八甲田山雪中行軍遭難事件at HISTORY2八甲田山雪中行軍遭難事件 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト200:名無しさん@お腹いっぱい。 15/02/07 14:02:40.36 oOhKMQp80.net 二隊分離 青森へ そして後藤房之助伍長救助 明治35年 1月27日 : 1902年 午前 10:00 二隊分離の理由は青森に続く尾根が二つ存在している件で 選択に迷い全滅を避けるための知恵だった 神成大尉の進路を左は実は田茂木野に通じる道だった 最後の命令 鈴木少尉は高所に登りて地形を見んと別れしまま帰り来たらず 間もなく、及川伍長も凍傷と空腹と 寒気のため倒れたるをもって、十分に介抱せるもその甲斐なく いかんともする事あたわざりし 残念ながら戦友を捨てて行進を続ける事となる その前夜、神成大尉は後藤伍長の身にしみじみと応へければ 今はとて大尉を捨てて一歩先へ雪中を 泳ぎ進むうち、捜索隊のために救ひ出されたり 第5連隊遭難始末より 明治44年6月8日の東奥日報では 大尉は最早起き上がる力もない 伍長が助け起こして同行しようとすると、大尉は声も微かに 「 もう自分は到底いかんから伍長は急ぎ田茂木野へ行き此状況を報告してくれ 」 といわれる 伍長は大尉を捨つるに忍びず、死なば諸共、是非にと同行を勧めた所、大尉は声を励まして 「 今両人共死んだなら誰が報告の任にあたると思ふか。区々たる私情に駆られずに一刻も早く行け 」 と一身の瀕死、眼中に存せざる大尉の意気に余儀なくされ 涙を呑んで前進を初めたが さて、雪は腰を没し、両脚は凍互して棒の如く関節の役目をなさないながら 心ばかりあせっても少しもはかどらぬ 殆んど昏睡状態で立ちすくんでいる内に 三神救援隊に収容されたのである 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch