八甲田山雪中行軍遭難事件at HISTORY2
八甲田山雪中行軍遭難事件 - 暇つぶし2ch171:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/31 09:43:22.92 AcOh2EA40.net
第二露営地
明治35年 1月24日 :  1902年
午後 5:00
結論を先に申し上げると
大隊長は翌25日の夜明けを待って田茂木野方向に出発することを命じた
しかし1月25日 午前 3:00 大隊長は倒れてしまい
青森5連隊は再び夜明け前の帰営を決断する

24日午後5:00から25日午前3:00までの第二露営地は以下の通り

夜のブリザードは昼間と変わらない
暖を取りたくても炭薪はなく食料もない
わずかに各自携帯する2~3個の餅と牛缶詰があるだけ
しかれども餅は氷結し石のように固く缶詰切り開くに困難な状況
糒(ほしいい)などを食べたくとも凍傷にかかる手ではどうにもできず
人の助けがなくては口にすることもできない
喫食するものは稀であった

大隊長は火に当たると凍傷がひどくなるであろうと火は一切焚く事を許さず
夜通し足踏みをして暖みを取るよう厳命する

概に食尽き、空腹はますます迫り来たり
いかんともすべからざれど翌朝の天候に望みを抱き、
各人団輪を作り最も凍傷にかかった者を取り囲み露営を為したり

各小隊は、手指を摩擦したり軍歌を唄い睡魔を破り
指揮を鼓舞し体温を保ち以て凍傷を防がんことをつとめたり
昏睡して倒れた者は体をこすり蘇生を試み
睡気を催す者は高呼してその覚醒を図れり

行軍部隊は夜間寒気との戦いに一睡もせず足踏みしたが
雪が靴の下の凍りつき高下駄のように氷柱が発生
それが折れて倒れた者は再起不能となり水中に没するが如く深雪の中に姿を没して
死んでいったという
午後9:00までに将校を含む20数名が死亡
午後1:00将校たちは集合し対策を論じた
結果、翌25日の夜明けを待って出発することを命じた
しかし前述のとおり大隊長は倒れてしまう
この鳴沢第二露営地付近では最も多くの遺体が発見されている


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch