原爆投下がなかったら日本は勝ってたat HISTORY2原爆投下がなかったら日本は勝ってた - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト151:ナ開かれています。 152:名無しさん@お腹いっぱい。 13/08/13 NY:AN:NY.AN hplWKpEa0.net カザフや福島から 広島で若者が勉強会http://news.rcc.jp/?i=MjEyODA=&#a 旧ソ連の核実験場があった中央アジア・カザフスタンと福島の若者が集う勉強会が、広島市で開かれました。 報告会を開いたのは、核実験による被ばく者を支援してきた広島の市民グループです。ttp://news.rcc.jp/rccnews/data/21280.jpg カザフスタンでは旧ソ連が核実験を繰り返し、周辺の住民に深刻な健康被害をもたらしました。ttp://news.rcc.jp/rccnews/data/21280_L.asx 実験場から100キロの町に住んでいたというこの女性は、住民への安全対策が全くなかったと訴えました。 (日本語講師のアクマラル・トッカリナさん)「家が揺れたりとか、はっきり覚えている。これからも二度と起こらないように、皆さんと一緒に頑張っていきたいと思う」 また、福島の学生は、原発事故が起きるまで原子力への関心がうすかったことを反省していると話しました。 (福島の学生の渡辺恭子さん)「広島やカザフスタンのように、同じ思いを経験したもの同士、さらにつながりを深めたいと思った。そして訴えていく必要があると思う」 市民グループは、今後もこうした機会を支援していきたいとしています。(8/7 18:44) ヒロシマでは象徴も・・・行き場のないサダコ像http://news.rcc.jp/?i=MjEyNzk=&#a こうして国境をこえて核廃絶を訴える連携が深まる一方で、原爆を投下した国と投下された国の認識の差は依然としてあります。 広島で原爆被害の象徴でもある像が、アメリカでは制作から18年経った今も設置場所が決まらず、行き場を失っているのです。東京TBSの取材です。 アメリカ・ニューメキシコ州の博物館にある少女の像。ある日本人をモデルにして、18年前に作られました。ttp://news.rcc.jp/rccnews/data/21279.jpg その日本人とは、佐々木禎子さん。68年前、広島で被爆し、12歳でこの世を去りました。広島にある『原爆の子の像』のモデルにもなっています。 亡くなるまで、病床で鶴を折り続けたという禎子さん。その話に心を動かされた子どもたちが、この像を作りたいと活動を始めました。 (像がある博物館の担当者)「子供たちは1セントずつ友達から募金を集め始め、平和を働きかけたい8万人以上の子どもたちが協力しました。 募金を集めるためにポップコーンを売ったりして、少しずつ、銅像を買えるだけのお金を集めました」ttp://news.rcc.jp/rccnews/data/21279_L.asx 子どもたちは、この像が、原爆を開発する『マンハッタン計画』を進める研究所が作られたロスアラモスに設置されることを望んでいました。 しかし、ロスアラモス側は受け取りを拒否しました。なぜでしょうか。その理由の一端を、ロスアラモスにある科学館に見ることができます。 (JNN 大嶽昌哉記者)「科学館の中の一番奥の場所。被爆した人々の写真が展示されています」 この科学館の展示は、「原爆が戦争を終わらせた」として称える内容。原爆による被害の様子は、片隅で少しだけ紹介されている程度です。 かつて、原爆の被害についての展示パネルを作ったというこちらの男性。パネルは一時は展示されましたが、その後、改装を理由に撤去されてしまったといいます。 (パネルを作った反核活動家)「これがその数枚です・・11枚のパネルを作り、科学館のオープン当時は展示されていました。 でもアメリカでは、誰も原爆の影響を見たがりません。科学館で上映されている映画では、死体は写りません。 人的な苦痛は伝わってきません。人的な苦痛は省かれる傾向にあります」 原爆による被害を象徴する少女の像は、18年もの間、行き場を失ったまま、 ロスアラモス周辺の町の博物館などを転々としながら、平和のシンボルとして愛されているということです。(8/7 18:44) 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch