八甲田山雪中行軍遭難事件at HISTORY2
八甲田山雪中行軍遭難事件 - 暇つぶし2ch172:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/31 10:38:10.42 AcOh2EA40.net
第二露営地出発
明治35年 1月25日 :  1902年
午前3:00頃
神成大尉は各小隊を呼集し人員の状況を確認
三分の一は既に倒れ
三分の一は凍傷にて運動の自由を失い、三分の一のみ比較的健全
との報告あり
行軍隊は一列縦隊をもって鳴沢渓谷を下る
ブリザードの影響は少なくなるが昨日同様に寒さは厳しく
再び駒込川の本流と断崖に路を阻まれ進退困難な状況となり
先刻出発した第二露営地に引き返す事となる
この状況下、神成大尉は悲嘆のあまり絶叫した
:天はわれわれを見捨てたらしい
:俺も死ぬから、全員昨夜の露営地に戻って枕を並べて死のう
行軍して二日目ごろから精神に異常をきたすものが出てい
カンジキ隊が雪を固めて路を拓き進軍したのだが
周囲の何メートルもの深い積雪に向かい
わけのわからない叫び声をはりあげて突進するものがいた
とたんに身体がズボッとはまって見えなくなる
手をあげて助けを求めると、雪が頭に落ちて完全に埋まってしまった
それでも助けようというものはなかった
一行は、錯乱状態の中、暗中模索に喘ぎ、堂々巡りに陥った
1月25日 午前 5:30
2時間30分という時間と30名の犠牲を払って行軍隊は第二露営地に到達する

大隊長が倒れるという件は正史では
山口少佐、倉石、神成両大尉は先頭にありて進路を定め・・・・・
1月25日午前 5:30 第二露営地に行軍隊再び到達後
大隊長人事不省となる
と、遭難始末に記録されています
しかし
なぜ朝を待たずに夜に第二露営地を出発したのか?
実は大隊長が倒れたからでは?
と、この行軍の書物を読めば読むほど考えざるを得ない印象を受けます


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch