13/09/22 09:40:20.43 nW9ZHftK0.net
>>212
まあ諸隊はもとはといえば、ばらばらに成立した義勇軍だからね
戦争に参加する独自の理屈がそれぞれあったわけで
幹部連中集めて勉強会したり林半七や槇村なんかが駆けずり回って説諭したりしても
「総論賛成各論反対」の域を出るのは難しかったのは想像つくね
軍規が身についてる「武士」じゃないんだから
実際品川ヤジあたりだって、薩長の話し合いに同席させられ
薩長連携の最前線に投げ込まれるまでは思いっ切り跳ね返ってたわけで
理屈を戦わせるよりも、木戸の「粛然夜の如し」みたいなフレーズの方が
伝わりやすかったかもしれん
逸る気持ちはわかるが抑えろよ、と
最終的には暴発兵への厳罰でわからせることになっちまったが