禁門の変(蛤御門の変)at HISTORY2
禁門の変(蛤御門の変) - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/18 14:46:12.90 kZXxT2tB0.net
禁門の変は、長州が尊皇攘夷を掲げ、倒幕のため孝明天皇を守るという意図で、幕府・薩摩などの幕府軍と京都市街地で戦い、敗退したものであった。
この後、長州藩は窮乏に耐え、倒幕の準備を整えることになってゆく。
しかし、守るべき孝明天皇が、幕府側に警護を要請したため、長州の天皇に対する帰依心は、相当無くなったと考えられる。
その後、薩摩との同盟を経て倒幕へと向かうものの、孝明天皇を廃し、孝明天皇から幼い明治天皇へ代わることで、明治政府樹立を計ったのであろう。
ここに、窮乏に耐え、長州討伐にも耐えた長州の怨念とも言える、専制志向によって、坂本龍馬を生かしておくことは、薩長同盟の立役者として、
天皇中心の政府が出来ることに対する反発と、龍馬の立場を強くする事への懸念から、龍馬暗殺を仕組んだと考えるのが、もっともふさわしいと思うのである。
それ程、禁門の変後の長州の精神的・経済的窮乏が、長州による日本国支配を当然のことと考える礎になったと思うのである。
これが、坂本龍馬を殺し、西郷を退け、薩摩の大久保利通を殺し、土佐の板垣を除け、長州閥支配の明治政府を確立していったのであろう。
禁門の変は、長州専制政府を作る大きな分岐点になったようである。しかし、それは、明治政府の政策を決定づけ、
少数の人間による専制政治の色合いが濃くなり、天皇を徹底的に利用したものの、多くの人材を喪失したことにより、江戸時代に勝ち取られた国内産業の振興という、
軍事費をほとんど必要としない各藩の旺盛な経済活動が、急速に冷え込み、農村部における貧困が広がったのであろう。
各藩の才能を生かそうとしなかった、長州閥の専制政治は、経済的には破綻を促進し、軍国主義を推し進めることに繋がって行った。
そういう意味で、明治政府の形ばかりの薩長土肥政権は、日本の英知を集めるという点で、大きく損なっていたと言えるのである。
その結果が、海外進出による資源の確保という道になったようである。

3:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/18 14:47:08.81 kZXxT2tB0.net
天皇家を軽視した兆候は、天皇家の古文書の閲覧が行われて、朝鮮進出を早々に取り上げたことに伺えるのである。
天皇家を奉り、冒すなどという意志がなければ、古文書に手をつけることなどあり得ないのである。
早々に、朝鮮半島への進出を取り上げたのは、長州閥が、皇室の古文書に手を出したことが伺えるのである。
その古文書に、天皇家が高句麗の末裔であり、唐と新羅の連合軍によって敗走し、植民地のような状況であった日本列島へ逃げてきたことが書かれているのであろうと思うのである。
その時、瀬戸内海の両岸に石垣や土塁を作り、その遺稿が、今も数多く残っているというのがその証拠である。
 もともと、日本は、朝鮮半島の興亡に左右される状況にあったと考えられるのである。そういう点では、
氷河期から、朝鮮族が、一番早く朝鮮半島の先端に、そして、日本にたどり着いたと考えられるのである。
その後、中国の朝鮮半島支配から、ツングース族と言われる、百済や高句麗が、朝鮮半島を支配するたびに、その支配は、日本列島にまで及んだと見る方が、合理的である。
特に百済支配時の仏教文化は、鉄器の大々的な普及と相まって、日本の生産力の向上を示す大きな開花をもたらしたと言えるのである。
その後、朝鮮半島を支配した高句麗による半島支配で、同じツングース族の高句麗が日本の奥深く入り込み、半島での敗退から逃げ延びた多くの高句麗族の一団が、
日本を占領し統治し、高句麗族の敗退を覆い隠すために、新羅や唐からの討伐を防ぐために、新たな神話を作り上げて、他の民族のように装ったのであろう。人種的には、
中国東北部に住む、ツングース族に入ると思われるのである。朝鮮人とは、ほとんど同じ民族であるが、詳しく分ければ、中国東北部に生誕した民族であり、発祥地域的には中国人の一部族であるといえるのである。
 日本から朝鮮半島へのたびたびの侵略は、負けて奪われた土地を取り返すための結果であった。
満州国は、発祥地での建国を目指したものであったことが、明確に解るのである。そして、日本軍国主義が、長州閥の専制政治の延長線上にある、天皇家の蹂躙の上にあることも明白である
。日本国民の持つ特有の歴史は、人類のダイナミズムを歴史として認識する大きな契機となすべきであろう。
その上に立って、東アジアでの交流と共同を協力を模索することが、新たな人類の進歩を示す大きな足跡になるであろう。

4:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/18 15:17:24.59 +h4kxRPy0.net
来島又兵衛

5:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/18 21:18:44.72 Veki5V270.net
孝明天皇弑逆事件につながり、皇統はそこで途絶えたのでした。
今の天皇は明治から4代しか続いていない偽物。

6:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/20 01:19:19.71 ui5PeCrV0.net
薩摩芋と組まなかったら終わってたな、聴衆。

7:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/31 23:06:32.62 Liu9r8j3O.net
芋が味方じゃなきゃ愛図
は確実に終わっていたな。

8:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/05 21:40:23.33 a6+PFfsx0.net
というか、会津は芋を敵に回して終わってるだろ
結局のとこ幕末って、芋がゲームを支配している

芋を味方にできれば勝ち組、敵に回したら負け組
長州は会津と違って賢いから、その辺を踏まえて芋と同盟を結んだ

9:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/08 12:31:32.91 ZgmP8MPgO.net
自民から維新の会に鞍替えする公明みたいだな。薩摩

10:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/08 14:49:36.99 IuZy3oeiO.net

明治維新を興した官軍薩長に対して、賊軍となった東北諸藩が進出するのは、軍隊の登用制度しかなかった!
維新の薩長有力勢力が老いていく中で、東北出身の若手軍人が頭角を現す!
第2の維新を目指して!
かつての賊軍の汚名を除く為に。
( ̄∀ ̄)


11:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/30 20:12:10.67 TFL9t+8jO.net
合津と長州の喧嘩だろう。

12:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/16 14:45:04.96 3awfoWkc0.net
久坂玄瑞

13:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/17 08:31:08.72 RncCDUDeO.net
薩摩の活躍で勝ったのに
自惚れて呑気な徳川幕府

14:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/17 20:31:13.59 KPVbw0sBP.net
長州が天皇を殺す事を予見するなんて無理

15:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/18 16:11:07.13 Eos0Y/jlO.net
殺すまではいかないだろ?
せいぜいボコッて拉致ぐらいじゃね?
それでも立派な国賊だわなwwwwwwwwwwwwwww

16:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/18 17:57:45.71 0K5VcY0/P.net
実際に殺したのは岩倉だけどさ。

17:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/19 03:15:35.41 R50KTDQwO.net
竜雷太がねー

18:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/04 02:21:29.84 3iDltYBsO.net
幕末のハイライトだな。

19:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/20 23:41:22.58 csil+U+z0.net
影の薄い大垣、越前

20:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/25 00:43:39.77 LfXlUnP5O.net
実質、会津&薩摩VS長州の戦いだから仕方ないだろ。

21:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/28 02:48:11.11 SQoYqM4O0.net
薩兵の強さは異常

22:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/15 08:58:01.13 iayp8W060.net
禁門の変では退却する長州藩士が長州藩邸(中京区河原町通御池上ル)を放火したのが出火元で
北東から南西の風にあおられて京都中に延焼したと言われているけど
この間取りを見ると疑問を抱かずにいられない。
URLリンク(iup.2ch-library.com)

妙なことに
北隣の角倉別邸は高瀬川船入を挟んでいるとはいえ無事
南隣の加賀藩邸や船入を挟んだ2件隣の対馬藩邸も無事
東側は鴨川を挟んでいて無事
西側の本能寺は長州藩邸を砲撃した薩摩藩の砲撃により
有名な火伏せの大イチョウを残して諸堂は先に焼け落ちている。

長州藩邸の放火を原因と断定するのは無理がありませんか?

23:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/17 14:04:41.99 sDHJvgzg0.net
会津も初代が家光の御落胤だったというのが250年後まで祟る貧乏くじを引いたな。


24:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/25 02:51:26.29 czZp6vcD0.net
なんで薩摩ってあんなに強かったんだ?
ちなみに俺は父方が代々の鹿児島人なのだが、俺自身は本州の血が混じったせいか虚弱体質だw
幕末、明治とあれだけ活躍したのが信じられない。
鹿児島に行けば強くなる秘伝の薬でもあるのか?

25:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/25 20:38:21.65 cjoXCdH50.net
薩摩には示現流という一太刀食らっても相手を斬る剣術があって、薩摩藩士はほとんどその使い手だから

26:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/27 18:50:08.34 ttjKyRKM0.net
この戦も薩摩無双だったな
会津はむしろここで一度潰走でもして軍制改革に目覚めた方が
後々のことを考えると幸せだったかもしれない

27:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/27 22:28:39.33 wT7wBRZbO.net
戸田氏彬さん活躍したやん

28:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/29 02:42:34.89 yHKVM6QD0.net
この戦で名を挙げ、英雄と呼ばれた二人…
それは一橋慶喜と西郷吉之助である。

やがてこの双龍は、この国の主導権を賭けた争いに命を燃やしていくのであった。


おしまい

29:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/12 20:43:27.00 142qoVSOP.net


30:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/14 17:44:30.11 0jU7TIJo0.net
双方の戦死者が靖国に祀られてる不思議な戦争

31:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/14 18:47:12.91 76IniVa30.net
民家を焼いた会津藩
鷹司邸を焼いた一橋
どっちが原因かわからないけど京都の大半が焼けてしまった。

そして放火を示唆して西本願寺を恫喝した新撰組
下衆の極みだね

32:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/22 18:47:22.95 mvYxkeXj0.net
禁門の変というより長州の乱と呼ぶべきじゃないか

33:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/23 19:40:17.28 ndonDjC7O.net
鷹司邸は戦闘中だからやむを得ないと思うが
戦闘後の民家への放火はなあ

34:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/24 15:44:35.12 s2iWJGDu0.net
御所へ大砲を撃ちこむのは絶対に許せない。朝敵だ。

35:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/24 23:30:12.08 JpIrXUj+0.net
>>32
~の乱や~の変の~に付くのは、大体年号(応仁の乱とか)か乱が起きた場所(島原の乱とか)だからなぁ
単に長州の乱っつったら、長州で何か起きたの?と思われる可能性のが高い
天狗党の乱はそのまんまで分かり易いけどね

36:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/24 23:32:58.35 JpIrXUj+0.net
あ、ついでだが。
長州藩が最終的に幕府軍に負けてれば、禁門から征伐までの出来事を纏めて
長州の乱とか呼ばれてた可能性はあるんじゃないかな

37:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/25 01:31:20.27 EGXIfpXg0.net
お、おう

38:諸橋 嘉久
12/09/25 12:37:13.09 u+OpI3e80.net
長州軍のミニエー銃と言っても実態は、薩摩名義で購入したエンフィールド銃です。

逆に言わせて貰えば、エンフィールド銃で武装していない幕府軍が第二次長州征伐で、長州軍に勝てる筈が無いのです。

39:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/26 19:25:12.02 YI+9zTxv0.net
>>2,3
陰謀史観乙
藩の滅亡犠牲にしても国益第一に考え行動したのは長州様くらい
今日でも党利党略だの利権が第一でこれわ難しい

40:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/16 21:51:45.56 3ehyNzI1O.net
会津と薩摩が敵じゃ
勝てるわけ無いよw

41:長州は
13/02/24 20:57:39.31 WwveRgDFO.net
前年の8・18で戦って
いれば勝てたんじゃね?

42:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/10 22:45:08.21 b64T40uSO.net
大河で出てくるな。

43:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/19 22:53:02.49 HmlqTB5x0.net
今週の大河はいよいよ蛤御門か。
会津は薩摩のおかげで命拾いしたな。
西郷はかなり計算高く出兵し、それが的中したと思う。

44:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/24 22:22:37.51 Ny+6tjuRO.net
ドラマでは銃撃戦だった。もう少し白兵戦の描写が
有れば完璧だったな。

45:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/24 23:54:03.78 X0mbXgET0.net
長州側の視点が全く描かれてなかったな
まあ、会津視点だからしょうがないのか

46:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/25 10:10:33.01 PGgxLbkt0.net
むしろ佐幕側視点の作品がなさすぎだろ

47:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/25 12:22:26.22 3An/xJqf0.net
慶喜、新撰組、篤姫、八重の桜、白虎隊も定期的にやるし
佐幕派視点ばっかじゃね
龍馬伝ってどうだったんだっけ

48:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/26 17:49:05.51 9io3rQtb0.net
>>47
竜馬伝は何を描きたかったのか支離滅裂だなぁ
力入れてるとこは殆どイミフな創作だし、日本史の流れは完全無視だし、弥太郎照之は無意味に壮絶だし
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

アレに比べたら今年の八重は十分見れるよ
綾瀬はるかはミスキャストだけど

49:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/27 22:20:45.86 HCZc0DQ10.net
薩摩はつえーーー!!!

50:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/28 12:25:59.87 MW488oV/O.net
その薩摩を敵に回す馬鹿。

51:名無しさん@お腹いっぱい。
13/03/28 12:36:47.31 pkcD1uRp0.net
司馬の小説の中で新政府軍の指揮を取る事になった大村益次郎が
「西郷率いる薩兵は私の想像を超えて、負けると計算してたものまで勝っていく」
みたいに語ってたけど、司馬の創作とも思えないもんな
ほんと大村の計算すら超えてそう

52:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/01 17:27:19.30 xVbN9UDR0.net
池田屋事件について質問。
脱藩中の吉田稔麿はともかく脱藩していない桂小五郎を新撰組が斬った場合問題になりますか?
朝敵になる禁門の変以前の長州藩士が京都に滞在するのは全く問題がないはずですし。

53:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/02 04:27:52.78 jnj/AuUs0.net
>>3
その民族の部分がちょっと違う。
現在の天皇家や長州は別として、日本民族のDNAと現在の朝鮮民族とは共通点が極めて少ないことは
最近のDNA研究の発達で明らかになっている。

54:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/02 09:53:21.92 zOstQcU80.net
>>3 高句麗語・百済語はツングース語系ではない。

 日本語・新羅語とのチャンポンのような言語であってツングース語とは関係が薄い。

 また日本語と朝鮮語も関係が薄い。高句麗系が日本へ入っていたらもっと朝鮮語と類似していたはずだが、帰化人は完全に日本語に飲み込まれている。

 到底、支配階級などになっていないということだ。

55:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/02 11:13:04.82 189cskws0.net
>>52
クーデターを計画していた犯罪者なら、正規の長州藩士でも
当然ながら切られても文句言えない。むしろ藩の立場がヤバいから、
脱藩して浪士になる者が多かった。長州だけは藩自体が革命化していたから
桂も高杉も藩士のまま活動していたんだが。

56:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/02 11:41:08.24 D3yzEzxL0.net
いや高杉も吉田も脱藩してる

57:長州藩士は
13/04/02 12:53:00.09 LXFeUTs6O.net
8.18以後は藩邸の留守居役以外は入京禁止のはずだ。

58:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/02 14:17:03.43 189cskws0.net
>>56
吉田松陰は宮部鼎蔵らと東北旅行に行く約束したのに、通行手形が出なかったから
脱藩した、と言う子供じみた理由。高杉は藩と意見が違うと頻繁に脱藩していた。
共に「藩に迷惑掛けないように」という性質とは違う。

>>57
通るぐらいは問題ない。京は交通の要衝だから、通らない訳にもいかない

59:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/02 17:31:24.66 mkDlgNUS0.net
稔麿はその時脱藩してたっけ?
藩主の嘆願書を江戸に持っていく途中で京に滞在してたと思うけど

ところで、池田屋事件は色々本が出てるけど、禁門の変について
詳しく解説してる本は無いのかなぁ

60:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/03 00:33:39.71 EVZY2NpJO.net
>>59
週間歴史ビジュアルとか
その時歴史が動いた、とかに蛤御門について書いた
回が有った様な気がする。

61:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/04 09:06:44.05 sBewXvMG0.net
>>60
ありがとう。
そうやって個別に取り上げてるものを探せばいいのか

62:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/04 18:53:40.52 5UfeY8C30.net
>>52
素直にお縄になればかろうじて生きていたかもわからんが、とりあえず公務執行妨害の現行犯だから。

63:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/04 19:11:59.72 CeknHfSc0.net
仲間が拘束されたのでどうするか話し合っているだけで殺されるw
意味わからん

64:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/04 21:25:59.27 O5x89IM1O.net
話し合いの内容


新撰組の屯所を襲撃して
組員を皆殺しにして古高を奪還し、御所を襲撃して帝を長州に拉致して松平容保を血祭りに上げる事。
実現していたら大変だねw

65:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/04 21:32:20.32 CeknHfSc0.net
>>64
それ幕府側のでっち上げじゃん

66:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/04 22:17:10.94 gBDr30WT0.net
やたら現代の概念を持ち出して新撰組を警察とか言ってみる割に、拷問で引き出した自白の内容は信用するんだよね、新撰組オタは

67:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/04 23:30:05.24 6vSwDrlq0.net
>>65
でっち上げどころか、なんか妄想入ってるよな
とにかく新撰組が拷問をかけて聞き出したらしいっていう
漠然としたものしかない
しかも新撰組は古高をなぜかすぐ殺してるし

長州側の史料には京都を火の海になんて計画は一切出てこない
とくに長州の面々は大量の手紙や日記を残してる筆まめさん達が多いのに
そんな大きな計画があったのなら触れないわけがない
禁門の変に関する裏事情やいきさつは
高杉なんかは獄中に入った時に残した日記に事細かく書いている

68:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/05 01:06:55.76 lu6Up+4XO.net
新撰組が天龍寺の来島隊に備えていたら面白かったな

69:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/05 03:13:57.19 6h9IWb4C0.net
新撰組がいても何もできんがな。
あいつらは丸腰の相手に闇討ちで襲い掛かるか、集団で一人を取り囲む汚い戦法ばかり使ってきた。
武装した軍隊には通用しない。むしろ長州勢に取り囲まれて袋叩きにされるだけだぞ。

70:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/05 08:51:37.68 Irg95NgD0.net
>具足十領・槍二十五筋 ・短筒三挺・矢五百本・弓十一張

たったこれだけの押収品で御所の警備を突破するとか無茶

71:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/06 07:37:48.30 oW/UrE+KO.net
長州は御所じゃなくて会津の本陣を攻撃すべきだった薩摩も一橋も会津と長州の私闘なら介入はしなかった

そして別動隊を御所に派遣して帝を長州に拉致すれば事は成功していただろう。

72:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/06 08:28:20.86 o4bjz9Em0.net
結局、御所にくるんだねw

73:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/06 17:22:26.95 /NBFYE+/0.net
平家みたいな遷都を強行したら世間の反発あるから
中川宮 二条 近衛あたりを殺して終わりじゃね?

74:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/07 09:02:14.89 bCv3LwTR0.net
新撰組は幕府側では強い方だよ
ただ軍隊でないから100か200程度しか居ない
土方なんかは軍隊指揮官として有能で後に官軍悩ましたからね

75:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/07 09:21:19.35 ZgpQ9mLgO.net
幕軍は五万から七万いたと言うけど戦ったのは会津と薩摩が主で後は空気だよな

76:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/11 01:28:36.39 OMBdQB3HO.net
打倒徳川で動く長州
徳川擁護で動く会津
有利な側に付く薩摩
空気な様子見の諸藩


まんま幕末を象徴してるw維新で会津と長州の立場が逆転して薩摩の陣営が逆になっただけだからなw

77:時代劇ドラマで
13/04/17 01:34:47.93 1jwBYA4xO.net
迫力が有った戦いの描写

日テレ 奇兵隊
NHK 八重の桜
テレ東 竜馬がゆく

78:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/19 09:58:24.81 Uf7cFTXW0.net
長州は首脳ら辺りの決定に間違いがあった。禁門の変は周布や久坂、真木らの無謀で
浅はかな考えで引き起こされた戦と言えよう。その点高杉は冷静だった。

79:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/20 09:44:52.31 UdG6mhGt0.net
周布は久坂や高杉をサポートするって役割をしてたけど
禁門の変では進発に反対して止めてたんだよけどね
ただ、どうにもならなかったね・・・
最後、高杉の牢屋に酔っぱらって喝を入れに乱入したり
責任を一手に感じて、悩んで自刃した

80:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/27 11:19:41.73 Xy7+5TPTO.net
ドラマとかで観ても川路が来島を狙撃した描写は無い

81:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/27 12:52:45.22 Bly+e/mJO.net
その辺はテキトー

82:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/06 13:10:33.50 4EVbnODXO.net
蛤御門の変を時代劇で描写する時は会津と長州が刀槍でチャンバラしてから薩摩が銃隊で会津を助太刀するという事が多かったが
大河は双方、銃撃戦だった

大河は割と史実重視だから実際もあんな物だったのか

83:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/12 04:57:04.04 yB+L0lZU0.net
驚くことに当時の日本人って、速く走れなかったらしいのだよね。
銃を持つ敵に向かって徒歩で斬り込むアホはいくら当時でもいないだろうから、
弾があるうちは必然的に銃撃戦になるであろう。

西南戦争では兵卒は徴兵された百姓が多かったが、薩軍が奇襲で陣所に斬り込んでくると、
走って逃げることもできずにバッサバッサと斬られたらしい。
陸軍首脳はそうした状況を見て、この後、西洋式の走行法を兵隊育成教育に取り入れたといわれる。

84:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/13 01:42:45.26 twQpNbyCO.net
その影響で生まれたのがピンポンダッシュ文化。

85:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/29 12:03:26.17 b07zpDHF0.net
いまいち幕末の流れがよくわからないのですが
長州は使者を殺したこと以外は京都を追い出されるほど悪いことしてないのでは?
むしろ国のために動いている長州の足を引っ張る薩摩と会津こそ国賊かとおもう。


まず朝廷の圧力で幕府が攘夷決行の約束をして諸藩に命令。
攘夷決行の日に長州藩だけが外国に向かっていった。
んで海峡封鎖しようとしたが対岸の小倉藩が命令を無視して封鎖失敗。
長州藩が催促したものの小倉藩はサボタージュを続ける。
そこで長州藩が海峡を超えて対岸を占拠して海峡を封鎖した。
幕使・中根一之允が派遣されるが何者かに暗殺されるがその処分は放置される。

攘夷親征の詔が下って大和行幸が実行されそうになった時に中川宮と薩摩によって
急に攘夷派の公家が御所から追い出され、長州も門警備を解かれて京都を追放され、七卿は長州に落ち伸びていく。
長州は冤罪を訴えるために家老が京都に出向いてくる。

一橋慶喜が穏便に戦乱を回避しようとするが松平容保が強硬に決戦を主張し挑発。
長州側が会津を排除して直訴するために会津の守る蛤御門の突破を敢行。薩摩が加勢して長州兵壊滅。

86:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/22 22:41:37.85 +EQUuHmpO.net
薩摩が味方でなければ敗け

87:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 10:45:38.46 lDgGZkb40.net
会津の銃はゲベールだったの?火縄?
八重の桜ではゲベールだったが、他の時代劇では火縄のことが多い気がする。
あと八重の桜では鉄砲隊が覚馬の号令で射撃してたけど、あの時の陣形と戦術は長沼流の正しい描写なの?

88:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 10:47:39.83 lDgGZkb40.net
ドラマでは鉄砲と槍しか出てこないけど、当時もまだ弓は使ってたのかな?

89:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/26 23:59:23.93 4dqlRqd10.net
>>85
してるよ
というか薩摩が会津と組んで政変起こしたのは直前の8月13日に大和行幸・攘夷親征の勅が発せられ、
実行に移される危険があったから
グズグズしてる時間なんてなかった。長州藩の友藩だった因州藩ですら滅茶苦茶な勅の濫発にたまりかねて
8月に参内を強行してるんだぞ
止めなくちゃいけないのはみんな分かってたんだよ
薩摩はこの時期薩英戦争で兵を上洛させられなかったから、急きょ会津藩と提携した
緊急事態だよ
でそもそもな、幕府が4月に出した攘夷の命令は「外夷の拒絶」と「攻撃された場合の防御」
つまり通商条約の停止に留まるものであって積極的な攻撃を容認する内容じゃないんだよ
小倉藩は幕府からの通達通りのことを言って長州藩の要請を断った
そしたら長州藩は勝手に諸隊を上陸させて小倉領の沿岸を占領し砲台を築く
とんでもない侵犯行為。さらに5月10日の民間船砲撃は長州の下関総奉行ですら躊躇したのに光明寺党が強行
何も知らずに停泊してた民間商船だからね。越前藩士などは国の恥とまで言ってめちゃくちゃ怒ってる
おまけに長州藩は米仏の軍艦が反撃に来ると攘夷指導者が京に逃げ出してるんだよ
ところが朝廷は長州藩の行為を賞揚し無差別攻撃を推奨する勅を出す
これじゃ幕府の通達を守った小倉藩のほうが処罰されてしまうし、もちろん幕府も長州に詰問使を送った
こんなもん放置するほうがどうかしてるよ

90:名無しさん@お腹いっぱい。
15/02/27 02:03:56.78 J6dhFEapO.net
>>89
付け加えたら長州にしたら外国に敗れるのは織り込み済み。 実際孝明様が声高に唱えた攘夷を実行したので、逆に声望が上がり この時点では朝廷も推奨する始末。
それに長州がこんだけ強行姿勢しても誰も止めなかったのは やはり幕府が結んだ数多の通商条約への不満や安政の大獄の記憶がまだ生々しかったんだろ。

91:諸橋 嘉久
15/02/28 07:13:48.06 Tus6xA4H0.net
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)

92:諸橋 嘉久
15/02/28 07:21:49.73 Tus6xA4H0.net
長州人による攘夷=なんちゃって攘夷
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

93:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/07 20:56:51.00 jFgHiAIX0.net
>>92オマエが言うな腐れ爺が

94:名無しさん@お腹いっぱい。
15/03/08 22:53:59.04 xjQCPqLx0.net
>>89
>小倉領の沿岸を占領し
長州が利用したのは小倉藩の土地ではなく久留米藩の飛び地じゃなかった?

95:名無しさん@お腹いっぱい。
15/05/27 01:57:32.69 2xKqBJOV0.net
幕府は勝った後の政局を活かしていればな…

96:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/06 06:28:04.61 ncoSO4e20.net
>>94
うんにゃ、長州は一貫して小倉に借用を強要してる。
久留米藩の飛び地なら久留米が交渉相手になるでしょ。

97:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/06 06:42:07.81 ncoSO4e20.net
>>90
長州は外国に敗れるのは織り込み済みじゃないよ。内陸で長期戦に持ち込んで勝つつもりだったんだから。
現実には外国艦隊襲来で物価が騰貴し三田尻あたりで打ちこわしが発生し藩体制の危機と認識されてあわてて講和
あと長州が5月に実行した外国船砲撃は無二念打払令への回帰だったわけだが、
攘夷を奉じた幕命は「外夷襲来の際の帰攘」というもので、無二念打払を意味しない
無二念打払を初めて正当化したのは無差別砲撃後に長州が朝廷を動かして出させた勅によるから、
孝明天皇の真意とは言えない(長州は5月に小倉藩に何度も詰問しているが、小倉藩は一貫して台命を挙げてあんたの解釈は違うと言って埒が明かなかった)
あと通商条約の時には堀田上洛以前の安政5年に有力藩に諮問が出され、
薩摩も含む諸侯も最終的に通商条約じたいは是認の方向に転じてる(反対したのは水戸・尾張程度)
その水戸藩ですら堀田上洛前に今となっては無駄な条約拒絶をするなと朝廷にアドバイスしてるから、
通商それ自体については誰も問題視してないよ。逆に朝廷が堀田上洛後も攘夷論にとらわれてるのを知った島津斉彬は心配してるし、
山内豊信は「書生論」と痛烈に批判してる。賢侯たちが問題としたのは手続論。
長州はこの攘夷実行の進展でまず越前・薩摩から見切られ、薩摩はそれまでの消極姿勢を7月上旬に転換させ、
越前加賀会津連合とともに在京兵力だけで長州の暴走を止める決意表明を行う
その後に京で周旋に当たった四藩も周旋にてこずり7月下旬には会津藩の引き入れに次第に傾き、
攘夷督促使の派遣で大混乱に陥った西日本諸藩からも次第に孤立し、
最終的に朝陽丸事件の発生で九州諸藩からも完全に見捨てられる。
818政変の発生は、ほぼ必然の流れ。

98:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/06 15:26:59.46 0akrd64+0.net
さらにそっから池田屋、禁門と続いて
よく長州が取り潰しにならなかったもんだ。
西郷がフォローしたとはいうが
家老3人の首で収まったのがよくわからん。
禁門の時に藩主親子の黒印状が見つかったとは
いうけどそれだけで責任者確定であったろうに。
征討というか世が世なら紙切れ一枚で
取り潰せたのが、そこまで幕府が実質弱まっていた
ということでいいのかな。

99:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/07 13:42:19.25 gqe0t3vW0.net
そうせいも朝敵になったのに藩主交代さえせず
藩主交代しろ!って声も無かったのかな?
関が原の輝元もそうだったが

100:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/09 08:56:04.37 auXOYo7L0.net
不思議な長州。

101:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/16 15:51:27.17 gdcSv/R60.net
戎狄を悪ませられ候御事は申すに及ばず、外夷に相交り候儀は、その宗家、先に厳禁の致しかたこれあり候ところ、
長崎表に役人をつかわしおき、国産絹糸、油等を交易仕り、年々些少の私利を得候穢心をもって、二港だけは残したき段、
しきりに懇訴仕り、叡慮を遵奉仕らず、祖先の掟を破壊仕り候こと、これその罪の一つなり。
当春、延議にて、肥後守の守護職しかるべからずとて、越前家へ仰せつけられ候については、殆んど進退差し迫り、
遷延罷りあり候うち、処処に謁を請い、またその職を得、窮困のあまり市井の無頼を致集して壬生に屯させ、
且つ家来に祿米を宛て行ない申さざるや、市井に横行し、僅かに過ちあれば、ただちにその家産を没収し、
あるいは夜陰辻切りして、持参の物を奪い取らさせ、洛中洛外を擾乱仕り候、それその罪の一つなり。
そのもっとも甚だしきにいたり候ては、去月五日の夜、にわかに兵勢を繰り出し、藩邸を取り囲み、かつ旅宿等に押し入り、
多人数を殺害し、縛収し、家にあるところの財、衣服等まで盗み取り、なおまた同月二十七日、何故とも知らず、
剣戟を相用い、にわかに参内し、乗輿を御玄関に平づけ、九闕をもって身囲いとなす手段、無法無礼にて、朝憲を憚らず、
幕法を守らざる次第、普天率土、驚愕、憤怒の至りに堪えず候。その悪虐、暴戻の形勢に相顕われ候大なるもの、
おおよそかくの如くに御座候えば、その小なるものに至りては筆紙に尽し難く、いわんやその心術、朝廷を軽視仕り候ことは、
藤原信頼、木曽義仲にも相越え候。
畢竟、彼ようの者、重き御役儀を冒し候ゆえ、攘夷の叡慮も、恤民の思し召しも貫徹仕らざるのみならず、
天下大乱の本、皇国必滅の秋に御座候。

102:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/16 15:54:03.75 gdcSv/R60.net
謹んで按ずるに、陛下の攘夷の御志は弘化年来、終始画一の御事、今日といえども潜らせられ候御儀はあらせられずと存じ上げ奉り候ところ、
去秋以来御撓みあそばされ候よう相疑う儀これあり、民を恤(あわれ)むの儀は御天性にわたらせられ、猶更御深切にあらせられ、
裏々島々の小民まで艱苦を致さず、億兆安然として、その所をえざるものこれなきようとの御素志にあらせられ候えば、普天率土、誰か感戴し奉らざらん。
しかるに交易に害にて、僻土に至るまで一民も疾苦を免るる者これなく、殊に輦轂の下にては殺気悽惨、人心恟々、朝に夕を恤ずとも申すべく、
じつに恐れ入り候次第に御座候。
そのゆえんを相たずね候に、松平肥後守の所為に御座候。肥後守はその性剛服にて、庸劣、名文等を相弁えず、また家来共も奥州の荒僻の
寒土に候えば、ただその威を張り、城市を虐げることのみにして、天朝の貴きところ、叡慮のかくも有難くあらせられ候御事をも相弁じ申さず、
縉紳を欺き、義士を忌み、昔時の山法師の悪業よりも甚だしく、その罪を数え候に、十指を屈せずといえども、その大なるもののみあげ候わば、
去年八月、調練を叡覧あそばさるべく仰せ出だされ候節、調練には不用の野戦砲数挺を御花畑へ相運びおき、劫喝のために相備え、
同十八日未明に、御築地内をも憚らず連発仕り、禁闕へ押し入り候こと、これ大罪の一つなり。
関白鷹司公並びに三条殿以下、当時勅勘を蒙られ候御国事掛、寄人らの御方まで、いずれも国家の柱石にいらせられ、聖明を御輔佐
あらせられ候ところ、その大徳、高才、純忠、至誠を恐れ入り奉り候より、百万讒毀(ざんき)し、にわかに参朝を停め、ついに幽閉、
沈淪の御身となし奉り候、その罪の一つなり。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/16 15:54:33.43 gdcSv/R60.net
微臣ら主人、並びに三条殿以下、御寛宥仰せつけられ、攘夷の御国是すみやかに相立て候儀、天地鬼神に誓い、哀訴、嘆願申し出で訴ところ、
かつてもって御採用仰せ出でられず、これまた肥後守の所為をもって、すでに時日を経、ついに浮浪煽乱の像を誣讒(ふざん)し、干戈内乱の禍を顧みず、
列藩を欺き、廟議を促し奉り、あまつさえ、もったいなくも鳳輦を揺動し奉らんとまで姦謀を相巧み【注三】候段、もはや天下万民のために、そのままには
相置きがたく、陛下祖宗の御為に誅伐仕らず候わでは相叶わざる儀につき、肥後守儀、闕下に於て討伐相加え候間、すみやかに九闕を御追い払い、
洛外へ引退し候よう仰せつけられ、なお嚇然宸怒、天誅の勅諚をすみやかに仰せ出だし下され候よう願い奉り候。暫時、輦轂の下を騒擾仕り候儀も
これあるべく、深く恐れ入り奉り候えども、その段は止むをえざる義につき、御宥免仰せつけられ候よう願い奉り候。微臣ら恐懼に堪えず、屏居、懇祈、
誠祷の至り、万死、泣血して謹んで仕え奉り候。 長防浪士中

104:名無しさん@お腹いっぱい。
15/06/16 15:59:30.08 gdcSv/R60.net
>>102>>101>>103の順ね

105:名無しさん@お腹いっぱい。
15/07/08 17:45:09.53 NHSczQ6f0.net
御所の警備は帰命無量隊が死守したんだとさ。

106:名無しさん@お腹いっぱい。
15/11/18 16:52:58.83 6EnBan7x0.net
禁門の変 京都御所を血に染めて官軍を名乗るのか 久坂がすべて悪いになる「明治維新を全否定」の歴史本 会津地方で5万部の大ベストセラーに│NEWSポストセブン URLリンク(www.news-postseven.com)


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