八甲田山雪中行軍遭難事件at HISTORY2八甲田山雪中行軍遭難事件 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト153:名無しさん@お腹いっぱい。 15/01/29 19:11:18.70 IDxY89YC0.net 明治35年 1月23日 : 1902年 田代までの踏破時間は下り坂の行路から想定すると約1時間 馬立場0.8km →鳴沢0.9km → 平沢1.3km → 田代新湯 結果設営隊の15名以外は 最後方のソリ隊到着まで馬立場で1時間近く待ち 時間を浪費する顛末となる。 17:00 過ぎ 馬立場を出発 鳴沢を目指す 行李この地点に到達する頃ひ、日概に黄昏に近かりしも、 あたかも旧暦十四日に相当し、月明を利用するの便あるを以て 再び行進を起し、設営隊の進路を辿り鳴沢の渓谷に下れり 遭難始末 より この段階でも月の出が確認出来ており 天候は安定していたと考えられる 154:名無しさん@お腹いっぱい。 15/01/29 19:17:53.99 IDxY89YC0.net 別件資料 ソリ隊は一台につき四名づつだが ほかに二名づつの兵に応援させ無難に鳴沢まで到着したのである 長谷川曹長の談話 この付近は傾斜すこぶる急峻にして一分の二(50度)以上に及び 積雪胸に没し、一進一止、その困難名状すべからず。 特にソリは到底前進の見込み無きにより、 その多くは遂に人の背によって運搬するを止む終えざるに至れり。 この時、運搬手は複た防寒外套を着用せり。 遭難始末 より しかしソリを放棄する事は想定外だったため 人力よる運搬具である背負子(しょいこ)は 一切携行していなかった。 わずかに200尋の藁縄(わらなわ)があった事から 藁縄を使った運搬方法を選択した。 2斗焚きの銅平釜も藁縄で炊爨係りの背に背負わせ 人力により運搬されている。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch