日中戦争は『通州事件』を引き起こした中国人の責任at HISTORY2
日中戦争は『通州事件』を引き起こした中国人の責任 - 暇つぶし2ch1:通州に於ける神人共に許さざる残虐事件
12/01/09 17:05:54.41 rGuFZvgf0.net
 一九三六年四月八日、顧振を団長とする中国国民政府訪独団と、経済大臣兼国立銀行シャハト
(Hjalmar Schacht)との間で、一億ライヒスマルクにおよぶ借款供与を内容とする中独条約
(別称HAPRO条約)が調印された。
URLリンク(www.seijo-law.jp)

1937年7月31日、国民党内のもう一人の雄、汪兆銘は撤退する際、大小の都市の区別
なく焼き尽くし、支那人同胞すら殺し尽くして、日本軍の手には「一物」をも渡さぬ、
との宣言を行っている。 中国伝統の「堅壁清野作戦」であり、「汪兆銘の最後の関頭演説」である。
「すでに最後の関頭に至れば、絶大の決心と勇気をもって犠牲をなすべきである。中国人の一人をも、
一塊の土をも、灰燼に帰せしめねばならぬ。一物をも得させてはならない」
URLリンク(ameblo.jp)

 帝国夙に東亜永遠の平和を冀念し、日支両国の親善提携に力を效せること久しきに及べり。
然るに南京政府は排日抗日を以て国論昂揚と政権強化の具に供し、自国国力の過信と帝国の
実力軽視の風潮と相俟ち、更に赤化勢力と苟合(こうがふ)して反日侮日愈々甚しく以て帝国
に敵対せんとするの気運を醸成せり。近年幾度か惹起せる不祥事件何れも之に因由せざるなし。
今次事変の発端も亦此の如き気勢が其の爆発点を偶々永定河畔に選びたるに過ぎず、
通州に於ける神人共に許さざる残虐事件の因由亦茲に発す。更に中南支に於ては支那側の
挑戦的行動に起因し帝国臣民の生命財産既に危殆に瀕し、我が居留民は多年営々として建設
せる安住の地を涙を呑んで遂に一時撤退するの已むなきに至れり。
URLリンク(teikoku.xxxxxxxx.jp)

 斯(か)かる背信行為そのものが許し得ないことであるが、仮に百歩を譲って、
日本守備隊に対する攻撃は、保安隊がすでに共産思想に染まっていたことからして理解出来
る面があるにしても、無辜(むこ)の日本人居留民260余名の惨殺は全く殺のために殺を好
む鬼畜の所業であり、天人共に許さざる蛮行である。
 罪なく、抵抗力もなき幼児・婦人に対してさえ、一片の憐れみの情を示す事もなく、
ただ日本人であるからという理由で白昼平然と犯し、掠(かす)め、凌辱し、惨殺して
行った彼等支那保安隊は、人身を装う悪鬼悪獣と言わずして何と呼ぶべきであろうか。
URLリンク(www.history.gr.jp)

川合貞吉『或る革命家の回想』より
 それから、話が七月に起きた中国人による日本人虐殺の通州事件に及ぶと、
「あれは君、支那民族の怒りの姿だよ、眠れる獅子が目を醒まして咆哮した姿だ。
冀東地域へ入りこんでいる日本人に碌な奴はいない。淫売、破落戸(ごろつき)、
事件屋 ― そんな連中が兵隊の威力をかりて威張り散らし、悪辣極まることをして土着民
を絞り虐待しているんだ。そういう政策を押し進めている日本の民度の低さに罪があるんだ」
と、尾崎は悲しそうな顔をした。(P300)
URLリンク(www.geocities.jp)

 通州事件とは、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものである。
 1937年7月29日、冀東防共自治政府保安隊は挙兵し、日本軍人や居留民を襲撃・殺害した。
犠牲者のうち100人以上は朝鮮人で、日本人も同規模の犠牲をこうむっている。被害者に朝鮮人
が多いのは、アヘン密売等に携わっていた朝鮮人が多かった為である。殺害された日本人にも、
アヘン・ヘロインの密貿易・密造に携わっていたもの少なからず存在したと推定される。
 通州事件は、日本軍の介入によって、1日で鎮圧されたが、事件の責任を取って、
日本人女性の夫である殷汝耕は辞任した。冀東防共自治政府は、その後、日本が作った
中華民国臨時政府に合流しているが、それに先立つ、1937年12月、冀東防共自治政府代理政務長官
の池宗墨と在中華民国日本帝国大使館参事官の森島守人は、冀東防共自治政府が、日本に謝罪し
損害賠償金を支払うことで、事件を終結させた。
URLリンク(cccpcamera.asablo.jp)


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