と同時に太平

洋の平和維持のため独領の太平洋島□及び租借地膠州湾を占領してその責に任じた、この時代における日本の支那に対す

る特殊権益は一九一七年の石井・ランシング協定によって普く認められたところである、曰くアメリカは日本が支那において特殊

の利益を有し殊に日本の領土に接壌する地域において然ることを認めるというのである、これは明かに満洲における我国の特

殊権益を認めたものに外ならない
然るに大戦の終了するや今まで欧洲問題に没頭していたアメリカはその戦時中に蓄積した巨大な財力を背景として再び極東

問題に容□することとなった、アメリカはイギリスを誘って日本に対し猛烈な貿易競争を展開し始めた、このことが極東平和の守

護神をもって任ずる日本にとって不利な局面を提供するものであることは疑いないアメリカの更新され強化された極東進出はバ

ナマ運河開通に依って飛躍的に進展し、一九二一‐二二年のワシントン会議において一応の成果を得ることとなった

パナマ運河が正式に開通したのは一九二〇年である、この開通に際し米人はいった「極東は最早この運河の開通に依ってアメ

リカから遠いところではなくなった」と事実パナマ運河開通の太平洋問題において占むる意義は殆ど決定的である、これに勢い

を得たアメリカは日米間の極度の緊張の裏に一九二一年ワシントンに九ヶ国会議を招集した、ここで決定されたことは

一、 支那の主権、独立並に領土的及び行政的保全の尊重
一、支那における有力且つ安定せる政府の樹立及びその維持のため完全且つ障碍なき機会を与うること
一、 各国民の商工業上の機会均等主義を有力に確立し且つそれを維持すること
一、 友好国の臣民もしくは市民の権利を□殺すべき特殊権利若しくは特典を獲得するため、支那における政情を利用せす、又

友好国の安寧を害する行為を支持せざること

更に太平洋の制海権を確保するため日、英、米、仏、伊の五ヶ国間に締結された海軍軍備制限に関する条約においてはかの

有名なる主力艦に関する五・五・三の比率を日本に押つけたのである、日本は僅に同条約に太平洋の防備制限に関する規定

を挿入することに依って極めて不完全乍ら西太平洋における制海権を維持するを得たのである、一般的に見てこのワシントン会

議前後の時期は、アメリカの露骨な極東進出の時期であったといえる

616:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 21:49:09.43 YBO4TpP00.net
以上の経過を辿って到達した九ヶ国条約なるものはいうまでもなくアメリカの伝統的政策たる支那における門戸開放主義の内

容の更新ないしはその強化である、門戸開放主義を最初に中外に□明したケイ通牒においては、門戸開放主義の適用範囲は

比較的狭い貿易政策の範囲に限定されていた、これはアメリカが後れて支那分割に参加したこと、それ仕官に先ず当初におい

ては各列強の勢力範囲を含めて一般的な自由市場の保障が必要であったことに基因している、しかるにアメリカはその当時の

貿易上の利益を計る政策と共に、初めから遠大な政策を樹立し、広汎なる東洋貿易の発展を目論んでいた、アメリカの貿易に

対する差別的待遇は将来の成功の道を塞く障壁と見なされたので、これを打破するため門戸開放、機会均等主義が最も恰好

な闘争手段として採用されたのである、しかし政治上の主義としては解釈の如何によってそれが伸縮自在であることは明かで

ある、アメリカがこれに対し常に最も広い解釈を与え貿易政策の限界をはるかに超えて支那の政治的並に経済的支配の基礎

自体に触れるものとしてこれを取扱って来たのはいうまでまない、これ九ヶ国条約において特に明確に門戸開放の原則が支那

の領土的及び行政的保全の原則と結びつけられている所以である、この領土保全の原則はアメリカが当初ヨーロッパ列強の支

那分割に対する防塞として、後には日本の正当なる極東平和維持の要求に対する障壁として提唱したものである、今や上述の

記事に依って明がなるが如く、アメリカの門戸開放主義なるものは九ヶ国条約に於て明瞭なる表現を得たごとく、当初の解釈内

容より発展し、変質してアメリカの支那的体に対する独占的支配の手段、その武器となっていることを認めなければならぬ、これ

前稿において大戦後の新情勢は門戸開放主義の内容を更新させたといった所以である(つづく)


問題の要因は何? 豊庫は招く列強の争覇
以上に述べたところは二十世紀における、特に大戦後における太平洋紛乱の種々なる要因である、今やこれを総括し国際政

治の全局面において太平洋問題の比重が如何に増大したかを見なければならぬそして現代を太平洋時代と呼ぶ所以のものは

単に太平洋における紛乱が増加したからという絶対的な意味から計りではなく、大西洋問題に比し、太平洋問題の比重が増し

、且つますます増大しつつあるという相対的な意味においても然るのであるということを理解しなければならぬ、これが問題の根

本的な理解であるからである

政治的な観点において、世界政治の重点が大西洋から太平洋に移るであろうということはその事実が現出する前からしばく予




617:的にいわれて来たところである、現在この予言わ比重決定の基礎的一要件たる世界貿易の上に起った変動の上に、明確な 統計的数字となって現れて来ている、この世界貿易上の変動は一九一五年(正式には一九二〇年)パナマ運河が事実上開通し てから特に顕著となって来ている、‐さきにパナマ運河の開通が太平洋問題において決定的意義を有するといったのは正しくこ れらの点を指すのである、パナマ運河開通に依ってニュー・ヨークから西海岸への航路は一万マイルも短縮されることとなった ので、太平洋を利用する船舶は急激に増加した、一九二四年には早くもパナマ運河を通過する貨物の量はスエズ運河を凌駕す る様になった、次ぎの数字は世界貿易における大西洋と太平洋の地位を示している、これに依れば大西洋貿易は急激に減少 しているに引き換え、太平洋貿易は増大している



618:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/09 21:55:06.09 YBO4TpP00.net
【一九一三年の貿易額を一〇〇として算出した一九二五年の指数である】
ここにおいてか太平洋問題の意義は重大化した、その事情を分析すれば大体次ぎの三つに要約することが出来る

(一) 列強の領土分配に於ける変動
世界大戦の結果、特にドイツの敗北と衰徴によって欧洲全体が疲幣し、イギリスが弱くなったために、その必然的結果として世

界政治における欧洲の地位、従って大西洋全体の比重が低下した、その結果はまたアメリカが世界経済‐政治の重心となった

、アメリカの経済力の発展は現在世界最大の債権者たるアメリカ資本の海外発展と結合しており、アメリカの利害関係は殆んど

全世界の隅々まで行き渡っている、それ故アメリカは最重要資源の獲得を大規模に計画し戦闘的な攻撃政策をとっている、い

わゆる平和的侵入政策から領地占領政策に変った、だがアメリカは大西洋強国であるよりも、むしろ太平洋強国であるアメリカ

の発展は太平洋を超えて極東及び大洋洲に向っている

(二) 英米対立と日本の進出
世界大戦後支那における日本の地位が強大となるにつれ、ある短期間英米共同戦線の時代がつづいた、しかしこの協調は極

く短期間で終りを告げ、英米の対立は再び激化した、僅かな植民地しか持たないが急激に発展するアメリカと厖大な植民地を

持ちながらドンドン蚕食されてその植民地を失い行くイギリスは到底融和出来ない、この競争の舞台はやはり太平洋であり、い

ずれにせよ太平洋と関係ある諸国であることは疑いのない事実である、又日本が世界一流の強国となったことは世界政治の重

心を太平洋に移動させることを促進した、日本は世界大戦中支那及び満洲に確固たる基礎を築いて来たが、この特殊権益の

維持は極東平和のため日本として譲る可からざるものであるから英米の不当な進出に対し日本が断乎として防衛に出づるのは

当然である、かくて日本は太平洋争覇戦において今や英米に取り第一流の敵手である

(三)植民地争奪戦の激化
太平洋上には各列強の最も重要な植民地があり、其分配及び再分配のため各国が争っている、フィリッピン、グアム及びハワ

イ、印度支那、半植民地シャム、東印度諸島、馬来半島、大洋洲、印度等が太平洋に横わっているまた各列強が垂涎措かざる

最重要市場の支那も亦太平洋に属している、支那争奪戦の帰結は或る程度迄全世界における列強の勢力関係という根本問

題を決定するから、この争奪戦はいよいよ熾烈化することは必定である、だが植民地及び半植民地といえども現在においては

昔日のそれではない、列強の分割及び再分割が以前の如く易々として行われることは出来ぬ、列強間の矛盾は本国と植民地

間の矛盾と絶えず交錯しており、植民地に対する列強の支配は動揺を重ねると同時に益々狭って行くのが事実である、これ最

近における太平洋問題重大の‐そこには世界に於て最も重大な植民地、半植民地が存在するが故に‐新たなる要因である

619:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 06:52:42.32 NDgTW97/0.net
描かれる戦争線 秘められた外交工作の裏と着々進む軍備競争の激化
華府会議以後の時代、即ち世界的な戦後沈衰期に於ては、各国共対外侵出より、むしろ国内整備に汲々たる有様であった、

勿論このことはアメリカの如き特異な地位にあるものは例外であるが、一般的な傾向としてはこれを認めざるを得ない、経済政

策の分野においては生産増加策の代りに合理化政策が採用され、対外政策においてもむき出しな進出政策の代りに控目な政

策が代置された、しかし乍らこれは勿論程度の差をいっているのに過ぎぬ、この時期が全然無風時代であったという意味では

ない、ただ大戦直後の露骨な列強、とりわけアメリカの極東進出の時代に比し、相対的な意味において静穏な時代であったと

いうに過ぎない、アメリカの手控えは又日本をして頗る平和な方策を採らしむる所以ともなった、蓋し極東平和維持を目的とする

日本の政策は、之を撹乱する分子が出現しない限り、そうすることが当然であったからである、一九二三年には北樺太をのぞく

ソヴエト地域から撤兵し、一九二五年には日蘇条約が締結され北樺太からも撤兵した、支那に対しても何等の新規なる方策に

出るところはなかった、しかるに、アメリカはこの時期においてすら対支投資を増大したり、南京政府と結託してこれを自己の傀

儡とし軍事、財政等の顧問及び専門家を送って東洋平和を撹乱する方策をとることを忘れなかった、特に満洲に対しては張作

霖政権の操縦に全力を傾注し事毎に日本の特殊権益を蹂躙する態度に出た

一九二九年の九月、アメリカの株式取引所恐慌を発端として、瞬く間に全世界を捲込んだ空前の世界恐慌は、太平洋問題の様

相を三転しむることとなった、この世界恐慌を背景として太平洋問題は非常にハッキリした性質をとる様になった、世界恐慌の

結果は太平洋において他のいずれの地方に比較しても、最も鋭く現れた、極東諸国においては猛烈な農業恐慌が経済恐慌と

結びつくと共に、各列強は恐慌による負担の一部を植民地諸国に転嫁せしめんとする方策に出たからである、この様な恐慌の

事情の下においては列強の植民地、半植民地蚕食が激化するばかりでなく、この蚕食をめぐって各列強間の対立が以前にも増

して激化することは当然である、これに前にも述べた様に土着民の蚕食に対する反抗という要素がこの恐慌期を通じて激化し

たという事実を認めなければならぬ

アメリカはこの恐慌によってアメリカの繁栄が世界の政治経済における諸事件や、外国市場の状態によって非常に左右される

ことを改めて一層はっきりと知ったのである、かく恐慌はアメリカの攻勢的外交政策の一層の積極化を促進した就中アメリカのこ

の積極政策に対抗し、極東平和を維持せんがためには日本が永き懸案である満洲問題の解決に手を触れざるを得なかったの

は当然である、しかるに満洲事変並にその後のアメリカの態度は更に一層激化した、スチムソン外交が最も活躍したのはこの

頃である、上海事変の直後スチムソンは断乎たる極東進撃を夢想し、全鑑隊を太平洋岸に集中した、しかるに当時の海軍作戦

部長ブラット大将はその不可なるを極論し、遂にこれを思い止まらしめた
という愉快な挿話か残されている、だがスチムソン外交の本質がこれに依って覆えされたのでも何でもない、アメリカが極東進

撃を敢て企てなかった所以のものは準備未だ整わなかったが故のみである、その後スチムソンは退場しハル外交が代った、焦

土外交は揚棄されて万邦協和を目的とする広田外交が登場した、現在の時期は広田・


620:ハル覚画に依ってカームフラージしなが ら双方共必死の決戦準備をととのえている時期である、その準備成るの日は太平洋争覇戦が最高潮に達する時期である、今 や太平洋問題は経済的政治的問題の段階を経て軍事的最高峰の一歩手前まで来いる、ここにおいて我我は筆を改めて現在 における太平洋問題の集中的表現たる海軍問題について触れねばならぬ(つづく)



621:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 07:00:16.20 NDgTW97/0.net
争覇戦の二枚目役 決定権の把握を目指す英国 無敵艦隊の名やいま何処?
現在の段階における太平洋問題の集中的表現たる海軍問題に就いては先ず太平洋全局面における関係列強海軍力の勢力

関係から見て行かねばならぬ

イギリス
大英帝国は太平洋上に大なる政治経済上の利害を持っている英国の賢易線は英本国を発し地中海から紅海、印度洋を経て太

平洋至るものをその大動脈としている、太平洋上の海国海上質易は二つの潮流に分岐し、一つは新嘉坡、香港を経て極東に

向い、他は南太平洋の自国領土に向っている、太平洋上の大英帝国の海上貿易を保護し印度及び太平洋上の領地を守護す

るためには、イギリスはその大艦隊を何等の支障なしに太平洋上のどの地点へでも回航し得る様な海軍根拠地の組織網を持っ

ていなければならない、大英帝国が持っている二十六の海軍根拠地の中、十七は太平洋に在るのはそのためである
ジブラルター、マルタ、スエズ、ボートサイド、アデン、ボンベイ、ツリンコマリ、コロンボ、ラングーン等の根拠地何物にも脅威され

さる大英艦隊太平洋回航の道筋をつくっており、その尖端に第一等の海軍根拠地たるシンガポールがある
世界航路の結び目であるシンガポールは政治上並に戦略上重大なる意義を有している、イギリスは太平洋支配の基本根拠地

として多年これが築造に努力して来た、一九二四年マクドナルドの第一次労働党政府に首班たりしとき、財政難を理由とし平和

主義を口実として一時この築造を中止した、しかし保守党政府は一九二五年、再び一九三五年九月までを期限としその建造に

取りかかった、現在極東における第一等の根拠地は香港である、南太平洋にはオークランド、ポート・ダーヴィン、シドニイ等の

根拠地を有している
しかし万一太平洋上に戦端が開がれる場合、イギリスが動員し得る海軍力如何は充分解剖して見る必要がある
完全なる根拠地網を縫って太平洋上に急航することが出来るという蓋然性をその侭肯定するとしてもまた平常から太平洋に常

置されている遊撃艦隊が主力艦隊の到着迄これらの根拠地を保護するに足りるとしても、かくの如く到着した英国艦隊が日本

艦隊と戦ふう場合には数段の見劣りを見ぜることは必定である
蓋し決戦場と想定される黄海、もしくは東支那海においては最後の根拠地がらの距離からいうも同海面上の戦闘訓練習熟の

点からいっても日本は断然優勢である、イギリス主力艦隊は最も近いところでもシンガポールから出発しなければならぬから、

況んや全世界に亘り広大なる範囲を有するイギリスが一戦場にその主力を集中し得ると考えるが如きは初めから問題とはなら

ない、イギリス海軍が数量的には世界第一であり乍ら、その構成の根本は警察海軍たるにあるしかしイギリス海軍に課せられ

たこの不可避的な配備は近代海軍の原則たる集中主義、決戦主義とは相容れないものである、この点に関してはロビンソン中

佐が現在のイギリス海軍政策の根本方針が他の二国の決戦においてキャスチング・ボートを握るにあると告白しているのは自

らを知るものというべきである、この点に関してはアメリカのテ


622:インカー少佐もフランスのデラージ少将も同じ評価を下している、 西太平洋に於る絶対的海軍勢力の日本に対し、イギリス海軍は到底挑戦することは出来い□だから、またイギリが太平洋にお いてへゲモニーを獲得することは断じて不可能な状態にあるのだイギリス海軍の太平洋進攻作戦の困難については、イギリス における大海軍論者ウインストン・チャーチルや、ヂュットランド大海戦における巡洋戦艦隊司令長官であった同国海軍の耆宿 ビィティー元帥が議会においてその絶望に近いことを嘆いている太平洋進攻を断行せんとせば北海、地中海の海上覇権はこれ



623:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 07:02:07.21 NDgTW97/0.net
西太平洋に於る絶対的海軍勢力の日本に対し、イギリス海軍は到底挑戦することは出来い□だから、またイギリが太平洋にお

いてへゲモニーを獲得することは断じて不可能な状態にあるのだイギリス海軍の太平洋進攻作戦の困難については、イギリス

における大海軍論者ウインストン・チャーチルや、ヂュットランド大海戦における巡洋戦艦隊司令長官であった同国海軍の耆宿

ビィティー元帥が議会においてその絶望に近いことを嘆いている太平洋進攻を断行せんとせば北海、地中海の海上覇権はこれ

を断然放棄する覚悟でかからねばならない、主力戦隊をシンガポールに送った後の本国残留部隊は一夜にしてスペイン海軍の

線に低下する、かつての無敵艦隊の母国も、現在においては海軍というには殆んど当らない実勢力しか有っていない、かくてス

ぺイン線に低下したイギリス海軍は無造作に近接諸国の海軍に撃滅されて了う
このような事情はイギリスの主力艦隊を太平洋に送るとを絶対に妨げている、また歴史的に見ても英国の海上覇権掌握以来そ

の主力を外洋に出したためしはない、第三国間の決戦におけるキャスチング・ボートの把握、これがイギリス海軍の根本方針な

のだ、シンガポール大軍港の築造は、だから決して主力艦隊太平洋廻航の根拠地を作るという意味ではなく、第三国との連合

作戦根拠地、並にその属領に対する恫喝の機関として解すべきであろう

イギリス海軍の太平洋における地位は以上に依って従属的意義しか持ち得ない、他の二大強豪の対立する勢力が均衡した場

合、その向背がいずれかの勝敗に対してキャスチング・ボートとなるというのが、その全意義である、だから、これを単独な直接

の相手としては、日本にとって間違いはなく、それかといってこれを敵に廻すことは第三国との決戦場合、勝敗率を低下させる

から、これも出来ないという関係にある(つづく)

日米決戦は必然? 何を意味するかプラット提督の放言『支那の為に戦う』
世界三大海軍国のうち、太平洋決戦におけるイギリスの地位は前に述べた如く従属的な意味しか持っていない、東太平洋の覇

者アメリカと西太平洋の支配者日本こそが争覇戦における対立者である、全太平洋を支配せんとするアメリカの意志は何よりも

先ずその基本的海軍政策のうちに明瞭に述べられている、曰く米国海軍はその国策及び商業貿易を支援し、合衆理の本土と

海外領土を防護する為充分なる勢力を維持するものならざる可からずと
而して基本政策の根幹たる国策の支援とは、現在の段階においてはモンロー主義或は汎米主義の支援ではなく、外ならぬ支

那に於ける門戸開放、機会均等主義、その領土及び行政を保全せんとする主義
露骨に云えばその独占的支配‐植民地化の政策に奉仕せんとするものである既にアメリカ海軍の目的にしてかくの如くなる以

上、その極東進撃は必然的体勢にあり、之に対して西太平洋制海権の維持がその国家存立上必須の要件を成している日本

が拱手傍観してその進攻を漫然眺めていることは出来ないのである、ここに太平洋決戦の必然性と可能性が横はっている

624:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 07:04:18.59 NDgTW97/0.net
一般的に云って太平洋、特に西太平洋においてはアメリカは一方には厖大な資源を擁しながら、その防備の点においては比較

的弱点を暴露している、この主要な歴史的原因は云うまでもなくアメリカが太平洋争霸戦に遅れて参加したことにある、太平洋

上におけるアメリカの群島領地は次の如しも即ちアリューシャン群島、ハワイ群島、ミッドウェー島、グアム島、比律賓群島、サモ

ア群島、華府条約では締約各国に太平洋上の群島に新しい海軍根拠地や要塞を築造するとを禁止した
アメリカがこの条約�


625:ゥら除外例を認められているのは、合衆国の太平洋岸に 直接連らなる群島とパナマ運河地帯及びハワイ群島だけである比律賓、グアム、サモア群島には前記華府条約中の太平洋防 備制限条項に依り防備を施すことが出来ない、徒ってアメリカはワシントン会議以後ハワイ群島に主要海軍根拠地を設けようと 努力して来た一九二四年以来、ハワイ群島に海軍根拠地真珠湾を築き、優秀な船渠、燃料貯蔵所を設けた、現在では遊撃艦 隊の根拠地であるが、必要の場合には直ちに主力艦隊の根拠地に転化させることが出来る、ハワイ群島の戦略的意義は、現 在のところでは主としてアメリカの太平洋沿岸を西方から攻撃されるのを防ぐ有力な前哨陣地であると云う点にある しかしアメリカ艦隊が西太洋に進攻するための根拠地としてはハワイ軍港の意義は限定されている蓋しハワイ群島から西太平 洋のアメリカ領までの距離は余りにも遠過ぎるからである、(ハワイから比律賓迄は四千七百六十二浬、グアム迄は三千三百三 十浬である)それ故に根拠地関係から云えばアメリカ海軍が真珠湾を出発して日本に進攻することは現在の勢力関係のもとに おいては考えられず、又日本艦隊が比律賓又はグアムを占領することを防止することは出来ない、アメリカの太平洋における根 拠地は以上の如くその全面的支配のためには頗る不十分である、アメリカが日本に優越し得る場合は、根拠地関係からいえば 、次ぎの如き場合においてのみである、即ち英米間に妥協が成立しアメリカの太平洋海軍作戦にイギリスの極東根拠地‐特に 完成後のシンガポール‐を用い得る場合においてのみである、イギリスが太平洋上の争霸戦においてキャスチング・ボートを握 っているということは単に艦隊勢力の場合にだけでなく、根拠地関係においても然りである 根拠地関係からいうとアメリカの太平洋の全面的支配は頗る不利なる立場におかれているにも拘らず、アメリカ海軍の戦略的 目標が極東進攻にあることは疑いない、クラウゼヴィッチ流のプロシヤ的戦略論の流れを汲むアルフレッド・マハン大佐を濫□と して、ブラット提督において集大成せられたところのアメリカ海軍戦略は一貫して極東進攻をその底流としている、マハン戦略の 根幹は近代戦の基本原則たる集中主義、決戦主義の思想である、米国海軍の兵力集中主義は実にこのマハンの思想を基礎 として生れたものであり、大艦隊の渡洋作戦戦法たる輪型陣戦法のごときもこれを母胎として生れたものである マハン戦略はバイ大佐、及びマイヤース大佐において更に一歩前進を見た、兵力集中によって敵を殲滅せんとする思想である 、ブラット提督はかかる過去の戦略思想を総括し、これらの理論を実践化した、それは大家の例に洩れず、表面極めて平和的 粉飾で糊塗されているにも拘らず僧衣の蔭からは物々しい甲胃が覗いている「我々は支那のために戦わざる可からず」という下 院における同大将の告白は、その真意を最も雄弁に物語っている、ブラット提督的粉飾的思想は最近において最も手痛い批判 を受けているタルボット大佐はその最近の論文においてアメリカ海軍を警察海軍に低下せしめんとする一部の思想に対して 猛烈な攻撃を加えた更に本年海軍賞を得たウイルフレッド・ホルムズ大尉も太平洋決戦論を強調している、これが今日のあめり か海軍の真意である



626:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 07:06:53.65 NDgTW97/0.net
米国の制霸成るか『砲火を交えぬ戦争』海軍会議の有つ歴史的重要な意義
大洋上における決戦そのための兵力集中、対敵掃滅の戦略的根本思想に基いて打ち樹てられたのが太平洋進攻作戦である

、既にして大艦隊が遠洋作戦を行うという以上、先ず第一に必要なるとはその編制の均斉化と艦艇の航続力の拡大を円るとで

ある、この目的を達成せんがため米国は華府、ロンドン両条約を通じ各艦種の整然たる勢力比の決定を国際的に認識せしめた

、実によく平均のとれた艦隊の建設こそはアメリカ海軍多年の希望であった
航続力の増大に就いてもその多年に亘る努力の結果今やアメリカの右に出づるものはない、さてかくの如く仕上げられたし在

艦隊を如何にして太平洋に進出せしめるか?
アメリカ海軍はその進攻に都合のいいように編制の根幹を次の点においている、即ち平時編制は常に戦時編制に則ること、故

に戦時編制は平時編制の拡大を以て足るようにしておくこと、かくて合衆国艦隊は太平洋艦隊と大西洋艦隊に二分され、太平

洋艦隊は戦闘部隊と称して、ここにアメリカ海軍の全主力を集中し、大西洋艦隊は索敵部隊と称し甲級巡洋艦を中心とする遊

撃部隊である
この平時編制が戦時においてはそのまま拡大されて戦時編制となるこの一事のみを以てしてもアメリカ海軍が何を仮想敵とし

ているかが判る、アメリカ海軍の編制は以上の二大部門の外に艦隊根据地部隊(フリート・ベース・フオース)と亜細亜艦隊があ

るが、このうち極東進攻作戦に参加するものは戦闘部隊と索敵部隊とであり、亜細亜艦隊は比律賓を根拠地としてこれに策応

する

さて上の如き米国艦隊が前進根拠地たる布哇の真珠湾を出発して極東進撃を完了せんがためには、その途上を安全に決戦場

まで到着することが先決要件である、この目的のために考案された航行隊形がかの有名なる輪型陣法(リング・フォアメーション

)である、輪型陣法の遂行のためには先ず以てこれに要する所要の各種艦艇を必要とする、これアメリカが均斉海軍の樹立に

全力を注いでいる所以である
さて輪型陣とは主力艦隊及び補給部隊を中心圏内に置き、主力艦隊を中心として二十浬の半径を以て第一円を書く、この線上

に軽巡洋艦を配備して内方の直接警戒に当たらせる、更にその線を拡大して五浬間隔に一円を書きこの線上には駆逐艦を配

備する、更にその外方視認距離の範囲内において一円を書き、その線上に潜水艦を配備し、三段構への警戒網を展張してこ

れを主力艦隊の直衛とする、この直衛部隊の前方二百ないし五百浬の距離を隔てて巡洋艦十一隻を画間一横列に配備し、各

艦の間隔二十五浬合計幅二百五十浬の海面に捜索列を布くのである、この哨戒は夜間はは一列横陣となって各列の距離を二

百浬として推進する、これは夜間第一列に潜入した敵に対して翌朝第二列で発見しようとするものである、またこの前哨線以外

において八隻の巡洋艦は各艦約十二浬の距離を隔てて略八角形を作って前後左右の警戒をする
この輪型陣行進のうち重要なる点は警戒航行隊形のうち、八吋砲巡洋艦と六吋砲巡洋艦、並に駆逐艦を如何に使用するかと

いうことである、現在のところでは直衛部隊に六吋砲巡洋艦、捜索列に八吋砲を配備することになっている、しかしかくの如き堅

牢な推進隊形と雖も、敵の奇襲を全然防止することは出来ない、特に潜航艇の発達した今日では然りである、さればこの輸型

陣行進と雖も常に直進しうるものではなく、逆に絶えずヂグザグな航路をとらねばならない、これをZ航法という

627:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 07:09:14.07 NDgTW97/0.net
かかる壮大なるパレードを可能ならしむるためには、そこに何らかの理論的根据がなければならぬ
天才的戦略理論家クラウゼヴィッチは其「戦争論」において攻撃軍減耗の原理を明かにし、攻撃軍が必勝するためには防禦軍

に対し「五割を下らざる優勢」を絶対必要条件とした、この原則はその後の戦争の経験、特に世界大戦の経験に依ってその真

なることが裏書された、この原理は単に陸戦の場合においてのみならず、海戦にっていも妥当する、今攻撃軍をN1とし、防禦軍

をN2とすれば、次ぎの算式に依って優勢率を算出することが出来る
N1‐N2=X X+N2=優勢率
今華府、ロンドン二条約に依って主力艦、主要補助艦を通じて日、米海軍の勢力比は十対六となっている、この数字を前記の

算式に当てはめれば
10‐6=4 4+6=0.67
で米国は日本に対し六割七分の優勢率をもつこととなり、これをクラウゼヴィッチの攻撃軍必勝の原理に照合すればアメリカ海

軍は優に日本に勝つことが出来る、これが対米七割の場合には米国の優勝率は四割三分となり戦略的守勢の立場にある日

本は初めて安全感を最小限度に満足しうることとなる、しかしこれは他の条件を全部度外視し、純粋な形に於ける戦争に就いて

のみ考えられることであるから、現在の段階に於ける複雑なる戦争に就いては必ずしもそのまま妥当するものでないこと勿論で

ある

アメリカの条約海軍の完成は以上述べたところに依って其太平洋進攻を可能ならしむる理論的並に実質的な基礎を打ち立てる

こととなる、米国はその完成に汲々としている、これが出来上ったときは即ち太平洋決戦の可能性が初めて現実に形成される

ときである、この意味で「砲火を交えざる戦争」たる明年の海軍会議は正にその重大性を認められていいのである

628:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 07:16:00.83 NDgTW97/0.net
制覇の夢を追う新興の巨人米国
太平洋を繞る英米争覇戦はアメリカの断然たる優勢裏に展開している、その状況のいわば平面的な描写はさきに述べた通りで

あるが、この太平洋の覇王を希望している新興の巨人の意図が奈辺にあるかを知悉せんがためには、彼が過去に歩み来った

足取りを、いわば発展史的に顧みることが必要である、このことは後に述べる様に太平洋、特に極東において断乎としてアメリ

カの無遠慮な進出に対抗し、且つ又それをなし得る実力を以ている唯一の国、日本とアメリカとの関係を観察する場合にも必要

である

前述の様にアメリカが太平洋分割の闘争場裏に登場して来たのは、その巨大な工業の発展が生産物の増加をもたらし、それ

が単に国内需要を充たす許りでなく輸出のための剰余を生ずるに至った時に照応する、これは十九世紀が二十世紀に移らんと

する頃ほいであった、何人も知るごとくアメリカには基本的な国策が三つある、モンロー主義、汎米主義及び極東の門戸開放機

会均等主義であるこれは何れもアメリカの経済的発展に照応して樹てられたものである、この三つのうち太平洋時代の旗印は

勿論門戸開放及び機会均等のそれでなければならぬ、一八九九年当時の国務郷ジョン・ヘイに依って支那の門戸開放に関し

て為された提議はアメリカの極東進出を告げ知らせる第一声で□□□、アメリカが対外進出の□□□□立したこの時期には、

その対象として残っていたものは太平洋においてすら不完全に分割された支那のみであったということ、しかもこの支那が他の

何物も優って優秀な市場を提供しているということ、一言にして掩えばアメリカが遅れて太平洋争霸戦に乗出さざるを得なかった

ということはアメリカをしてこの支那における門戸開放の叫びを挙げしむる直接の原固であった

十九世紀の後半、二十世紀の初頭における支那の「不完全な」分割状態はといえばロシアの満洲南下、フランスとの大借款の

締結、同時に鉱山及び鉄道の開発権並び敷設権を獲得せんとする列強の競争の結果は、一八九六年ロシアは南満鉄道、ドイ

ツは一八九八年山東鉄道、フランスは雲南鉄道のそれぞれ敷設権を得た各列強の資本はイギリスを先頭として支那に財政上

の援助を与へ、その代償として鉄道数設及びその利用に関する条約を手に入れた、また一八九八年には各国は支那沿岸の戦

略地点を租借した、ドイツは膠州湾、ロシアは旅順及び大連、イギリスは威海衛及び九竜半島、フランスは広東湾がそれである

、この様に租手粡地及び利権譲渡が設定された結果支那には各列強の「勢力範囲」が出来上った之が不完全な支那分割の状

態であり、しかもかくの如く各国の勢力圈が不分明ながら決定しているとすれば遅れてこの分割闘争に参加したアメリカが、こ

れに対抗するためのスローガンは正しく門戸開放、機会均等でなければならぬ、一言にしていえば支那へのアメリカの割込運

動である

629:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 07:25:18.59 NDgTW97/0.net
制覇の夢を追う新興の巨人米国
太平洋を繞る英米争覇戦はアメリカの断然たる優勢裏に展開している、その状況のいわば平面的な描写はさきに述べた通りで

あるが、この太平洋の覇王を希望している新興の巨人の意図が奈辺にあるかを知悉せんがためには、彼が過去に歩み来った

足取りを、いわば発展史的に顧みることが必要である、このことは後に述べる様に太平洋、特に極東において断乎としてアメリ

カの無遠慮な進出に対抗し、且つ又それをなし得る実力を以ている唯一の国、日本とアメリカとの関係を観察する場合にも必要

である

前述の様にアメリカが太平洋分割の闘争場裏に登場して来たのは、その巨大な工業の発展が生産物の増加をもたらし、それ

が単に国内需要を充たす許りでなく輸出のための剰余を生ずるに至った時に照応する、これは十九世紀が二十世紀に移らんと

する頃ほいであった、何人も知るごとくアメリカには基本的な国策が三つある、モンロー主義、汎米主義及び極東の門戸開放機

会均等主義であるこれは何れもアメリカの経済的発展に照応して樹てられたものである、この三つのうち太平洋時代の旗印は

勿論門戸開放及び機会均等のそれでなければならぬ、一八九九年当時の国務郷ジョン・ヘイに依って支那の門戸開放に関し

て為された提議はアメリカの極東進出を告げ知らせる第一声で□□□、アメリカが対外進出の□□□□立したこの時期には、

その対象として残っていたものは太平洋においてすら不完全に分割された支那のみであったということ、しかもこの支那が他の

何物も優って優秀な市場を提供しているということ、一言にして掩えばアメリカが遅れて太平洋争霸戦に乗出さざるを得なかった

ということはアメリカをしてこの支那における門戸開放の叫びを挙げしむる直接の原固であった

十九世紀の後半、二十世紀の初頭における支那の「不完全な」分割状態はといえばロシアの満洲南下、フランスとの大借款の

締結、同時に鉱山及び鉄道の開発権並び敷設権を獲得せんとする列強の競争の結果は、一八九六年ロシアは南満鉄道、ドイ

ツは一八九八年山東鉄道、フランスは雲南鉄道のそれぞれ敷設権を得た各列強の資本はイギリスを先頭として支那に財政上

の援助を与へ、その代償として鉄道数設及びその利用に関する条約を手に入れた、また一八九八年には各国は支那沿岸の戦

略地点を租借した、ドイツは膠州湾、ロシアは旅順及び大連、イギリスは威海衛及び九竜半島、フランスは広東湾がそれである

、この様に租手粡地及び利権譲渡が設定された結果支那には各列強の「勢力範囲」が出来上った之が不完全な支那分割の状

態であり、しかもかくの如く各国の勢力圈が不分明ながら決定しているとすれば遅れてこの分割闘争に参加したアメリカが、こ

れに対抗するためのスローガンは正しく門戸開放、機会均等でなければならぬ、一言にしていえば支那へのアメリカの割込運

動である

630:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 21:55:29.81 vJ/o7xuI0.net
衝撃の問題作 いよいよ発売

日中戦争は陸上航空兵力配備、それによる予算拡大を目論む海軍が
自作自演の大山事件を捏造し中国空爆を強行するという
山本五十六らの計画的な謀略によって起こされた戦争だった。



● 「海軍の日中戦争」 日米開戦への破滅のシナリオ 笠原十九司著

日中戦争から日米開戦に陸軍を引きずり込んだのが実は海軍であった事実を解明し、
海軍善玉論の通説を実証的に覆す衝撃作。

この本の内容
通説では「海軍は陸軍に引きずられた」とされるが、
これは意図的に流布された海軍善玉論だ。
日中戦争から日米開戦に陸軍を引きずり込んだのが
実は海軍であった「事実」を実証する衝撃作。


URLリンク(www.heibonsha.co.jp)

631:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 22:31:33.55 NDgTW97/0.net
アメリカの極東進出のスタート開始の旗印となった門戸開放主義は、アメリカの態度が漸次積極的となるにつれ次第に強化さ
れることとなった、一九〇五のハリマンの満鉄共同経営計画、一九〇九年の満鉄国際管理論及び錦州、愛暉を結ぶ蜿蜒一千
マイルに及ぶ錦愛鉄道敷設計画等はその現れである、これらの進出計画は日露両国の反対に依って一先ずいずれも挫折した
けれども、一九一一年に至るとき又に形を変えて表面化することとなった、それは同年支那政府とアメリカとの間に締結された
弊制改革及び企業を目的とする一千万ドルの借款である、アメリカは更らにすすんで之を基礎として米、英、独、仏四ヶ国の国
際借款シンヂケートを樹立せんと企てたが、支那第一革命の飛沫を喰って之亦挫折した、翌年に至り日露両国を加え六国シン
ヂケートをつくったが、米国は一九一三年ウイルソンが大統領に就任すると同時に突如として之から脱退した

その後米国の投資家は米国国際企業会社の名において多少の活躍を試みていたが、支那の政情不安のため何ら捗々しき成
果をうるに至らなかった、かくて世界大戦が勃発するに至り


632:、米国も亦これに引きずられて一切の対支活動を一先ず中止しなけ ればならなくなった世界大戦は列国のそれ迄の支那における勢力分野に大変化をもたらした、アメリカの門所開放主義も新な る情勢に応ずるためその内容を更新してこれに当らなければならぬ、それらのことは次ぎに説こう(つづく) 門戸開放主義は支那支配の武器 原則の変質と華府会議 対日制圧の魔曲 世界大戦は地球上の凡ゆる既存の勢力関係を一変したと同様、太平洋問題において新たなる因子をぶち込むこととなった、そ り最大なるものは日本の躍進的発展である既に日清、日露の二大戦役を経てますます極東における唯一の安定勢力たる地位 を鞏固にした日本は、その存立と国家の発展のためには東亜の平和が絶対に必要である、それ故に大戦の開始と同時に太平 洋の平和維持のため独領の太平洋島□及び租借地膠州湾を占領してその責に任じた、この時代における日本の支那に対す る特殊権益は一九一七年の石井・ランシング協定によって普く認められたところである、曰くアメリカは日本が支那において特殊 の利益を有し殊に日本の領土に接壌する地域において然ることを認めるというのである、これは明かに満洲における我国の特 殊権益を認めたものに外ならない 然るに大戦の終了するや今まで欧洲問題に没頭していたアメリカはその戦時中に蓄積した巨大な財力を背景として再び極東 問題に容□することとなった、アメリカはイギリスを誘って日本に対し猛烈な貿易競争を展開し始めた、このことが極東平和の守 護神をもって任ずる日本にとって不利な局面を提供するものであることは疑いないアメリカの更新され強化された極東進出はバ ナマ運河開通に依って飛躍的に進展し、一九二一‐二二年のワシントン会議において一応の成果を得ることとなった いて一応の成果を得ることとなった



633:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 22:33:22.74 NDgTW97/0.net
アメリカの極東進出のスタート開始の旗印となった門戸開放主義は、アメリカの態度が漸次積極的となるにつれ次第に強化さ
れることとなった、一九〇五のハリマンの満鉄共同経営計画、一九〇九年の満鉄国際管理論及び錦州、愛暉を結ぶ蜿蜒一千
マイルに及ぶ錦愛鉄道敷設計画等はその現れである、これらの進出計画は日露両国の反対に依って一先ずいずれも挫折した
けれども、一九一一年に至るとき又に形を変えて表面化することとなった、それは同年支那政府とアメリカとの間に締結された
弊制改革及び企業を目的とする一千万ドルの借款である、アメリカは更らにすすんで之を基礎として米、英、独、仏四ヶ国の国
際借款シンヂケートを樹立せんと企てたが、支那第一革命の飛沫を喰って之亦挫折した、翌年に至り日露両国を加え六国シン
ヂケートをつくったが、米国は一九一三年ウイルソンが大統領に就任すると同時に突如として之から脱退した

その後米国の投資家は米国国際企業会社の名において多少の活躍を試みていたが、支那の政情不安のため何ら捗々しき成
果をうるに至らなかった、かくて世界大戦が勃発するに至り、米国も亦これに引きずられて一切の対支活動を一先ず中止しなけ
ればならなくなった世界大戦は列国のそれ迄の支那における勢力分野に大変化をもたらした、アメリカの門所開放主義も新な
る情勢に応ずるためその内容を更新してこれに当らなければならぬ、それらのことは次ぎに説こう(つづく)

門戸開放主義は支那支配の武器 原則の変質と華府会議 対日制圧の魔曲
世界大戦は地球上の凡ゆる既存の勢力関係を一変したと同様、太平洋問題において新たなる因子をぶち込むこととなった、そ
り最大なるものは日本の躍進的発展である既に日清、日露の二大戦役を経てますます極東における唯一の安定勢力たる地位
を鞏固にした日本は、その存立と国家の発展のためには東亜の平和が絶対に必要である、それ故に大戦の開始と同時に太平
洋の平和維持のため独領の太平洋島□及び租借地膠州湾を占領してその責に任じた、この時代における日本の支那に対す
る特殊権益は一九一七年の石井・ランシング協定によって普く認められたところである、曰くアメリカは日本が支那において特殊
の利益を有し殊に日本の領土に接壌する地域において然ることを認めるというのである、これは明かに満洲における我国の特
殊権益を認めたものに外ならない
然るに大戦の終了するや今まで欧洲問題に没頭していたアメリカはその戦時中に蓄積した巨大な財力を背景として再び極東
問題に容□することとなった、アメリカはイギリスを誘って日本に対し猛烈な貿易競争を展開し始めた、このことが極東平和の守
護神をもって任ずる日本にとって不利な局面を提供するものであることは疑いないアメリカの更新され強化された極東進出はバ
ナマ運河開通に依って飛躍的に進展し、一九二一‐二二年のワシントン会議において一応の成果を得ることとなった

634:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/10 22:34:54.36 NDgTW97/0.net
パナマ運河が正式に開通したのは一九二〇年である、この開通に際し米人はいった「極東は最早この運河の開通に依ってアメ
リカから遠いところではなくなった」と事実パナマ運河開通の太平洋問題において占むる意義は殆ど決定的である、これに勢い
を得たアメリカは日米間の極度の緊張の裏に一九二一年ワシントンに九ヶ国会議を招集した、ここで決定されたことは

一、 支那の主権、独立並に領土的及び行政的保全の尊重
一、支那における有力且つ安定せる政府の樹立及びその維持のため完全且つ障碍なき機会を与うること
一、 各国民の商工業上の機会均等主義を有力に確立し且つそれを維持すること
一、 友好国の臣民もしくは市民の権利を□殺すべき特殊権利若しくは特典を獲得するため、支那における政情を利用せす、又
友好国の安寧を害する行為を支持せざること

更に太平洋の制海権を確保するため日、英、米、仏、伊の五ヶ国間に締結された海軍軍備制限に関する条約においてはかの
有名なる主力艦に関する五・五・三の比率を日本に押つけたのである、日本は僅に同条約に太平洋の防備制限に関する規定
を挿入することに依って極めて不完全乍ら西太平洋における制海権を維持するを得たのである、一般的に見てこのワシントン会
議前後の時期は、アメリカの露骨な極東進出の時期であったといえる

以上の経過を辿って到達した九ヶ国条約なるものはいうまでもなくアメリカの伝統的政策たる支那における門戸開放主義の内
容の更新ないしはその強化である、門戸開放主義を最初に中外に□明したケイ通牒においては、門戸開放主義の適用範囲は
比較的狭い貿易政策の範囲に限定されていた、これはアメリカが後れて支那分割に参加したこと、それ仕官に先ず当初におい
ては各列強の勢力範囲を含めて一般的な自由市場の保障が必要であったことに基因している、しかるにアメリカはその当時の
貿易上の利益を計


635:る政策と共に、初めから遠大な政策を樹立し、広汎なる東洋貿易の発展を目論んでいた、アメリカの貿易に 対する差別的待遇は将来の成功の道を塞く障壁と見なされたので、これを打破するため門戸開放、機会均等主義が最も恰好 な闘争手段として採用されたのである、しかし政治上の主義としては解釈の如何によってそれが伸縮自在であることは明かで ある、アメリカがこれに対し常に最も広い解釈を与え貿易政策の限界をはるかに超えて支那の政治的並に経済的支配の基礎 自体に触れるものとしてこれを取扱って来たのはいうまでまない、これ九ヶ国条約において特に明確に門戸開放の原則が支那 の領土的及び行政的保全の原則と結びつけられている所以である、この領土保全の原則はアメリカが当初ヨーロッパ列強の支 那分割に対する防塞として、後には日本の正当なる極東平和維持の要求に対する障壁として提唱したものである、今や上述の 記事に依って明がなるが如く、アメリカの門戸開放主義なるものは九ヶ国条約に於て明瞭なる表現を得たごとく、当初の解釈内 容より発展し、変質してアメリカの支那的体に対する独占的支配の手段、その武器となっていることを認めなければならぬ、 これ前稿において大戦後の新情勢は門戸開放主義の内容を更新させたといった所以である(つづく)



636:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/11 08:18:25.31 Kb9yKBWd0.net
問題の要因は何? 豊庫は招く列強の争覇
以上に述べたところは二十世紀における、特に大戦後における太平洋紛乱の種々なる要因である、今やこれを総括し国際政
治の全局面において太平洋問題の比重が如何に増大したかを見なければならぬそして現代を太平洋時代と呼ぶ所以のものは
単に太平洋における紛乱が増加したからという絶対的な意味から計りではなく、大西洋問題に比し、太平洋問題の比重が増し
、且つますます増大しつつあるという相対的な意味においても然るのであるということを理解しなければならぬ、これが問題の根
本的な理解であるからである

政治的な観点において、世界政治の重点が大西洋から太平洋に移るであろうということはその事実が現出する前からしばく予
言的にいわれて来たところである、現在この予言わ比重決定の基礎的一要件たる世界貿易の上に起った変動の上に、明確な
統計的数字となって現れて来ている、この世界貿易上の変動は一九一五年(正式には一九二〇年)パナマ運河が事実上開通し
てから特に顕著となって来ている、‐さきにパナマ運河の開通が太平洋問題において決定的意義を有するといったのは正しくこ
れらの点を指すのである、パナマ運河開通に依ってニュー・ヨークから西海岸への航路は一万マイルも短縮されることとなった
ので、太平洋を利用する船舶は急激に増加した、一九二四年には早くもパナマ運河を通過する貨物の量はスエズ運河を凌駕す
る様になった、次ぎの数字は世界貿易における大西洋と太平洋の地位を示している、これに依れば大西洋貿易は急激に減少
しているに引き換え、太平洋貿易は増大している

【一九一三年の貿易額を一〇〇として算出した一九二五年の指数である】
ここにおいてか太平洋問題の意義は重大化した、その事情を分析すれば大体次ぎの三つに要約することが出来る

(一) 列強の領土分配に於ける変動
世界大戦の結果、特にドイツの敗北と衰徴によって欧洲全体が疲幣し、イギリスが弱くなったために、その必然的結果として世
界政治における欧洲の地位、従って大西洋全体の比重が低下した、その結果はまたアメリカが世界経済‐政治の重心となった
、アメリカの経済力の発展は現在世界最大の債権者たるアメリカ資本の海外発展と結合しており、アメリカの利害関係は殆んど
全世界の隅々まで行き渡っている、それ故アメリカは最重要資源の獲得を大規模に計画し戦闘的な攻撃政策をとっている、い
わゆる平和的侵入政策から領地占領政策に変った、だがアメリカは大西洋強国であるよりも、むしろ太平洋強国であるアメリカ
の発展は太平洋を超えて極東及び大洋洲に向っている

637:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/11 08:21:29.14 Kb9yKBWd0.net
(二) 英米対立と日本の進出
世界大戦後支那における日本の地位が強大となるにつれ、ある短期間英米共同戦線の時代がつづいた、しかしこの協調は極
く短期間で終りを告げ、英米の対立は再び激化した、僅かな植民地しか持たないが急激に発展するアメリカと厖大な植民地を
持ちながらドンドン蚕食されてその植民地を失い行くイギリスは到底融和出来ない、この競争の舞台はやはり太平洋であり、い
ずれにせよ太平洋と関係ある諸国であることは疑いのない事実である、又日本が世界一流の強国となったことは世界政治の重
心を太平洋に移動させることを促進した、日本は世界大戦中支那及び満洲に確固たる基礎を築いて来たが、この特殊権益の
維持は極東平和のため日本として譲る可からざるものであるから英米の不当な進出に対し日本が断乎として防衛に出づるのは
当然である、かくて日本は太平洋争覇戦において今や英米に取り第一流の敵手である

(三)植民地争奪戦の激化
太平洋上には各列強の最も重要な植民地があり、其分配及び再分配のため各国が争っている、フィリッピン、グアム及びハワ
イ、印度支那、半植民地シャム、東印度諸島、馬来半島、大洋洲、印度等が太平洋に横わっているまた各列強が垂涎措かざる
最重要市場の支那も亦太平洋に属している、支那争奪戦の帰結は或る程度迄全世界における列強の勢力関係という根本問
題を決定するから、この争奪戦はいよいよ熾烈化することは必定である、だが植民地及び半植民地といえども現在においては
昔日のそれではない、列強の分割及び再分割が以前の如く易々として行われることは出来ぬ、列強間の矛盾は本国と植民地
間の矛盾と絶えず交錯しており、植民地に対する列強の支配は動揺を重ねると同時に益々狭って行くのが事実である、これ最
近における太平洋問題重大の‐そこには世界に於て最も重大な植民地、半植民地が存在するが故に‐新たなる要因である

描かれる戦争線 秘められた外交工作の裏と着々進む軍備競争の激化
華府会議以後の時代、即ち世界的な戦後沈衰期に於ては、各国共対外侵出より、むしろ国内整備に汲々たる有様であった、
勿論このことはアメリカの如き特異な地位にあるものは例外であるが、一般的な傾向としてはこれを認めざるを得ない、経済政
策の分野においては生産増加策の代りに合理化政策が採用され、対外政策においてもむき出しな進出政策の代りに控目な政
策が代置された、しかし乍らこれは勿論程度の差をいっているのに過ぎぬ、この時期が全然無風時代であったという意味では
ない、ただ大戦直後の露骨な列強、とりわけアメリカの極東進出の時代に比し、相対的な意味において静穏な時代であったと
いうに過ぎない、アメリカの手控えは又日本をして頗る平和な方策を採らしむる所以ともなった、蓋し極東平和維持を目的とする
日本の政策は、之を撹乱する分子が出現しない限り、そうすることが当然であったからである、一九二三年には北樺太をのぞく
ソヴエト地域から撤兵し、一九二五年には日蘇条約が締結され北樺太からも撤兵した、支那に対しても何等の新規なる方策に
出るところはなかった、しかるに、アメリカはこの時期においてすら対支投資を増大したり、南京政府と�


638:拒オてこれを自己の傀 儡とし軍事、財政等の顧問及び専門家を送って東洋平和を撹乱する方策をとることを忘れなかった、特に満洲に対しては張作 霖政権の操縦に全力を傾注し事毎に日本の特殊権益を蹂躙する態度に出た



639:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/11 08:24:17.26 Kb9yKBWd0.net
一九二九年の九月、アメリカの株式取引所恐慌を発端として、瞬く間に全世界を捲込んだ空前の世界恐慌は、太平洋問題の様
相を三転しむることとなった、この世界恐慌を背景として太平洋問題は非常にハッキリした性質をとる様になった、世界恐慌の
結果は太平洋において他のいずれの地方に比較しても、最も鋭く現れた、極東諸国においては猛烈な農業恐慌が経済恐慌と
結びつくと共に、各列強は恐慌による負担の一部を植民地諸国に転嫁せしめんとする方策に出たからである、この様な恐慌の
事情の下においては列強の植民地、半植民地蚕食が激化するばかりでなく、この蚕食をめぐって各列強間の対立が以前にも増
して激化することは当然である、これに前にも述べた様に土着民の蚕食に対する反抗という要素がこの恐慌期を通じて激化し
たという事実を認めなければならぬ

アメリカはこの恐慌によってアメリカの繁栄が世界の政治経済における諸事件や、外国市場の状態によって非常に左右される
ことを改めて一層はっきりと知ったのである、かく恐慌はアメリカの攻勢的外交政策の一層の積極化を促進した就中アメリカのこ
の積極政策に対抗し、極東平和を維持せんがためには日本が永き懸案である満洲問題の解決に手を触れざるを得なかったの
は当然である、しかるに満洲事変並にその後のアメリカの態度は更に一層激化した、スチムソン外交が最も活躍したのはこの
頃である、上海事変の直後スチムソンは断乎たる極東進撃を夢想し、全鑑隊を太平洋岸に集中した、しかるに当時の海軍作戦
部長ブラット大将はその不可なるを極論し、遂にこれを思い止まらしめた
という愉快な挿話か残されている、だがスチムソン外交の本質がこれに依って覆えされたのでも何でもない、アメリカが極東進
撃を敢て企てなかった所以のものは準備未だ整わなかったが故のみである、その後スチムソンは退場しハル外交が代った、焦
土外交は揚棄されて万邦協和を目的とする広田外交が登場した、現在の時期は広田・ハル覚画に依ってカームフラージしなが
ら双方共必死の決戦準備をととのえている時期である、その準備成るの日は太平洋争覇戦が最高潮に達する時期である、今
や太平洋問題は経済的政治的問題の段階を経て軍事的最高峰の一歩手前まで来いる、ここにおいて我我は筆を改めて現在
における太平洋問題の集中的表現たる海軍問題について触れねばならぬ(つづく)
争覇戦の二枚目役 決定権の把握を目指す英国 無敵艦隊の名やいま何処?
現在の段階における太平洋問題の集中的表現たる海軍問題に就いては先ず太平洋全局面における関係列強海軍力の勢力
関係から見て行かねばならぬ

イギリス
大英帝国は太平洋上に大なる政治経済上の利害を持っている英国の賢易線は英本国を発し地中海から紅海、印度洋を経て太
平洋至るものをその大動脈としている、太平洋上の海国海上質易は二つの潮流に分岐し、一つは新嘉坡、香港を経て極東に
向い、他は南太平洋の自国領土に向っている、太平洋上の大英帝国の海上貿易を保護し印度及び太平洋上の領地を守護す
るためには、イギリスはその大艦隊を何等の支障なしに太平洋上のどの地点へでも回航し得る様な海軍根拠地の組織網を持っ
ていなければならない、大英帝国が持っている二十六の海軍根拠地の中、十七は太平洋に在るのはそのためである
ジブラルター、マルタ、スエズ、ボートサイド、アデン、ボンベイ、ツリンコマリ、コロンボ、ラングーン等の根拠地何物にも脅威され
さる大英艦隊太平洋回航の道筋をつくっており、その尖端に第一等の海軍根拠地たるシンガポールがある
世界航路の結び目であるシンガポールは政治上並に戦略上重大なる意義を有している、イギリスは太平洋支配の基本根拠地
として多年これが築造に努力して来た、一九二四年マクドナルドの第一次労働党政府に首班たりしとき、財政難を理由とし平和
主義を口実として一時この築造を中止した、しかし保守党政府は一九二五年、再び一九三五年九月までを期限としその建造に
取りかかった、現在極東における第一等の根拠地は香港である、南太平洋にはオークランド、ポート・ダーヴィン、シドニイ等の
根拠地を有している

640:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/11 08:31:46.08 Kb9yKBWd0.net
しかし万一太平洋上に戦端が開がれる場合、イギリスが動員し得る海軍力如何は充分解剖して見る必要がある
完全なる根拠地網を縫って太平洋上に急航することが出来るという蓋然性をその侭肯定するとしてもまた平常から太平洋に常
置されている遊撃艦隊が主力艦隊の到着迄これらの根拠地を保護するに足りるとしても、かくの如く到着した英国艦隊が日本
艦隊と戦ふう場合には数段の見劣りを見ぜることは必定である
蓋し決戦場と想定される黄海、もしくは東支那海においては最後の根拠地がらの距離からいうも同海面上の戦闘訓練習熟の
点からいっても日本は断然優勢である、イギリス主力艦隊は最も近いところでもシンガポールから出発しなければならぬから、
況んや全世界に亘り広大なる範囲を有するイギリスが一戦場にその主力を集中し得ると考えるが如きは初めから問題とはなら
ない、イギリス海軍が数量的には世界第一であり乍ら、その構成の根本は警察海軍たるにあるしかしイギリス海軍に課せられ
たこの不可避的な配備は近代海軍の原則たる集中主義、決戦主義とは相容れないものである、この点に関してはロビンソン中
佐が現在のイギリス海軍政策の根本方針が他の二国の決戦においてキャスチング・ボートを握るにあると告白しているのは自
らを知るものというべきである、この点に関してはアメリカのテインカー少佐もフランスのデラージ少将も同じ評価を下している、
西太平洋に於る絶対的海軍勢力の日本に対し、イギリス海軍は到底挑戦することは出来い□だから、またイギリが太平洋にお
いてへゲモニーを獲得することは断じて不可能な状態にあるのだイギリス海軍の太平洋進攻作戦の困難については、イギリス
における大海軍論者ウインストン・チャーチルや、ヂュットランド大海戦における巡洋戦艦隊司令長官であった同国海軍の耆宿
ビィティー元帥が議会においてその絶望に近いことを嘆いている太平洋進攻を断行せんとせば北海、地中海の海上覇権はこれ
を断然放棄する覚悟でかからねばならない、主力戦隊をシンガポールに送った後の本国残留部隊は一夜にしてスペイン海軍の
線に低下する、かつての無敵艦隊の母国も、現在においては海軍というには殆んど当らない実勢力しか有っていない、かくてス
ぺイン線に低下したイギリス海軍は無造作に近接諸国の海軍に撃滅されて了う
このような事情はイギリスの主力艦隊を太平洋に送るとを絶対に妨げている、また歴史的に見ても英国の海上覇権掌握以来そ
の主力を外洋に出したためしはない、第三国間の決戦におけるキャスチング・ボートの把握、これがイギリス海軍の根本方針な
のだ、シンガポール大軍港の築造は、だから決して主力艦隊太平洋廻航の根拠地を作るという意味ではなく、第三国との連合
作戦根拠地、並にその属領に対する恫喝の機関として解すべきであろう

イギリス海軍の太平洋における地位は以上に依って従属的意義しか持ち得ない、他の二大強豪の対立する勢力が均衡した場
合、その向背がいずれかの勝敗に対してキャスチング・ボートとなるというのが、その全意義である、だから、これを単独な直接
の相手としては、日本にとって間違いはなく、それかといってこれを敵に廻すことは第三国との決戦場合、勝敗率を低下させる
から、これも出来ないという関係にある(つづく)

641:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/11 08:35:22.32 Kb9yKBWd0.net
日米決戦は必然? 何を意味するかプラット提督の放言『支那の為に戦う』
世界三大海軍国のうち、太平洋決戦におけるイギリスの地位は前に述べた如く従属的な意味しか持っていない、東太平洋の覇
者アメリカと西太平洋の支配者日本こそが争覇戦における対立者である、全太平洋を支配せんとするアメリカの意志は何よりも
先ずその基本的海軍政策のうちに明瞭に述べられている、曰く米国海軍はその国策及び商業貿易を支援し、合衆理の本土と
海外領土を防護する為充分なる勢力を維持するものならざる可からずと
而して基本政策の根幹たる国策の支援とは、現在の段階においてはモンロー主義或は汎米主義の支援ではなく、外ならぬ支
那に於ける門戸開放、機会均等主義、その領土及び行政を保全せんとする主義
露骨に云えばその独占的支配‐植民地化の政策に奉仕せんとするものである既にアメリカ海軍の目的にしてかくの如くなる以
上、その極東進撃は必然的体勢にあり、之に対して西太平洋制海権の維持がその国家存立上必須の要件を成している日本
が拱手傍観してその進攻を漫然眺めていることは出来ないのである、ここに太平洋決戦の必然性と可能性が横はっている

一般的に云って太平洋、特に西太平洋においてはアメリカは一方には厖大な資源を擁しながら、その防備の点においては比較
的弱点を暴露している、この主要な歴史的原因は云うまでもなくアメリカが太平洋争霸戦に遅れて参加したことにある、太平洋
上におけるアメリカの群島領地は次の如しも即ちアリューシャン群島、ハワイ群島、ミッドウェー島、グアム島、比律賓群島、サモ
ア群島、華府条約では締約各国に太平洋上の群島に新しい海軍根拠地や要塞を築造するとを禁止した
アメリカがこの条約から除外例を認められているのは、合衆国の太平洋岸に
直接連らなる群島とパナマ運河地帯及びハワイ群島だけである比律賓、グアム、サモア群島には前記華府条約中の太平洋防
備制限条項に依り防備を施すことが出来ない、徒ってアメリカはワシントン会議以後ハワイ群島に主要海軍根拠地を設けようと
努力して来た一九二四年以来、ハワイ群島に海軍根拠地真珠湾を築き、優秀な船渠、燃料貯蔵所を設けた、現在では遊撃艦
隊の根拠地であるが、必要の場合には直ちに主力艦隊の根拠地に転化させることが出来る、ハワイ群島の戦略的意義は、現
在のところでは主としてアメリカの太平洋沿岸を西方から攻撃されるのを防ぐ有力な前哨陣地であると云う点にある
しかしアメリカ艦隊が西太洋に進攻するための根拠地としてはハワイ軍港の意義は限定されている蓋しハワイ群島から西太平
洋のアメリカ領までの距離は余りにも遠過ぎるからである、(ハワイから比律賓迄は四千七百六十二浬、グアム迄は三千三百三
十浬である)それ故に根拠地関係から云えばアメリカ海軍が真珠湾を出発して日本に進攻することは現在の勢力関係のもとに
おいては考えられず、又日本艦隊が比律賓又はグアムを占領することを防止することは出来ない、アメリカの太平洋における根
拠地は以上の如くその全面的支配のためには頗る不十分である、アメリカが日本に優越し得る場合は、根拠地関係からいえば
、次ぎの如き場合においてのみである、即ち英米間に妥協が成立しアメリカの太平洋海軍作戦にイギリスの極東根拠地‐特に
完成後のシンガポール‐を用い得る場合においてのみである、イギリスが太平洋上の争霸戦においてキャスチング・ボートを握
っているということは単に艦隊勢力の場合にだけでなく、根拠地関係においても然りである

642:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/11 08:41:23.57 Kb9yKBWd0.net
根拠地関係からいうとアメリカの太平洋の全面的支配は頗る不利なる立場におかれているにも拘らず、アメリカ海軍の戦略的
目標が極東進攻にあることは疑いない、クラウゼヴィッチ流のプロシヤ的戦略論の流れを汲むアルフレッド・マハン大佐を濫□と
して、ブラット提督において集大成せられたところのアメリカ海軍戦略は一貫して極東進攻をその底流としている、マハン戦略の
根幹は近代戦の基本原則たる集中主義、決戦主義の思想である、米国海軍の兵力集中主義は実にこのマハンの思想を基礎
として生れたものであり、大艦隊の渡洋作戦戦法たる輪型陣戦法のごときもこれを母胎として生れたものである
マハン戦略はバイ大佐、及びマイヤース大佐において更に一歩前進を見た、兵力集中によって敵を殲滅せんとする思想である
、ブラット提督はかかる過去の戦略思想を総括し、これらの理論を実践化した、それは大家の例に洩れず、表面極めて平和的
粉飾で糊塗されているにも拘らず僧衣の蔭からは物々しい甲胃が覗いている「我々は支那のために戦わざる可からず」という下
院における同大将の告白は、その真意を最も雄弁に物語っている、ブラット提督的粉飾的思想は最近において最も手痛い批判
を受けているタルボット大佐はその最近の論文においてアメリカ海軍を警察海軍に低下せしめんとする一部の思想に対して
猛烈な攻撃を加えた更に本年海軍賞を得たウイルフレッド・ホルムズ大尉も太平洋決戦論を強調している、これが今日のあめり
か海軍の真意である(つ□


米国の制霸成るか『砲火を交えぬ戦争』海軍会議の有つ歴史的重要な意義
大洋上における決戦そのための兵力集中、対敵掃滅の戦略的根本思想に基いて打ち樹てられたのが太平洋進攻作戦である
、既にして大艦隊が遠洋作戦を行うという以上、先ず第一に必要なるとはその編制の均斉化と艦艇の航続力の拡大を円るとで
ある、この目的を達成せんがため米国は華府、ロンドン両条約を通じ各艦種の整然たる勢力比の決定を国際的に認識せしめた
、実によく平均のとれた艦隊の建設こそはアメリカ海軍多年の希望であった
航続力の増大に就いてもその多年に亘る努力の結果今やアメリカの右に出づるものはない、さてかくの如く仕上げられたし在
艦隊を如何にして太平洋に進出せしめるか?
アメリカ海軍はその進攻に都合のいいように編制の根幹を次の点においている、即ち平時編制は常に戦時編制に則ること、故
に戦時編制は平時編制の拡大を以て足るようにしておくこと、かくて合衆国艦隊は太平洋艦隊と大西洋艦隊に二分され、太平
洋艦隊は戦闘部隊と称して、ここにアメリカ海軍の全主力を集中し、大西洋艦隊は索敵部隊と称し甲級巡洋艦を中心とする遊
撃部隊である
この平時編制が戦時においてはそのまま拡大されて戦時編制となるこの一事のみを以てしてもアメリカ海軍が何を仮想敵とし
ているかが判る、アメリカ海軍の編制は以上の二大部門の外に艦隊根据地部隊(フリート・ベース・フオース)と亜細亜艦隊があるが、このうち極東進攻作戦に参加するものは戦闘部隊と索敵部隊とであり、亜細亜艦隊は比律賓を根拠地としてこれに策応
する

643:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/11 08:43:32.80 Kb9yKBWd0.net
さて上の如き米国艦隊が前進根拠地たる布哇の真珠湾を出発して極東進撃を完了せんがためには、その途上を安全に決戦場
まで到着することが先決要件である、この目的のために考案された航行隊形がかの有名なる輪型陣法(リング・フォアメーション)である、輪型陣法の遂行のためには先ず以てこれに要する所要の各種艦艇を必要とする、これアメリカが均斉海軍の樹立に全力を注いでいる所以である
さて輪型陣とは主力艦隊及び補給部隊を中心圏内に置き、主力艦隊を中心として二十浬の半径を以て第一円を書く、この線上
に軽巡洋艦を配備して内方の直接警戒に当たらせる、更にその線を拡大して五浬間隔に一円を書きこの線上には駆逐艦を配
備する、更にその外方視認距離の範囲内において一円を書き、その線上に潜水艦を配備し、三段構への警戒網を展張してこ
れを主力艦隊の直衛とする、この直衛部隊の前方二百ないし五百浬の距離を隔てて巡洋艦十一隻を画間一横列に配備し、各
艦の間隔二十五浬合計幅二百五十浬の海面に捜索列を布くのである、この哨戒は夜間はは一列横陣となって各列の距離を二
百浬として推進する、これは夜間第一列に潜入した敵に対して翌朝第二列で発見しようとするものである、またこの前哨線以外
において八隻の巡洋艦は各艦約十二浬の距離を隔てて略八角形を作って前後左右の警戒をする
この輪型陣行進のうち重要なる点は警戒航行隊形のうち、八吋砲巡洋艦と六吋砲巡洋艦、並に駆逐艦を如何に使用するかと
いうことである、現在のところでは直衛部隊に六吋砲巡洋艦、捜索列に八吋砲を配備することになっている、しかしかくの如き堅
牢な推進隊形と雖も、敵の奇襲を全然防止することは出来ない、特に潜航艇の発達した今日では然りである、さればこの輸型
陣行進と雖も常に直進しうるものではなく、逆に絶えずヂグザグな航路をとらねばならない、これをZ航法という

かかる壮大なるパレードを可能ならしむるためには、そこに何らかの理論的根据がなければならぬ
天才的戦略理論家クラウゼヴィッチは其「戦争論」において攻撃軍減耗の原理を明かにし、攻撃軍が必勝するためには防禦軍
に対し「五割を下らざる優勢」を絶対必要条件とした、この原則はその後の戦争の経験、特に世界大戦の経験に依ってその真
なることが裏書された、この原理は単に陸戦の場合においてのみならず、海戦にっていも妥当する、今攻撃軍をN1とし、防禦軍
をN2とすれば、次ぎの算式に依って優勢率を算出することが出来る
N1‐N2=X X+N2=優勢率
今華府、ロンドン二条約に依って主力艦、主要補助艦を通じて日、米海軍の勢力比は十対六となっている、この数字を前記の
算式に当てはめれば
10‐6=4 4+6=0.67
で米国は日本に対し六割七分の優勢率をもつこととなり、これをクラウゼヴィッチの攻撃軍必勝の原理に照合すればアメリカ海
軍は優に日本に勝つことが出来る、これが対米七割の場合には米国の優勝率は四割三分となり戦略的守勢の立場にある日
本は初めて安全感を最小限度に満足しうることとなる、しかしこれは他の条件を全部度外視し、純粋な形に於ける戦争に就いて
のみ考えられることであるから、現在の段階に於ける複雑なる戦争に就いては必ずしもそのまま妥当するものでないこと勿論で
ある

アメリカの条約海軍の完成は以上述べたところに依って其太平洋進攻を可能ならしむる理論的並に実質的な基礎を打ち立てる
こととなる、米国はその完成に汲々としている、これが出来上ったときは即ち太平洋決戦の可能性が初めて現実に形成される
ときである、この意味で「砲火を交えざる戦争」たる明年の海軍会議は正にその重大性を認められていいのである

644:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/24 07:33:19.98 +tepYfco+
完全に沖縄に同化している徳川一族

URLリンク(music.geocities.jp)

歴代公選の沖縄県知事を検証してわかってきた。

( URLリンク(sky.geocities.jp) )

( URLリンク(music.geocities.jp) )

645:名無しさん@お腹いっぱい。
16/02/17 04:28:34.03 OVjYhhxQE
陸亜密第二一一二号

 大東亜戦争関係将兵ノ性病処置ニ関スル件陸軍一般ヘ通牒

 

 昭和十七年六月十八日 陸軍省副官 川原直一

出動地ニ於ケル性病予防ノ徹底ヲ期シ以テ戦力ノ減退ト病毒ノ国内搬入ニ依ル民族ノ将来ニ及ホス悪影響トヲ防止センカ為左

ノ通リ定メラレタルニ付依命通牒ス

 左記

一 派遣部隊ニ於ケル性病予防ニ就テハ厳正適切ナル指導ニ依リ感染ノ機会ヲ避ケシムルト共ニ出動地ニ於ケル慰安所等ノ

衛生管理ニ関シ遺漏ナキヲ期スルモノトス

二 内地ニ帰還スヘキ将兵ニ就テハ現地ニ於テ帰還前対性病身体検査ヲ実施シ伝染ノ虞アル患者ハ最寄ノ病院ニ収容加療 

治癒又ハ症状固定シ伝染ノ虞ナキニ至ル迄内地ニ帰還セシメサルモノトス

三 性病患者ニシテ治癒後ト雖モ再発ノ虞アル者ハ其ノ旨入院シアル病院長ヨリ退院帰郷ノ際出身地地方長官宛通報スルモノ

トス

646:名無しさん@お腹いっぱい。
16/02/17 04:29:43.03 OVjYhhxQE
諸規定綴 歩兵219連隊警備隊第7中隊 昭和18年(防衛省防衛研究所)」

極秘 営外施設規定

 一、総則

第一条 本規定ハ昭和拾七年七月仁集参密第二九四号営外施設補充要綱ニ基キ営外施設ノ建設経営利用監督等師団ニ於

テ実施スベキ事項ニ関シ其要領ヲ定ムルモノトス 営外施設ニ関スル建築、物件ノ備付飲食品ノ補給又ハ払下従業員ノ雇傭ノ

施設内ノ取締等ニ関シ本規定ニ定メサル事項ハ陸軍営繕事務所規程、野戦酒保規定其他各関係法規ノ定ムル所ニ拠ルモノト



第二条 本規定ニ於テ営外施設ト称スルハ営外酒保、特殊慰安所、偕行社及其他ノ地方団体等ノ篤志ニ依リ開設シタル軍人

慰安施設ヲ謂フモノトス

第三条 営外施設ハ本規程ニ於テ特ニ定メタル場合ヲ除クノ外当該駐屯地ニ於ケル高級先任ノ部隊長(以下管理部隊長ト称ス

)管理シ経営又ハ指導監督ニ任スルモノトス 二部隊以下同一地ニ駐屯スル場合ニ於テハ前項ノ管理部隊長ハ各関係部隊ヨリ

委員ヲ差出サシメ委員制度ノ下ニ之ヲ管理セシムルコトヲ得ルモノトス

第四条 各地区警備隊長ハ当該警備地域ニ於ケル営外施設ヲ統轄シ各駐屯地ノ実状ニ即応スル所要ノ施設ヲ拡充整備シテ

之カ均霑*1ヲ図リ且経営利用監督等ニ関シ良金ヲ保持セシムルモノトス

第五条 営外施設ハ下級将校下士官兵ニ対スルモノニハ特ニ重点ヲ置キ施設スルモノトス

第六条 営外施設ハ下士官兵用ト将校准士官用トハ区別シテ之ヲ施設強要セシメサルモノトス 但シ本規定ニ於テ特ニ定メタ

ル場合ハ此ノ限ニアラズ

第七条 営外施設ハ総テ各部隊共用トシ自隊専用ノ施設等ハ一切之ヲ設クルヲ得ザルモノトス

第八条 各部隊等当該駐屯地ニ営外施設ヲ開設セントスルトキハ施設ノ要領経営ノ方法其他必要ノ事項ヲ具シ順序ヲ経テ之ヲ

師団長ニ具申スルモノトス

第九条 営外施設ノ建設ニ関スル業務ハ経理部長之ヲ担任スルモノトシ営外施設ニ対スル物件ノ備付飲食品ノ補給又ハ払下

要員の雇傭(官費支弁ノ者ニ限ル)等ハ各管理部隊長ニ於テ経理部長ト協議ノ上実施スルモノトス

第十条 各地区警備隊長ハ毎年十二月末日ニ於ケル警備地域内各地に於ケル営外施設ノ設置経営利用等ノ状況ヲ師団長ニ

報告スルモノトス

647:名無しさん@お腹いっぱい。
16/02/17 04:30:29.51 OVjYhhxQE
 二、営外酒保

第一一条 大隊本部以上ノ本部又ハ司令部所在地並特ニ交通頻繁ナル要地ニハ野戦酒保ヲ営外ニ設置シ休憩所(庭園、読書

設設*2放送聴取演芸観覧施設等)売店(軍装品、生活必需品等ヲ販売スル施設)食堂等ヲ経営スルコトヲ得ルモノトス

第一二条 営外酒保ノ施設ハ専ラ下士官兵ニ利用セシムルヲ本旨トス 但シ師団司令部所在地以外ニシテ偕行社ノ施設ナキ

地ニアリテハ特ニ必要アル場合ニ於テハ営外酒保ノ一部ニ区画ヲ設ケテ料理部ヲ併設シ下級将校等ノ為簡易ナル会食又ハ宴

会等ニ利用セシムルコトヲ得ルモノトス

第一三条 師団司令部所在地ニ於ケル営外酒保ハ経理部長之ヲ管理スルモノトス

第一四条 営外酒保業務ノ中営内酒保ニ準スル業務ハ其ノ管理スル部隊ノ野戦酒保ノ一部トシテ経営スルモノトス 但シ二部

隊以上駐屯スル地ニ於ケル営外酒保ノ会計ハ別途ニ一会計ヲ設ケ損益収支ヲ明確ナラシムルモノトス

第一五条 食堂売店休憩所等ノ経営ハ夫々現地ノ実状ニ応シ管理舞台ノ直営トナシ或ハ部外者ヲ委託又ハ請負経営セシムル

モノトス

第一六条 営外酒保ニ対スル営繕備付物品飲食品払下等ニ関スル事項ハ左記ニ依ルモノトシ品種数量価格等細部ハ経理部

長之ヲ定ムルモノトス 但シ皎徳新郷営外酒保中料理部ニ対スル事項ハ偕行社ノ例ニ依ルモノトス

 左記

区分 自営ノ場所 請負経営ノ場合  
         一般営外酒保 料理部ヲ併設セル場合
営繕 官費 官費 自弁
備付物品 官費恤兵金酒保金 椅子机類ハ官費 食器類ハ自弁 同上
飲食物 有償補給 払下 払下
電灯灯火 官費 官費 自弁
暖室燃料 官費 官費 自弁
雇傭人 官費酒保資金 自弁 自弁

第一七条 各地区警備隊長ハ警備地域内各地営外酒保ノ売品価格ヲ努メテ均衡ナラシムル如ク指導スルモノトス

第一八条 小駐屯地又ハ交通避遠ノ駐屯地ニアル営外酒保ニシテ委託又ハ請負経営セシムル場合経営困難ナルモノニアリテ

ハ師団長ノ認可ヲ受けケ恤兵金又ハ酒保資金ヲ以テ補助金ヲ交付スルコトヲ得ルモノトス 前項ノ補助金ハ各地区警備隊長ニ

於テ当該地区内各部隊ヨリ供出セシメ尚不足スル場合ハ師団長ニ具申スルモノトス

648:名無しさん@お腹いっぱい。
16/02/23 09:31:47.03 6S7SIOoVt
.. .

649:名無しさん@お腹いっぱい。
16/02/23 23:52:10.32 jwCQJUXSP
>>311
>いやいや
>バカで無知の相手が疲れただけ
>妄想の世界で生きてるなんて幸せだねえ~
URLリンク(www.chuokoron.jp)

この戸高一成=呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」館長というヤツは馬鹿か阿呆か・・・。
軍令部が「邀撃作戦」しか作ってなかったかのように書いてやがるが、全くのウソ。
毎年、海軍は年度計画を作っていて、「対米戦」も当然毎年作ってるんだよ。
これは「比島やグアム、ウエークなど米領を奇襲」するのが基本。
戸高というアホが生き恥さらしてる。

山本なんか普段東京にはいないのだよ。海で訓練やってる。
東京にいるのは年にせいぜい1ヶ月程度だろ。海軍の政策決定の多くの会議には出ない。
したがって開戦決定に関与したわけではない。

650:名無しさん@お腹いっぱい。
16/03/01 22:44:41.52 BBVWKkynX
まったく笑わせるよなw
軍令部の年度計画が邀撃作戦だったなどとバカなこと書いてる無知な
その戸高一成とかいうアホも九州の宮崎県出身だな。w

連合艦隊司令部で作戦を実質的に作ってた参謀たちもみんな西南出身者だよ。
軍令部でも実質的に作戦計画作ってたのもみんな西南出身者。

これが本当なんだよ。
  ↓
「西南のバカが対米戦争を仕掛けた」

651:名無しさん@お腹いっぱい。
16/03/01 22:53:48.19 BBVWKkynX
「栄光の帝国海軍、組織劣化はこうして起こった」んじゃなくて
戸高一成 お前の頭こそが劣化してるだけだよ。

652:名無しさん@お腹いっぱい。
16/03/03 08:59:57.27 cf5/ZY6Bu
>>1
開戦につながる国策を作っていたのは陸軍も海軍も長州人の高級参謀ですけど。

653:名無しさん@お腹いっぱい。
16/03/07 11:58:06.99 NIsI1q2/n
>>311
>いやいや
>バカで無知の相手が疲れただけ
>妄想の世界で生きてるなんて幸せだねえ~
URLリンク(www.chuokoron.jp)

この戸高一成=呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」館長というヤツは馬鹿か阿呆か・・・。
軍令部が「ハワイ作戦に反対」していたなどと言うのは間違いだぞ。
軍令部は昭和15年の暮れからハワイ作戦を前提として南方へ進攻する作戦を作っていたのですよ。
軍令部が反対だったというのは、「空母をハワイに全部持っていくことに反対した」だけのこと。
作戦を作った主務担当者が証言しているのです。

戸高一成という人物は無知としか言いようがない。

「栄光の帝国海軍、組織劣化はこうして起こった」んじゃなくて
戸高一成 お前の頭こそが劣化してるだけだよ。


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