【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】at HISTORY2
【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】 - 暇つぶし2ch95:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/05 12:59:31.10 y7HQsSBs0.net
>93
>官僚制の外部に出た者は、たとえ元指導者であっても官僚組織の心理を理解できなくなるのだろうか。

これは側面として二つの問題があると思う。

一つは、官僚制の中にいたモノが外に出て行ったとき、内部にインフィーマルな繋がりを持つ人脈を
保持しているかどうか。官僚を操縦するときには書類や書面によって指示下達される訓令や辞令よりも、
この「人的な結合」を有しているかどうかというのが時に決定的な役割を果たすことがある。

かつての自民党政権時代にも、各省庁はその時の大臣の命令や指示で動くと言うよりも、
その大臣を出した「道路族」「建設族」などの族議員集団の意向を忖度していた。
それら族議員は、官僚の権力保持や予算配分においてその省の利益になることを志向する
からこそ官僚側も族議員の存在を保持し守るという相互関係が出来ていた。

田中の時には宇垣という後継者を残して「インフォーマルな繋がり」に期待していたけれども、
宇垣の方は必ずしも「田中の手下」というようなつもりを持っていなかったようだし、
張作霖爆殺事件の時には陸相の地位にはいなかった。
あのときに宇垣が陸相であったならば部内を統制し得ていたような気もする。

宇垣が外に出た後に陸軍への影響力を行使できなかったのは、「三月事件」での行動時に
部下である小磯や建川の計画に乗るそぶりを見せてから直前に回避したことで、
部下からは「裏切り者」という目で見られ、それ以外の軍人からは「クーデター指導者」として
忌避されたというところがあるのと、やはり宇垣の行った軍縮に対する反発心が軍の中に
根強く残っていたからと言うのがあると思う。


もう一つの問題というのが、陸軍の外に出た元陸軍トップが影響力を行使するには
陸軍以外の足場というものが必要だったということ。

山縣-桂-寺内といった面々は、強力な長州閥(山縣系官僚閥)という存在によって
その地位と影響力を確保し得ていたし、田中はその末席に連なりつつ「政友会総裁」という
政党政治の勢いに乗っかることで影響力を保持しようとしていた。

宇垣の方は、山縣の死によって既に長州閥が衰退して以降のこともあって他の省庁の
官僚との連携は出来なかったものの、民政党という官僚出身者の多い政党と提携する事で
影響力を保持しようとしていた。実際に宇垣が首相になろうとして民政党の総裁に就任
しようとしたことは何度か有る。

陸軍にとって、予備役となって退役した人間は、現役時にどれだけ高い地位にいようと
所詮は「他所の人」という扱いになる。部内に対する影響力というのはその人間がどれだけ
「陸軍という組織にとって役に立つ力を持っているかどうか」という点で測られるので、
「予算を引っ張ってこれる」「省の権益を保持してくれる」などの政治力を期待できない者に
従おうとはしなくなる。

そして、「省にとっての利益」と「国家にとっての利益」が対立したときに、省の方を
優先する人間には協力するが、国家の方を取る人間には協力しないという事態が起こってくる。

その意味では、これは本当に今に続く現代の問題でもあると思う。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch