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★山本五十六は捕虜となった搭乗員に自爆を強要
しかし、昭和十七年(1942年)5月の初めでした。
その搭乗員たちにもついに最後の断が下りました。
山本五十六長官によって、これを自爆させろという命令がまいりました。
その頃、私たちはポートモレスビーのアメリカ軍機と戦っておりましたが、
五月の初めに前進基地のニューギニアのラエという基地に、森玉部隊から
二機の九六陸攻が飛来いたしまして、一機は彼らが搭乗していました。
そして、もう一機には飛行長が乗っていて、彼らの最後を見届けるために
やってきました。私たちはそんなばかなことはあるかと言ったけれども、
とても私たちの意見は通りません。
『知られざる坂井三郎』大空のサムライの戦後
【第一章】坂井三郎のラスト・メッセージ
日本外国特派員協会講演<1>(1992年6月15日)