八甲田山雪中行軍遭難事件at HISTORY2八甲田山雪中行軍遭難事件 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト150:名無しさん@お腹いっぱい。 15/01/29 18:44:07.40 Aa6ercHo0.net ちなみにここは暖かい神戸だが、冬の燃料は1週間に木炭6Kgです。 七輪で調理と暖房に使います。 151:142 15/01/29 19:03:15.76 IDxY89YC0.net >>141 明治35年 1月23日 第一露営地では 円匙(えんぴ)と十字鍬(つるはし)これらを使い まず、小隊長及び将校の宿営の雪濠を掘りました 幅2m 長さ5m 深さ2m50cm 敷物のワラも無く天蓋(屋根)もない吹きさらしの雪の溝です 小隊長と将校、曹長らはここで暖をとります 加えて 各小隊は1小隊(40名)につき木炭6貫匁(23キログラム) 行李の餅三個・缶詰肉1個を各人に配布 しかし あまりの手の寒さで手の感覚がなくなり 火が点くまでに一時間余りもかかっている 着火にはマッチを使用 火種を持ち歩く工夫はこの時は無かったようです 小隊単位の雪濠は浅かったのではと想像出来ます。 152:名無しさん@お腹いっぱい。 15/01/29 19:11:18.70 IDxY89YC0.net 明治35年 1月23日 : 1902年 田代までの踏破時間は下り坂の行路から想定すると約1時間 馬立場0.8km →鳴沢0.9km → 平沢1.3km → 田代新湯 結果設営隊の15名以外は 最後方のソリ隊到着まで馬立場で1時間近く待ち 時間を浪費する顛末となる。 17:00 過ぎ 馬立場を出発 鳴沢を目指す 行李この地点に到達する頃ひ、日概に黄昏に近かりしも、 あたかも旧暦十四日に相当し、月明を利用するの便あるを以て 再び行進を起し、設営隊の進路を辿り鳴沢の渓谷に下れり 遭難始末 より この段階でも月の出が確認出来ており 天候は安定していたと考えられる 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch