【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】at HISTORY2
【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】 - 暇つぶし2ch250:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/24 16:25:15.82 H200Ppdq0.net
若槻はヘタレで助かった
協力内閣推進してたら確実に殺されてた

251:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/24 16:26:50.50 wOr7mkbo0.net
戦前の右翼は戦後の左翼のようだな

252:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/24 17:27:07.50 xHmL5Y5O0.net
何度も暗殺の危機はあったが天寿を全うできた西園寺の強運

253:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/24 20:25:00.78 zyo8ATqb0.net
>>249
若槻は226の時は襲撃計画の対象になってたんだっけ?

254:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/24 22:53:37.92 jw1205kn0.net
なってない。
226の時点ですでに過去の人状態>若槻

255:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/25 00:01:57.42 rJoiqV5C0.net
矢次一夫だったかが書いてたけど、戦前には「重臣暗殺未遂業」と揶揄されるような
連中がいたとかいないとか。

実際に暗殺をしなくとも、暗殺を計画して警察に検挙されて留置所に入れられたり監獄に送られたりして釈放されると、
娑婆に出てから周囲から「あいつは大物だ」みたいに持ち上げられて、あちこちで「話を聞かせろ」とか呼ばれて、
そこに顔を出すといくらか金を包んでくれるから、それでけっこう食って行けるような感じになるらしい。

256:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/25 00:08:56.72 AddyJ1S50.net
左翼社会主義から国粋主義に転向した奴も多いからな
社会大衆党も保守二大政党より軍部シンパになったし

257:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/25 00:47:18.77 WLOapIZa0.net
>>247
☆の書生をする予定だった三木武吉の人生も確実に変わっただろうな

258:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/25 01:29:11.77 Q8m1lfDA0.net
血盟団が恩赦ってひどいよなw

259:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/25 12:04:40.37 A/L5fKji0.net
やる夫自民党スレを見てると戦前からの議会人が思ったよりも戦後も活躍してるんだよな。

260:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/25 14:52:48.01 PbZO5rRM0.net
宇垣は選挙に当選した直後にぶっ倒れなければ防衛庁長官位にはなれてたのかね

261:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/25 19:30:51.54 x1jVKlJH0.net
>>260
野村が成れないんだし、ミリよ。

262:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/25 19:50:53.16 Z+HAminb0.net
中谷元が小泉政権で就任するまで退役した身であっても
元軍人自衛官は防衛庁長官にしちゃいけない
不文律みたいなのがあったしね。
源田だってなってないし

263:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/26 18:50:11.18 GHiez+UNO.net
確かに野村や源田のように開戦時は現役ではないし
協調派の加藤や浜口内閣では良いけど
近衛内閣は汚点になるから
大臣となると微妙な感じですわな

但し、防衛庁長官はさすがに防衛官僚が大反対して無理だわ
制服組みを刺激するからね

他にあるかと言っても爺さんができるポストがないわね

264:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/26 19:38:30.93 P2qwDmZ20.net
憲法の文民規定を、「一度でも軍人やってたやつはアウト」だと勘違いしてるやつが多かった50年代と60年代でそれは無理
冗談みたいだが、本当の話だ

265:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/26 21:19:18.73 9yiY0M3O0.net
>>259
三木武吉より年上なのに、議会で後輩だったというだけで遅れを取った松村謙三が
戦後に自民党の派閥の長になったりな

266:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/26 23:32:27.86 ejh+8jRf0.net
松村は岸政権以降反主流を貫いたおかげで
党人派の上がりポストといえる議長には結局なれなかった

267:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/02 02:44:39.76 MgI4Y2V40.net
井上・浜口の断行した金解禁って世界恐慌後に
ユダヤどもが安全資産の金を保有しやすくする
ためのものだったんだろ?
井上はモルガン=ユダヤ金融の手下だ。
男子の本懐とかその辺分かってて書いてるのだろうか?

268:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/02 10:51:23.24 fWPbAUkE0.net
>>267
日露戦争でどれだせユダヤから金を借りたと思ってるんだ?

269:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/02 23:37:26.87 MgI4Y2V40.net
日本を借金漬けにしたのは高橋是清だな。
井上とは違う路線だが売国奴であることは同じ。
白川と黒田みたいなもんだ。

270:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/14 08:24:40.52 NDVwUN+/0.net
いや陸軍だろ
軍事費の膨張の原因は

271:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/14 08:54:13.21 GlgxlXuX0.net
是清・三土 vs 勝田・井上

272:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/15 04:58:12.71 2tdFtlz40.net
日露戦争のころでいえば、軍事費の膨張の大部分は海軍だぞ
軍隊に何万人か集めるよりも、軍艦を何隻か購入する方が高くつくんだから

273:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/15 06:10:18.22 0xrDcUur0.net
なぜ高橋財政の話をしているのに日露時代の話に?w
主戦場が海の時期と陸の時期があって、その時期によってどこに重点的に予算配分するかは変わるんだからお前さんの言う話は間違ってはないけどズレてるよw
その時期の話をしたいんだろうけど、少し我慢しなちゃい

274:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/15 12:17:47.77 2tdFtlz40.net
>273
>なぜ高橋財政の話をしているのに日露時代の話に?
>>268が「日露戦争でどれだせユダヤから金を借りたと思ってるんだ? 」という発言を行っているからだが?
日本が借金に苦しむようになったのは日露戦争の戦費支払いに苦しむようになってからだし、
その時に増えてしまった陸海軍費の圧縮を行えなかったからだ。
その意味で、井上が緊縮財政に舵を切ったのも、高橋が借金の増額を行う羽目になったのも、
陸軍と海軍のせいだよ。
それから、昭和期の高橋財政において軍事費が膨張したのは陸軍が行った満州事変に始まる大陸侵出に原因があるのは間違いないが、
海軍もまた「陸軍の予算がそれだけ増えたなら、海軍の予算も同じくらい増やせ」という形で乗っかっていったので、
軍事費の増加という点では従犯と言っていい。

275:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/15 19:47:15.56 ZStOvrQl0.net
横だが、
陸軍悪玉海軍善玉は俺も辟易しているが
大正の軍縮を素っ飛ばして為にする論では誰も納得しないんじゃねぃ?

276:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/15 20:38:23.23 ExYicl/o0.net
海軍艦隊派と一緒になって統帥権を俎上に上げた
犬養政友会の例を見るまでもなく政治家の側も大概腐ってた

277:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/15 22:46:14.46 2tdFtlz40.net
>>275
大正の軍縮って山梨軍縮と宇垣軍縮が有名だけど、海軍の方もワシントン条約に調印するという形で
軍縮をしようとはしてる。
ただ、それにしたって積み重なった借金の額に比べて、軍縮で浮かした金額があまりにも低すぎた。
日露戦争は外交面や軍事面では一応の成果を出したけど、戦費の調達とその財源の穴埋めという面では
敗戦したのに近かった。なんたって賠償金が取れなかったんだから。
費やした戦費が丸々国家にとっての損失となり、増税で賄えなかった分は借金となった。
本当なら日露戦争で「勝った」って浮かれていないで、金をドブに捨てる結果を生んだことを
為政者が国民に対して詫びて、陸海軍のトップは引責辞任したり、戦地から戻ってきた将官たちは
クビにしたうえで恩給もカットするくらいのことをしなけりゃならなかったんだよ。
それを浮かれて爵位を授与したり勲章をばら蒔いたりしたのが間違いだった。

>>276
昭和に入って軍が暴走したのも、その軍の暴走に国民が一定の支持を与えたのにも、
政治家と政党政治の駄目っぷりが半端なかったからってのも抑えておくべきだわな。
軍人のアホさ加減も相当だったが、政党政治家のスカタンぶりも負けてなかった。

278:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/15 23:41:32.24 ExYicl/o0.net
統帥権の問題を政治の側できっちり管理できる仕組み造りを
日露戦争以後構築しなかった出来なかった問題は大きいよね
特定の人物に頼った元老制度じゃ遠からず破綻してしまうのは目に見えていたわけだしね

279:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 00:02:48.48 LAEDr/LH0.net
明治維新という動乱期を潜り抜けた政治家たちが明治天皇を支えつつ、
明治天皇もその政治家たちを「元老」という位置づけを与えることで
国政のかじ取りをさせていたという形で安定していた明治時代の政治構造が、
大正天皇の時代に完全に壊れてしまったのは痛かった。
その統治構造の代替をするはずだった政党政治があまり健全な発達を遂げずに
私利私欲むき出しの政治闘争に明け暮れるばかりだったからねぇ。
原敬が暗殺されずにもう少し長く政友会を率いていたら、
あるいは浜口雄幸がテロに倒れずに民政党内閣が続いていたなら、
またちょっと別の展開があったかもしれないとも思うけど。
この二人はどちらも軍部を統制して政治がイニシアチブを取る体制を作り上げようと考えていた。
原に関しては田中義一・加藤友三郎と連携を取れる体制が出来ていたし、
浜口の方は、宇垣一成・財部彪とどちらも軍縮を実行する陸相・海相に抱えていた。
原にしても浜口にしても、それぞれに問題があって一長一短という部分はあるけれども
軍を政治のコントロール下に置こうという意思と気迫を持っていた点は、評価していい。
その後の歴史の流れを見ても、軍が政治のコントロールから外れてしまったことが昭和という
時代の悲劇をもたらした最大の原因だったから。

280:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 02:06:28.18 CjZOJFpR0.net
原・濱口両氏に言える事は互いに官僚歴がありながらも衆議院議員だった事か
加藤はパトロンの三菱岩崎家の財力にモノを言わせて成り上がった口だが
原濱口は裸一貫で立身出世した人物でもある

281:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 03:17:50.02 +KsEigP+0.net
>>277
まじめに論じたいなら、大正の軍縮についてまともな本を一冊でも読むべきだね。
多分高校生ぐらいで社会経験が全くないのだろうが、最初に結論ありきのうえに
荒唐無稽な対案では、青臭い書生論でしかない。議論の叩き台にもならない。

282:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 03:54:58.68 CjZOJFpR0.net
元老(候補)の不在が招いた結果が昭和期以降の軍拡を招いたという説は通説としてあるけどね
281がどういう書籍で勉強したのか気になる

283:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 08:26:42.31 pQymdXU20.net
その元老格にゆくゆくはなるだろう原が暗殺されたのが痛かっただろうな。
バランス感覚があって天皇からの信頼も厚く、敵もいない牧野伸顕だけでは実際の政治やら極端な強権発動してでも陸海大臣を罷免できず結局内閣制と憲法を悪用されてしまう。

284:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 10:55:13.82 3TUb9tXe0.net
玄洋社や黒龍会をしょっぴけなかったのが大きいな。

285:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 17:31:52.89 Pdic6g02O.net
実際テロってなると政治家もビビるわね
でもって国は借金で首回らん
どうすりゃいいのさ

286:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 18:25:07.95 qJDi5iUp0.net
そんな時の土下座外交やるぐらいの強かさがあればな。
維新直後の大久保のような柔軟性がある政治家おらんけど。
清沢洌の本読んで改めて大久保の化け物ぶりに鳥肌立ったわw

287:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/16 18:57:39.97 A4L7CN+O0.net
元老制度に否定的で議会主義だった西園寺公望が
軍部の暴走の原因といっていいだろう

288:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 00:39:02.07 CCle2jFl0.net
>>282
>281がどういう書籍で勉強したのか
>>274を一読して、日露戦争と日中戦争の点と点を結んだだけで大正時代の軍縮なんか始めて知ったんだろうなということと、
>>277を読んで、その間の日本や世界の社会情勢を全く知らないから、日本で革命が起きかねないトンデモ対案を夢想しているのだろうと、
読み取れる程度。
君のネタモトの歴史教師は未だに「日本の戦後復興は朝鮮戦争特需のおかげ」とノタマウ経済音痴なのだろうと推察もできる。

289:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 02:04:51.69 pf5ZsSST0.net
>>281
>まじめに論じたいなら、大正の軍縮についてまともな本を一冊でも読むべきだね。
では、あなたが読んできたのであろう「まともな本」の書名を一冊でも挙げてみてくださいな。
上から目線でモノを言う以上は、それなりの本を読んできたのでしょうから。

>最初に結論ありきのうえに 荒唐無稽な対案では、青臭い書生論でしかない。
それは
<277>での、「本当なら~するくらいのことをしなけりゃならなかった」という
部分に対しての話でしょうか?
こちらの発言を「荒唐無稽な対案」とか言っている時点でトンチンカンな批判ですね。
あくまで「本当ならこうすべきだった」という話をしているだけで、それが当時の政治状況において
取りうる手段でなかったことくらいは承知していますよ。
だから「本当なら」という枕詞をつけたのだということくらい、普通に日本語の読解力があれば
理解可能だと思うのですが。
歴史事象を考察する際には、「本当なら、満州事変において大権干犯を犯した関東軍や
朝鮮軍は罰せられるべきだった」とか、「本当なら、サイパンが陥落して制空権を失い、
日本全土が空襲をうける状態になった昭和19年の後半の時点で講和を申し出るべきだった」とか、
その当時の政治状況を考えれば採用するのが難しかった選択肢だからこそ、
「本当なら」という枕詞をつけて発言することが多いのではないでしょうか。
それを頭っから「荒唐無稽な対案」とかいって難癖をつけていたのでは話にもなりませんよ。

290:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 02:23:24.67 pf5ZsSST0.net
>>282
元老(候補)の不在が招いた結果が昭和期以降の軍拡を招いた
>>283
元老格にゆくゆくはなるだろう原が暗殺されたのが痛かっただろうな。
元老というのは、単に年齢を重ねた政治家というのではなく、
「維新に功績のあった政治家」という意味あいの方が強いので、
原則的には補充が出来ない存在でした。

明治憲法体制では天皇が総ての大権を総攬するというタテマエの下に、
様々な政治勢力(貴族院・枢密院・内閣・陸海軍、その他)が並列的に存在しており、
それを制度外の存在である「元老」という存在が調整したり統合したりすることで
機能するという性質を持っていたから、いずれは「元老」に代わる政治の統合主体が
必要とされていました。
西園寺はその元老に代わる統合主体を「政党政治」に求めて、議会政治の発達と政権を
担える力を持つ政党の育成に賭けていたのでしょう。
だからこそ、自分を「最後の元老」と位置付けて、元老の後継者を作ろうとはしなかった。
明治憲法体制の制度外の存在である元老が、明文化されていない政治力を行使して
国政に関与するのではなく、衆議院において多数を占めた政治集団の首領が、
他の政治勢力を統御して国家を運営するという方向に持っていこうと考え、
実際それは原内閣や浜口内閣が目指していた方向性でした。
だからこそ、暗殺・テロという手段でこれらの内閣が瓦解してしまったのを
惜しいと思ってしまうんですよね。

291:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 02:40:40.37 pf5ZsSST0.net
>>285
>実際テロってなると政治家もビビるわね
>でもって国は借金で首回らん
>>286
>そんな時の土下座外交やるぐらいの強かさがあればな。
ここら辺が、それなりに安定した社会で育ってきた大正~昭和期の政治家の
弱点でしょうね。
少なくとも、幕末維新の動乱をくぐってきた元老と呼ばれる政治家たちは、
テロや暗殺を実行したり、身内の跳ね返り分子を粛清したりといった形で
自分の手を血で汚すことを厭わなかった。
そして、因果が回り回っていつかは自分も暗殺されるかもしれない
という覚悟を持ったうえで国政の舵取りを行っていた。

だからこそリスク計算には慎重だったし、無謀な戦争を仕掛けたりしないように
自省もするし、勝てない戦争をする羽目になるくらいだったら恥を忍んで
相手国に土下座するようにして戦争を回避する選択を行いえた。
日清戦争後の三国干渉などがその良い例。
昭和の政治家は、軍人もふくめて、リスク計算をしたうえで結論を出したり、
対外折衝をする上でのリアルな感覚が欠落している人間が多すぎた。

292:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 06:50:09.82 RGrZI9RF0.net
>>287
横田と是清が勝っていれば問題なかったのにねえ。
床次でもよかった。しかし結果は加藤で構想が崩れた。。

293:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 13:06:50.46 jIPltgVW0.net
西園寺が元老後継者の育成を怠ったのが悪い

294:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 13:27:08.38 k8YJsALu0.net
>君のネタモトの歴史教師は未だに「日本の戦後復興は朝鮮戦争特需のおかげ」とノタマウ経済音痴
何だネトウヨか
大東亜戦争はアジア解放の為だったーってかw

295:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 13:39:57.53 BoyyOlfN0.net
原と浜口が西園寺並に長生きしてればな。

296:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 15:26:42.00 zgfxFT+T0.net
軍からも元老入れないと編成含む予算の調整できんかと。
大正末~昭和初期に陸海大臣経験して総理までやったのは斉藤、田中他だれだっけ?
まあ、田中は青島の件もあってまず元老扱い受けることはないだろうけど。

297:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 15:53:42.73 RGrZI9RF0.net
>>296
権兵衛とトモザブロー

298:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 16:08:32.54 1H0x2VMN0.net
権兵衛は能力高いのにシーメンス・虎の門両事件のせいで…
シーメンスパージを受けなければ斎藤はもう少し早く総理候補になっていたかも

299:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 16:58:28.38 Y/kHFYTy0.net
戦前は有能な政治家が暗殺されすぎだな

300:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 17:40:27.45 BoyyOlfN0.net
右翼は何せそんな政治家を暗殺するんだ?

301:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 18:25:10.09 RGrZI9RF0.net
宇垣は民政党版オラが宰相に成れた可能性があったのに。
踏ん切りが悪いのが致命傷。

302:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 18:56:11.76 pf5ZsSST0.net
>>293
>西園寺が元老後継者の育成を怠ったのが悪い
>>296
>軍からも元老入れないと編成含む予算の調整できんかと。
元老ってのは「明治維新の成功に功績があった」という政治資産によって
存在していた、いわば「既得権益」みたいなものなんだから、
新しく元老を作るとか入れるとかってことは出来ないんだって。
「元老に準ずる存在」として周囲が認めるような人間が調整力を発揮する
ことがあったとしても、それはあくまで「元老」ではない。
元老の政治力は「明治維新を主導した」という過去の経歴によって生じるもの。
だから、維新の動乱が収まった後の明治や大正の政界でどれだけ実績を積もうと、
元老クラスの政治力を獲得したり、周囲が元老並みに扱うということは起こらない。
制度外の力が意味を持ったのは、あくまで彼らが「建国の英雄」みたいな扱いを
受けていたからこその話であって、建国が終わった後の能吏がどれだけ実績を
上げても、その政治力は元老には及ばない。
その元老ですら、予算の編成に毎年苦労していて、安定した予算の成立と執行が
行われた期間なんて桂園内閣期くらいのものだ。

その経験があるからこそ、衆議院という「国民の負託」を受けた議会で
多数を占めた政党の代表が政治権力を握って予算の編成や調整を行う
というルールが新しく作り出されようとしていたんだ。
実際、原内閣も浜口内閣も閣僚をきちんと統制していて陸海軍の軍縮に向けて
舵を切る政策を執っていた。
言ってみれば、時を経ることで「建国の英雄」という威光が薄れたので、
「国民からの負託」という威光が政治において意味を持ち始めた時期だった
というのが一番近い。

303:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 21:35:10.01 OQx1wVYC0.net
呼びかたはともかく
明治憲法下では陸海軍を抑えられる
元老的ボジションが必須だったのはたしかだ

304:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 22:41:28.32 RGrZI9RF0.net
>>303
元老だがらと言って昭和の軍は抑えられない。

305:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 23:03:13.22 pf5ZsSST0.net
>>303
原や浜口はそれを抑えられるような政策を実行に移してただろ?

――――――――――――
加藤友三郎
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ワシントン会議
1921年(大正10年)のワシントン会議には日本首席全権委員として出席。
会議に向けて出発する際、当時の原敬首相より「国内のことは自分がまとめるから、
あなたはワシントンで思う存分やってください」との確約を得た。
(略)
米国案の五・五・三の比率受諾を決意した加藤は、海軍省宛伝言を口述し、
堀悌吉中佐(当時)に次のように筆記させている。
「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。
……仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争のときのごとき少額の金では戦争はできず。
しからばその金はどこよりこれを得べしやというに、米国以外に日本の外債に応じ得る国は見当たらず。
しかしてその米国が敵であるとすれば、この途は塞がるるが故に……結論として日米戦争は不可能ということになる。
国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。」
――――――――――――
こういう認識を軍人に持たせ、軍縮へと舵を切らせたことそのものが
政党政治家である原の功績だと言える。
ロンドン軍縮会議で統帥権干犯との非難を受けても条約締結へと進んだ
浜口内閣にも同じことが言える。
この二人が暗殺されさえしなければ、この方向へと導いていただろうと想像できる。
陸海軍を抑えるってのは、組織的・制度的に従属させることではなく、
その組織のトップの同意や合意を得て、組織の改革や改変を受け入れ
させることによっても達成できる。
海軍が二度の軍縮条約を受け入れたのも、陸軍の田中義一や宇垣一成が
軍縮を受け入れたのも、政党政治の成立に伴って力を持つようになった
「国民の声」というものの存在にあらがえなくなったからだ。
現実的に国家予算と相談した時にこれ以上の軍備拡大は難しいという
現実を突き付けられた陸海軍は、それに抵抗するという選択をするのが
難しい状況となった。

そうした「政党政治優位・陸海軍の劣勢」という状況をひっくり返したのが
関東軍が起こした満州事変だった。
今上天皇が「満州事変に始まるこの戦争」と今年の新年のお言葉の中で
述べたように、昭和の戦争の始まりは満州事変に端を発している。
対外的な始まりであるのと同時に、国内的な始まりでもあった。
政党政治を破壊し、既存の帝国憲法体制を捻じ曲げる軍の暴走の
始まりだったという意味で。

306:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 23:12:30.07 1H0x2VMN0.net
軍部・親軍政治家の台頭は幣原外交の失敗も大きい

307:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/17 23:53:46.02 0LpJPImi0.net
暴走する中堅幕僚たちをおさえられる気がしない
田中や宇垣でもダメだったし

308:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/18 00:09:02.36 FAEYrEgm0.net
田中や宇垣程度じゃ無理でしょう
山縣が抑えつけてようやくといったところ

309:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/18 00:12:25.21 yLl32jhZ0.net
>>306
幣原外交は堅実に行われており、米英を中心とした国際協調体制の
枠組みの保持を最優先としていた。
清朝崩壊後の中国国内での革命外交が進むことにより、
対中関係が行き詰まっていただけで、
全体としてみれば上々の首尾を遂げている。
加藤内閣-第一次若槻内閣で行われていた幣原の外交施策は上手くいっていたし、
憲政会が倒れたのはもっぱら国内事情によるもので外交の失敗ではない。
またその後を受けた田中内閣時の外交施策にしても、大きな施策変更は
対中関係のみであり、米英を中心とした国際協調体制を遵守するという
姿勢自体は幣原外交と何ら変わってはいない。
そして田中内閣が倒れたのは、張作霖爆殺事件の処理の拙さを天皇に
叱責されたためという、ある意味では外交失策に拠る原因だった。
その後の浜口内閣でもロンドン海軍軍縮条約の締結などを通じて、
国際協調体制の強化を推進しており、安全保障体制を確保することで
国際的な秩序の確立を優先課題としていた。
満州事変という関東軍の謀略行為さえなければ、この外交的な枠組みは
維持されていた可能性は相応に高い。

幣原外交が失敗したわけではない。
国民を騙す形で行われた軍の暴走がまず有り、その軍の暴走を暴走とは
知らされないで国民が支持してしまったゆえに、幣原外交が退場を
余儀なくされたというのが実情だ。

310:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/18 00:21:18.57 yLl32jhZ0.net
>>307
>暴走する中堅幕僚たちをおさえられる気がしない
浜口内閣が存続していて、宇垣が陸相として省内に睨みを利かせていたなら
中堅幕僚の暴走自体が無かったろう。
中堅の暴走は、浜口へのテロによって「自分が首相になれるかも」という
野心を抱いた宇垣が三月事件というクーデター計画に色気を見せたことと、
それが未発に終わった時にだれも処分を受けなかったという前例が
中堅の軍官僚たちを増長させたからこそ起こった事態。
さらに言えば、満州事変において陸軍上層部の不拡大方針を蹴とばした
関東軍の石原や板垣といった連中の暴走を、宇垣系の南次郎陸相の更迭後に
陸相に就任した荒木貞夫らが追認したことでさらにブーストが掛かった。
その意味で、総ての発端は浜口へのテロがスタートだったといえる。

311:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/18 01:54:48.80 O77YYJJq0.net
>加藤内閣-第一次若槻内閣で行われていた幣原の外交施策は上手くいっていたし、
南京事件の顛末を見ろよ上手く行ってない

312:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/18 02:27:43.67 yLl32jhZ0.net
>>311
<309>をちゃんと読め。
>幣原外交は堅実に行われており、米英を中心とした国際協調体制の
>枠組みの保持を最優先としていた。
>清朝崩壊後の中国国内での革命外交が進むことにより、
>対中関係が行き詰まっていただけで、
>全体としてみれば上々の首尾を遂げている。
1927年の南京事件は、あくまで中国サイドの暴走の結果として日本が若干の被害を受けただけのこと。
被害を受けたのは英米をはじめとして中国に権益を持っていた西欧諸国も同じであり、
事件後はこれらの国が中国側に対して賠償請求を求めるなどの姿勢を取ることになって、
むしろ中国サイドの失点となっている。
日本はこの事件への自制的な対応を取ったことを通じて、中国側に恩を売ることになり、
権益や経済的な利得を要求しやすい外交的立ち位置を手に入れた。
その有利な立場が毀損されたのは、出先で暴走した関東軍による張作霖爆殺事件によって
醸成された排日気運による。
あんなことをせずにうまく立ち回り、中国に恩を売って市場に食い込み、経済的利益を得て
食料資源や鉱物資源等の安定した輸入の確保をしていたなら、そもそも大陸へ軍事的な侵攻を
する必要も無かった。
中国への侵攻さえなければ、米英とも協調関係を保って経済的な成長を続けることも出来ていた。
当時の日本の貿易の全体額を考えれば、対英・対米貿易こそが日本の生命線であり、
対中貿易なんて補助的なものに過ぎなかったんだから、対英米協調さえ保っていれば
日本は安泰だった。

313:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/18 11:14:48.04 +RuCuYW/0.net
多くの政治家など日本の指導部は
米英や中国国民政府と協調して反共陣営の一員として
やっていこうと考えていたのに
一部の軍人などの過激派が中国と戦争はじめて
すべてがおかしくなった

314:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/18 17:44:03.41 Kq8P7RCbO.net
対支強硬派ってのは何の目的かさっぱりわからん
結局、予算獲得、利権
出世目的にしか思えない

315:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 16:17:59.40 /M1SRYXw0.net
共産主義者が
日中両国の共産化のために戦争を煽っていた

316:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 17:35:43.25 lvlkZy5aO.net
そうなんかー
トラウマン工作見ると
ソ連に行かないように
つぶしたい勢力はいたみたいだけど

317:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 19:25:59.54 n8MmLDIG0.net
バカウヨとバカサヨが一緒なって
日本を間違った方向に導いてしまった

318:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 19:37:11.12 xhfRk0Or0.net
政党政治家が腐敗しきってたから真に国を憂える軍人が行動を起こさなければならなかったのだ。
命がけで国を守る軍人には私利私欲というものがないからね。

319:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 19:47:24.74 n8MmLDIG0.net
その軍人に政治的外交的大局観が欠如していたのが大問題だ
政治は動機より結果が何より大切

320:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 20:12:11.29 8GPI8GeE0.net
清廉潔白のように思われがちの軍人も、実際には芸者遊びにうつつをぬかし、
権勢欲と名誉欲に取り憑かれた俗物だらけだったわけだが

321:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 20:24:56.17 OYL3FhTI0.net
昭和新興財閥からかなり高額の裏金もらって遊んだり、アヘン購入して密売させたりの資金にしてたわけでw
まあ、政治家、軍人、起業家、現地の軍閥、女衒も含めて一味だわな。
気の毒なのはそういう人達が清廉潔白だと信じちゃってた国民やら後世の偏った歴史観持った人。
そういう人向けの綺麗事ばかり並べた本がそれなりの稼ぎになるんでそれに乗っかる出版社や著者。

322:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 21:31:33.12 nro/JxZT0.net
清廉潔白かどうかなどどうでもいい
政治リーダーに求められるのは
正しい現状認識と政治判断だ
大局的に間違わないことが何より大切

323:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 21:35:54.47 dvqZXDsu0.net
>>320
こういう場合は俗者よりも清廉潔白なやつのほうがかえってヤバくなるんだよな。
ポル・ポト然り

324:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 22:17:18.64 nro/JxZT0.net
清廉で間違うやつより、正しく判断できる俗物のほうが良い

325:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 22:26:07.46 S83mDsWF0.net
金権屋だが私生活で清貧だとポイント高い
原がそうだった

326:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 23:12:13.70 xhfRk0Or0.net
星亨が私的には金銭に綺麗だった。

327:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/19 23:24:53.61 OYL3FhTI0.net
>>323
プロファイラーかw

328:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/20 00:29:41.29 DqNX67te0.net
>>323
ポルポトを持ち出すまでもなく東条英機がその典型でしょう

329:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/20 18:20:44.90 u2WPSpKM0.net
なぜ内閣総辞職すると第二党に政権が渡ったのだろう。第一党が政権を担うのを「憲政の常道」にしとけば
政局の混乱はもうちょっとマシだったんじゃないかな。

330:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/20 19:22:37.77 4vMNVwC80.net
失策をやらかして政権を投げ出した政党が政権を持ったままだと、その失策をやらかした
政党党首より、さらに党内序列で格下の政治家が政権を持つことになり、またそいつが失策をやらかすと
さらにその下の政治家が政権に、ってことになるんで、それは筋が違うでしょってことなんじゃない?
こないだの民主党みたいに鳩山がやらかして辞任して、そのあとに菅が出てきてまた辞めて、
さらにそのあとに野田が、みたいなことになるのはちょっとねぇ、ってこともあるし。

そもそも、「第一党以外には首相になる権限が無い」という原則を厳密に運用しようとすると、
山本権兵衛や加藤友三郎のような軍出身の有力政治家を首相に選ぶことが出来なくなって、
政変が起こった時の選択肢が少なくなる。
あくまで政権っていうのは「天皇が任命する政府(官僚組織)のトップ」という位置づけあって、
議会とは別のものというのが明治憲法体制の建前だから。

331:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/21 07:55:21.24 gkl0Wq9/0.net
>>329
貴族院の第一会派でつか?

332:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/21 23:29:33.44 eUdkZke4O.net
本来は第二党による解散→総選挙だろうね
この前の民主党の場合は、単にトップを変えただけだから
国民側からすると厭きられて、しかも消費税みたいな選挙公約破りをやらかして
しばらくはもう立ち直りはできないんじゃないかな
第一党での首班交代の成功例は
池田→佐藤→田中→三木と、見事だけど
かつての自民党は中選挙区下の
党内での疑似連合政権と思われてたからね
あんなのは小選挙区制ではできないでしょう

333:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/22 08:02:26.73 ib1ZPfgn0.net
政権担当に議会の信任を要しなかったのは戦前政党内閣の弱点だった。

334:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/22 09:58:05.56 qPStZrum0.net
>>333
逆に、議会の信任さえあれば政権を担当出来るという制度にすることの危険性もある。
民意のみで選ばれた政権が、必ずしも最適解となる政策を選ぶかどうかは分からないわけで。
とりわけ他国との関係を取り結ぶ際に国内世論にのみ目を向けて政策の策定をしまい、
相手国との関係を損なってしまう危険性を考えれば、そう簡単に政権を政党内閣に渡すのは
如何なものかという判断が出てきてしまう。
実際、議会で多数を取った護憲三派内閣のスタート時、加藤高明を首相に任命するかどうかを
西園寺が迷った時に一番ネックとなったのが、第二次大隈内閣時に加藤が外相として行った
対華21か条要求という政策で、「ああいう対外的強硬施策を取る人間に任せて大丈夫か?」って
心配がなされたことだったし。

335:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/22 11:28:46.60 AfUguDhf0.net
貴族院の信任を得るのが大変そうだな

336:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/23 07:34:00.21 sdq7kDoU0.net
小林道彦「政党内閣の崩壊と満州事変」ミネルヴァ書房
これいいね。

337:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/23 07:36:24.75 sdq7kDoU0.net
坂野潤治もいいけど一時期、二大政党交代論から民主党に肩入れしすぎたのはお愛嬌かなw

338:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/23 07:45:20.26 0uSVqX9c0.net
晩年の西園寺は加藤高明を大久保や伊藤と並ぶ逸材と評価を逆転させている
可哀相なのが大久保伊藤加藤、一段劣るが原と評された原敬

339:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/23 10:46:48.01 xxPKl2hN0.net
>>336
大正期の政党政治の伸長と、陸軍との相克に関して調べたい人にとっては基礎文献となると思う。
陸軍について研究した人や、政党政治について研究した人はそれぞれの分野でいるだろうけど、
この両者が相互にどのような位置関係を取っていたのかを調べた人はあまりいないから。

坂野潤治がこの辺に興味を持って調べてみてくれると、また新しい知見が出てくるんじゃないかな。
もっとも、著書を読んでいると、軍に対するアレルギーが強すぎてこの分野自体を敬遠していそうだけど。

340:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/23 23:12:19.00 m8t/C1jE0.net
>>339
えー?筒井の方が政軍関係の真ん中にたった論文が多くね?

341:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/24 00:14:41.13 MYsta6q00.net
>>340
筒井の著作は昭和の時代に入ってからの軍内部の動向と政党政治の流れに関しては極めて詳細だけど、
大正期の政党政治に関しては特定のキーマンのみを掘り下げていくのに留めていて、
この時期の政党内部の角逐とかにはあまり興味がなさそうな印象。
むしろ筒井の興味の対象は近衛文麿や木戸幸一、それに西園寺-原田を加えた「宮中グループ」の
動向の方にあるんじゃないかって気がする。

342:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/24 16:35:01.21 2QNXO4ai0.net
西園寺の原嫌いは角栄の竹下嫌いに通じるものがある
要するに自分の身辺地盤を脅かしかねない人物として見ていた

343:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 02:35:54.55 e3cYhl2hO.net
今の自民と民主の国会での政局に
国民はうんざりしているけど当時
の民政党と政友会の争いも似た様
な物だったのかな?

344:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 05:44:41.56 F1V2yFqa0.net
当時は貴族院や軍や枢密院が独自の動きをしたので今よりずっとも政局が複雑。天皇も
権力はなかったものの自立的なプレーヤーだった、

345:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 10:55:56.50 w30rcxMq0.net
戦前や民主党を見てると日本には二大政党制は合ってないな。

346:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 17:28:56.73 9/A6xSyc0.net
>>343
このころの政党政治の争いは、今の自民と民主の争いどころじゃないよ。
もっと豪快にぶっ飛んでる話がゴロゴロしてる。

筒井清忠の著作の中で中に面白い話が引用されてたんで、ちょっと長くなるけども貼り付けておく。
――――――――――――――
③地域の政党化•分栴化と中立化•統合化欲求の昂進
 次に、「党弊」と言われた政党による官僚支配の問題がある。加藤高明護憲三派内閣では、
朝鮮総督府政務監、鉄道次官、内閣拓殖局長などのポストに政党員が就く「政党員の就官」
が行われ、湯浅倉平内務次官、太田政弘警視総監、川崎卓吉内務省警保局長等、憲政会官僚
の積極登用も実施されている。
 さらに加藤高明憲政会単独内閣になると、若槻内相を座長にして設置された行政調査会の報
告として、各省局長半数を詮衡任用にするという形で「政党員の就官」が大幅に加速化するこ
とが決められている。これは、加藤首相が病気で亡くなり結局頓挫するが、実現一歩手前だっ
たのである。
 また、中でもこの問題との関わりで重要であったのは、内務省と選挙の関係の問題であった。
1928年1月の議会冒頭解散の10日ほど前に田中内閣の鈴木内相が知事•警察署長等地
方官の大更迭を実施し、これが第一回普選における政府の選挙干渉を激化させたと見られ、1
930年の第二回普通選挙の際は、解散前に今度は浜ロ民政党内閣の安達内相により二県以外
のすベての警察トップを更迭し、全国警察署長一ニ〇〇名の中約半数を異動させたと見られて
いる(水谷三公氏は、政党の内務官僚への介入の画期を田中内閣の鈴密三郎内相就任としている。
『日本の近代13 官僚の風貌』205—20頁)。
 内務省を掌握すると選挙に勝つことができるということで、内務官僚の政党による掌握とい
うのが極端に進んでいったのである。この反省から、政党内閣が倒れた後の斎藤実挙国一致内
閣では、警視総監•内務省警保局長・衆参両院書記官長などは試験任用にするという文官任用
令の改定が行われ、官吏の身分保障が強化されることになったのであった。
 しかし、事態はもっと深刻であり、この程度のことで収まるようなものではなかったようだ。
この点あまり知られていないようなので、村田五郎という内務官僚が1935年に大分県の警
察部長になって体験したすさまじい実態を紹介しておこう。
(1)村田が警察部長として赴任すると、部下から「村の駐在所のどちらを使うか」という質問が
あり驚いて質してみると、大分県には村ごとに駐在所が政友会系・民政党系と二つあることが
わかった。政権が変わるたびに片方を閉じ、もう片方を開けて使用するというのである。
(2)結婚、医者、旅館、料亭等も政友会系・民政党系と二つに分かれていた。例えば、政友会の
者は政友会の者同士で結婚し、「反対党の医者にかかれば一服盛られる恐れがある」ので「反
対党系の医者には絶対にかかろうとはしない」「家人は同じ政党系の医者に診てもらうために
八キロであれ十キロであれ、病人を戸板に乗せて運ぶ」のである。
(3)結婚等は私行上のことなのでともかくとしても、道路•土木工事のような公共事業も知事が
政友会系・民政党系と変わるたびにそれぞれに前のものを打ち切って新たに行うので、二つ行
われていた。「したがって大分県では常に同じ方向に向かって延びる、同じ幅員の道路がニ本
並行して作られることになるのであった。それが内閣が代わるごとに操り返されるのであるか
ら、いつまで経つても工事は完了しない」。
(4)消防も系列化されていた。部下が起草した出初め式の訓示に(当時、消防は警察管下)「水は
公平にかけろ」とあつたので「こんな馬鹿な文句は削れ」と言ったところ「本県の消防組員に
はこの点が特に大事で、強く注意しておく必要があるのです」とのこと。聞くと火事の時「焼
けている家が政友会の党員の家であれば、民政党の消防員は水をかけずにただ焼けるのを傍観
しているだけで」その逆も然り。「だから『水は公平にかけろ』という文句が訓示のなかでも
一番大事なところで、これを抜いたら肝心な訓示が訓示にならなくなってしまうというのであ
った」。

347:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 17:30:06.15 9/A6xSyc0.net
(5)それぞれの党の県本部の下に各市町村ごとに下部組織が整然と出来上がっていて、常に党員
の獲得と離党阻止に異常な努力が払われていた。しかも各支部の幹部は、日頃から各党員の私
生活にまで立ち入って何くれとなく世話を焼いていたので、党員の団結は頗る強固で、隅々ま
で連絡網が張りめぐらされていた。
(6)このような強力な組織をもって、双方の政党は、野党時代には政権党の内閣の知事の下での
県職員の行動を厳重に監視し、一度政変により政権党になると、その度ごとに反対党の知事は
じめ職貝を一斉に退職させた。とくに警察官には徹底していたので、警察官は反対党内閣に馘
首されると自党政権ができるまで自党有カ者に生活を支えてもらっていた。
(7)斎藤内閣後は、政友会・民政党系署長をほぼ半分ずつ混ぜて配置し、署長の下には反対党の
署僚警官を配置していたが署長と署僚警官が牽制し合うことが危惧された。
そして、当時県の警察には、実際の県警察部長の村田以外に(職務上は別府警察署長等になっ
ている)政友会系・民政党系それぞれの「警察部長」がおり、「警察部長」が三人いると言わ
れていることがわかった。各警察官は自派の「警察部長」の意向を確かめてから動くのである。
(8)札付きの政党系列の署長などをやめさせることにしたが、自派政党幹部を頼りにしてなかな
か辞表を出さず、一旦了解した知事も両党幹事長に「今度の県会はただではすまないぞ」とす
ごまれて中止を言い出した。辞職をタテに説得して了解を得、上京する知事に関係者宛ての人
事書類を託したが返事がなかつた。上京して質してみると、内務省に各政党の手が回っていて
実現できないということなので、書類を自ら内務大臣に持っていき、ようやくそれを実現した。
(9)白昼、別府市の繁華街でやくざの組員が対立する組員に襲われて死亡する事件が発生。殺さ
れたのは民政党系、襲ったのは政友会系と判明。犬養内閣期に政友会系警察に無理やり捕まっ
ている間に民政党系に縄張りを奪われたので出所後報復した仕返しであつた。しかも縄張りの
取り返しのことで民政党系の別府警察署長に会いに行く途中であった。この件から、やくざも
政友会系・民政觉系に分かれており、政党を守る第一の城壁が警察、第二の城壁がやくざであ
ったことがわかった。警察は自党のやくざの犯罪は見逃し、反対派のやくざの犯罪の摘発には
力を入れていた。野党側は対抗上、与党側の犯罪を調べて隠しておき、警察が一件摘発すると
与党側の犯罪を一件持ち出すので、警察は両方を「チヤラにして見逃し」ていた。自宅前の県
道で通過料一〇銭を徴収しているやくざもいた。
(略)
(10)折から開かれた全国警察部長会議で、警保局長は「天皇陛下の警察官」という言葉を使って、
「日本の警察は政党に従属する警官ではなく、天皇陛下の政府に仕える警察官であるから、今
後警察官は真に政府の警察という本来の姿に立ち戻って出直すべきだということを強調した」。
「過去十四年間警察が政党に顎で使われ嫌な思いをしてきただけに、この言葉に全国の警察官
の士気は大いに上が」った。「警察官の稍神に大きな影響を与えた点において、この昭和十年
春の警察部長会議は、戦前の警察の歴史において非常に重要な意味を持つものであった」(以
上、『海鳴り―内務官僚村田五郎と昭和の群像』上165—91頁。なお、やくざの抗争に関しては
一部記憶違いの所もあるようだ。『大分県警察史』⑴755頁参照)。
――――――――――――――
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』 ちくま新書(p272-279) 

348:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 17:39:41.41 9/A6xSyc0.net
「火事だ!」ってんで出動した消防隊員が、「あ、ここんちは政友会の家だから、このまま燃やしちまおう」とか、
「病人です!」ってんで往診した医者が、「ここの家は民政党か。んじゃ治療はテキトーにしてにしてやれ。
死んでくれたら民政党の票が減って儲けもんだ」みたいなことをやってたってんだから、いったいどこの未開の
国の話なんだかって思うくらいだ。
「こうした視点から見ると、「党利党略」に憂き身をやつす(と見られた)政党政治への「嫌悪
感」が「中立的」と考えられたもの(天皇・官僚・警察・軍部等)の台頭を必然化したのだと
も結論づけることが出来よう。」(p281)という筒井の発言も大いに頷けるものがあると感じる。

349:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 20:04:37.82 V5t5ANkW0.net
>344
元老もいたしな

350:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/28 09:44:10.39 H3R5UuFQ0.net
同型の二大政党制だからダメダメなんだ。
しかし日本で政権取ろうとするとああなっちゃう。

351:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/01 17:01:33.35 PUESoWsP0.net
「男子の本懐」
「話せばわかる」

352:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/03 20:12:10.81 sPBMTj9E0.net
名言だが迷言扱いされがち>話せば分かる
御膝元の岡山県警が交通安全の標語に使ったりズレた事やってるけどw

353:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/04 00:43:54.20 owIWUtNM0.net
時間がありません→じゃあ仕方ない

354:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/04 01:53:45.71 jpEAiSUz0.net
西にレーニン東に原敬って言ったら懲罰処分を食らったでござる

355:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/07 03:50:30.43 xeccXaL10.net
党弊で内務省がガタガタになった。

356:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/07 09:29:58.43 qZAYNwYm0.net
帝銀事件で司法省の格があがった

357:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/07 12:00:43.97 3dn2bYsR0.net
帝人と帝銀は間違えやすさナンバーワンだな

358:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/09 10:20:59.77 cjC5MTdt0.net
アメリカってバカだから、平和好きの女が参政権を得れば日本は戦争をしないと考えてたらしいな
じゃあドイツはどうなんだというわけで

359:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/09 22:08:30.63 2cz9UI6s0.net
18歳以上に投票権が引き下げられるけど
戦前の様に段階的に男性だけにしとけよ。

360:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/10 11:15:43.93 720tOker0.net
素朴な疑問
政友会の党員は会員と呼ぶの?

361:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/12 23:08:44.61 O4g/XKU00.net
院外団(政友・民政両方とも)かな。ヤクザみたいなもんだったと聞くが

362:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/13 00:32:54.75 WVOZAqi70.net
在郷の色んな団体はほぼ暴力団だったのが高度成長期までの日本…
業界利益、企業利益、地元利益誘導のためご都合主義の正義と権利と倫理を題目にw

363:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/14 11:38:28.37 PJW68Vlwo
政党や財閥が党利党略私利私欲ばかり追求して国を危うくしたから
純粋に国を憂える軍人が起ち上がらなければならなかったのだ。
命がけで国を守る軍人には私利私欲というものがないからね。

364:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/14 11:40:12.64 PJW68Vlwo
田母神元帥の命令一下愛国自衛官が決起すべき時が来た。

365:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/20 19:39:09.12 tgnhZYHI0.net
国民は財閥と癒着した政党に失望し
軍部に期待したが皮肉にも軍部自体
が政党以上に財閥と癒着していたのだ

366:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/22 11:41:15.37 jfkSnOFTa
政治家は当選や政権獲得のために汚い金を集める。
そんなことに煩わされずに国防に専念する軍人さんは
清廉で高潔。

367:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/25 11:30:08.67 wYevS5Mj0.net
昔の政党政治なんてどこも私兵をもってたでしょ
ナチスしかり

368:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/25 18:36:29.33 AluADTOx0.net
人民解放軍は中国共産党の私兵だが、政党政治の私兵を日本板で呟く意図がわからない

369:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/27 13:46:57.78 r4vTSMNRh
大局観のない馬鹿軍人が中国やアメリカに戦争しかけて
日本は破滅してしまった
贅沢してようが私利私欲があろうが
大局観があり正しく判断できる政治家のほうがずっと良い
くだらん潔癖主義が国を滅したということだな

370:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/28 19:59:41.60 q8hxmNlB0.net
院外団の実態についての本とかないのかな?
支持基盤だった地域ボスもヤクザみたいなもんだろうし
暴力と政治は今よりずっと身近な関係だったのだろうね

371:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/31 01:36:24.38 K2QciEwS0.net
治安維持法の改正には
民政党は反対したのか?

372:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/31 01:57:00.75 uRCNtr9r0.net
>>370
自由民権運動絡みの本だと選挙の時に対立する候補者の支持者が火縄銃で銃撃戦した話とか、投票権を持った元庄屋の家に投票権を持たない自作農の人が鍬持って談判に行った話は出てたりする。
院外団というテーマでそういうのをまとめた本は知らんなぁ。

373:名無しさん@お腹いっぱい。
15/04/14 05:31:01.15 mbQS6NMw0.net
政党の院外団や地方組織、地域での活動実態なんかは
よくわからないことが多い。>>346-348にある筒井本くらいかな。

374:名無しさん@お腹いっぱい。
15/04/14 19:21:31.72 jozR1d290.net
治安維持法は普選と引き換えに必要だったしな。
アラブの春と一緒で、早すぎる民主化は害悪。

375:名無しさん@お腹いっぱい。
15/04/18 12:51:56.87 uPF4ksQ30.net
>372-373
院外団といった存在のみにテーマを絞ったものではないけど、
戦前の選挙の実相や選挙活動に関するあれこれを記述したものの一冊に、
こういう本がある。
季武嘉也『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の一〇〇年』 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)
明治期の自由民権運動の流れを引いた第一回総選挙から、
明治中期の対外戦争を経て国民国家という仕組みが強固になっていく時期、
政党が力を持って政治を動かす主体的な力となっていく時期や、
その反動で政党が没落して官僚機構が前面に出てくる挙国一致内閣期など、
多様な背景や社会の変化がどのように選挙に影響していったのかを、
選挙違反の数や実態から読み解いて行こうとする内容のもの。
暴力的な政治団体の活動実態や、選挙戦を争う中での不祥事などについては、
あまりメインで取り上げられていないけど、選挙というシステムがどのように
日本人に受容されていったのか、候補者と有権者と非有権者のそれぞれの実像が
どのようなものだったのか、といった事柄を中心に取り扱っているので、
戦後憲法下での55年体制以降の選挙というものに対してしか実感を持っていない
者にとっては、なかなかに新鮮な知覚を与えてくれると思う。

376:名無しさん@お腹いっぱい。
15/04/18 18:23:30.61 QsMricDb0.net
面白そうだな。
候補者同士の凌ぎ合いに世相や社会のあり方が反映されそうだし。

377:名無しさん@お腹いっぱい。
15/05/01 11:24:37.38 h4WFVYfn0.net
ネパール地震『311』に発生・・・人工地震か!?
日本時間3時11分に発生した。地震波形が爆発型である。スパイクが2連発。
URLリンク(richardko)<)

378:名無しさん@お腹いっぱい。
15/05/08 22:04:58.13 gI5s33y/L
>374
治安維持法はあくまでも過激な共産主義者を取り締まるためのもので
自由な言論を取り締まるものではないだろ

379:名無しさん@お腹いっぱい。
15/05/13 02:32:03.04 rkengd2+0.net
最近イギリスの二大政党制がご臨終か、とテレビが騒いでいたな
結局たいした動きにはならなかったみたいだが
二大政党制にしてみたところで、べつに良いことばかりじゃないよな?
戦前日本の二大政党だってロクなことはなかったし
手本とされるイギリスでも国民がだいぶ飽き飽きしてることは良くわかった

380:名無しさん@お腹いっぱい。
15/05/13 20:54:55.97 39NNGmte0.net
つーか労働党の敗因を地上波で
きちんと説明した局ってあったか?

381:名無しさん@お腹いっぱい。
15/05/13 21:28:08.18 PbR6+UFN0.net
敗因ってスコットランドで独立党に地盤奪われたから?

382:名無しさん@お腹いっぱい。
15/05/19 15:51:25.28 uHsxMec30.net
>>337
それは別にいいだろう

383:名無しさん@お腹いっぱい。
15/05/23 05:09:25.91 ZB/WNsyk0.net
この時代は首相が在任中に急に亡くなるというようなことが珍しくなかったが、
加藤高明も生きてれば(憲政会内閣での選挙なら)普選第一回はまた違う結果
だったんだろうなと思う

384:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/09 14:19:40.67 2rqNSDWy0.net
憲政会は背が高いな

385:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/09 19:20:36.66 OGmoL2ow0.net
>>383
そうかな?少数与党だったし。
多数を取ったのは政友会の不人気反動を利用した浜口まで待たなければならなかったし、

386:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/11 15:10:15.09 6Poh0KMn0.net
総理として推奏を受けるだけの人材が育てられない。
派閥争いには勝たなければならないが、、、

387:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/14 23:09:06.27 Amki+HCn0.net
>>188
>188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 09:57:45.73 ID:07nRc52/0
>なってなくて総裁になる可能性があったのは、これぐらい?
>政友系:星享、横田千之助、床次竹二郎、森恪、鳩山一郎。
>民政系:桂太郎、宇垣一成、安達謙蔵、中野正剛。
昔あった書き込みをひっぱり出してしまったが
とくに満州事変の後には、政党の人材不足がひどいな。
1930年代に、軍にも政党にも受けの良い政治家は近衛くらい。
鈴木喜三郎や町田忠治では、詰みだわな。
かといって久原房之助や永井柳太郎でも、むつかしかろう。
軍から政党に入るケースが、もう少しあれば違ったのかもしれないが。

388:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/14 23:49:00.72 i25Paa2B0.net
宇垣が惜しいところまで行ってたけど

389:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/15 22:18:02.44 jSG+JqyC0.net
宇垣はたしかに惜しい。ただ宇垣本人は民政党党首の話には気乗り薄で、
政民両党の支持をうけた挙国一致内閣をやりたい希望があった。
だから昭和12年の大命降下は好機会だったが、拝辞に追い込まれたのは無念だったろう。
陸軍がノーと言えば政権もできないという前例を作った意味でも、宇垣内閣流産は一大痛恨事。

390:名無しさん@お腹いっぱい。
15/08/03 05:09:49.43 KxA/WNV60.net
今更ながら小泉博が今年亡くなった事を知った
中高年世代にはクイズグランプリの人なのかも知れんが
このスレ的には小泉策太郎の息子

391:名無しさん@お腹いっぱい。
15/08/07 00:40:25.07 6hLI/vqB0.net
確か山宣の息子がまだ存命だった筈
養子に出して姓は変わっているが

392:名無しさん@お腹いっぱい。
15/09/21 15:12:44.49 laKtbcHTg
石原が反対しなければ、広田の次は宇垣内閣だった

393:名無しさん@お腹いっぱい。
15/10/06 16:25:46.48 PR5mjKnD0.net
政友会や民政党のような戦前の政党って党章やロゴのようなシンボルマーク的な物はあったんだろうか
ナチのハーケンクロイツ始め同時代の海外の政党にはあったワケだが
日本でも、政党とはちょっと違うが後の大政翼賛会や満州国協和会(厳密には日本じゃ無いけど)にはロゴや会章があったようだし

394:名無しさん@お腹いっぱい。
15/10/10 08:12:00.19 GGYtVNi10.net
町田忠治と江木翼はどっちがチビなんだ。?

395:名無しさん@お腹いっぱい。
15/10/10 18:29:50.44 wmClvT5+0.net
>>389
宇垣は軍縮で軍内で嫌われてたんだっけ?

396:名無しさん@お腹いっぱい。
15/10/10 23:12:57.72 BqpHbdC+0.net
>>395
そういう部分もあったろうけど、排斥された一番の原因は3月事件での去就だったみたいだよ。
部下の企てたクーデター計画を耳にしても、あいまいな態度ながらも焚き付けるような姿勢を見せているのに、
風向きが悪いと見るやそいつらを二階に上げてから梯子を外すような真似をしたってのが反感を買った理由っぽい。
2・26事件が収まったばかりのところだったし、派閥対立を利用しながらクーデター計画に色目を使うような
人間が出戻ってきたら纏まるものも纏まらなくなるってのが宇垣排斥に動いた連中の本音だったんじゃないかね。

397:名無しさん@お腹いっぱい。
15/10/11 12:21:12.38 OfX92ENv0.net
安達謙蔵→中野正剛、永井柳太郎
加藤高明→三木武吉
町田忠治→松村謙三、大麻唯男、野田武夫
井上準之助→一万田尚登

398:名無しさん@お腹いっぱい。
15/10/25 08:30:12.78 mRorDULr0.net
維新の党臨時党大会で執行部が選出されたことで、残留組と大阪系で二人の代表、二つの執行部が存在することに
久原派と中島派に分裂した政友会みたいだ。まあ左右に分裂した社会党に例えることも出来るけど

399:名無しさん@お腹いっぱい。
15/11/08 11:42:14.54 2A8/C5xZ0.net
維新ごとき雑魚政党は社会大衆党に例えるのすら憚られるわ

400:名無しさん@お腹いっぱい。
15/11/30 09:01:32.14 emFrm26/0.net
>>346-348
それが本当なら実に愚かだ!ああ、なんたる間抜けな有権者達よ!
肝心の政治家自身は結構両方の系統を行き来してんだぜ!完全に与野党で分かれてる訳じゃない
おバカな庶民は国会プロレスをマジに受け取ってんじゃねえよ

401:名無しさん@お腹いっぱい。
15/12/03 20:52:09.91 RrpjIRSnO.net
>>360
YES
そもそも政友会が党と名乗らなかったのは党という言葉の私的で悪いイメージを避けるためだからね。

402:名無しさん@お腹いっぱい。
15/12/04 21:48:01.72 25N8B/XO0.net
伊藤博文が党という言葉を嫌ってたらしいな

403:名無しさん@お腹いっぱい。
15/12/25 11:41:29.43 XO0sd/x/0.net
最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり

404:名無しさん@お腹いっぱい。
15/12/29 15:33:22.27 0VSwIbETO.net
戦前の政党政治が
話題にならないのは
GHQ史観に汚染された連中が主力だからだろう。
戦前の日本は天皇と
軍部による独裁国家で
民主主義的政治である
政党政治なぞ存在しなかった
ことにしたいのだと思う。

405:名無しさん@お腹いっぱい。
16/01/05 23:25:02.34 qTC57XsM0.net
>>399
でもさ社会大衆党って敗戦革命狙ってたんでしょ?
それってクズじゃないのかな。
維新でもおおさかの場合は社会大衆党よりは
マシだと思うけどね。

406:名無しさん@お腹いっぱい。
16/01/23 10:29:08.70 GNsRF7vZ0.net
>>405
社会大衆党は財閥を敵視するだけで天皇大権は容認している。
軍部に融和的なのは敵の敵は味方の論法でしかない。全体主義を共産主義
の擬制だと思ったから進んで翼賛体制に協力した。
社会党はここの残党が多く、冷戦後その体質がモロに出て自爆した。まさに歴史は繰り返すだ。

407:名無しさん@お腹いっぱい。
16/02/23 00:14:51.95 YCUnPmT60.net
民主が立憲民主党と改名するとか?

408:名無しさん@お腹いっぱい。
16/02/23 00:46:54.90 tyE+7KXV0.net
>>406
そういえば浅沼稲次郎は天皇崇拝者で、本来なら右翼に殺されるようなタイプではなかったというね。

409:名無しさん@お腹いっぱい。
16/03/15 23:06:32.38 G21CAsch0.net
三木武吉やる夫スレを読んでいても、三木武吉が進歩党に入党しなかった理由がよくわからん
斎藤隆夫は入党したのに

410:名無しさん@お腹いっぱい。
16/03/17 00:55:43.58 KmZuVQIPf
三木武吉は思想的には保守的だったから、
リベラル色の強い進歩党には、入らなかったのだろうな


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