大政奉還後の新政府構想についてat HISTORY2
大政奉還後の新政府構想について - 暇つぶし2ch132:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 11:33:54.55 SdXvoWH60.net
test

133:名無しさん@お腹いっぱい
14/02/14 02:39:40.33 Up7PFcyJ0.net
>>131
それも大きいだろう
身分制を廃止した思い切った改革も含めて重要な要素だったと思う
幕府が存続した場合は、もし近代化という変化を起こそうとしても
上(支配側)は維持を続けることは前提で、変化すら幕府の支配体制を維持するため
ということになる
自分たち自身を半永久的に変化させない人達が、下々だけを変化させようとして、振り回すだけになる
これでは自然な形での近代化は無理がくるであろう

134:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:08:46.47 qwfF/BqH0.net
>>133
まあ明治新政府も元老とか譜代みたいな制度を作ったがな。
明治という時代(現在もそうだが)の特質は集権志向に尽きるな。
地方行政コストをひたすらケチり続けたのが昭和になって一気に
ツケが回ったのが運の尽きになった。

いまも道州制などで地方交付税を実質的に減らそうとするなど
国家運営の失敗の本質から目をそらし続けているがな。

135:名無しさん@お腹いっぱい
14/03/02 01:45:15.89 VFa4y9vE0.net
昭和になったらもう明治政府とは言わんだろ

136:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 22:38:07.26 1BipZ2Nk0.net
>>128
日清日露で勝ったのと第一次大戦で大儲けできたからでしょ?
それまではぶっちゃけ殖産興業いうても旧幕府の頃と対して変わらんでしょ
まぁ税金が高くなったのは富国強兵として実を結んだから言わないけどさ

137:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 22:45:05.09 cG+HT25QO.net
その前に新しい技術や制度を思い切りよく取り入れて行った姿勢は大きいね
それをしなきゃならないという
使命感が強かったのであろう

138:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 20:56:18.41 NjMRh5240.net
江戸時代に従来とは違う新しい試みを行う場合は必ず反対する勢力がいた。
明治維新の影響でそういった新しいものを恐れる反対の声が弱まったことが大きいと思う。
主力である紡績もすでに鎌倉時代には綿や桑から自家栽培して機を織る家内制手工業が一部で確立されていたが
品質も生産性も悪かった。そこで生産性改善のために天保年間に大坂や桐生で工場制手工業が導入された。
現代人から見れば明らかに効率的な分業制ですが、導入時には「各人が分業する」という
新しい概念に不安を抱いて反対する人が多く、足並みを揃えることに苦労している。
外国技術を幕府が導入しようとしても同じように恐れ、反発されて明治政府のようにうまくいかなかったかと思う。

139:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 01:56:40.12 lCE6LJlw0.net
江戸時代以前は仕事は家単位で保有し継承する家職制を基本としていた
そこを改めないと近代化はうまくいかなかったのだろう。

140:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/10 06:35:13.44 cQcygT3y0.net
じゃ
総力戦体制への創始者の田中儀一マンセーということで

141:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/11 10:14:53.45 4TstX10kO.net
明治政府が中央集権重視となったのは
日本が各地でバラバラに行動していては
内戦の原因にもなり、外国の侵略を防げない
という根本的なのが理念大きいはずです
あの時代にはそれが必要だった
外国から日本を守ることが
まず維新の志士達の強い意志です

142:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/15 15:59:09.42 oMGXttX/0.net
外国の侵略とは抽象的で実質のない言葉だよ。幕府は不平等条約を結んだが
居留地がいいように外国人は自由に移動できなかった。しかし新政府は
そう言うのもとっぱらってしまった。侵略されないためなんていうのは
「革命」の意義が曖昧であることの良い証左だといえる。

>>138
江戸時代の機内西国の商品作物経済(主に綿だが)の発達はにしん肥による生産の飛躍的な
増大が原因でマニュファクチャーはそこからの要請だよ。ただそこでの労働者はそれ専用
の労働者ではなく農民の副業であり、今日の都市部労働者と異なるものであり、
マルクス史観的にいう労働者階級は絶対的に数が足りていない時代であることを考慮すべきだ。

>>139
元老や薩長閥がいいように倒幕主導勢力でなければ上にいけないのは
譜代親藩とどう違うというのか。明治後も地方対立の際「賊軍」「官軍」
意識が大きく作用したことを忘れてはならないだろう。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/16 13:06:38.13 QO/h/e+P0.net
>>142
出身地域で差別を導入する意図があるなら
導入が容易な倒幕側地域住民にのみ近代的基本的人権を付与し
(居住移転の自由や公民権を与え教育の機会を授け)
反発の強い佐幕側地域住民には祖法に倣い婚姻・職業・移転・教育・公民権の制限を継続した方が
楽に国政から不都合な国民の介入を排除できるので合理的でしょう。

144:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 03:40:54.21 scjKxx/C0.net
>>142
外国と対等につき合える国を目指したのですよ
曖昧とか抽象的とか言っても、それは主観の問題ですからねえ
実際、国を買えようとした人達いとっては、リアルに切実な目的だったわけです

145:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 03:56:39.61 scjKxx/C0.net
あと、明治になってから、世襲というものがかなり廃止され
交代が可能がシステムが作られていきました
もちろん世襲を好む人達も当然のこっていたでしょうし
いきなり現代と同じにできるはずもなかったでしょうけどね
それでも少しずつでも前に進む礎になっていったのです

146:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/21 21:56:01.68 BlCakIrJ0.net
>>143
地租改正や徴兵制のように全国一律の方式に改めるのに
身分制が邪魔なだけで人権向上ではないのは「新平民」からもよくわかる。
幕末の内戦でわかったことは身分制による国民の役割分担(戦闘員としての武士、租税、労役を負担する
農民)が非効率的なものであることがはっきりしたことだよ。
それでも出身地域差別は残ったがね。
出身地域差別は官僚、特に軍部が顕著であり、一次大戦後非長州閥
の下克上が軍部の暴走の原因にもなった。

>>144
内戦で外国に攻め込まれるというのは全くの被害妄想で、当時の列強の
求めていたことは居留地の安全の確保であり、それは幕府に肩入れしすぎた
オールコックが更迭されたことからも明白。内戦でのグラバーやスネルは完全に自己責任
の商売で軍事援助という性格のものではない。だからこそ五稜郭の旧幕勢力は
列強から交戦団体として認定されなかった。

>>145
元老の山縣がいいように原敬に日記で軽蔑され、石橋湛山に「死ぬのも奉公」と言われる
ほどのものが20世紀、大正にいたことや、枢密院という国民国家を否定する存在、
地方自治体首長が官選であるなど江戸時代とは違う中国王朝のような集権体制など
江戸⇒明治が近代的、進歩などというのは短絡的な考えだよ。

147:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/21 22:57:28.85 aoMTKw0xO.net
>>146
外国勢力に対する考え方はずいぶん楽観的ですな
当時の欧米の植民地政策を見ていれば
妄想とばかりは言えますまい
結果的に国を守れたから後でなんとでも言えますが
それも幕末の志士の危機感あってこそのものですね

148:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/21 23:32:07.37 aoMTKw0xO.net
もともとが復古というように古いものを尊重しつつ
世界情勢にあわせられるように変化したわけだから
それを進歩と言いたくない人にとってはそれでもいいのでは?
ただ明治になって変わっていくことが現代にも通じていく
権力を持ちたがる政治家は昔も現代にだっていくらでも出てくる
完璧な理想の国家など作られるわけないし志が低過ぎる者が多いことも問題だね

149:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/22 22:09:27.65 l0tNpk5/O.net
山県はねー
軍人に政治権力を持たせない方針の木戸がもう少し元気で生きていたら
もう少しコントロールされて政府もかなり変わっていただろうと思う
明治初期はまだ国を救おうとする志士達の使命感が残った時代だったが
開明的な理想を持ち続けた木戸が早死にしたのが明治政府では痛かったな

150:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/31 16:24:13.24 Vlg4ep4F0.net
>>146
中国と明治国家を中央集権というだけで
同一視するなんて短絡的な考えですなあ
原敬自身が、外様の家老が首相になれる時点で江戸時代とは全く違うのに

151:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/02 11:09:44.12 lC5hdtDF0.net
>>147
楽観的といわれても、オールコックが更迭されたのは事実だし。会津がプロイセンを巻き込もうとして
拒絶されたように。にかく当時の日本は治安が悪く、戦争に介入せず日本各地の居留民の安全を
確保することに必死なのはイギリス本国のマスコミや政府の当時の資料から明らか。
明治国家最大の危機は倒幕後の奇兵隊粛清からはじまる地方名士層の不平不満を
民権運動を経て国会開設にいたるまでの道のりだよ。


>>150
中国王朝も試験にパスすれば門地に限らず首相になれたけどね。原の「賊軍」出身というプロフィール
が枢密院をはじめとする藩閥勢力から警戒される中で、山縣にとっては普選を求める他の政党政治家
との比較の中でコントロールしやすいから手を組んだのであって必然性はないが、
原が首相になるためには絶対条件であることを考慮しなければならない。
>同一視するなんて短絡的な考えですなあ
一般に言われるイギリスを比較対象にするよりは穏当だろう。

152:名無しさん@お腹いっぱい。
15/12/25 11:19:08.81 XO0sd/x/0.net
最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり


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