☆ノモンハン事件は日本軍の圧勝だったat HISTORY2
☆ノモンハン事件は日本軍の圧勝だった - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/04 02:46:34.26 iTe9jS7I0.net
ホラ吹き捏造作家 半藤一利

その捏造の一例:辻参謀の発言を勝手に創作

(以下引用)

辻参謀が、とたんに大喝した。
「課長にたいして失礼なことをいうな。課長は広い視野に立っておられるのだ。
課長もわが輩もソ連軍の実力は、ノモンハン事件でことごとく承知だ。
現状で関東軍が北攻しても、年内に目的を達成するとはとうてい考えられぬ。ならば、それより南だ。南方地域の資源は無尽蔵だ。
この地域を制すれば日本は不敗の態勢を確立しうる。
米英恐るるに足りない」

若い参謀はなおねばる、「米英を相手に戦って、勝算があるのですか」。
辻参謀は断乎としていった。
「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。
今や油が絶対だ。
油をとり不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。
いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」

いつか、どこかで聞いたような辻参謀の啖呵である。
こうして〝太平洋戦争への道〟は強力にきりひらかれた。

半藤一利『ノモンハンの夏』(文藝春秋)


このように半藤は辻の発言を捏造し宣伝している。
半藤一利が書いたこの辻参謀の発言が事実だというのなら
直ちにその証拠を示してもらいたい。
それが示せないのならば、半藤は偽りの歴史を流布する、捏造作家確定。

3:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/04 04:59:43.29 0ZL4V7bw0.net
【日満】☆満洲国の国境紛争★【ソ蒙】
スレリンク(history2板)

4:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/07 20:29:32.31 9gfpveUq0.net
また土足かよw
懲りないヤツだな。お前の足りない脳みそでは誰も騙せないぜw

5:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/09 03:04:35.17 ztuK+VIR0.net
>>4
ウィキペディアにおける[[牟田口廉也]]罵倒記事の編集を
直ちに改善せよ。

さもなくばその報復である近代史板での山本五十六叩きは
永遠に終わらないであろう。

6:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/09 03:37:05.15 ztuK+VIR0.net
Los688は要求に応じないようなので
では仕方が無い。
報復として引き続きここで山本五十六を叩くw

7:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/09 19:09:58.66 C/+QSG6c0.net
お前uaaだろw

8:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/10 14:47:45.82 6QKCftsZ0.net
機甲部隊による迅速な両翼包囲と砲兵火力の殲滅。
ソ連の勝利は戦術の教科書に載せていいレベル。

9:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/10 17:38:48.70 mNYCx2J40.net
大和魂か鬼神をも退けた典型例。
戦術の教科書に載せていいレベル。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/10 20:18:26.13 6QKCftsZ0.net
>大和魂か鬼神をも退けた典型例。

それ戦術じゃないからw

11:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/16 07:20:22.30 UqQap/pF0.net
馬鹿云ってんじゃない。
南進論なんか幕末・明治時代からあるんだ。
特にそれが明確な国策へと意識されてきたのが
1930年代、満州事変以降、英米との関係が悪化して日本の国際的な孤立化が進むと、
「南進」はその後の国策の有力な選択肢の一つと考えられるようになり、
場合によっては武力を伴ってでも実施すべきものであるとされた。
1936年8月7日、広田内閣の五相会議で対外問題を中心とする重要国策が決定された。
帝国の根本国策が「外交国防相まって東亜大陸における帝国の地歩を確保するとともに
南方海洋に進出発展するに在り」とされ、「東亜共栄圏」の盟主構想が、
南方進出の方針として重要国策と決定された。
武力南進が実際に国策として決定されたのは1940年のことである。
この武力南進は陸軍省軍務局長の武藤章の発案に基づき企画院の鈴木貞一が調査企画を行った。
7月27日の大本営政府連絡会議で武力を行使しても東南アジアに進出することが決められた。

>>2
「二人の参謀―服部卓四郎と辻政信 」
(芙蓉軍事記録リバイバル)高山 信武 (著)
という本に同様のことが書いてある。
著者の高山信武氏は大本営陸軍部作戦課で彼ら二人と行動を共にした人である。

半藤氏はこれを参考にしたものだろう。


武力南進が実際に国策として決定されたのは1940年のことであるが
すでに、それ以前の早い時期から陸軍内部にこの考えは存在していたのである。
また、ノモンハン事件は1939年半ばであることを考えれば、
>>2のセリフが間違い、などとは決して云えないのだ。

簡単に他人をけなすと、自分のレベルが判ってしまうから気をつけなさい。

>>1は陸軍の子孫なんだろうが 陸軍がどうの海軍が悪いのなどと
いつまでも女こどものようなことを云って
日本に対立と憎しみの種を播いているのはもう終わりにしなさい。
そんなことやってると日本など消滅してしまうぞ。

12:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/24 23:42:56.21 kHMfpoCl0.net
>>1 >>2
どうした。逃亡したか?

大恥かいて逃亡!!!

13:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/25 20:12:29.96 TeZ5pEIC0.net
ソ連はだいたい相手より被害多くて勝ってるケースばっか

ジューコフが指揮した本気の戦いで日本軍なんかが勝てるわけねえよ。
ジューコフが晩年に一番苦戦した戦いがノモンハンだったと言ってたのは事実だがな。

14:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/26 22:38:41.23 TlPrODox0.net
>一番苦戦した戦いがノモンハン

それはそうだろうな。まだ赤軍も練成途上だったし、
ジューコフが対ドイツ戦に参加した頃は緒戦のドイツの優勢が霞んだところだった。

15:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/28 11:05:41.94 wCQ2aYg/O.net
いかに皇軍が強かったか判るエピソードだな

16:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/28 19:26:27.73 pnywhoZ+0.net
★ノモンハン事件は日本軍の圧勝だった
負けたよ
はい論破

17:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/29 12:32:22.49 gwNG7k6L0.net
ソ連はポーランド侵攻が控えていたので日本との戦闘を長引かせたくなかったんだな。
だからさっさと手打ちをした。騙された日本哀れ。

18:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/17 19:54:34.80 fXQyOfaw0.net
大東亜戦争は日本の勝利。
「参った!もうこれぐらいで手打ちしよう!」と講話条件を最初に出して来たのはアメリカ。

19:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/03 16:52:08.43 guRfovuR0.net
戦闘レベルでは、最後優勢な流れにして、日本にギブアップを強いたソ連勝利。
(日本も少数でよく抵抗したとか、そのまま続けていればとか色々あるけど。)

双方の意図をみてみると、ソ連の意図が満州侵攻・獲得が狙いであるのに対して、
国境ラインを押し上げた点では露が主張の一部を通して、勝ち判定。
だけど、大軍で、あんな不毛地帯の国境ラインを十数キロ押し上げで終わってしまっていて、
全く当初目的を果たせていない点では、大勝とはいい難い。

一方、国境ラインを十数キロ押し上げられたものの、さほど実害がある訳でもなく、
満州を防衛成功したと言う意味では、満州側も目的を果たしている。
それまで活発だった国境紛争もそれ以降沈静化している。
(ソ連を取り巻く状況の影響もあるだろうけど。)

大局で見れば、ソ連は侵攻失敗、満州は防衛成功で、痛み分けってとこ?

20:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/03 21:56:18.09 guRfovuR0.net
なんで日本軍は少数で攻勢に出たのだろう?

当初の方針だし、増援を集結してたのだから、守りを固めて待てばよかったのに。
国境維持&東岸が低地で砲戦で不利ならば、優勢だった航空機で砲兵を叩く手もあっただろうに。

21:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/04 00:03:54.89 jaUURNhw0.net
ジューコフが晩年に一番苦戦した戦いがノモンハンだったと確かに言っていた。

で、最近ジューコフと国会議員になった辻政信が秘密裏に会合していたというCIA秘密文章が公開された。
ひょっとして、ジューコフは辻政信のあの調子の良いリップサービス的法螺話にころっとだまされて…

「え?日本軍って、ノモンハンであれだけやられてたのに、実は背後に巨大な軍隊いたの!ぶるぶる」
なんて辻に騙されたんじゃないの~w

22:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/04 00:13:56.48 jaUURNhw0.net
ちなみに、ジューコフと辻の秘密会談は1955年だ。ジューコフのインタビューっていつ行われたモノなんだろう?

23:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/04 22:08:44.27 5djZLzF30.net
>>20
実際にはソ連が仕掛けてきたので戦った
その後兵を集め反撃しようかとしたが実は相当打撃与えていたけど負けてたと思ってたからしなかった

24:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/05 09:30:02.60 MlhR8z/d0.net
事実上の負けだからね

25:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/05 17:26:20.13 75JiCLf30.net
>>19
>ソ連の意図が満州侵攻・獲得が狙いである
そんな意図はないけど。

>国境ラインを押し上げた
いや、本来の境界線を維持しただけ。逆に、一部日本側に押し込まれてる。

ノモンハン事変は、日本が満州(東3省)とモンゴルの境界線を勝手に変更してモンゴル川に押しやろうとしたのが原因。

26:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/08 22:49:18.83 l0MraXSFO.net
戦闘での損害規模では関東軍(帝国陸軍)よりも労農赤軍(ソ連陸軍)の方が大きかった。
しかし、ソ連・外蒙古側の方が占領地が多かった
よって、満蒙国境線は日満側が譲歩する形でソ蒙側の主張通りのラインで停戦した。

27:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/08 23:26:52.38 kC+8FeLq0.net
>>26
占領地がソ蒙側が多かったというのは間違い。
実際は日本側が押し込んだ地点も多く、双方の領土は双方の主張の中間点に落ち着いた。
>>25
そもそも清の時は同じくにだったわけで、どっちの領土ってもんはないよ。
モンゴルは内蒙古も領土を主張しており、今でも台湾の地図ではモンゴルまで中国領土になっている。

28:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/09 02:52:18.86 q2wUyW9a0.net
>>27
その主張よく見るけど、ホントかい?w

地図ある?

29:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/09 06:28:45.37 JIA/hNEF0.net
>>27
当初の係争地である平原はソ蒙の主張通り。
日満側は無関係だった南方の山岳地帯を占領した。
モンゴルからすれば草原>>>>山岳であり、平原の確保で妥協した。
これで、中間点なんて言うのは自慰でしかないよ。

>そもそも清の時は同じくにだったわけで、どっちの領土ってもんはないよ。
いや、清代に定められた行政境界線があってね。
モンゴルも満州も清の地方自治体が独立したと言う建前なんだから、その権限の範囲も清代の行政境界線になるんだよ。
東京都が日本から独立したとして、その際にどさまぎに浦安も東京の領土だと主張したようなもの。

>モンゴルは内蒙古も領土を主張しており
それは同一民族の居住地域だから。

>今でも台湾の地図ではモンゴルまで中国領土になっている。
単にモンゴルの独立を認めていないから。

どちらも満蒙国境問題とは状況が違う。

30:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/09 20:36:49.78 ySQPBAFx0.net
>>28
常識。お前らみたいな低脳以外は知ってて当たり前の話。
>>29
お前も根本的に知識が欠如しているな。軍ヨタの低脳ブサヨだろうけど。
ソ蒙側は国境線を幾つかの山々をつないだ線で主張し、日満側は川で主張していただけ。
日本側としてはハロンアルシャンにある鉄道の終着駅から将軍廟までの補給線を死守するのが目的。
日本からすればその補給ライン>>>>>>>>>>>>平原だ。
そもそもノモンハンの北部のホルステン地区で両国が争ったのは平原ではない。
フイ高地、ノロ高地、バンシャガル高地などアブタラ湖に至るまでの小高い山である。
平原の確保で妥協した?ちげーよ。ただソ蒙の主張ラインの山を取るために、
膨大な被害出しながらウラーといって突撃してたんだよ。

そして南部地区のフロン山、三角山にもソ蒙軍は攻めてきてるよ。
ここは落とせなくて、逆に日本側が川まで追い込んだだけの話。

31:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/09 20:49:39.55 ySQPBAFx0.net
>これで、中間点なんて言うのは自慰でしかないよ。

そのとおり、露助は主張ラインから大幅に領土を失い、川まで追い落とされ、
場合によっては渡河攻撃までされている。日本側は補給ラインの確保という第一目標は確保したw

>いや、清代に定められた行政境界線があってね。

なんだそりゃwその行政ラインと実際の国境線を見るなら、それこそ満州とモンゴルの国境ラインは、
双方で相殺すれば同程度になるんだがw
つか行政区分で別の県に移したらその後独立した場合の領土が変わるとか主張してんのか?
征服した大帝国の行政区分で領土決められたらたまらんなあ。
実際それで領土問題が起こっているんだし。大英帝国、清、オスマンをはじめ、
大帝国下で行政区分の変更は普通にありうる。それを理由に領有権の主張はあるが、
だからといってそれによって領有権を消失する事はねーよ、
尖閣の行政処理を台湾でもやっていたから、尖閣は台湾領土だとでもいうのかね?

32:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/09 20:54:26.40 ySQPBAFx0.net
>どちらも満蒙国境問題とは状況が違う。

同じだよ。両国の民族が住む雑居地の領土確定作業において戦争につながる事はままある。
そして満州とモンゴルの遊牧民族同士の歴史的な領土確定とかすんなりいくわけねーだろ。

33:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/10 00:03:05.26 0cenQkLcP.net
機械化部隊に両翼包囲されて火力の骨幹戦力の砲兵まで撃破されて
勝ったはないよなw

34:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/10 12:47:09.39 qZoqmR4VO.net
双方が失った戦闘車両と砲と戦闘機の数比べてみれば?

35:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/10 19:55:41.86 0cenQkLcP.net
キルレシオは勝敗の判定の要素のひとつに過ぎない。
しかも双方が目的を達成してない場合に使われる。

36:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/10 21:46:26.66 ZQ8W9Uzf0.net
>>34
あなたも独ソ戦はドイツが勝ったとおっしゃる御仁か?

37:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/10 22:58:00.08 0cenQkLcP.net
両翼包囲を決められて壊滅しても勝利なら
カンネーの戦いはローマ軍の勝ちだな。

38:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 00:53:38.63 1gNFbN6P0.net
ノモンハン勃発記念日!74年目

39:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 05:32:15.91 8498Q0qA0.net
>>35
ソ蒙側が目的を達成したとでも?
>>36
ならなんで決めるんだね?領土は折半、被害は同等。
>>37
そもそも山にこもっているのが日本軍なので両翼包囲とかじゃないからw
その山に特攻して日本軍以上に被害を出したのがソ連軍。
おまけにそこに軍を取られすぎて、別方面が手薄になり反撃うけて領土の大半を失うという失態つき。

40:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 08:46:06.16 fbwTHAiDP.net
>>39
山って?w

41:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 09:47:45.52 2k6KLVK60.net
>>30
>ソ蒙側は国境線を幾つかの山々をつないだ線で主張し、
それが、清朝の定めたモンゴルと満州の境界なのだが。

>日満側は川で主張していただけ。
歴史を知らず、日本とは無関係のキャフタ条約に準じて都合のいい解釈をしていただけ。
満州国自身、1935年以降はハルハ河を国境とした地図をモンゴル側の主張どおりに訂正している。
しかし、関東軍は従来の主張を捨てず、モンゴルの「越境」に対し軍を動員して戦端を開いた。

>日本側としてはハロンアルシャンにある鉄道の終着駅から将軍廟までの補給線を死守するのが目的。
将軍廟は係争地から20kmも離れており、ソ蒙側も何も主張していない。
係争になってもいないものを死守するために戦争を始めるのかね?
開戦後日満側が司令部を置いたので死守対象にはなってたろうが、それを戦争目的とするのは本末転倒。
しかも、ハロンアルシャン-将軍廟間の連絡路であるカンジュル街道が満蒙境界の係争地にかかるのは、三角山付近だが、そこを日本が攻めたのはノモンハン戦末期の9月になってから。
君の言うとおりだとすると、日本は戦争目的をほっぽらかして、関係のないノモンハン付近で悪戦苦闘していたことになる。

>ホルステン地区で両国が争ったのは平原ではない。
>フイ高地、ノロ高地、バンシャガル高地などアブタラ湖に至るまでの小高い山である
高低差は200mも無い。現に遊牧民族が行き来し暮らしていたのだから、十分に平原だが。

>そして南部地区のフロン山、三角山にもソ蒙軍は攻めてきてるよ。
いや、攻め込んだのは日本側だが。

>>31
>その行政ラインと実際の国境線を見るなら、それこそ満州とモンゴルの国境ラインは、
>双方で相殺すれば同程度になるんだが
URLリンク(blog-imgs-34-origin.fc2.com)
ノモンハン後の国境画定図
明らかに日本側の喪失が大きいが。

>行政区分で別の県に移したらその後独立した場合の領土が変わるとか主張してんのか?
地方自治体が独立したと言う建前を持つ満州国は拘束されるが。

>征服した大帝国の行政区分で領土決められたらたまらんなあ
被征服側のモンゴルが言うならともかく、清朝は満州族の王朝だぞ。
満州族自身が満州はここまでと規定したわけなのだが。

42:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 12:40:11.98 FrnoxEPS0.net
係争地での戦闘状況。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
ソ連側が主張する国境内の関東軍は完璧に包囲殲滅されている。

43:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 14:17:45.07 fbwTHAiDP.net
自ら決めた国境線を超えずに作戦を遂行したソ連はスゴイな。
普通なら戦術的に有利なら超えてでも作戦するのだが。

44:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 15:49:45.81 FrnoxEPS0.net
>>43
ソ連軍はスターリンの意思に逆らえないからね。
まあ、普通の国家では軍隊が政府のコントロール下にあるのは当たり前だけど。
当時の日本が異常だったんだよ。

45:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 16:06:12.34 fbwTHAiDP.net
日本軍の場合、戦術的な優位性の重視が政治や外交を超越してたからねぇ。

46:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 17:51:41.92 fbwTHAiDP.net
>>39
福井雄三がそう書いているのかw

47:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 18:32:17.20 1gNFbN6P0.net
>>41-42
地図ありがとう。

現在、グーグルアースを起動すると、この地図のトコの写真まで見られるんだよな。
モンゴル、中国双方の写真が結構アップされている。

48:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 20:43:18.20 8498Q0qA0.net
>>41
>それが、清朝の定めたモンゴルと満州の境界なのだが。

清朝が滅んだ状態でそれになんの意味があるんだ?

>しかし、関東軍は従来の主張を捨てず、モンゴルの「越境」に対し軍を動員して戦端を開いた。

また日本側の持ち出した清朝時代の地図などは、日本主張ラインだったんだがね。
なお日満側の主張ラインを超えてくれば攻撃するのは当たり前。

>将軍廟は係争地から20kmも離れており、ソ蒙側も何も主張していない。

鉄道の終点から将軍廟までの補給ラインの構築が日満側の目的と言っているんだが?
その補給ライン上とソ蒙側の主張ラインがダブっている。

>三角山付近だが、そこを日本が攻めたのはノモンハン戦末期の9月になってから。

日本側の鉄道延長計画が持ち上がったのは八月半ば。戦闘になったのは八月26日
北部でのソ蒙側の反撃していた時期と同じ時期だよ。
ハロンアルシャンで下車してそれから徒歩で北上するのが当時の状況であり、
ここは譲れない場所だったわけ。
で、九月頭にソ連軍が「奪回」にきて、日本軍が死守をして、
その後日本側の援軍が九月一一日になって周辺のソ蒙軍を蹴散らした。
お前さんは最後の事しか知らないのかね?

>高低差は200mも無い。現に遊牧民族が行き来し暮らしていたのだから、十分に平原だが。

それなら南部も平原になるなw山の高度は対して差はない。1000m近い所も争っているのを考えると、
むしろ高いんじゃないかね?これより高いのってそれこそ三角山くらいだろ、
三角山も1000mちょっとしかないがね。

49:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 20:58:47.68 8498Q0qA0.net
>いや、攻め込んだのは日本側だが。

日本側の主張ライン内だが?

URLリンク(blog-imgs-34-origin.fc2.com)

これは何度か見た事がある、というか低脳軍与太がよくあげるからな。
これはそもそもソ連側の主張ラインが間違っている。
ここにあるエリスオリーンオボ、場合によっては997高地が主張ラインになっているが、
そもそもソ蒙側の主張ラインはもっと北東側である、宮崎隊の攻勢に押されて、
997高地が陥落した事でそっちよりになっただけであるし、
ハンダガヤ周辺もソ蒙側の主張ラインだよ。フロン山の攻防で負けて押し出されただけ。
モンゴルが500平方キロも領土失った言っているようにかなり押し込まれている。

>地方自治体が独立したと言う建前を持つ満州国は拘束されるが。

地方自治体が独立したわけじゃなくて、現地の住民が独立しただけだが?
なんで清の引いた線を守る必要性があるんだね?

>満州族自身が満州はここまでと規定したわけなのだが。

その満州族がもっとあるはずと主張しているのだから問題ない。

50:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/11 21:24:56.54 fbwTHAiDP.net
司馬に騙され、今度は福井に騙されるかw

最初からクックスを読んだオレは勝ち組(^ω^)

51:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/12 00:25:53.52 bLpVjSc/0.net
ネタ元が一つか二つしかないお前ら軍与太と一緒にするな。
どうせお前は半藤とかに洗脳されてんだろ。

52:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/12 00:33:41.28 0cYKgqP30.net
>>51
「マスコミは嘘ばかり垂れ流す。真実は2chにしかない!」か?

53:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/12 07:56:15.80 9PATmUSRP.net
>>51
ではネタ元を揚げてもらえませんかね?

はずかしいなら結構ですがw

54:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/12 20:54:45.98 xQyvnYsu0.net
ホラ吹き捏造作家 半藤一利

その捏造の一例:辻参謀の発言を勝手に創作

(以下引用)

辻参謀が、とたんに大喝した。
「課長にたいして失礼なことをいうな。課長は広い視野に立っておられるのだ。
課長もわが輩もソ連軍の実力は、ノモンハン事件でことごとく承知だ。
現状で関東軍が北攻しても、年内に目的を達成するとはとうてい考えられぬ。ならば、それより南だ。南方地域の資源は無尽蔵だ。
この地域を制すれば日本は不敗の態勢を確立しうる。
米英恐るるに足りない」

若い参謀はなおねばる、「米英を相手に戦って、勝算があるのですか」。
辻参謀は断乎としていった。
「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。
今や油が絶対だ。
油をとり不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。
いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」

いつか、どこかで聞いたような辻参謀の啖呵である。
こうして〝太平洋戦争への道〟は強力にきりひらかれた。

半藤一利『ノモンハンの夏』(文藝春秋)


このように半藤は辻の発言を捏造し宣伝している。
半藤一利が書いたこの辻参謀の発言が事実だというのなら
直ちにその証拠を示してもらいたい。
それが示せないのならば、半藤は偽りの歴史を流布する、捏造作家確定

55:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/12 22:14:25.66 BbyKUnKp0.net
>>54
【昭和史の語り部】半藤一利【詐話師か?】
スレリンク(history2板:601番)

601 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2013/03/13(水) 07:50:56.24 ID:g0aCPus10
>>583

「二人の参謀―服部卓四郎と辻政信 」
(芙蓉軍事記録リバイバル)高山 信武 (著)
という本に同様のことが書いてある。
著者の高山信武氏は大本営陸軍部作戦課で彼ら二人と行動を共にした人である。

半藤氏はこれを参考にしたものだろう。

>>600にも書いてあるように、
武力南進が実際に国策として決定されたのは1940年のことであるが
すでに、それ以前の早い時期から陸軍内部にこの考えは存在していたのである。

簡単に他人をけなすと、自分のレベルが判ってしまうから気をつけなさい。

56:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/12 23:32:03.98 9PATmUSRP.net
ノモンハンで日本が勝ったというなら
ミッドウェイ海戦も日本の勝利でいいよな?

57:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/13 09:56:06.78 Q/LefAVn0.net
「相手に損害を強いた方が勝ち」という考えでいけば、第二次大戦では日本軍は連戦連勝だな。

兵隊の命は一銭五厘(葉書一枚分)の値段とか堂々と言ってたから、その兵士の命を奪うのに
米軍は艦砲射撃を行ったり重火器による濃密な弾幕を張って、高価な砲弾を大量に費消したから
莫大な経済的損失を米国に与えた、という言い方は出来る。

自国民の命なんぞいくら失っても屁とも思っていない日本の軍事指導者も大したもんだ。

58:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/14 19:26:47.33 0/M+BFua0.net
>>56
ミッドウェイ島の半分を奪い取って、
米軍の航空機を日本の倍落として、
船舶を日本の何倍も沈めて、
戦死者が米軍のほうが多いのなら、
ミッドウェイ海戦もノモンハン同様と認定していいぞw
ミッドウェイ海戦でノモンハンを説明するとノモンハンの実情がよくわかるなw

ましてや>>41ような軍与太君によるとこの係争地はもともとモンゴル側らしいから、
日満軍はソ蒙軍に大打撃を与えた上に、領土まで奪い取った事になる。
褒めるべきではないのかね?
>>57
ソ連兵の命が日本兵より高価だとでも思っているのかw

59:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/14 20:39:22.73 Pu0a1GZ90.net
俺が負けたと認定しないので負けていないまで読んだ。

60:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/14 20:57:55.29 UBM1Dolw0.net
ロム専だが、>>58の説明がわかりやすい

61:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/14 23:05:02.56 0/M+BFua0.net
>>59
なら負けの定義を出してみろw

62:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/15 22:27:37.19 D8LEQuqTP.net
>>61
ソ連を痛打して再び越境させないはずが、
ボロクソにやられてソ連攻撃を断念しておいて何をw

63:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/15 22:29:04.42 D8LEQuqTP.net
一方、ソ連は関東軍を痛打してソ連攻撃を断念させ、
ポーランド侵攻に専念できて戦略目的達成だという。

64:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/16 00:45:12.37 xsK9LRDq0.net
ソ連は日本軍にボロクソにやられて越境を断念したんだがw
そして日本軍は中国大陸に専念できて戦略目的達成だという。

65:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/16 09:04:36.52 2MGmR4f80.net
ソ連強いからって満洲防衛のために関特演で70万も遊兵を作らなきゃいけなくなっただろ。
支那派遣軍が100万に過ぎないことを考えれば、大負担だろ。
その関東軍が骨抜きになったら実際に中立条約が破られて攻められたわけで。

66:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/16 23:26:58.44 w21cJZHM0.net
>>48
>清朝が滅んだ状態でそれになんの意味があるんだ?
正当に定められ、歴史的に機能してきた境界に意味が無いと?

>鉄道の終点から将軍廟までの補給ラインの構築が日満側の目的
戦争目的と、戦争遂行のための作戦目標をすりかえるな。
輸送路の確保は戦闘に必要だから、ノモンハン戦も末期になって立てられた作戦目標でしかない。
そもそもの戦争目的はノモンハン-ホルステイン河周辺の平原部の領有権だ。

>それなら南部も平原になるなw山の高度は対して差はない。1000m近い所も争っているのを考えると
主戦場たるノモンハン付近に1000m級のところはないし、南部は明らかに山地だが。
高度を色分けした地図がURLリンク(yamanekobunko.blog52.fc2.com)
にあるから見てみろ。
明らかにハンダガヤや三角山は山地になる。

>>49
>これは何度か見た事がある、というか低脳軍与太がよくあげるからな。
>これはそもそもソ連側の主張ラインが間違っている。
また根拠も示さずにでたらめを。
URLリンク(www.ne.jp)
ここに、戦史叢書に収められた外蒙古軍使用地図による国境線を示した図が出ているが、先の図と一致してるぞ。
誰が低能なんだか。

>地方自治体が独立したわけじゃなくて、
満州国は各省のトップが(関東軍によって)集められて独立を宣言し、溥儀を執政として建国されたのだが。

>その満州族がもっとあるはずと主張しているのだから問題ない。
いや、満州族はそんな主張はしてない。
満州国もモンゴル側の主張を受け入れていた。
そんな主張してたのは関東軍。

67:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/17 20:18:13.74 aVT+4nxqP.net
福井雄三の「世界最強だった日本陸軍」をノモンハンの部分だけ
立ち読みしてきたが、買わなくてよかったというのが正直な感想だ。

まぁ今更ノモンハンは日本の負けなんてのは売れるはずがないが、
これは余りに酷すぎる内容だ。

結論として言えば確かに世界最強だったのは間違い無いが
それはあくまで兵隊の頑張りだ。
戦術や戦略は無視だ。
福井雄三の理屈だと日本軍には歩兵と歩兵銃だけあれば十分という
話になる。戦車や野砲なんて要らないのだ。航空機も要らないw

68:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/17 20:37:54.33 M90CxL/b0.net
いや、歩兵と銃だけではダメだ。ご飯と味噌汁が足りない。

69:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/17 20:44:08.16 x5kLP3fJ0.net
>>67
ほう、そうかい?
ブサヨのお前がそう言うのならば
さぞや良書だろうなwww

70:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/17 20:55:29.72 aVT+4nxqP.net
>>69
是非買ってくれ!たとえどんな下らない書籍でも出版不況を
打破するため買ってくれ!

>>68
>ご飯と味噌汁が足りない

ノモンハンではご飯と味噌汁の話は全くなかった。
福井はソ連攻撃を可としているがではご飯と味噌汁を
どうするかは記述していない。

71:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/17 22:58:47.84 t83bu+E60.net
大和魂があれば竹槍でB29を落とせるんだから、露助のポンコツ戦車なぞ屁で吹き飛ばせる

72:☆
13/05/18 01:38:06.44 S0/me+eG0.net
共産勢力の脅威を認識していた
関東軍こそが正しかった

日本が関東軍の主張通り北進論を採用していれば
米国の参戦は無く、対米戦争が回避できたのは確実。
政権末期の親ソ・民主党ルーズベルト政権は共和党に叩かれ
共産国家・ソ連を支援し続ける事は不可能な状況。
よって、日独が勝利し英ソが敗北していたのは確実。

しかし現実は海軍とマスコミが南進論を宣伝し
こちらが主攻となてしまったために
三バカ(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)の術中にはまり
アメリカの戦線を招き日本は大敗した。

73:☆
13/05/18 01:54:20.17 S0/me+eG0.net
まったくもって、この通り。


以下引用

福井雄三『板垣征四郎と石原莞爾』の序(二)

 そして、最も興味深いのは、日本が北進してソ連を正面の敵として戦えばアメリカは参戦の口実を失い、ドイツとの挟撃戦に成功して、
これが第二次世界大戦に対する日本の唯一の勝機ではなかったかと問うている点です。

 勿論、歴史にイフ(もしも・・・・ならば)はありません。しかしこの仮説が歴史の反省に有効なのは、
日本の陸軍は大陸で戦うように訓練され、太平洋の島々や密林の中で戦うように仕組まれていなかったこと、
ノモンハンの戦いが必ずしも敗北ではなく、ソ連の伝えられる超近代兵器が張子の虎であったこと
(それらは戦後も最近になって国民にやっと分かって、後の祭りですが)、
なぜ当時正確な勝算の情報が中央に伝わらなかったのかの遺憾も含め、
上海に軍を派遣するなど海軍の意向が強く働き、南進に政策が傾き、
結果としてアメリカを正面の敵として迎えざるを得なくなったこと、等々が、筋道立って述べられている点です。


URLリンク(www.nishiokanji.jp)

74:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/18 19:54:31.55 EndSup/20.net
>>65
一時的に集めただけでずっといたわけじゃない。
関東軍全軍でせいぜい30万程度だ。
そしれ極東ソ連軍はその関東軍を抑える為に100万の軍をおいていた。
三倍はいないと防げないと判断していたわけだ。これはノモンハンの兵力差から考えれば妥当な範囲だろう。

75:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/18 20:09:37.90 LzHYu2mi0.net
>>74
>三倍はいないと防げない
そりゃ、1線級部隊はヨーロッパに配備せねばならなかったからね。
極東に配置できるのは質、練度の劣る2線級部隊だったから、数で補おうとしたわけだよ。
元々数で圧倒するのがソ連の基本戦略だし。

76:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/18 20:31:32.96 dlvTy9ax0.net
結論
     ↓
日独が負けたのは、このアホのせい
.
.
               :::::::::'、   ハワイ奇襲こそが、日本が勝つ     /::::::::   ´` '
                ::::::::':、    唯一の策である!             ,.:':::::::
                 ::::::::ヽ         / ̄\         /:::::::
                ::::::::丶        |      |        ,.::'::::::::::
                 ::::/  ,:、     \_/      _,..:'::::::::::
                  /   ,..':::::::>   _|__  ... く::::::::::
             /   ,.::::::::    /\ , , /\ `、 \
              /    ,.∩     / <●>  <●>\.`、  \∩
          /     , ' l ヽ∩ /   (__人__)    \ ∩ノ j
       /     ,    ヽ ノ |      |::::::|      | ヽ ノ \
       /      , '      | ヽ \     ` ⌒´    / / j    \
    /      , '      \  ̄            ̄  / `、   \
  ./       , '               山本五十六


このバカが日中戦争を泥沼化させ
南進論、米英不可分論という愚論を宣伝し
アメリカを無理やり参戦させなければ
日独は楽勝だったわなw

東条ら政府にも知らせず、勝手にハワイを攻撃し
全米国民を激怒させ、参戦不支持だった全米国民を
参戦支持に豹変させた。

77:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/18 20:33:25.35 dlvTy9ax0.net
海軍の山本五十六がこそ
日中戦争を勃発させ、泥沼化させた張本人。

■海軍・米内、山本五十六体制が無差別爆撃を強行し、戦争を煽り、
陸軍参謀本部が進めた日中停戦をぶち壊した。

山本五十六の目論みは海軍の利権拡大、予算の獲得が目的で、
大量の航空兵力配備。その宣伝のため南京無差別爆撃は強行されたと考えられる。

第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し無理やり日中間を泥沼戦争状態にした。


海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果

・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ議会の賛同を得る。

以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。
山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。

78:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/18 20:36:37.79 EndSup/20.net
>>66
>正当に定められ、歴史的に機能してきた境界に意味が無いと?

尖閣の行政処理を台湾でもやっていたからといって、
台湾の領土になるわけでもない。複数の国家や民族を統合した帝国において、
行政上の区分を変えることは別におかしくはない。
ディズニーランドを今後東京に入れる区分けをしたからといって、千葉が独立したときにディズニーランドの領有権を失うことはありえん。

>戦争目的と、戦争遂行のための作戦目標をすりかえるな。
>そもそもの戦争目的はノモンハン-ホルステイン河周辺の平原部の領有権だ。

戦争目的は山か川のどちらで区分けするかということであって、平原部の領有権争いではない。
日本にとって重要なのは六軍司令部までの補給線。
停戦ライン見てみればわかるが、その間の道路をそのまま確保するような形になっている。

>主戦場たるノモンハン付近に1000m級のところはないし、南部は明らかに山地だが。

その地図も見た事あるな、そしてそれはとっくに反論済みだ。ていうかそれはソ連主張国境線がそもそも間違っているんだがな。
そして750m前後の山がゴロゴロあるところは平原で、
それから200mもかわらんところが山地だと?
そのお前の言うところの山間部にあたるところで、760mの山に布陣した歩兵16連隊は、
実は谷に布陣していたのかね?w
つか手元に世界地図ないならグーグルでみてこいよ。高低差はわかりにくいが、山の地形になるのは、
その地図よりもさらに南になってからだ。

>また根拠も示さずにでたらめを。

戦死業書の時点で間違っているんだが、というかそれが元ネタだから全部間違っているんだろw
ソ連側の主張ラインは970高地からフロン山から三角山に至るラインだよ。
だからその地図は間違っているだよ、
ソ連側が主張する国境ラインから出てないなら、宮崎隊はドロト湖から997高地に至るまでなにをやっていたんだ?
それ以外にも三角山やフロン山に攻撃仕掛ける意味だないだろ。

>満州国は各省のトップが(関東軍によって)集められて独立を宣言し、溥儀を執政として建国されたのだが。

ん?溥儀が即位した時点で性格が異なるぞ、そもそも主張ラインが異なっている。

>いや、満州族はそんな主張はしてない。 満州国もモンゴル側の主張を受け入れていた。

間違いだな。満洲国軍も関東軍同様越境してきたモンゴル軍を追い返している。

79:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/18 20:45:16.75 EndSup/20.net
>>75
正しくは最精鋭の極東ソ連軍を回したことによってモスクワというか、
ソ連そのものが助かったわけだが。

80:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/19 09:31:04.03 uoHeuZzbP.net
福井センセって日米開戦の経緯を知らないのかねw

81:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/19 13:56:23.60 zkuiwZHs0.net
>>80
そんなもの本に書いたら矛盾がバレるだろ。

82:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/19 17:55:26.48 7s5Z+q2D0.net
     ヽヽ〃 /
       ヽ〃   戦争嫌いの名将 山本 五十六元帥!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.──|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (彡       |
 / _/           \____/

自称 歴史探偵団w 

歴史捏造作家 半藤 一利

山本五十六の妄想で毎晩射精www

83:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/19 22:31:16.36 uoHeuZzbP.net
陸軍が大陸から撤退したらよかった

84:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/19 22:38:44.26 uPhTdiri0.net
貴様!英霊に対して顔向けできるのかっ!!

85:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/20 00:30:11.64 ioB4G0Y30.net
>>75
>そりゃ、1線級部隊はヨーロッパに配備せねばならなかったからね。
>極東に配置できるのは質、練度の劣る2線級部隊だったから、

   同事件でのソ連側の勝利が第2次大戦全体の行方にも影響を与えた
   同事件でのソ連側の勝利が第2次大戦全体の行方にも影響を与えた
   同事件でのソ連側の勝利が第2次大戦全体の行方にも影響を与えた

【モスクワ時事】ロシアのメドベージェフ大統領は26日、モンゴルの首都ウランバートルで1939年の
満州・モンゴル国境紛争、ノモンハン事件(ロシア側呼称「ハルハ河事件」)70周年記念行事に出席、
第2次大戦の歴史の見直しを容認しない姿勢を強調した。
 インタファクス通信によると、メドベージェフ大統領は演説で、「戦いで日本の関東軍は壊滅的打撃を受けた」とし、
同事件でのソ連側の勝利が第2次大戦全体の行方にも影響を与えたと指摘。その上で、「この勝利の意味を
変更するような捏造(ねつぞう)は容認しない」と強調した。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

戦線別ドイツ軍戦死者統計
Losses per theater
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
URLリンク(www.axishistory.com)

「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死
するか捕虜になった」―死に死を重ねた激しい独ソの攻防戦の実相を旧ソ連の公文書をもとに克明に描く、
衝撃の戦史!!地図37点・写真28点のほか、必見の詳細付属資料も掲載。
URLリンク(books.google.com.au)

86:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/20 00:38:55.51 ioB4G0Y30.net
>>75
>1線級部隊はヨーロッパに配備せねばならなかったからね。

1942年6月のドイツ軍の師団割り当ては、東部戦線の171個師団に対し、北アフリカ戦線は3個師団。
このようにソヴィエト赤軍の貢献と比べれば、イギリスのそれはほんの微々たるものでしかなかった。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
URLリンク(www.angelfire.com)

ちなみに戦争を通じてイギリスが受け取ったレンドリースはソ連の3倍。
それからソ連へのレンドリースは太平洋経由が半分くらいを占めている。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
URLリンク(www.ibiblio.org)

1. 第二次世界大戦終了60周年記念式典
URLリンク(www.mofa.go.jp)

小泉総理は日本代表として、モスクワの第二次世界大戦終了60周年記念式典に出席し、式典の成功に祝意を述べた。
赤軍がナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたのは、自由主義共産主義の理念対立を越えた偉業であり、
日本人の一人として自分も祝意を表明する。なおソ連邦の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。
それに対して、同じ戦勝国でありながらイギリスの技術開発力はソ連よりもずっと遅れていたことが理解できよう。

                あ   り   が   と   う   ソ   連   邦   !

87:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/20 00:45:20.83 ioB4G0Y30.net
>>75
>そりゃ、1線級部隊はヨーロッパに配備せねばならなかったからね。

冬季装備も満足にしていなかったソ連軍は各地で撤退を余儀なくされていた。スターリンは小国相手に無様に
惨敗する自軍からの報告に怒り狂い、敗北の責任は大粛清で赤軍の優秀な指導部が失われたことに求めず、
ソ連の国防相(国防人民委員)であるクリメント・ヴォロシーロフに擦り付け彼の責任を厳しく追及した。
ヴォロシーロフはロシア革命以来のスターリンの友人であったがこの時の侮辱には我慢できず、遂に目の
前の独裁者に向かって「敗北について責められるのはあなたの方だ、あなたは我が軍の優秀な将校を
処刑したのだ」と怒りの声をあげて反論した[11]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

>極東に配置できるのは質、練度の劣る2線級部隊だったから、

注目すべきことは,リュティが,ソ連の侵略行動を,たんに第二次大戦の時点におけ
る現象としてではなく,「過去500年間の90年間というもの断続して」「同じ敵」から
攻撃された,という表現が示すようにほとんど歴史的宿命としてとらえていることであり,
東方からのこの「常なる脅威」を次代の者のために粉砕することを,この自衛戦争の
目標として挙げていることである。つまり,ここでは,歴史的な敵対者として指定され
たソ連の徹底的な弱体化の予想のうえに立って,防衛戦争が説かれていたといえよう。
URLリンク(eprints.lib.hokudai.ac.jp)

1942年2月に外相ヴィッティングが告白しているところによれば輸入食糧の実に93パーセントはドイツ
からのものであった。そして,同年中のフィンランドの輸入総額の72パーセント,そのうちの穀物
輸入総額の100パーセントは,実にドイツが占めるにいたっていた。
URLリンク(eprints.lib.hokudai.ac.jp)

両国間に緊急に解決を要す深刻な政治的問題は殆どなく、良く引き合いに出されるかつ
てフィンランド領であったカレリア問題は、両国政府ともパリ講和条約によって処理済
みであるとの立場であり、フィンランド政府としてはロシア政府に対しカレリア地峡に
ついて如何なる請求権をも有していない旨再三に亘り明らかにしている2 7 ) 。
従って、戦前のように領土問題で両国関係がぎくしゃくするような事態はもはや予想されない。
URLリンク(www.mofa.go.jp)

88:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/20 00:57:40.42 ioB4G0Y30.net
>「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死
>するか捕虜になった」

 ロシア人の多くは、ソ連は第二次世界大戦で、同盟国なしに勝利することが出来たはずだと考えている。
社会学者たちの調査によって明らかになった。 
 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、
ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、
回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。
 1941年6月22日に行われたドイツの攻撃に関しては、回答者のおよそ半分が、ソ連指導部にとって
予期しないものだったとの考えを表している。
 ロシアでは、第二次世界大戦開戦日の6月22日、「記憶と悲しみの日」が制定されている。全ロシア世論
研究センターはこの日を前に、第二次世界大戦参戦国の国民に対するロシア人の現在の見方について調査した。
 調査の結果、好感度が最も高かったのは、共に39パーセントを獲得したイタリア人とフランス人だった。
続いて日本人、英国人、ドイツ人、フィンランド人となっている。最も好感度が低かったのは、ポーランド人と米国人だった。
URLリンク(japanese.ruvr.ru)

89:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/22 01:56:37.16 Dox6KXny0.net
>>82
ほんとなんじゃないの?ちがうんかね?

90:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/22 08:52:36.07 TAetE1BR0.net
アメリカが支援もせずに完全中立か、
武器商人よろしく、枢軸にも連合にも武器ばらまいていれば、
ソ連はというか連合軍は普通に負けていたと思うがね。

91:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/22 13:12:29.36 /grmN3sH0.net
>>90
>武器商人よろしく、枢軸にも連合にも武器ばらまいていれば、
>ソ連はというか連合軍は普通に負けていたと思うがね。

 45年8月の段階で、日本軍は兵力700万を数え、航空機1万機、軍用艦500隻を保有していた。
対する米国ほか連合国がアジア方面に投入していたのは180万人、航空機5000機である。
ソ連が中立を守っていれば、関東軍が対米戦に向かっていた可能性がある。その場合、戦争は長引き、
犠牲はより大きくなっていたはずだ。
 仮想の戦いによる被害を計算することは出来ない。ただ日中戦争では、37年7月から45年8月
までの97カ月で毎月平均10~20万の命が失われ続けた。その多くは一般市民である。ソ連による
満州攻撃がなければ、少なくとも中国は相当な被害を受けていたことになる。
 さらにカルネーエフ氏は、米国による原爆投下が決定的な終戦の要因となったとの見方にも賛成できない。
「当時、原爆投下がどれだけの結果をもたらしたか、誰も知らなかった。今は数字が出ているから、
日本は原爆で降伏したと多くの人が語る。それは間違いだ。広島や長崎には巨大軍事工場も武器庫も
大部隊もなく、原爆投下で日本の軍事力が殺がれた訳ではない。だから軍事戦略上の意味はありえない。」
URLリンク(japanese.ruvr.ru)

 「間違えると北海道までソ連に占領されていた」との発言は、全く歴史に反した、冷戦時代の悪質な
反ソ宣伝の焼き直しである。 そもそも、長崎原爆投下は、ソ連参戦の後に行われているので、
ソ連参戦を阻止するためでないことは、はっきりしている。広島原爆投下の後も、日本政府はポツダム宣言
を受諾していないが、ソ連が参戦すると、あわててポツダム宣言を受諾した。このことからも、
日本のポツダム宣言受諾に、ソ連参戦は決定的に重要だったことがわかる。
URLリンク(cccpcamera.asablo.jp)

92:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/27 23:25:46.98 2tuRndAn0.net
中国は貧弱な国家であり、経済的に立ち遅れ武器も貧弱で、国際援助も欠乏していた。
その中国があえて経済も軍事力も豊かな日本に抵抗したことは、世界の正義を求める勢力
を鼓舞し感化した。次に、中国人民は自己の抵抗と犠牲をもって、日本ファシズムの足止めをし、
ソ連,イギリス,アメリカなどがアジアにおける戦争の負担を軽減した。中国の戦場から大量
の部隊をまわすことができないため、日本は最後まで北進を実行できなかった。そのため、
独ソ戦が勃発した後、ソ連は順当に極東地区から50万余りの軍隊と大量の武器を次々と
西戦線のドイツ軍との戦いにまわすことができた。欧州戦争が勃発した後、イギリス,
フランスは深刻な打撃を受け、彼らのアジア植民地を保護することができなくなっていた。
アメリカは戦争の準備が整っていなかった。日本は迅速に中国に対する戦争を終わらせ、
大部隊を南へまわして、イギリス,フランス,アメリカ,オランダなどが東南アジアや太平洋地区
で支配する重要な戦略資源を奪いに行きたかった。しかし、日本が太平洋戦争を発動する
に至っても、南進の兵力はただ10個師団と三個の混成旅団のみで、これは中国侵略の
兵力の30%にもおよばなかった。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

ヨーロッパでソ連の機嫌を損ねたら西側が潰されることは、トルーマンとて百も承知だった。
だから米軍が多大な血を流して確保したテューリンゲン州も、ソ連の抗議でソ連に引き渡された。
従って日本としてはソ連抜きのポツダム宣言は「黙殺」、終戦(無条件降伏?)はソ連参戦後。
なおソ連邦の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。
ソ連の核兵器は一人の人間も殺すことはなく、世界平和に貢献した清潔な核兵器だった。

         あ  り  が  と  う  ソ  連  邦  !

このヤルタ会談(協定)に関し、米・ブッシュ大統領は、05年5月7日に「歴史的な誤り」
としてこれを批判した。これに対して、ロシアのプーチン大統領は、対独戦勝利記念に関
する論文で、同協定を「ナチズムの復活を許さない新国際秩序を構築し、地球規模での紛争
から世界を守り、国際連合も創設された」と強調し、同協定の意義を積極的に評価した。
URLリンク(tamutamu2011.kuronowish.com)

イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。
ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、
イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、
イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、
首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
URLリンク(cccpcamera.asablo.jp)

第二次世界大戦後、アメリカ軍はテューリンゲン州をソ連軍に受け渡し、
BMW・アイゼナハ工場はソ連の設立した企業・SMADが所持することとなり、
Sowjetische AG Maschinenbau Awtowelo, Werk BMW Eisenach(ソビエト
Awtowelo会社アイゼナハBMW工場)となる。工場は6割が破壊されていた。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰?
URLリンク(mimizun.com)
朝鮮戦争で中国チンピラゴロツキも撃破できなかった米軍が
URLリンク(mimizun.com)

93:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/29 01:18:14.40 d9MTw8KU0.net
Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
wikiに寄生しているアホどもに告ぐ

不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ

さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww

94:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/29 10:59:31.85 bM++B2SO0.net
>>93
わかったわかった。
誰も信じやせんよ。

95:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/29 23:18:42.01 NVu8kG8Q0.net
そういう人が、全員2chをも利用しているとはちょっと考えられないw
何かを誤解している感じ。

96:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/30 00:00:13.94 Z3UDcQC90.net
ワッハッハッハッハッハー

2ちゃんはじめ多くのブログにはおれたち陸軍がウソを書きなぐっている。
みんな山本五十六をおとしめる書き込みだ。 陸軍の俺たちがやってるぞ!

おれたち陸軍側の人間が戦犯とされたことの報復だ。
世間が山本をもちあげているのが、悔しくて悔しくてたまらんからだ。
山本五十六は格好いもんな。有能だもんな。

そんな山本がねたましくてねたましくてたまらん。

だから、いろんなブログにウソを書き連ねてある。
いろんなとこに山本に対するウソだらけの悪口を書いているのが俺たち陸軍だ。
わかったか? ハハハハ。

今後もやったるでー!! 俺たち陸軍が、ウソだらけの書き込みをな。


Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
wikiに寄生しているアホどもに告ぐ

不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ

さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww

97:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/30 16:53:26.54 oT60T5KB0.net
>>66
>歴史的に機能してきた境界

たぶん地元住民が昔から認識していた「境界線」で収めるのが理想的だったと思う。しかし本来なら
話し合いで円満に解決しても良かったのにノモンハン事変に発展してしまった原因は何か?

実はノモンハン事変の前に国境線策定に関して1935年から満州里会議が開かれていた。
この話し合いを潰したのはソ連。日本とモンゴルが接近するのを嫌ったらしい。

98:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/30 20:10:09.09 A55ISTS50.net
遊牧民に境界線の概念なんて無いよ。ただ、動物に水を飲ませることができる川が利用できないのは打撃。

99:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/31 00:17:44.20 Gv8E9qwuO.net
関東軍(大日本帝国陸軍)VSソビエト労農赤軍(ソビエト連邦陸軍)
満州国軍VSモンゴル人民共和国軍

100:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/31 16:51:40.86 zshwxgti0.net
>満州里会議

ソ連は、日本とモンゴルが協調関係に入りるのを嫌い阻止しようとした。それにより会議に
参加していたモンゴル代表及びモンゴル国は悲惨な運命を辿った。

「こうして、(満州里会議により)満蒙間で合意が成立しかけていた時期に、会議の指導者達が相次いで逮捕された」
「モンゴルは遺憾ながらスターリニズムに侵され...狂気の暴虐のせいで、政府、軍の上級指導者達は一斉に「日本のスパイ、手先」として逮捕され(後に処刑され)た。」
ゴンボスレン大佐 モンゴル人民共和国戦史研究所戦史部長 田中克彦訳

ノモハン事件前の1937年にソ連・コミンテルンの意を受けて2万8千人のモンゴル人が処刑された。
これは当時の外蒙古人に強い反ソ感情があり日本・満州国に好意的だったことが関係している。
そのため親日派はソ連側に目の敵にされた。
処刑されたのはゲンデン首相・外相・参謀総長・商務相・保険相・司法相・教育相・他
また国防相デミドはモスクワに召還されたが、その列車内で殴り殺されている。(遺体に全身打撲の痕、同夫人談)

更に数多くの知識人階級層の抹殺
>(モンゴルの)人口の4.5%を処刑する(日本でいえば、500万人)という地獄政権
>最近これを裏付けるラマ僧の大量処刑の骸骨が発見されたことが新聞で伝えられています。

101:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/01 07:17:51.44 CTGnPNlE0.net
そういえばノモンハンの【敗戦】が原因でモンゴルでは粛清があったんだよな。

102:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/01 12:26:58.69 5ZTtLXLz0.net
>>101
「敗戦」だからではない。
日本人や満州人と接触したので、スパイ容疑をかけられて粛清されたのだ。
岩波の『ノモンハン戦争』を買って読め。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/01 23:09:47.51 zO6WTD+6O.net
ソビエト労農赤軍の兵士って職業軍人だったの?
それともソ連国内の農民労働者からの徴兵兵士だったの?
対する関東軍は基本的に職業軍人だった訳だが。

104:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/02 09:23:17.28 N11l4AlhO.net
接触?ろくに工作活動もしてないのに?
つか無断撤退を流産に処刑された人もいるんだけど?

105:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/02 20:17:36.96 Cd5plczK0.net
日本は東アジアの平和の要

106:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 13:20:07.81 U/PzGEiEO.net
独ソ戦はドイツの圧勝だった。1基準

107:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 20:05:17.50 y8cacpEw0.net
>>106
国土も首都も完全にソ連軍に制圧されたのだから損害の過多にかかわらず
ドイツの負けだわな。
しかしノモンハンは局地戦。損得勘定はどうなるか?

108:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 20:06:34.53 fbb77EoU0.net
北進論が完全に消滅したから、ソ連の勝利だろ。

109:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 20:29:37.14 y8cacpEw0.net
でもソ連も恐日に陥り、対日侵攻が遅れに遅れて
結果、被害が最小限で済んだとか

110:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 20:44:40.94 rjj+nel20.net
>>107
日本が主張した国境からソ連が主張する国境まで排除されている

111:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 20:49:49.32 Hi7okGzp0.net
>>110
それ一部地域だけなら、
他の場所はソ連が主張する国境ラインから、日本が主張するラインまでソ連が排除されているんだがw
>>108
北進論が消滅したわけじゃなくて、禁輸で資源確保しないといけないからなくなっただけ。
そしてソ連は日本に攻め込めず、だけど独ソ戦の最中でも100万近い大軍を常に駐留させる警戒っぷり。

112:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 20:53:00.38 Hi7okGzp0.net
それ一部地域だけだな。だな。後で文書き換えたのに残っていた。
両者の主張ラインから失った領土を差し引きすると同程度になる。

113:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 21:31:46.19 aEUhRQSNO.net
ノモンハンの満蒙国境線はソ蒙側主張が8割通り、日満主張が2割通った訳だが。

114:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 22:24:57.92 rjj+nel20.net
係争地はすべてソ連。
負けそうになって無意味な無人の草原に少しだけ前進した惨めな無能関東軍w

115:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 22:26:34.97 rjj+nel20.net
ソ連軍に包囲殲滅された無能関東軍の惨めな痴態
URLリンク(upload.wikimedia.org)

116:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 22:28:51.67 fbb77EoU0.net
>>115
現在のグーグルアース見てもこの通りの国境線になっているな。

117:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/03 23:51:15.22 Hi7okGzp0.net
>>113
そんな事実は存在しない。ソ蒙側は半分は失っている。
>>114
係争地で宮崎隊などに蹴散らされた領土の大半を失ったのがソ蒙

118:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 01:45:15.65 YPNVI8z00.net
独ソ不可侵条約により日独防共協定が形骸化した状況で
ノモンハンの戦況云々の勝ち負けにどれだけの価値があるのか?

119:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 02:29:31.18 2jA3CTHK0.net
>南方のハンダガヤ方面では、9月に入ってから進出した日本第2師団~
>この結果、国境確定によりモンゴル側は500平方粁の領土を失ったと
>称している。(秦郁彦『昭和史の謎を追う・上』)

領土確保に関しては4対6くらい?

120:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 07:03:22.78 yGse0c6P0.net
ソ連軍に勝てないから、ソ連軍が居ないところを盗っただけだろ。
日本が勝ったというなら、係争地を取らないと。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 09:20:15.23 2jA3CTHK0.net
でも結果は結果でしょう。日満側は一定の領土を確保したんだから。
ソ連も日本を怖がって必死に停戦に漕ぎ着けようとし、領土面でも妥協して
福井雄三著「世界最強だった日本陸軍」

122:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 09:50:59.07 nijcVwwp0.net
>>120
日本の陣地に敵主力を誘引して日本軍以上大損害を与えて、
ソ連の手薄なところに侵攻して領土奪った事を勝ったと言わんのかねw
少なくとも引き分け以上は確定だろうが。
>>119
秦は差し引き大差ないと言っているね。

123:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 10:21:36.96 QfaCZnKh0.net
獲得したのは人も住まない遊牧にも適さない山岳地帯でしょ。
ここは俺のだと互いに主張して、衝突して戦争状態にまで拡大させた主戦場の草原地帯は、丸ごとモンゴルのものになってるんだが。

受験に例えれば、第一志望に落ちたが数ランク下の滑り止めに引っかかったようなもの。
他人が慰める材料に使うのはまだしも、自分で結果を出したと言い張るのは、どうよ。

124:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 10:29:49.17 nijcVwwp0.net
>>123
山岳地帯というのがそもそも間違いなんだが、
あそこが山岳地帯ならノモンハンも山岳地帯。標高は200mも変わらんのだぞ。
日本側にとっては山だらけのノモンハンよりも南部から将軍廟までの補給ライン確保が優先しただけ。

125:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 10:31:59.10 nijcVwwp0.net
そしてソ蒙がここは俺のだと主張して兵士駐留していたのに、
それを日本側に奪われて、日本側の主張ラインの川まで追いやられたのがソ蒙ってのが史実なんだよ。

受験に例えれば志望校におちて、数ランク下の滑り止めに引っかかったのはまさにソ蒙だな。
その後スターリンによって敗戦責任を取らされて粛清されたものまでいる。

126:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 10:45:23.27 2jA3CTHK0.net
>「それは衝撃的な光景でした」
>戦争から70年がたち、何も残ってはいないだろうと思っていたが、砂の草原には
>戦死した日本将兵たちの風化した遺骨や赤さびた砲弾の破片、ビンの破片などが足の踏み場がないくらい散乱していたからだ。

【ノモンハン 70年後の教訓】(上)
産経新聞 主要ニュース 文化【学術】2009年10月08日 20:56:00

127:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 10:46:00.22 2jA3CTHK0.net
> ■廃虚の巨大基地
>調査ではさらに、ソ連の独裁者スターリンがモンゴルの実に東半分をソ連軍の要塞(ようさい)にしていた実態も明らかになった。
>
> ソ連軍の出撃拠点だったタムスク基地は、ノモンハンの西約110キロにあった。ソ連軍はすでに撤収し廃虚と化し、山手線の
>圏内をひとまわり大きくした広さの基地には無数の砲台やトーチカ、塹壕、司令部とみられる建物が放置されていた。
>
> だが、基地は事件前から急速に拡張された。両軍が衝突する2カ月前の3月には大量の戦車や大砲、弾薬が運び込まれ、戦闘準備が
>整えられた。基地周辺には4つの飛行場をその後整備し、鉄道まで敷設。タムスクの後方に、マタト、サンベースなどの巨大補給基地も建設したのだ。
>
>「スターリンが、同盟国とはいえ異国のモンゴル東部の辺境の砂漠に巨費を投じ、巨大な軍事要塞を建設したのは、来る
>対日決戦と満州侵略を決意し周到に準備していた動かぬ証拠だ」。辻田氏の結論である。
>
>「日本がアジア侵略の目的で始めた戦争」?。ソ連が東京裁判でこう断罪したノモンハン事件は、ソ連の対日侵略の前哨戦だった。70年の歳月を経て「ノモンハンの秘密」が少しずつ暴かれ始めた。

【ノモンハン 70年後の教訓】(上)満州侵略決意したスターリン 暴かれる日ソ衝突の秘密
URLリンク(blog.livedoor.jp)

128:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 10:52:31.42 2jA3CTHK0.net
> 「係争地域はソ連軍が大部分を占領しています」とありますが、秦郁彦教授の説明とはまったく違います。
> 『二十世紀日本の戦争』という本で、「日本軍はその南側にほぼ同じ広さを確保してしまう」と書いておられます。
> 『昭和史の謎を追う』に図示されている範囲でも、相当な広さです。
ウィキペディアの「ノート」から

> ハルハ・ホルステン河流域付近の境界は~(ソ連に獲られたが)
> その代わりハンダガヤ~ハロンアルシャン地区では日満側の要求が、ソ連側主張よりハルハ河より
> に線引きされた。モンゴルが今なお500平方キロを失ったと称するのはこの地域
> のことだが、差引きすれば大差はない。いずれにせよ、国境線はほぼ停戦時における両軍の停止位置と合致していた。
> 「昭和史の謎を追う」上巻 秦郁彦著

領土面では痛み分けかな?

129:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 17:02:24.79 jZXQVmQF0.net
領土がどれくらい取ったか取られたかってのは >>41 にあるだろw

秦が妙なコト言うなw 普段は信用できる学者なのに。無茶取られているだろ。

130:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 18:44:12.11 2jA3CTHK0.net
しかしソ連側が獲った領土も500平方mくらいでは? 地図だとそれくらいに見える

131:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 18:44:59.08 2jA3CTHK0.net
平方km

132:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 18:51:34.49 nijcVwwp0.net
41はとっくに論破されてそいつ逃亡しただろ。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 19:03:29.12 jZXQVmQF0.net
どこでだよw

134:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 20:44:15.79 2jA3CTHK0.net
>>41の地図を見ると、日本側の獲得地が500平方km有るようには見えないんだが、しかし
モンゴル側は、それだけ分捕られたと主張してる。
とすると、元々モンゴルの主張していた国境線は、ハンタガイ方面でもハルハ河の東側に
線引きされていた考えられる。

135:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 20:54:28.07 jZXQVmQF0.net
ああそうか。ソ連は自己が主張してた国境線から「越えなかった」という記述もあったな。たしかに。
下の地図はどうだ?

URLリンク(blog-imgs-34-origin.fc2.com)

でも、それにしても、日本側の主張する国境線はかなーり後退していることに…

136:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 21:05:45.84 2jA3CTHK0.net
つまりソ連とモンゴルとの間にも食い違いが有ったと言うことかな?

137:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 21:17:29.36 jZXQVmQF0.net
つーか、元々モンゴル人は遊牧民だから、どこからどこまで俺のモンって考えが根本的に「嫌い」。

138:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/04 21:36:23.84 2jA3CTHK0.net
>>137
嫌いどうかは知らないが領有権の主張はしてるだろう。放牧地だって重要な土地なんだから

139:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 01:04:39.76 AenoKr+f0.net
モンゴルは複雑。
元は国境など関係なくモンゴル人の土地だったのに、中ソの力関係で民族が分断されて勝手に国境引かれたから。

140:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 07:16:14.38 0XlGrAzr0.net
>>133
そいつは>>49ですでに論破されて泣きながら逃走しているんだが?

ソ蒙の主張ラインがそもそも間違っているんだよ、
戦死業書なんてものを参考にするからね。
あれ何十年前のものだと思っているんだ、ソ連崩壊前のだぞ。つまりソ連側の史料なんてわかってないんだよ。

>>139
中国に侵略されまくっていたんだけどな。
それでロシアや(白ロシア含む)ソ連に泣きついた。
でなければ中華民国の地図みたいにそこまで中国になっている。
最もその後スターリンとチョイバルサンによって大粛清されてぶっ殺されるがね。

141:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 08:04:40.63 ocWmGfS90.net
日本が軍事的に勝利したと仮定しても独ソ不可侵条約締結により
平沼内閣は総辞職しソ連側の主張を受け入れざるを得なかった。
清国に圧勝しながら三国干渉で戦わずして遼東半島から撤退したのと同じ状況。

142:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 10:03:29.72 kOXEDNGb0.net
>>124
URLリンク(blog-imgs-34-origin.fc2.com)
の等高線の配置を見て、ノモンハンが山地だの、アルシャンも平地だの言えるなんて、地図の読み方を知らんとしか言えんのだが。

最低地のハルハ川の標高が670mほど。
ノモンハンの高地とされるところが750m以下。
80m以内のでこぼこにすぎん。
それに対して900-1000mってたら十分に山地だろうが。
その先は1400-1500mの山につながってるんだし。
日本で言えば、ノモンハンは武蔵野台地、アルシャンは高尾山みたいな感じ。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 17:22:57.38 nzYJID2f0.net
>>127
このソ連が構築した巨大要塞の一端を有名な辻参謀は実際に見たらしい

当時ソ連からの不法偵察機が満州国上空を領空侵犯し、一方的に偵察を行う状況が続いていた。
だが関東軍は越境活動を(東京から)厳重に禁じられ対応手段を何も持てない状態だった。

しかしソ連側の無法に対し我慢の限界に来た関東軍は偵察機を派遣する。辻参謀を乗せた
司令部偵察機が出撃したのは五月一五日。低酸素・低温の高空を飛び、命懸けの偵察飛行を行った。

すると地図に現れない新しい自動車道が驚くほど発達していた。満領内とは大人と子供ほどの格差があると辻は言う。
そして要塞は縦深約三〇キロに渡ると見られた。国境だけの単純なトーチカ陣地どころではない凄い規模。
また大規模な近代軍事基地ウオロシロフも偵察する。それらは貧弱な満州の飛行場とは雲泥の差だった。おびただしい戦闘機が上昇してくるなかで退避
参考 「ノモンハン秘史」 辻政信著 毎日ワンズ

144:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 17:33:41.87 nzYJID2f0.net
>>143 つづき
よくノモンハン事変では日本軍の補給に貧弱さを批判し、対するソ連軍の膨大な補給量が言われるが、しかし
当たり前だろう。前々から、これだけ大規模な侵攻準備を進めていれば。

また「ノモンハン事件は、単なる不毛な土地の国境争いで無益に多数の兵を消耗したとして悪名高い。」
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
などという評もある。
しかし、日本が何もしなくても、ソ連側が大々的な侵略準備をしているのは明らか。ノモンハンで日本軍から
手痛い打撃を受けていなかったら、ソ連は日本を舐めて、嵩にかかって侵略戦争を仕掛けてきた可能性も高い。

145:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 18:40:17.38 nIfHz4U20.net
そうか、じゃあもうちょっと日本が弱ければ日ソ戦争が起きて、
その間にドイツがソ連に参戦して勝利できてたのか(´・ω・`)

そりゃあ返す返すもハンパに強くて残念だったな

146:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 19:03:28.90 dDu3EP6n0.net
>>140
そいや、ノモンハンものの小説でも戦記でも、「ソ連は自国が主張していた国境線で進出を止めた」と書いているな。
だったら、当然どれだけ土地を取ったかという話では、ソ連の方が分が悪いのは当たり前か。

でも、ノモンハン事件は引き分けではないだろw 

147:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 22:57:28.56 0j7Vt58LO.net
ソ連は結局侵略国。
日本はアムール川以南の沿海州と北樺太を領有していれば
アムール川の日ソ、満ソ国境線にソ連軍は兵力が割かれていた。
そうなるとノモンハンにソ連軍が兵力を増派出来無ずに終わった。

148:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/05 22:58:44.13 dDu3EP6n0.net
たら…れば…を幾ら言っても…。

149:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/06 10:07:33.77 NYx5v1ZW0.net
>>142
>>78で既に論破済みである。それが既に間違っている。
その地図が900m以上なのに、
760mの山にいる歩兵16連隊は谷に布陣したのかね?www
グーグルアースでも見てこいよ。写真とかもあるから。
山地なのは鉄道の周りであって、南部で争っていたところも平原だから。

150:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/06 11:54:58.90 Ag9qp4wn0.net
>>149
>760mの山にいる歩兵16連隊
君の脳内では歩兵16連隊はどこに布陣してることになってるのかね?

URLリンク(yamanekobunko.blog52.fc2.com)
「宮崎連隊もその一部で、第2師団歩兵第15旅団(旅団長:片山省太郎少将。歩兵第16連隊及び第30連隊)基幹の片山支隊として、アルシャン経由で9月3日にドロト湖付近に到着しています。」
湖ってのは明らかに窪地だよね。

URLリンク(www.nandemoya.asia)
「九月四日には全員到着して最初の攻撃目標である九〇四高地裾に終結をした。」

URLリンク(www.geocities.jp)
には9/6-8の布陣図があるが、16連隊=宮崎隊主力は、937mの山麓から谷筋の道路にかけて布陣してる。

>谷に布陣したのかね
その通りですが何かw

>グーグルアースでも見てこいよ。写真とかもあるから
いや、山地じゃん、どうみても。

151:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/07 08:11:55.33 c4YzJyVAO.net
>>144 >>145
日本軍は不利な状況の中で、ソ連の侵略戦争の出鼻をくじいた

152:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/07 08:56:24.30 scO+oZ7h0.net
>>150
ドロト湖に到着したときの話じゃなくて、停戦したときの布陣。
当たり前だろうに。
そして16連隊は奪い取った760mの山に布陣している。
なおここにはほかにも片山隊(宮崎隊も一応ここか)秋山隊、石蘭隊とかほかにも色々あるけど。
多くは奪い取ったところや守りきったところ。

>9/6-8の布陣図があるが、16連隊=宮崎隊主力は、937mの山麓から谷筋の道路にかけて布陣してる。

間違いである最初16連隊は951高地に布陣している。谷に布陣などしとらんよ。
そして最終的に760高地に布陣した。

>いや、山地じゃん、どうみても。

普通に農地になってんじゃん。

153:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/08 06:58:33.63 SvxZT1S30.net
>>137
>よく遊牧民には、国境もなく、ひたすら ~自由な生活があるという、
>ひろく行きわたった考えがあるけれども、日本人にありがちなその
>ような浅はかな想像は、このハルハ河戦争を見れば破られるであろう。
>
>牧草も水もひたすら天から授かるものであって、それを自ら作り出すことのできない遊牧民
>にとって、遊牧の境界は我々が思う以上に厳しく定められているのである。

ノモンハン戦争 田中克彦著 岩波新書

154:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/10 12:15:39.79 gNei6TBP0.net
URLリンク(blog.livedoor.jp)

宗教・歴史・考古学・心理学・超常現象から政治経済・皇室問題まで

幅広く学べる知識の宝庫「中杉弘のブログ」です。

URLリンク(blog.livedoor.jp)

155:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/11 05:27:43.68 JyDazlNe0.net
>>114
>係争地はすべてソ連。
>負けそうになって無意味な無人の草原に少しだけ前進した惨めな無能関東軍w

フィンランドは『冬戦争』でカレリアを失い、さらに『継続戦争』でベッツァモを失った。

1940年3月13日、モスクワ講和条約
URLリンク(ja.wikipedia.org)
1944年9月19日にモスクワ休戦協定
URLリンク(ja.wikipedia.org)

 私の母国フィンランドとロシアの間にも解決されていない領土問題がある。第二次世界大戦の結果フィンランドが
カレリア地方をソ連に奪われ、50万人のフィンランド人がその地域から強制的に追い出され、その状況は今も続いている。
フィンランド政府は返還要求を諦めているが、民間レベルでは返還要求運動はなお続いている。
   ツルネン マルテイ
URLリンク(melma.com)

注目すべきことは,リュティが,ソ連の侵略行動を,たんに第二次大戦の時点におけ
る現象としてではなく,「過去500年間の90年間というもの断続して」「同じ敵」から
攻撃された,という表現が示すようにほとんど歴史的宿命としてとらえていることであり,
東方からのこの「常なる脅威」を次代の者のために粉砕することを,この自衛戦争の
目標として挙げていることである。つまり,ここでは,歴史的な敵対者として指定され
たソ連の徹底的な弱体化の予想のうえに立って,防衛戦争が説かれていたといえよう。
URLリンク(eprints.lib.hokudai.ac.jp)

1942年2月に外相ヴィッティングが告白しているところによれば輸入食糧の実に93パーセントはドイツ
からのものであった。そして,同年中のフィンランドの輸入総額の72パーセント,そのうちの穀物
輸入総額の100パーセントは,実にドイツが占めるにいたっていた。
URLリンク(eprints.lib.hokudai.ac.jp)

両国間に緊急に解決を要す深刻な政治的問題は殆どなく、良く引き合いに出されるかつ
てフィンランド領であったカレリア問題は、両国政府ともパリ講和条約によって処理済
みであるとの立場であり、フィンランド政府としてはロシア政府に対しカレリア地峡に
ついて如何なる請求権をも有していない旨再三に亘り明らかにしている2 7 ) 。
従って、戦前のように領土問題で両国関係がぎくしゃくするような事態はもはや予想されない。
URLリンク(www.mofa.go.jp)

156:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 04:29:47.24 cCsl+h5o0.net
やっとアク禁が解けたよ。
>>78
>尖閣の行政処理を台湾でもやっていたからといって、
>台湾の領土になるわけでもない。
尖閣は行政区画としてはずっと沖縄県のままだからね。
漁業権や一時的な防衛担当範囲を台北で処理したとしても、行政区分では一貫して沖縄県に属しており尖閣諸島が台湾に属していた事実はない、と言うのが日本の主張。
行政区画が領有権の根拠となっており、それはノモンハンのモンゴル側の主張でもある。

>戦争目的は山か川のどちらで区分けするか
だから、何のために行政区画を無視して川を主張したわけ?
領土を広げるためでしょ。
現実に衝突したのはホロンバイル草原地帯であり、そこの領有を巡って戦いが始まったわけなのだが。

>その間の道路をそのまま確保するような形になっている。
道路確保が戦争目的なら、ノロ高地やフイ高地などで激戦をする意味が無いのだが。
因果関係が逆なんだよ。アルシャン-将軍廟の道路が重要視されるようになったのは、戦争が始まったから。
ノモンハン戦以前のあの地域への連絡線はハイラル方面だった。初期の部隊はハイラル方面から南下してきている。

>ていうかそれはソ連主張国境線がそもそも間違っているんだがな。
根拠も無しに、そしてどこがどう間違っているかも示さず、決め付けられても反論したとは言えんのだが。
反論になってないのでこちらも再反論の仕様が無い。

まあ、実際怪しい点はあるんだがね。フロン山を通るか否か。
それで、底辺20km、高さ10kmの三角形の地域の領有が変わる。
しかし、それはモンゴル軍さえ勘違いしていたということで、ハンダガヤ-アルシャン方面が重要視されておらず、領有を争っていたのがそちらではなかったと言う事の証拠でもあるのだが。

157:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 04:34:33.20 cCsl+h5o0.net
>>140
>戦死業書なんてものを参考にするからね。
>あれ何十年前のものだと思っているんだ、ソ連崩壊前のだぞ。つまりソ連側の史料なんてわかってないんだよ。
鹵獲したモンゴル側の地図を根拠にしているわけで、あちら側の資料が元なのだが?
それ以前に、基礎資料を一方的に否定して、代わる資料も示さず、それで何を主張し議論しようというんだろう。
話にならん。


>>149
>>>78で既に論破済みである。それが既に間違っている。
根拠も示さず、お前は間違ってる真実はこうだとだけ言い放って、反論したつもりになってるのは痛いよ?

>その地図が900m以上なのに、
川まで下れば700m台になってるが?
加えてそれは、ハンダガヤの戦場が山地である事の否定には全くなってないんだが。
逆に、急峻さを示しており、山地と言う証拠になってるんだが。

>>152
>間違いである最初16連隊は951高地に布陣している。
そこに布陣してるのは歩兵第30連隊の第3大隊なんだが?
URLリンク(www.geocities.jp)

>そして最終的に760高地に布陣した。
第16連隊は997高地を保持し続けている事になってるのだが?
URLリンク(yamanekobunko.blog52.fc2.com)

158:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 16:04:03.68 E7wrlRfV0.net
>ソ連主張国境線

もとはと言えばロシア人の作った地図がいい加減だったのがそもそもの発端だが
モンゴル人の言い分を一部入れて修正したとされるノモンハン事変当時のソ連製
地図・・・にしても当てになるのかな?
またまた、いい加減な国境線を書いていたかも知れない。少なくともモンゴル人は納得してないし

159:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 19:01:52.81 mLkmqBuk0.net
>>156
日本軍はその自国が国境線だと主張していたハルハ川を明確に越えて攻撃してたな。
そして撃退された…

ソ連側は自国が国境線と主張していた線を越えて攻撃しなかった。

160:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 22:44:20.60 GGQe6aRz0.net
シベリア鉄道に対して攻撃していれば、ソ連軍は補給が途絶えて戦闘不能に
なったのではないのか?
あの時のソ連の兵站は650kmもあったから、その補給網を完全に空爆
しておけば、数日で日本に降伏したんではないのか。

161:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 22:51:53.82 EjwZQjk20.net
夜郎自大の妄想乙!
そんなことしたら日ソ全面戦争に突入して満州国から日本は追い出されたよ。

162:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 22:57:09.87 mLkmqBuk0.net
辻政信はやる気満々だったけどね。

163:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 23:42:36.88 mcoj3pT40.net
>>161
史実では、日本がソ連を攻撃しなくても、あっちから攻撃してきて、満州どころか樺太も千島も奪われた。
従って結果は同じなら、先にこちらから攻撃したほうがよかたかもという後知恵も考えられる。
なおフィンランドはドイツに媚びてドイツと一緒にソ連を攻撃して、カレリアどころかベッツアモをも奪われた。

164:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/12 23:49:56.77 mLkmqBuk0.net
後知恵OKなら、そもそもアメリカと戦うべきじゃなかっただろw

165:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/13 00:29:30.81 941glPViO.net
後知恵ならシベリア出兵の時に占領した地域の内、アムール川以南の沿海州と北樺太は
最低限そのまま日本へ併合するべきだったな。

そうすればソ連はそれこそ満足な港を極東に持つ事も無く
シベリア鉄道を逆に日本が利用してソ連への進撃ルートにする事も出来ていた

166:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/13 04:16:46.52 VDRQFeog0.net
>>163
>フィンランドはドイツに媚びてドイツと一緒にソ連を攻撃して、

フィンランドは国際法上は敗戦国扱い(旧敵国条項)。同じ敗戦国の日本と比べるとどんな感じってとこ。
戦争に負けたら領土取られて当たり前というのは、第二次世界大戦も例外ではなかった。

フィンランド化(-か、英: Finlandization)は、議会民主制と資本主義経済を維持しつつも
共産主義国の勢力下におかれる状態を、フィンランドとソビエト連邦の関係になぞらえた語である。
旧西ドイツの保守勢力が、共産主義諸国との対話を重視した首相ブラントを批判する際に用いた造語に由来する。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
1939年の独ソ不可侵条約によって、ソ連はフィンランドを勢力範囲とすることをドイツから認められる。
スターリンはフィンランドの併合を目論んでフィンランドへの侵攻を開始したが頑強な抵抗に会い、フィンランド
国土の十分の一のソ連への割譲を条件に講和する(冬戦争)。1941年の独ソ戦開戦によりフィンランドも
失地回復のため参戦するが(継続戦争)、枢軸国の敗勢によりフィンランドはソ連と休戦し、国内駐留ドイツ軍と開戦した。
敗戦国の立場に立たされ地理的にも西側の支援の望めないフィンランドは、1948年にフィンランド・ソ連
友好協力相互援助条約を締結し、独立および議会民主制と資本主義の維持と引き換えに、国際的には事実上の
東側の一員として行動することとなった。軍の装備もワルシャワ条約機構と互換性のある物が採用された。
また、マスコミにおいて自主規制が行われ、冬戦争におけるソ連の侵略などに対する言及はタブーとなった。

参考動画
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

167:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/13 04:33:46.17 FI62bUZY0.net
>>160
一応、ノモンハン事件は満州国とモンゴルの争いと言う事になっている。
日本とソ連はあくまで同盟国として支援していると言う建前。
さすがにソ連領内への攻撃は出来んよ。
それこそ全面戦争覚悟しないと。

>>165
国力的に無理だろ。
ソ連だって黙ってはいない。
泥沼のゲリラ戦に持ち込まれて、戦費で財政が破綻するだろうよ。

168:だつお ◆t0moyVbEXw
13/06/13 15:10:36.24 VDRQFeog0.net
日露戦争やノモンハン事変でロシア側が国家総力で反撃を続けたら日本は負けたか否かだが、
ロシアが国家総力で反撃を続けた戦争は、「ソ連邦大祖国戦争」ただ1つであり、それとの比較は無意味。
『フィンランド化』なんて用語は懐かしい冷戦時代の用語であるが、日本は無条件降伏をしたか否かとか、
東京裁判や米軍基地問題や北方領土問題とか、日本外交のあり方を考える上で参考にはなる。

「反共だけど旧日本軍は意地でも否定」という韓国人の立場からすると、フィンランドが戦争で負けて国土
の一部を失ったという史実は辛いかもしれない。それでもあえて「フィンランド化」を取り上げてみる。
例えばフィンランドだってリュティ大統領が戦犯認定されてるじゃないか、フィンランドだって冷戦時代は
半占領状態で兵器もソ連製だったじゃないか、フィンランドだって国土割譲してるじゃないか、と。
北方領土に関するロシア側の主張は、「日本が無条件降伏した第二次世界大戦の結果」というものだが、
フィンランドは無条件降伏うんぬんに関わらず、領土に関しては公式には返還の「へ」の字も無いし、
更に旧敵国条項(国連憲章第107条)に指定される敗戦国である。フィンランドは無条件降伏より惨めな立場なのか。
日本もフィンランドに見習って、戦争で失われた旧領土の返還などすっぱり諦めてはどうか、と。

二 独伊の降伏
 昭和18年9月8日、ムッソリーニ失脚後のイタリアではバドリオ政府が連合国軍に無条件降伏しました。日本政府は、
バドリオ政府下のイタリアを敵国として取り扱うことを決定しましたが、その後ムッソリーニのファシスト共和政府をイタリア
の正当政府として承認しました。しかし、昭和20年4月30日にはドイツでヒトラー総統が自殺、翌月2日にはベルリン陥落、
ヒトラーの後継デーニッツ総統は5月8日、連合国側に無条件降伏しました。本項目では独伊両国の降伏をめぐる日本側
の諸措置に関する文書を採録しています。(42文書)
URLリンク(www.mofa.go.jp)

「無条件降伏」について、他国に言及した我が国の公式見解は上の通りだが、用語そのものに法的定義は全くない。
日本・ドイツ・イタリアは無条件降伏認定で、フィンランドには言及なし。だから「日本の無条件降伏」を論じる場合、
フィンランドと比較してフィンランドは戦争で失った旧領土を返還しろなんて主張はしていないのに日本は何だ、
フィンランドは無条件降伏よりも酷い条件で休戦あるいは終戦を迎えたのか、そもそも無条件降伏とは何か、と。
ちなみに日本と旧ソ連との法的な戦争終結は1956年の日ソ共同宣言によるもので、「無条件降伏」とは関係ない。

衆議院議員鈴木宗男君提出無条件降伏の定義に関する質問に対する答弁書
一及び二について
 一般に、「降伏」とは、戦闘行為をやめ、敵の権力下に入ることを意味し、その際に条件付けのない場合には
「無条件降伏」と称されることがあると承知しているが、文脈等にもよるものであり、お尋ねの定義について
一概にお答えすることは困難である。
三について
 「無条件降伏」の定義について一概に述べることが困難であるということもあり、お尋ねについては様々な
見解があると承知している。
URLリンク(www.shugiin.go.jp)

169:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/19 18:18:50.24 7zRBNP4y0.net
ノモンハン事件はソ連が準備しソ連が挑発した事件であることは旧ソ連の資料で明らかです。いまさら日本の挑発は古すぎます。

URLリンク(www.asyura2.com)

170:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 06:40:24.70 MMlXMI5IO.net
張鼓峰で負けた事でかなりねりにねってノモンハンに挑んだんじゃない。
日本側としては警戒しつつもあそこまで大部隊送られたらきつい。その割にはよく戦ったし相手の意図が見わからないなかでの和睦は妥当なんじゃね。

171:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 10:48:38.60 Rax/cgho0.net
ノモンハンの結果判定

ソ連
 「侵入」してきた日本軍を撃退。「国境線」まで追い返したということで一応のメンツは立った。
 小規模な国境紛争を口実にした本来の主目的である対日満侵略戦争は中止。
 大規模な侵略準備を進めていたのに無駄になった。さらに満州方面での軍事行動は極力控えるようになる。

モンゴル
 領土の半分しか奪い返せず、日満により500平方キロを失った。ソ連のメンツを立てるために
 不満な条件を呑まされ停戦へ

日本・満州国
 「侵入」してきたソ蒙軍と激闘。一部領土を奪われたがハンダガヤ~方面では奪い返し一応のメンツは立った
 その後、陸軍はソ連を警戒し北方侵攻は控えることとなる。

172:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 11:19:51.09 9K9WXEGE0.net
この頃はまだ英国が仲介に動いてくれてたから事無きを得られたんだよな

173:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 13:55:05.46 LPMA5rf90.net
>>169
先に挑発したのは日本だよ。
本来の境界線を無視して、満州領を広げる形で国境線を主張されれば警戒して当たり前でしょ。
満州里会議で説明しても、受け付けなかったんだから。

174:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 15:19:41.51 Rax/cgho0.net
>>173
>本来の境界線を無視して、満州領を広げる形で国境線を主張されれば警戒して当たり前でしょ。

そもそもハルハ河を国境線としてたのはロシア製の地図だよ。日本軍はロシアの地図を援用しただけ。

175:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 16:07:39.00 LPMA5rf90.net
>ロシア製の地図
シベリア出兵の時に鹵獲した地図だっけ?
満州とモンゴルの境界線なのに、なんで外国のロシアが勝手に作った地図を根拠にするのかなあ。
そこら辺は満州里会議でも指摘されている。

ソ連もロシア時代の勘違いをモンゴルに指摘されて修正している。

満州国側でも調査した結果、モンゴル側の主張が正しいと言う結論が出かかったのに、
面子にこだわったのか関東軍が修正を認めなかったわけなのだが。

モンゴルもソ連も、満州国と日本でさえ行政当局はモンゴル側の主張が正しいと認めていたのに、
日本軍(関東軍)だけが国境線の”後退”を容認できなかった。

それがノモンハン事件の原因だよ。

176:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 21:03:41.79 Rax/cgho0.net
>>175
>満州とモンゴルの境界線なのに、なんで外国のロシアが勝手に作った地図を根拠にするのかなあ。

そんなことを言っても仕方ない。ソ連は満州国を認めず、満州国の国境線策定なんて相手にしなかった。話し合いの拒否。
それにハルハ河を国境とする地図なら沢山あった

>(日本側は)自分たちの便宜に合わせて国境線を移動させるつもりは無かった。 (略)

> 日本はその主張の支えとなる証拠の地図には事欠かなかった。外務省の指示を受けて
>行われた1935年の研究は、河北省唐山で製作された地図、ロシアで編集された各種の地図、
>イギリスで発行された地図、陸地測量部が製作した別種の地図をそれぞれ例に挙げているが、
>これらはいずれも満州事変以前に発行された物であった。
>1939年、ノモンハン事変以後に開かれたチタ会議に、日本側はハルハ河を国境線として
>図示してる十八種もの地図を提出したが、それらは1918年作成の参謀本部地図に準拠した物であった。
>
> 矢野少佐は1937年から38年にかけて手に入る限りの地図資料を調べてみたが、
>六種のロシアと中国の古記録のうち、ボイル湖を蒙古内部に図示した物はひとつだけで、それは
>1884年作製のものであった、矢野は1734年まで遡って協定、条約を調べ、清国がハルハ河を
>境界と考えていた形跡が有る事を知った。
>
>「ノモンハン1」 クックス 朝日文庫

177:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 21:04:40.05 Rax/cgho0.net
モンゴルと満州国との国境問題について

1906年 露清間に結ばれたキャフタ条約(1727年)に基づき、ロシアの軍測量隊は
 ハルハ河を国境とする地図を作成した。

1918年 中国参謀本部がハルハ河を国境とする地図を作成。
 日本軍はシベリア出兵の際、ソ連側の地図を獲得した。同地図にはハルハ河を国境としていた。

1932年 ソ連側は従来の国境線を一方的に変更した。

178:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 23:48:45.80 LPMA5rf90.net
>>176
>ソ連は満州国を認めず、満州国の国境線策定なんて相手にしなかった。話し合いの拒否。
ノモンハンの国境問題は満州国とモンゴルの国境なんだが?
満州国とモンゴルとの話し合いは満州里会議で行われてますが。

>日本はその主張の支えとなる証拠の地図には事欠かなかった。
外国が勝手に作った地図や私製地図でしかないでしょ。
オボー線を境界とする地図も多数存在し、関東州庁も満鉄もオボの線を国境とした地図を作ってたんだが。

>清国がハルハ河を境界と考えていた形跡が有る事を知った。
具体的には? 何度も言うが、モンゴル-満州(ハルハ-バルガ)の境界は国内問題であって、条約や協定でどうこうするものではないのだが。
1734年に、オボの線を境界とすると、雍正帝の裁定が降っており、その後も境界問題はその裁定に基づいて処理されているのだが。


>>177
>露清間に結ばれたキャフタ条約(1727年)に基づき、
ロシアと中国の国境に関する条約が、なんで清国内の行政区画に適用されると言うのだろう?
さらに、これはモンゴルと満州の国境問題であり、キャフタ条約は関係ないのだが。

>ロシアの軍測量隊はハルハ河を国境とする地図を作成した。
当時そんなところに「国境」など存在しないのだが。
1906年の時点で、ロシアは北満州に駐留権は得ているものの領有権は持っていない。
モンゴルも満州もまだ中国(清)領であり、モンゴルと満州の境界は国境ではない。
存在しないものを勝手に作った地図に意味は無い。

>1918年 中国参謀本部がハルハ河を国境とする地図を作成。
内戦状態で、モンゴルは独立、満州は張作霖が勢力を伸ばしつつあった。
そんな状況で間違いが生じても無理は無い。
というか、国境なんてありえんだろ。当時の中国はモンゴルの独立を認めてないんだから。

>日本軍はシベリア出兵の際、ソ連側の地図を獲得した。同地図にはハルハ河を国境としていた。
だから、関係の無い外国が勝手に作った地図に何の意味があるのかなあ。

>1932年 ソ連側は従来の国境線を一方的に変更した。
はあ? モンゴルは独立以来、オボーの線が国境であると認識していたし、満州側もその認識だった。
満州当局はモンゴル人がハルハ川を越えて遊牧するのを全く規制していなかった。
ところが、満州国が出来た後、現地の事情も歴史的経緯も知らないくせに、関係の無い外国が勝手に作った地図で、ハルハ川が国境だと思い込んだ日本軍が満州を支配して、ハルハ川が国境だと言い出した。

従来の境界を一方的に変更したのは日満側である。

179:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/30 12:24:59.80 ZfRF8cJw0.net
>>178
>満州国とモンゴルとの話し合いは満州里会議で行われてますが。

それを潰したのはソ連。

>モンゴルは遺憾ながらスターリニズムに侵され...狂気の暴虐のせいで、政府、軍の上級指導者達は一斉に「日本のスパイ、手先」として
>逮捕された。これは、「一九三五年六月以来、ゲンデン、デミドらは満州里で日本と関係を持っていた」と見られたからであった。

>こうして、満蒙間で合意が成立しかけていた時期に、会議の指導者達が相次いで逮捕された結果、充分な成果に至らなかった。

>それから五〇年以上たった。最近わが国に生じた政治的、民主的変革の結果、歴史のあらゆる問題を美化したり誹誘したり、手を加える
>ことをせず、ありのままに明らかにする可能性が生じた。
ゴンボスレン大佐 モンゴル人民共和国戦史研究所戦史部長 訳・田中克彦

このモンゴル首脳陣の逮捕と大量処刑の理由というか口実が「満州里会議」。次の満州里会議を開くどころの騒ぎでは無かった

180:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/30 12:37:36.58 ZfRF8cJw0.net
>>178
> >日本はその主張の支えとなる証拠の地図には事欠かなかった。
>外国が勝手に作った地図

要するに日本に限らず多くの国々でもノモンハン方面の国境線は複数有って未確定だったと。

>満州当局はモンゴル人がハルハ川を越えて遊牧するのを全く規制していなかった。

遊牧民だから国境の意味も判らないんだろうと思ってたらしい

>関係の無い外国が勝手に作った地図で、ハルハ川が国境だと思い込んだ日本軍が満州を支配して、ハルハ川が国境だと言い出した。
>従来の境界を一方的に変更したのは日満側である。

たった2行で矛盾してることに気がつかないかな? 日満に限らずロシア(ソ連)・中国・イギリス他多くの地図でハルハ河を境としていた。
これって、つまり、日本が地図を一方的に変更していないし、する気も無かったから、だから諸外国の地図を援用したのだよw

一方的に変更したのはソ連

>ハルハ河の東北の国境が(ソ連の地図で)いつ変わったかというと、一九三二年から三四年にかけて
>これを日本軍はぜんぜん知らなかった。ノモンハン戦争でモンゴル軍から地図をぶんどってみて初めてわかった。「あれ、国境が変わっているぞ」と
『ノモンハン・ハルハ河戦争 国際シンポジウム全記録1991年東京』


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